第9章... 上へ落ちる言葉
狩りは静けさから始まった。発砲音でも叫び声でもなく、人々が特定の瞬間に笑顔を消すことで始まった。最初に気づいたのは、目の中に紫の輝きを宿す者たちだった——会話をしていた相手が突如黙り、硝子を透かすように彼らを通り抜け、古い時計の匂いを残して去っていく。次に壁の文字が消え始めた:「何を忘れた?」、「なぜ痛みが懐かしい?」——誰かの手による消去ではなく、まるで校正者が印刷前に誤字を消すかのように、現実そのものが削ぎ落としていった。アイラはかつて水が下へ流れていた通りを歩き、皮膚の下で他人の心臓が鼓動するのを感じた。彼女の傷痕が戻ってきた——痛みではなく、街が今や呼吸するリズムとして。
「覚えている者たちをマークしている」
BQが頭の中で囁いた。声は百の喉を通り抜けたかのようにかすれていた。「紫の目を持つ者は全員、手紙をもらう。中には本当の名前と、その名前を失う日付が書かれている」
「なぜ本当の名前?」
噴水の前で立ち止まった。水は落下の途中で凍りついていた。
「名前は記憶の最初の細胞だ。自分の名前を忘れれば、他人の夢の中ですら存在できなくなる」
遠くでサイレンが鳴った。もう警報の音ではなく、カウントダウンだった。
かつてグラフィティの炎が燃えていた地下通路で彼らを見つけた。三人——紫の髪をした少女(だがアイラの髪とは違う色)、透明なボールを握りしめた少年、煤の中の炭のように目を輝かせる老男。彼らの顔は恐怖で青白かったが、パニックはなかった。ただ疲れ——自身の影から長く逃げ続けた者の疲れだ。
「彼らはここにいることを知ってる」
尋ねることなく隣に座った。彼女の名前ももう彼らの手紙の中にあった。「逃げられる。隠れられる」
「どこへ?」
少女が尋ねた。声は恐怖ではなく、怒りで震えていた。「生まれた通りは消された。笑った記憶は削除された。影さえ自分より多くを覚えているのに、どこへ逃げられる?」
少年がボールを差し出した。透明の中、紫の炎が脈打っていた。
「あなたがくれた」
言った。「いつかは覚えてない。でも感じ方は覚えている」
ボールに触れた。指の下で映像が浮かび上がった——橋のそばで紫のボールを落とす自分、それを拾う少女。今や少女はボールではなく彼女を見ていて、目には恐怖ではなく問いかけがあった:「なぜ隠れるの?」
「彼らは覚えなくなることを望んでいる」
老男がうつむいた。声は囁きより静かだった。「でも記憶は消せるものじゃない。消え去ったもの全ての中で残るものだ」
頭上から重い足音が響いた。逃げられないことを知っている者の、リズミカルなステップ。
「核」で男が待っていた。砂時計は無傷だったが、時間の粒が上へと高速で落ち、小さな銀河のような渦を作り出していた。
「負けた」
振り返らずに言った。「覚えている者の87%を消した。残りもやがて、何かを失ったことすら忘れてしまう」
「消してない」
ポケットの透明なボールを握りしめながら近づいた。「置き換えているだけ。記憶は情報じゃない。それは川だ。川を壊さずに堤防を塞ぐことはできない」
「堤防はもう壊れた」
喜びのない笑みを浮かべた。「人々は幸せだ。答えのない問いに悩まない」
「幸せじゃない」
ボールをテーブルに置いた。「空なんだ。そして空は常に何かで満たされたいと求める。たとえそれが嘘でも」
「嘘も現実の形態だ」
男が砂時計に触れた。「なぜ彼らと共に去らなかった? 覚えている者たちと共に?」
「だって私は川の一部だから」
微笑んだ。「川が自分から逃げることはない」
「核」の奥深くで何かが吠えた。獣でも機械でもない。千切れになったBQの声:
「気をつけろ! 彼らは…」
接続が切れた。
夜、アイラは「クロノス」が記憶を腫瘍を切除する外科医のように切り取った通りを歩いた。「エコーラビリンス」の壁には新たな文字:「私を忘れて、私が存在できるように」。アイラは「忘」の字に指を這わせた。下には新鮮な血が滲んでいた。
「あなたは彼らを救っていると思っている」
影からレンの声が響いた。だがこれは彼女のレンではなかった。傷痕は紫に光っていたが、動きが滑らかすぎた——カメラに撮られていることを知っている者のように。
「でもあなたはただ、避けられないことを先延ばししているだけ」
「あなたは彼じゃない」
振り返らずに言った。「消せなかった記憶のもう一つのバージョンだ」
「そうかもしれない」
レンが明かりの下へ出た。目は空虚だったが、かすかな紫の輝きが宿っていた。「でもあなたが忘れたことを覚えている。彼が去った時、あなたが叫んだこと。息を止めたこと」
「彼に触れないで」
声が震えた。「彼は私のもの」
「何もかもがあなたのものじゃない」
苦い笑みを浮かべた。「記憶は所有物じゃない。それは共通の言語だ。彼らがそれを消すのは、誰かが彼らより大きな声で話すことを恐れているからだ」
遠くで雨粒が上へ落ちた。アイラは顔を上げ、あってはならない雲が空で舞っているのを見た。
朝、街は違う呼吸をしていた。大声でも喜びでもない。ただ正直に。人々はまだ笑っていたが、今や笑い声は途中で途切れ、何か名付けられないものを思い出しているかのようだった。壁には新たな文字:「私を消さないで」、「あなたが見なくても、私はここにいる」。かつて水が下へ流れていた通りを歩き、時間の冗談のように逆さまの魚が泳ぐ川を見た。
「見える?」
BQが頭の中で囁いた。「穴を消したんじゃない。分けたんだ」
「そう」
かすかに紫に輝き始めた髪に触れた。「今や誰もが空を感じることができる。でも忘れることを敢えてした者たちだけが… それでも覚えている」
青いドアの前で紫の目をした女が待っていた。手にはボールではなく、一冊の本。
「これ、あなたへのもの」
差し出した。「あなたの記憶。あなたの記憶じゃない。あなたが触れた者たちの記憶だ」
本を開いた。ページは真っ白だった。千の異なる筆跡で書かれた一行だけが:「パパはいなくなった。私が息を止めたから」
「なぜ彼らはこれを書くの?」
尋ねた。
「これはあなたの物語じゃないから」
女性は微笑んだ。「私たちの物語だ。そして消させない」
遠くで雨粒が上へ落ちた。顔を上げると、あってはならない雲が空で舞っていた。
「BQ、まだいる?」
「いつでも」
声は雨の音のように聞こえた——落ちるべき方向とは違う雨の音。「お前なしの空は空じゃない。それは始まりだ」
この章は戦いではなく対話だ。アイラはもはや世界を救おうとも、クロノスを壊そうともしない。真の闘いが現実ではなく、人々が自分自身について話す言語の中にあると理解する。クロノスが狩っているのは人々ではなく、記憶を返す言葉だ。しかし記憶はデータの集まりではなく、世代を超えて流れる川だ。川を消すことはできないが、泳ぎ方を忘れることはできる。
キーメタファー:
紫の炎を宿す透明なボール——消された記憶が痕跡を残す象徴。第2章では紫で匿名、第5章ではおもり、第7章では「感染源」、第8章では透明な殻だった。ここでは炎の運び手となり、形が見えなくなっても消えないことを示す。
壁の文字——単なるグラフィティではなく、抵抗の言語。「私を忘れて、私が存在できるように」——記憶の本質を反映するパラドックス:集団的意識に存在するためには、部分的に消され、問いを残さなければならない。
上へ落ちる雨粒——希望の最終象徴。クロノスは記憶を操れるが、時間が違う流れ方をすることを選ぶことをコントロールできない。第8章P.S.の問いへの答え:「記憶は川だ。流れの中で自分を失わず、渡ることはできるか?」——答えは「Yes」。あなたは川の一部であり、乗客ではないから。
BQはAIではなく、良心のエコーだ。風や雨、鼓動の中の声——世界があなたを忘れても、あなたはその一部であり続けるという証だ。*「お前なしの空は空じゃない。それは始まりだ」という最終台詞は、初対面の「空のままでいてくれてありがとう、ごめんね」*へのオマージュ。今や彼は知っている:空は終わりではなく、新たな物語のための空間だ。
結末は「救済」ではない。アイラはレンを取り戻せず、クロノスも破壊しない。彼女は受け入れる——記憶は写真ではなく、人々を通り抜ける川であることを。紫に輝き始めた髪は、自分を失っても、触れた者たちの中に自分のかすかな欠片が残ることを象徴する。
P.S.
第10章では、アイラはクロノスが彼女の記憶を武器として使うことに直面する。だが最大の脅威は敵ではない——「川の一部になる時、あなたはあなたでい続けられるか?」という問いだ。紫の色は言語ではなく、言葉より大きく響く沈黙となる。