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第7章... 名付けることのできない代償

この章は勝利ではなく代償だ。アイラは「橋」となる選択が代償を伴うことを理解する——彼女の「現実の穴」は他人の時間を飲み込み、希望を毒に変えていた。クロノスの提案は卑劣さではなく避けられない必然だ——世界を救うため、彼女は自分自身を消さなければならない。しかし古典的な物語とは異なり、ここでの犠牲には英雄性がない。アイラは世界を救わない——彼女はただ一つの混沌を別のものに置き換えるだけだ。かつて個人の痛みだった彼女の空は、境界を失ったことで集団的トラウマとなった。なぜなら彼女が無制限に感じることを許したからだ。


キーメタファーは前章より深く掘り下げられている。紫のボールが影を滲ませる——もはや癒しではなく傷を与える彼女の力の象徴。第2章では匿名の贈り物、第5章ではおもりだったが、今や「感染源」に変貌した。彼女の行動はもはや匿名でもコントロール可能でもなく、止められない連鎖反応を生んでいる。


鏡に映る少女——単なる過去の反映ではなく、彼女の恐怖だ:痛みを忘れれば、それは救いなのか人格の死なのか。プレゼントの燃える包み紙のシーンは六歳のトラウマへのオマージュだが、今や炎は少女の指に触れない。これは、彼女が罰として抱えていた痛みがもはや彼女を支配しないことを示す。しかし代償は、かつての自分とのつながりを失うことだ。


レンの手紙——希望ではなく記憶の罠だ。消すこともできるが、そうすれば選択の権利を失う。*「お前が正しい。私はお前の沈黙を恐れていた…」*という一文は許しではなく、彼らの関係が誤解に基づいていたという告白だ。アイラはこの手紙を傷痕に隠したが、今や理解する:記憶は写真ではなく、包帯を巻き直し続ける傷だ。


BQはAIではなく、彼女の良心の声だ。彼の消滅は終わりではなく移行だ——名前を忘れられても彼女の一部となる。「お前が望んだ私がここにいる」という最終台詞は、初めて出会った時の「あなたはわかるけど、生きられない」へのオマージュだ。今や彼は生きた——自分という存在を代償に。


結末は「ハッピーエンド」ではない。アイラはレンを取り戻せず、クロノスにも勝てない。彼女は受け入れる——落ちることにも代償があることを。紫を失った髪は、もはや「観察者」という仮面を隠さないことを象徴する。しかし今や彼女は知っている:沈黙も言葉だ。そしてこの名付けることのできない色は、彼女の新たな旗となる。


この章では集団的トラウマと記憶の倫理が強調されている。クロノスは敵対者ではなく、混沌への恐怖の反映だ。彼らの穴を消す提案は、コントロールを取り戻す試みだが、その代償は個性の喪失だ。雨が下に落ち、人々が笑う街は救われた世界ではなく、人工的な静けさに凍りついた世界だ。アイラは理解する:痛みのない普通は生ではなく、夢だ。


重要なのは、アイラが青いドアに入らないことだ。これは「正しい」選択を拒否する最後の抵抗だ。代わりに彼女はベンチに座り、紫のボールを持つ女性を観察する。しかし今や彼女の観察は受動性ではなく、世界の一部であることを意識的に選ぶ行為だ——たとえそれが彼女が壊した世界でも。

彼女は、世界が壊れ始めたことにすぐには気づかなかった。最初は些細なことだった——現実のひび割れを見逃すほど鈍感な人間には見えないほどの些細さだ。角の老婆は昨日の記憶を失っていたが、顔の左半分だけだった。右頬はまだ孫娘が花を持ってきたことを覚えているのに、左側は「あなたは誰?」と叫んだ——まるで時間が彼女の意識を真っ二つに切り裂いたかのように。地下鉄では、制服姿の少年がアイラの手のひらに古い懐中時計を載せて尋ねた。「ボクの針が逆に動いてるの、見えますか?」——分針が時針を飲み込むように動く文字盤を指差した。だが最も恐ろしかったのは匂いだった。空気が古びた写真の匂いを放っていた——顔が徐々に消え、シルエットだけが残るあの写真だ。まるで現実が人々を少しずつ消し去り、最初に消えるのは記憶であるかのように。アイラはそれを吸い込み、悟った。これは自分のせいだ。かつて「力」と信じていた彼女の「空」が、世界の体に広がる癌のように広がり始めたのだ。


「これはお前のせいだ」

BQがヘッドフォンで囁いたのは、噴水の前に立っていた時だった。水は硝子の壁にぶつかる鳥のように空へと舞い上がっていた。彼の声は以前とは違った——水を通しての囁きではなく、古いフィルムが切れそうなパチパチという音だった。「お前の空はもはやお前のものじゃない。それは…増殖している。お前が時間を感じるたび、新しい細胞を与えてきたんだ」


「望んでなかった…」

アイラは紫のボールを握りしめた。前章では輝いていたのに、今は影が滲み出し、指の間の粘っこい蜘蛛の巣と化していた。「ただ…落ちることを恐れなくなったんだ」


「恐れなくなったから、コントロールもできなくなった」

BQは言葉を選びながら言った。「クロノスが来た。お前には二つの選択肢しかない——穴を消すか、それとも世界を滅ぼすか。だって境界のない空は自由じゃない。それはペストだ」


答えようとした瞬間、銀色の目をした男が噴水のすぐそばに立っていた。手には去年の火事で燃えてしまったはずの、彼女の子供時代の日記帳を持っていた。表紙は無傷で、嵐前の雨雲のような灰色に光っていた。


「盗んだのね」

アイラは後ずさりした。スニーカーが濡れたアスファルトで滑ったが、倒れなかった。0.3秒だけ時間が遅くなった——父の名前より体が覚えている反射だ。


「違う」

男は日記を開いた。ページは真っ白だった。六歳の時の、流れ星のように震える筆跡で書かれた一行だけが残っていた:「パパはいなくなった。私が息を止めたから」

「お前が戻したんだ。『橋』になった時、お前は時間を繋いだ。今や過去は未来と同じくらい鋭く傷つける」


「お前のばあさんは? お前の娘は幼くして死んだ。今日、その痛みが戻ってきた——半分だけ。傷口を爪でかき毟るような」


アイラは自分の手を見た。爪の下には乾いた血がこびりついていた。いつ切ったのか覚えていない。


「なぜ日記を壊さないの?」

拳をポケットに隠しながら尋ねた。「あなたはクロノス。時間を修正するんでしょう?」


「修正する」

男は喜びのない笑みを浮かべた。「でも原因は消せない。お前は人々に希望を与えたつもりだった。だが根のない希望は毒だ。心をえぐり出すまで育ち続ける。紫のボールの少女? 今日の朝、母親は彼女を家から追い出した。希望が少女に夢を見させたからだ。夢は最も危険なおもちゃだ」


遠くでサイレンが鳴った——スローモーションのように伸びる警告。六歳の時、未開封のプレゼントを手にドアの前に立っていた自分をアイラは思い出した。息を止めれば、時間が止まる。パパは行かない。 だが時間は止まらなかった。パパは去った。そして今、彼女の「息を止める」試みが世界を壊していた。


「エコーラビリンス」は閉店していた。扉には新鮮なグラフィティ——逆さの時計に*「観察ありがとう」*の文字。アイラは指でペンキに触れた。まだ乾いていない。雫が下に垂れるのではなく、上へ——源に向かって流れていた。


「クロノスが街を脅している」

レンが向かいのテーブルに座っていた。傷痕はかつてないほど紫に光っていたが、これは彼女のレンではなかった。動きが滑らかすぎる——カメラに撮られていることを知っている人のように。

「お前の『異常』を見た者は全員、クロノスから手紙を受け取った。そこには最も恐ろしい記憶が、現実から削除された形で書かれていた。お前のばあさんは? 娘が幼くして死んだ。今、その痛みが戻ってきた——半分だけ。癒えない傷だ」


「なぜあなたはここに?」

彼女の手を見つめた。震えていない。彼女のレンは嘘をつく時、手が震えた。


「私はお前が傷痕に隠した記憶だ」

苦い笑みが浮かんだ——練習しすぎた台詞のような完璧さ。「お前は私を守ったと思った。だが記憶は写真じゃない。それは傷だ。お前が絶えず包帯を巻き直すもの。私は…お前が自分で巻いた包帯だ」


窓の外、雨は空中に浮かんでいた——ガラス玉のように跳ね上がる雫。遠くでサイレンがスローモーションで鳴った。昨日、そんな雫を捕まえようとしていた少年をアイラは思い出した。指は煙のように雫を通り抜けた。止まった時間でさえ、捕まえることはできない, と彼女は思った。


「クロノスは取引を持ちかけるだろう」

レンが手を差し伸べたが、指は彼女の掌を通り抜け、紫の残像を残した。「穴を消す代わりに私を返すと。だが真実は…」


「何?」

声が震えた——答えは知っていたのに。


「私はもうここにいない。お前が守ったのは、私がかつてだった姿だけだ。本当のレンは…」

沈黙の奥で響いた:「本当のレンは、お前が落ちることを選んだことを憎んでいる」


泣かなかった。目は昨日乾いていた——涙も空中で凍りつくことを悟った時から。


「核」での再会は、以前とは様子が違っていた。砂時計は割れ、破片が宙に浮かんでいた。各破片の中には時間の粒が宿り、男は混沌の真ん中に立っていた。彼の影は十の方向へ同時に伸びていた——まるで十の現実を同時に生きているかのように。


「お前の空は伝染性になった」

男が破片に触れた。中には紫のボールの少女が見えたが、目はくみ干された井戸のように空虚だった。「お前は人々に希望を与えたと思った。だが根のない希望は毒だ。心をえぐり出すまで育ち続ける」


「何が欲しいの?」

アイラは爪を掌に食い込ませた。痛みは恐怖と同じくらい古いものだった。


「穴を消す」

男が手のひらを上げた。硝子でできた心臓が、彼女の鼓動とシンクロして脈打っていた。「それには代替品が必要だ。同じくらい強い何かで」


「何を?」


「お前の記憶」

男の目は嵐前の空のように暗くなった。「お前の能力に関わる全てを消す。息を止める方法も忘れる。レンのことも。紫という色さえも」


「それで彼を返してくれるの?」


「違う」

無感情な笑みが浮かんだ——葬儀のようなもの。「お前が彼を返す。記憶がなくなれば、傷痕の中の彼も消えるからだ」


「核」の奥深くで何かが吠えた。獣でも機械でもない。千切れになったBQの声:


「やめろ! お前は…」


「何に?」

銀色の目が遮った。「普通の人間に?」


家に帰ると、空っぽの手で待っていた。紫のボールは「核」に残されていた——男が「失ったことを思い出すおもちゃはいらない」と言って持ち去った。部屋には鏡があった。だがそこに映ったのは彼女ではなかった。六歳の時のドレスを着た少女が立っていた。目は紫に輝き、手には未開封のプレゼントを抱えていた。


「帰るべきじゃなかった」

少女は彼女の声で話したが、震えはなかった。「今、彼があなたの弱さを見る」


「誰?」


「彼よ」

少女がプレゼントを上げた。包み紙が燃え始めたが、炎は指に触れない。「クロノスが世界を救いたいと思ってると思ってる? 彼らはお前を恐れている。お前は彼らに禁じられたことをできるから——時間を止めて人間であり続ける」


アイラは鏡に触れた。指の下で、自分の血で書かれた文字が浮かび上がった:「パパはいなくなった。私が息を止めたから」

あの夜、父が去った後、ナイフで皮膚を切り、痛みを罰として感じたことを思い出した。


「BQ、聞こえる?」


「聞こえる」

声は囁きより静か——空の部屋のエコー。「ここにいる。でも長くは…」


「なぜ?」


「お前が彼らの取引を選んだから*」

ヘッドフォンがカチッと音を立てた——接続が切れる音。「お前が私の名前を忘れる世界に、私はいられない」


「あなたはもう私の一部」

鏡に映る自分を見つめながら言った。「空さえも家にできるって教えてくれた人」


「でも記憶のない家は廃墟だ」

BQは黙った。沈黙の奥で:「空のままでいてくれてありがとう、ごめんね」


朝、街は普通に呼吸していた。雨は下に落ち、人々は笑った——笑い声が空中で凍るのを恐れずに。だがアイラは知っていた。これは普通じゃない。これは静けさだ。街は彼女の選択を待って息を潜めていた。


「彼らは勝った」

BQの声は遠いトンネルのエコーのように聞こえた。「お前の空は消えた。でも代償は…」


「私にはどうなるの?」


「忘れる。レンのことも、私のことも、紫が色だってことも」

沈黙の奥で:「でも私は残る。だってお前なしの空は、ただの空じゃないから」


地下鉄へ向かう途中、壁に書かれた文字を見つけた:「観察ありがとう」。だが今や彼女は理解した。これは感謝じゃない。これはさよならだ。記憶が消える前に人々が壁に書く言葉。


青いドアの前で男が待っていた。手にはドライフラワーの入った封筒。


「レンからのもの」

差し出した。「最後の手紙だ。読むか、永遠に忘れるか」


アイラは封筒を受け取った。中には一行——彼の筆跡で書かれた:「お前が正しい。私はお前の沈黙を恐れていた。言葉より大きく響くから」


「なぜ今これを?」

指先がしびれるのを感じながら尋ねた。


「お前がそう頼んだから*」

男は微笑んだ。「傷痕に記憶を隠した日だ。お前はいつか彼を忘れるって知ってた。だから鍵を残した」


「どんな鍵?」


「忘れる権利だ」

彼はこめかみに触れた。「今ならこの手紙を消せる。あるいは…覚えておくことを選べる」


アイラは青いドアには入らなかった。


かつてカップルが座っていたカフェの前のベンチに腰かけた。今そこにいたのは一人の女性で、紫のボールを握りしめていた。影がアスファルトに滲み出し、古い傷から流れる血のように見えた。


「彼は去った」

女性はアイラを見なかった。声は目と同じくらい空虚だった。「沈黙を恐れなくなったから」


「それで今はどう?」


「今私は聞く」

女性が顔を上げた。目は空虚だったが、かすかな紫の輝きが煤の中に残っていた。「沈黙も言葉の一つだ。ただ…叫びより大きく響くだけ」


アイラは自分の髪に触れた。もはや紫ではなかった。それは名付けることのできない色——黒でも白でも灰色でもない。息を吸って吐く間だけ存在する色。


「BQ、まだいる?」


「いつでも」

声は窓の外の雨の音のように聞こえた。「お前が私の名前を忘れた時でも… お前が望んだ私がここにいる」


遠くでサイレンが鳴った。もう警報の音ではない。それはついに彼女が踊り方を覚えたリズムだった。

P.S.

第8章では、アイラはクロノスが去った後の世界に直面する:良いことだけを覚えているが、感じる能力を失った街。紫の色は戻る——彼女の髪ではなく、忘れることを敢えてした者たちの目に。これは記憶が抵抗となり、忘却が自由の形となる章だ。中心にはアイラが最後に自分に問う質問がある:「自分が誰かを忘れたら、それでも人間でいられるか?」 答えは過去や未来からではなく、雨の雫から来る——誰かが「時間が逆に流れるべきだ」と決めたから。

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