あなたが静かになるまでに5分かかりましたわね
「レスティナ・ルーエット、お前との婚約を破棄する!」
夜会の最中、侯爵家の令息ベーグ・ラウドが宣言する。
ベーグは金髪で、ハンサムといっていい顔立ちだが、そこにはふてぶてしさも漂っており、貴族特有のプライドの高さを反映したような容姿であった。
そんなベーグの隣には、栗色の髪をお下げにした可愛らしい令嬢が恋人のように佇んでいる。男爵家令嬢のアネット・パールである。
「俺はこのアネットと結婚することにしたよ。お前は魔法が使えるから冒険者のようなこともやってるが、そんな粗暴な女は俺に相応しくないからな!」
婚約者であるレスティナは、ベーグの言い分を黙って聞いていた。
レスティナは肩甲骨のあたりまでまっすぐ伸びた、光沢ある黒髪に、ガーネットのような赤い瞳を持ち、唇は薄く艶やか。竜胆色のノースリーブのドレスを着こなす、気高いオーラを纏った令嬢であった。
今まさに婚約破棄を突きつけられたというのに、身じろぎ一つしない。
「分かりました」
「ふん、ずいぶん物分かりがいいな。俺としちゃありがたいが」
「ただし……これでラウド家が行おうとしている領地開拓事業が滞ってしまうかと思うと、胸が痛みますわ」
ベーグの目がピクリと揺れる。
「なに?」
「ラウド家の領地は広大ですが、荒れ果てている部分も多く、現在開拓事業を急ピッチで進めていると聞きます」
これはその通りで、ラウド家は開拓事業に大人数を投入している。しかし、なかなかはかどっていないのが現状である。
「そこで白羽の矢が立ったのは、代々魔法使いの家系で、優れた魔法部隊も擁する我がルーエット家です」
ルーエット家は魔力が高い子供が生まれやすい家系で、レスティナの赤い瞳もその証左である。さらに部下に独自の魔法教育を施すことで、戦いから掃除まで何でもありの魔法部隊を有している。
このため、子爵家という立ち位置ではあるが、王家からは伝統的にそれ以上の優遇措置を取られている。ルーエット家としてもあまり高い爵位を賜ることは好まず、現状の立ち位置で大いに満足している。
二人の結婚がなれば、ラウド家はルーエット家お抱えの魔法部隊を領地開拓に投入でき、その事業は急速に進むことになる――はずだった。
「ですが、私との婚約を破棄した以上、事業は進まなくなる。これが一体どのぐらいの損失を生むのか……。私は経済に疎いもので、想像が及ばなくて助かりましたわ」
話を聞いていたベーグは青ざめる。
レスティナとの婚約にそこまでの意味があったとは、彼は聞かされていなかった。
ラウド家の当主である彼の父は、さほど優秀ではないベーグにはそこまでの情報は与えておらず、なおかつ婚約破棄などという非常識な真似をするとは思わなかったのだろう。
「ま、待ってくれ! 今の婚約破棄は……なかったことに!」
「そんな理屈は通らぬことぐらい、お分かりになるはずですわね」
「あ、あああ……」
「あなたのお父様があなたにどんな処分を下すかと思うと、“元”婚約者として私の体温も下がる思いです」
レスティナは凍えるような仕草をする。
もはやベーグに言葉はなく、その場に立ち尽くすしかなかった。
この時、レスティナが婚約破棄を受けてからちょうど5分ほど経過していた。
「あなたが静かになるまでに5分かかりましたわね」
レスティナはこう告げると、ベーグに背を向け、会場を後にした。
ちなみにこの後、家の運命を左右する縁談を台無しにしたということで、ベーグは実家から絶縁される。
当然、アネットからも見放されてしまう。
庶民に落ちて数年後、彼は優れた容姿を悪用して結婚詐欺のような犯罪を働き、逮捕されたという風の便りが流れることとなる。
婚約破棄の後、ラウド家は当主自ら、ルーエット家に正式に謝罪。
相応の対価を支払い、どうにか魔法部隊を貸与してもらえることとなり、開拓事業は無事進められることとなった。
もっともこのあたりの家同士のやり取りは、レスティナにとってはさほど関心のないところである。
***
さて、レスティナにはもう一つの顔があった。
彼女は“冒険者”という一面も持っていた。
優れた魔法の腕を持つ彼女は、副業のような形で、冒険者として活動していた。
依頼遂行能力は高く、冒険者ギルドからも「難しい依頼はレスティナへ」という具合に重宝される存在だった。
今日も冒険者ギルドの本部にて、ギルドマスターから直々に依頼を受ける。
「なんだかご機嫌斜めですね、レスティナ様」
「つい先日、婚約破棄されてしまったのでね。思い出すだけで、腹立たしいったらないわ」
ベーグとの一件を憤慨しつつ思い返す。
冒険者としてのレスティナは長い黒髪をポニーテールのように結わいて、長袖のローブを着た魔法使いとしての格好をする。
「だから、今日の私の仕事は荒っぽくなってしまうかもしれないわ」
「それは頼もしいですが、冷静さだけは失わないようにして下さいね」
「分かっているわ。で、どんな仕事?」
「“ブラッディドラゴン”の討伐です」
標的の名前を聞いてレスティナの表情が強張る。
「バルゴ山の山中に住み着いて、すでに大勢の動物、旅人が犠牲になっています。血気にはやって挑んだ冒険者も何人も犠牲になり……」
ブラッディドラゴンとは、竜族の中でも特に凶暴で残忍なドラゴンとして知られる。
殺戮をこなせばこなすほど強さを増し、そのくせ大軍で迫るとすぐに逃亡するという厄介な性質があり、数に頼ることもできない。
少数精鋭で確実に仕留めなければ、被害は拡大する一方である。
レスティナにも貴族としての正義感、魔法使いとしての矜持がある。
「分かりました。引き受けるわ」
「ありがとうございます」
さっそく討伐に向かおうとするレスティナを、マスターは引き留める。
「今回はパートナーを用意しています。ぜひ組んで頂けませんか」
「どこにいるの?」
「すでにそこにおります」
「……!」
近くの壁際に剣を背負った剣士が立っていた。鈍色の鎧を纏い、腕組みし、静かに佇んでいる。
癖のあるゴールドブラウンの明るい茶髪。背はレスティナよりも頭一つ分高く、体格はがっしりしている。顔立ちは凛々しく、彫刻のように整っている。
(気配を感じなかった……かなりの使い手ですわね)
この時点でレスティナは剣士のことを認めていた。
「お名前は?」
「ロムス・グラーダと申す」
見た目に反することなく、声まで逞しい。
マスターが補足説明をする。
「グラーダ家は剣士の家系で、その功で男爵家となりました。ようするにあなたと同じく貴族であられます」
「魔法で名を成した私たちと似ている部分がありますのね」
「そうなりますね」
レスティナはロムスに向き直る。
「よろしくね、ロムスさん」
にっこり微笑むと、ロムスはぎこちなく返す。
「よ、よろしく……」
これを見て、レスティナは見た目よりも優しい人なんだ、という印象を受けた。
「ではさっそくドラゴン退治に参りましょうか」
レスティナとロムスがギルド本部から立ち去る。
ギルドマスターは二人を見送りながら、こう思った。
(もしかするとこの二人は、剣士と魔法使いのコンビとしては、国内最強のコンビといえるかもしれないな……)
***
レスティナとロムスはバルゴ山にやってきた。
バルゴ山は標高こそ高くないが、開発は進んでおらず、山道も険しいため登る者はほとんどいない。
その一方でさまざまな交通路と隣接しており、王国内を旅する者は必ずといっていいほど、どこかでバルゴ山を景色として眺めることになる。
つまり、竜にとっては攻められにくく、なおかつ“餌”には困らない、という立地なのである。
愛用の山吹色のロッドを握り、ローブ姿のレスティナが相棒に声をかける。
「さあ、行きますわよ」
「ああ」
レスティナは自身の足腰に多少の強化を施す魔法をかけ、ロムスはそのままで、山道を登っていく。
特に障害もないまま、二人は中腹付近に差し掛かる。
すると、雷鳴のような唸り声が聞こえた。
「この先ですわね」
「ここからは俺が先頭に立とう。君はサポートを頼む」
「分かりましたわ」
山の中に木々のない開けた場所があり、ブラッディドラゴンはそこを根城にしていた。
大きさは二階建ての家屋ほど――その名の由来である赤黒い鱗を持ち、両眼は高い新陳代謝からか血走り、爪や牙を鋭く光らせている。
周囲には山の動物の骨が生々しく転がっている。
かなり成熟しており、並みの冒険者はおろか、軍隊の一部隊を派遣しても、討伐は難しいであろう個体であった。
だが、二人は悠々と縄張りに足を踏み入れる。下手に奇襲をかけると、相手もまた予想外の動きをして、かえって危険であることを二人は知っている。
ブラッディドラゴンが二人に気づき、グルルルと威嚇をする。
作戦は事前に打ち合わせている。
「もし、私がしくじったら私は見捨て、どうか撤退を」とレスティナ。
「安心しろ。君には爪一本触れさせやしない」ロムスが淡々と返す。
この言葉に、レスティナはこれから戦闘だというのに、胸の芯のあたりがうずくのを感じた。
まずは――
「土弾!」
レスティナが杖を掲げ、周囲の土を弾丸と化して飛ばす。
ダメージはないが、ドラゴンの注意がレスティナに向き、襲いかかってくる。
「炎壁!」
続いて、炎の壁を生み、ドラゴンの視界を遮る。
「雷牙!」
鋭い雷撃がドラゴンの腹部に突き刺さる。一瞬、動きが止まった。
三属性の魔法を立て続けに放つ高等技術。平凡な魔法使いでは二撃目を放つ前にドラゴンに接近され、餌食になっていただろう。
すかさずロムスが駆ける。
間合いを詰めると、雷撃を浴びせた腹部に強烈な斬撃を浴びせる。
「グアアアッ……!」
効いている。
ここまでは全て作戦通り。
だが、ロムスにとってはここからが正念場である。
レスティナは本格的な呪文詠唱に入り、ロムスは一人でこらえねばならない。
「はあああああっ!!!」
ロムスが猛攻を仕掛ける。
倒すための攻撃ではなく、足止めするための攻撃。
レスティナが魔法を放つまで時間を稼がなければならない。その時間は――1分間!
「ガアアアアアアッ!!!」
「うおおおおおおっ!!!」
ブラッディドラゴンの爪を回避しつつ、ロムスは一太刀、二太刀、と浴びせる。
残り、30秒――
ダメージを受け、ブラッディドラゴンの攻撃が激しさを増す。
だが、ロムスは冷静かつ苛烈な剣捌きを見せ、被弾を許さない。未だ無傷である。
そして――
「お待たせしましたわね。黒翡翠鎖!」
黒く輝く巨大な鎖が召喚され、ブラッディドラゴンの全身に巻き付いた。
「ガァッ!?」
これはいかに竜であろうと簡単に引きちぎることはできない
あとはロムスががら空きの頭部に全力の一撃を叩き込めばいい。勝利確定。
百戦錬磨のレスティナですら、わずかに気を緩めてしまう。
ところが――
地面から攻撃が飛び出てきた。
ブラッディドラゴンの尻尾であった。
事前に尾を埋めることで、尾だけが鎖の効果範囲から外れていたのだ。高い知能による計略か、はたまた本能による行動か。
尾の鋭い先端が、レスティナをまっすぐに狙う。
(しまっ――、死――!)
己のミスを悟り、レスティナは死を覚悟する。
が、その尾は彼女には届かなかった。
「ぐ、う……!」
ロムスが盾になり、尾を真正面から受け止めた。
「ロムスッ!」
「言っただろう……爪一本、触れさせやしない、と」
ロムスは尾を切り捨てると、即座に反撃に転じる。
高く跳び上がり、鎖でがんじがらめになっているブラッディドラゴンの頭部へ唐竹割りを叩き込む。
頭を二つに割られた巨体はおぞましい悲鳴を上げると、そのまま山を揺らす勢いで崩れ落ちた。
ロムスはそれを確認すると、息を漏らす。
「ふぅ……終わったな」
レスティナも安堵の息を吐きつつ、ロムスに駆け寄る。
「ロムス……!」
ロムスが腹部に受けた傷は幸い内臓には届いておらず、レスティナの魔法と薬草による応急処置で、ほぼ問題ないところまで回復できた。
やがて、敗れたブラッディドラゴンがわずかに上げていたうめき声も聞こえなくなる。
その亡骸に、レスティナはこう言い放った。
「あなたが静かになるまでに5分かかりましたわね」
この一言には、大勢の犠牲者を生んだ悪竜への痛罵の念が込められていたのかもしれない。
その後、二人のブラッディドラゴン討伐の件は国中に広まり、魔法使いとしてのレスティナ、剣士としてのロムス、両者の名は飛躍的に高まった。
この一件を縁に、二人はバディを組んでの討伐任務をいくつもこなした。
彼女らのコンビネーションは日に日に研ぎ澄まされていき、ブラッディドラゴンよりさらに手強い魔物すら、5分以内に倒せるほどとなった。
「お二人ともかっこいいなぁ~」
「まさしく最強のコンビだ!」
「きっとお互いを戦友だと思ってるんだろうな……」
世間的には、二人は“戦友同士のコンビ”と見られていた。
だが、レスティナの心の中は決してそんなことはなかった。
夜になると、レスティナは自宅のベッドで、ナイトドレス姿で身もだえする。
(眠れない……。私ったら……ロムスのことばかり考えてしまっている……)
やがて睡魔にいざなわれ眠りについても、ロムスは毎夜のように夢に出てくる。
ロムスと一緒にデートをしたり、食事をしたり、訓練をしたり……。
なぜかロムスと戦うことになり、自分の魔法は一切通用せず、なすすべなく敗北し、そこへロムスが強引に覆いかぶさってきて――などという夢まで見てしまう。
興奮と恥ずかしさのあまり、寝汗でびっしょりになる。
(このままでは……私はどうにかなってしまいそう……)
これを解消する方法は一つしかない、と悟った。
***
ある夜、レスティナは令嬢としての竜胆色のドレス姿で、ロムスを散歩に誘った。
人影のない寂しい道を、二人で並んで歩く。
やがて、レスティナが切り出す。
「ロムス、お話があるの」
「なんだい?」
わずかな沈黙の後、レスティナは言う。
「私、あなたのことが――」
「待った」
ロムスが止めた。
「俺とて鈍感ではない。君の気持ちは分かっているつもりだ。そして、俺も……君と同じ気持ちだ。だからこそ、その言葉を聞くことはできない」
「……なぜ?」
レスティナが悲しげな声を出す。
「それを聞いてしまったら、俺も自分を抑え切れなくなるからだ」
「……」
ロムスは虚空を見る。
「俺は……君に相応しくない。所詮は剣で成り上がったしがない男爵家の出で、由緒正しき魔法使いの家系である君ならば、もっと相応しい男はいくらでもいるだろう」
レスティナの表情は変わらない。
「私が家柄で男を選ぶ女だったなら、かつての婚約者ベーグ様を決して逃がしはしなかったでしょうね」
家柄は関係ない、と告げる。
「俺は剣以外の取り柄がない男だ。歌は下手だし、踊りも苦手だ。領地を上手く回すことなんてできないし、君に気の利いた言葉をかけることさえできない」
「その唯一の取り柄に私は惚れたのよ。あなたになら打ち負かされ、なすがままにされてもいいと夢にまで見てしまうほどに」
取り柄は剣だけで、かまわない。
「いつ死ぬかも分からない身だ……。君を未亡人にしたくない」
「そんな覚悟ならとっくにできていますわ。それに、私が未亡人にならない一番の方法は私があなたの一番そばにい続けることだと思うの」
愛する人を失う覚悟と愛する人を支える覚悟なら、とうにできている。
ロムスはさらに何かを言おうとするが、口ごもる。
「参ったな。君を好きになってはいけない理由を……もう思いつけない」
「でしたらもう、あなたの心のままに」
レスティナが微笑むと、ロムスは振り返る。
もはや言葉はいらない。
ロムスはレスティナを力強く抱きしめた。
魔法の達人であるレスティナがこの世で唯一敗北してもいいと思っている男の抱擁は、とても柔らかく、温かく、繊細で、雄弁だった。
抱きしめられているだけで、ロムスの「愛している」という声が無数に聞こえてくる。
レスティナが話を切り出してから、ちょうど5分後の出来事であった。
レスティナは気持ちよさそうに目を閉じると、甘くささやいた。
「あなたが静かになるまでに5分かかりましたわね」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




