33:絶望する少女に、何と声をかけますか?
「ごめん。私も明里ちゃんといる時はすっごく楽しかった。でも、ずっといることは出来ないよ」
「そっ…か」
少女は俯きながら吐息混じりに言った。
「でも、もう逃げない」
「…信じられないって、言ったじゃん」
「これから信じてもらうように頑張る。私と一緒に脱出したくなるようにする」
私の決意を伝えると、膝を抱えていた少女が 、身体を這わせながら私に抱きついてきた。明里ちゃんの体重が、私のお腹に集中してバランスが崩れてしまった。
「あっ」
私は、少女一人の体重も支えられぬまま押し倒されてしまった。重なり合った体同士が密着する。明里ちゃんの体温、動きが布越しの肌に直接伝わる。
私の上で舐めるように顔を近づけてきた明里ちゃんが耳元で囁く。
「なら、信じさせてみて」
「…ッ!」
明里ちゃんの可愛い声が、吐息が、優しく撫でるようにして鼓膜まで伝わる。
今まで感じたことのない感触に、足と手がピンとまっすぐ伸びた。
「お姉さん知ってる?魔法って意外と自由なんだよ」
また囁かれる。甘い声に、温かい吐息に耳が犯される。
「お姉さんが高いところから落ちたとき使った魔法。実はとっさに言ったやつなんだよ」
割と凄いことを言っていた気がする…が、脳がとろけて…私は明里ちゃんが何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「だからね…逃げないでね。言ったもんね…」
「?」
「明里とお姉さんを死なせたまへ」
突然のことで頭の上に”?”が3つくらい浮かび上がったけれど、バカみたいなことを言っているのは分かった。
言葉通りなら死なせる魔法、少女の願望が、絶望に任せるままの詠唱。しかし、唱えたものは発生しなかった。私や明里ちゃんに変化は何もなかった。
「何言ってるの!」
明里ちゃんの肩を掴んで転がった。今度は私が明里ちゃんを押し倒したようなことになっている。
「死なせたまへって…逃げないって言ったけど、心中するなんて一言も言ってない。脱出しなきゃいけないんだよ!」
「死なせたまへ。死なせたまへ死なせたまへ…」
私を見つめる瞳は一等星の光を完全に失っていた。目尻から流れる涙が見えて、明里ちゃんの感じる悲しみが少しだけ分かった気がした。
だけど、生きることを諦めさせる訳にはいかない。
「……ねぇいい加減にして!生きるの!死のうとしないで!」
明らかに正気じゃない明里ちゃんを揺するが、ぶつぶつと唱えるままだった。
どう話しかけても変わらないセリフに、手詰まりだった。ワンチャン読めるようになってるかもしれないと、落とされたままの冒険譚を拾いに行って”アウェイク”の詠唱部分を見てみるが、やっぱり読めないままだった。やっぱり読めるのは明里ちゃんだけで、私が勝手に唱えて、私と明里ちゃんを強制的に脱出させることはできなかった。
「ねぇお願い、これ読んで。読んだら脱出できるんだよ本当に!」
焦っているのか、込み上げてくる感情任せに明里ちゃんの身体を激しく揺すって、少女の顔にアウェイクのページを近づけて怒鳴った。
「だから!信じられないって言ったじゃん!!!」
「なんで!今までも魔法使ってきたじゃん!さっきだってそう、私と死のうと詠唱してた!どこが信じられないの!」
「…それは……」
少女は言い返す言葉が見つからないのか押し黙ってしまう。
「それは…!」
何か言おうとしたみたいだけれど、破裂音の余韻が消えてくだけで、続きの言葉は出てこなかった。再び静寂がボロボロの倉庫を支配した。
私は、まだ反抗する少女をまっすぐ見つめたまま、続きの言葉を待った。
「……知らないよ…わかんない…よ゛…」
「…だって、だって……!」
静寂を破ったのは、震える声と、時折あふれては止まらない悲しみに蓋をしようとしているのか嗚咽交じりの言葉だった。
「本当に生ぎで…るっで……信ぢてたんだもん……」
少女は仰向けの姿勢から、膝を抱え込んで横に丸まってしまった。
「それは…ホントごめん」
少女の泣く声に、私は申し訳なく思ってしまう。
ここまで責める必要はなかったんじゃないかと、後悔が頭の中で駆け巡る。
「……あの、さ。険田さんって…どういう人だったの?」
居心地が悪くって、目の前の少女にこれほど思って泣いてもらえる険田さんがどんな人だったのか知りたくて聞いてみた。
少女からの返事はなかった。
いたたまれず、本を置いて泣いている少女の頭を撫でようとしたが、手を止める。
私が撫でるのは違う気がした。少女を泣かせたのは私で、頭を撫でる権利なんて無い。震える手を引っ込める。
結局なにもできず、なんて声をかけたら良いのかも分からなかった。
「…お兄さんは良い人だった」
泣いていた少女が、突然つぶやいた。
「いつも明るくて…いつも不安だった明里を、いつも慰めてくれた。失敗しても、めげずに次へ次へ思いついたことを試してた」
「そう…なんだね」
「お兄さんが動けなくなって明里が一人で探索に行った時も、何も言ってくれなかったけど笑顔で見送ってくれた。多分、すっごく心配してた。だから、元気な明里を見せてあげたかった……」
そんな思いが…。だから、一等星みたいにキラキラした目を…。悪魔に襲われた後でも、あの輝く瞳を宿して元気にふるまっていたのか。
「明里ちゃん」
私は、横になって丸くなっている少女を、座らせる。
「私を見て」
私に促されて、明里ちゃんが、ゆっくりと顔を上げた。限界なのか動作がぎこちない。
明里ちゃんと目線が合う。全くと言っていいほどに光が宿っていない目だった。
「険田さんは亡くなる前でも、明里ちゃんのことを案じてたよ」
私は、リュックから日記帳を取り出して、最後の日記を見せた。
『あの子が
もどって』
その文字はヨレヨレで、ところどころが擦れていて読みにくい文字だった。だけど、明里ちゃんのことをどれだけ心配していたかが伝わる文字だった。
「やっぱり…心配してたんだね……」
目線が下がって、ふさぎ込もうとする少女の肩を強くつかむ。
「明里ちゃん。険田さんのためにも脱出しよう」
「……」
「生きよう。険田さんの分まで」
返事が来るまで長い時間が過ぎた。目線を私から逸らして、逸らしたかと思えば合わせて、また逸らして…その行動が何回も続いた。私は、少女をまっすぐ見つめて待った。返事が来るまで。
「…なんで、なんでそんなに、眩しいのかな……」
少女が、私を見て、微笑んだ。泣いて涙を浮かべたままの赤くはれた顔だったが、綺麗で、晴天の空みたいにすがすがしい表情をしている。
「無責任にそう言って…信じちゃうじゃん。生きて脱出したくなっちゃうじゃん」
「…!明里ちゃん……!」
明里ちゃんの瞳に、光が宿った。一等星よりも数倍煌めく光が。
「良いよ。唱えてあげる」
「ありがとう…!明里ちゃん!!!」
胸の鼓動が跳ね上がった。脈拍が速くなって体が熱くなるのをはっきりと感じる。
頭の中は真っ白で、ドーパミンがあふれ出して脳内を駆け巡る。
その影響なのか、嬉しさが湧き上がって、蓋をしようとも抑えられず、明里ちゃんに勢いよく抱き着いた。
二人は倒れこんだ。また、重なり合って。




