神在月
作者註:本来、神在月は旧暦なので十一月のイベントです。お話の都合のため十月としておりますが、お赦しください。
十月は神々が出雲に集まるため、町に神が居なくなる。だから「神無月」という。
その出雲は、逆に「神在月」になる。
大社の上宮で行われる神議りには、日本中の神々が集まっていた。
八百万の神々が集まっているので、さすがに狭い。
「こんにちは。皆様ご機嫌麗しゅう。」
もちろん乙姫も、毎年出雲へと来ていた。
乙姫は、神々との挨拶を簡単に済ませる。神宮や大社などと名の付く大御所とは気軽に話せる間柄でもないし、社交的な挨拶だけで充分だが、やはりそこは緊張する。
神々は、いくつかのグループに分かれて会議を行う。
伊勢と出雲、八幡、稲荷といった大手の神々は、かなり大きな規模で集まっている。住吉や春日の塊もある。
ここに集まったのは、そんな神話の神々だけではない。
古来、人は大きな物に引き付けられて信仰をしてきた。信仰や畏怖が集まりやすいシンボルには神が生まれる。
それは滝や巨木、奇岩といった自然物だけでなく、人工物から生まれた起源の新しい神々だ。例えば橋、他にも鉄道や電波塔の神なんてのもいる。
「あ、すみません、通ります。」
乙姫は、通天閣の神と東京タワーの神の後ろを通り、奥の方の小さな車座を目指す。
大手には派閥争いとか、色々と面倒くさいものがある。
乙姫はもともと乙清水姫という名前であり、竜宮信仰とは全く関係がない。だから竜宮や海神の輪には入りにくいし、近寄りがたい。
どこの派閥にも所属していない神にとっては、大手の集まりの近くは居心地が悪い。
上宮の奥の方には、そんなはみ出しの神々が集まる車座があった。
乙姫はそこの末席に割って入り、ちょこんと座る。
「遅くなって申し訳ございません。」
「お、やっと来たねぇ。待ってたよぉ。」
そう返した熟女は豊姫という。かんなび大明神とも呼ばれる、延喜式にもある由緒正しい神だ。
彼女は派閥を嫌い、派閥に入れなかった神に声をかけてくれる。姉御肌の彼女を慕っている神も多く、毎年、彼女を中心とした車座ができている。
「豊姫様におかれましてもご機嫌麗し…」
「そぉ言った固苦しい挨拶は、ここでは無し! さぁさぁ、飲んだ飲んだぁ。酒も水もあるよぉ。」
「ありがとうございます。」
豊姫は、豪快に笑いながら飲み物を勧めていく。
この声を聴いて、乙姫は先程までの緊張感から解放されてホッとする。
「あら乙姫。今年は旦那は来てないのぉ?」
「旦那?」
「そうそう御殿森の。あんたら毎年一緒に来てるじゃない。」
「いつも言ってるじゃないですか、旦那なんかじゃありませんってば。ただの幼馴染のご近所さんです。」
乙姫は顔を赤くしてムキになって言い返す。豊姫はそれを見て大笑いする。
「わはははは。そういう事にしておくわ。で、どうして今年は別行動なんだ? 今年は夫婦喧嘩でもしたのぉ?」
周囲の神々も興味津々だ。乙姫は説明する。
「あいつは最近、貧乏神みたいに衣がボロボロなんですよ。一緒に居ると私の格まで下がるから置いてきたんです。」
半分は嘘だ。
貧乏神は「衣がボロボロだから行くのが恥ずかしい」と言ってついてこなかった。
乙姫がまた繕ってあげるから、一緒に行こうと何度も言ったのに、貧乏神は「俺みたいなのといると君の格が下がるぞ」と断ったのだ。
酒が回ってほろ酔いの神たちから笑い声が上がる。
豊姫から更に質問が飛んでくる。
「なんで、そんなボロボロになったんだ?」
「願いを叶えために、森や山や町中をいろいろと走り回ってるんですって。」
「で、乙姫は構って貰えないから喧嘩したと。わははははは。」
豊姫はそう言って大笑いした。みんなもつられて笑いに包まれた。
乙姫は赤くなった顔を更に真っ赤にした。
「喧嘩なんかしてませんよ!」
嘘だ。豊姫の冗談が当たっていたのだ。
猫を見つけてから十年ほど。貧乏神は自分で願いを叶えるようになり、乙姫を頼る事がぐんと減った。
先日など、久しぶりに乙姫神社へ来たと思ったら、猫のキーホルダーを奉納してもらったから、乙姫に見せに来たと。
プレゼントしてもらえるのかと思えば、猫好きの乙姫に自分の宝物を見せにきただけだと肩透かし。
乙姫は凄い剣幕で彼を追い払ってしまった……。
「ごめん、ごめん。これ食べて許してくれよぉ。」
豊姫は奉納された梨を勧める。
古い神なのに、こんなふうに気の置けない所が、豊姫の人気でもある。
「豊姫様、本当に勘弁してくださいよ。」
乙姫はむくれながら梨を頬張ると、思わず甘さに顔が緩む。今年の秋の果物は、水分をしっかり含み、香りと甘みが充分だ。
「美味しい〜。」
「ほら、葡萄もお食べ。」
私の頃は、こんなに美味しい果物はなかった。今の世は恵まれている。
粒がこんなに大きな葡萄。一粒で口の中が一杯になる。
「甘〜い。」
乙姫の顔が蕩ける。
そこを豊姫は見逃さない。真剣な顔になって、乙姫を近くに来るよう呼ぶ。
「機嫌が直ったところで、ちょっと相談があるんだ。」
「むぐ、なんでしょう?」
乙姫は口の中の葡萄を飲み込んで、豊姫の隣へと移動する。
真面目モードの豊姫が顔を寄せる。
「うちの神社の近くに住む男の子が、就職して乙姫神社の近くに引っ越すんだ。あそこには大きな病院があるだろぉ。」
「市民病院ですね。」
「そこで、医者をするんだ。いい女性がいたら縁組みしてあげたいのよぉ。」
神々の会議と言えば、人々の縁談話とも言われるくらい、縁組みの話は重要な議題である。
「でも、あそこで働く人はみんな既婚者ですよ。」
「しっかりした男の子でね。七、八年は仕事に集中するだろうから、今のうちにそっちの地元の子と縁を作ってあげたくてね。」
「しっかり者ですか…、じゃあ律儀な子が良いですね。」
「どれどれ?」
豊姫は、乙姫の額に手を当てる。乙姫の思い浮かべる女性を、順番に見ていく。
「そうだねぇ、年上の人よりは年下が合うと思うんだ。」
「では、こちらの子は?」
「中学生はちょっと若すぎやしないかい? いや、八年後ならちょうど良いのか。」
豊姫はまんざらでもなさそうな顔をする。だが。
「ふ〜ん。でと、この子は少し特別だね。そうだ、男の子に猫アレルギーがあるから、猫の飼い主はダメだわ。」
「他には、……この子は相手がいますけど、もう別れるでしょう。」
「ほうほう。そっちの話も聞きたいねぇ。」
もっぱら恋愛話に花が咲く。
こうして、出雲の神在月は進んでいく。