お花見
三月の終わり。
乙姫神社では桜並木が咲き誇っていた。
鳥居までの階段に沿って植えられた桜は、華やかに春の始まりを歌いあげる。
花見がてら参拝する人たちが階段を上っていく。
浦島が階段の下でひっくり返っていた。
ヒレをバタつかせて起き上がろうとしているが、甲羅がゆらゆらと揺れるだけ。
「大丈夫?」
「ああ、乙姫様。もう少し、もう少しで起き上がれると思います。」
乙姫は必死にもがく亀を少しだけ眺めていた。
「手伝おうか?」
「いえ、何とか。もう少しでございますから。」
「そう。」
乙姫神社の拝殿まで一直線に作られた階段であるため、かなり急になっている。
階段がきつくて、祭の神輿が担ぎ手と一緒に落ちたこともあった。それからは神輿は境内の中だけで、町を練りまわることはなくなった。
浦島もこの階段から何度か落ちている。が、丈夫な甲羅があるから問題はなさそうだ。
「おぉ、浦島。桜が見やすそうな恰好をしているな。ははは。」
貧乏神だ。
今日は煤けた顔をしているが、健気に笑っている。
貧乏神というより、炭焼き小屋から出てきた職人のようだ。
「笑い事ではござらん。起こしてくれないか。」
浦島がこっそり助けを求める。
やっぱり一人では起き上がれなかったのだ。
私に起こしてもらうのは、プライドが許さなかったとか?
もう素直じゃないんだから…
乙姫は自分の事を棚に上げて、煤で汚れた貧乏神の顔を見る。
衣もあちこちが焼け焦げていて、指先も炭で真っ黒だ。
「その汚れはどうしたの?」
「近くの家で火事があってな。ちょっと、様子を見に行っていたんだ。」
「様子を見てたじゃ、そんなに汚れないわ。」
「いや、ちょっと。その家でウサギを飼っていたものでな。」
きっと、火事の中に入って、ウサギを助けたのだ。
彼はこうやって無理をするから心配で堪らない。
「で、申し訳ないんだが、水浴びをさせてもらえないだろうかと思って…だな。」
「神社は銭湯じゃございません!」
「いや、それは分かっているんだ。そこを何とか。」
なにかと私を頼ってくれるのは嬉しいんだけど。
こんなに無理をして願いを叶えてたら、いつか大怪我をしてしまう。怪我では済まないかもしれない。
「そんな無茶をするような……いえ、そんな汚れてばっかりのあなたに、そう何度も私の神体である滝を使わせるわけには行かないわ。」
「む。まあ、確かにそうなのだが…。」
貧乏神は困って頭を掻く。
でも、悪いのは私を心配させる彼だ。
足元で浦島が唸る。
「…すまぬ。起こしてくれまいか。」
「お、忘れてた。申し訳ない。」
貧乏神が甲羅をぐいっとひっくり返し、浦島が丁寧にお礼を言う。
亀のせいで話が途切れてしまった。なんでこの亀は邪魔するかな。
「仕方ない。浦島の所で禊させてくれ。」
「ああ、構わんよ。」
浦島の神体は海に浮かぶ岩礁だから、海の水で汚れを落とすことはできる。
ただ、乙姫神社の滝ほど綺麗な水ではないから、完全に汚れを落とすことはできない。
「あ…、でも。」
乙姫は引き留めようとするが、貧乏神は行ってしまった。
「何でこうなるのよ!!!」
すぐに「使って良いよ」と言っておけば良かった。
乙姫は次こそはと心に固く誓うのであった。
***
日の入りがだいぶ遅くなってきたとはいえ、春の夜の訪れはまだ早い。
もう西の海に日が沈もうとしていた。
海での水浴びを終えた貧乏神が、浦島にお礼を言う。
「ありがとう。サッパリとしたよ。」
「先ほどは起こしてもらったからな。」
「貸し借りは無しという訳か。かなり人というものを学んだようだな。」
「ああ、人というのは面白い。儂は人が好きだ。」
「俺もだよ。」
そう言って浦島と別れた貧乏神は、御殿森神社へと帰ってきた。
まだ指先には炭の黒が残ってしまっている。まあ仕方ない。
御殿森神社には一本だけ桜が咲く。
いつ植えられたのかもう覚えていないが、小さな桜の木で、花もまばらにしか付いていない。
こんな桜に花見に来る者はまず居ないから、いつもどおり神社は静かだった。
真尋の父が氏子総代に就き、この数年で御殿森神社はきちんと管理されるようになった。
割れていた社殿の土台はしっかりと直され、腐りかけていた扉も応急的な修理がされた。
二人ほど座れる小さな木製のベンチまでできた。
さらに、新しく鉄製で屋根つきの新しい絵馬掛けができていた。
前の絵馬掛けは真尋の父が日曜大工で作ったもので、根元が腐りはじめ傷みも進んでいた。
それを見た金属加工の町工場の社長が、絵馬掛けを寄贈してくれたのだ。
(二十年前とは別の神社のようだ。)
見違えるようになった神社を改めて見まわすと、貧乏神は感慨にふける。
これも、真尋のおかげだ。
彼女は地元で就職した。社会人になってからも、週一回神社の掃除をしてくれている。
忙しくても、毎日仕事終わりにお参りに来てくれる。
最初は真尋の迷子猫を探すお願いを叶えたのがきっかけだった。
様々な願いを叶えるようになって、徐々に神通力も昔に戻ってきた。
神社で祭も行われるようにもなった。
それを働きかけてくれたのも真尋だ。
自治会の秋祭りの延長で、何かの神事を行うものではないけれど、沢山の人がこの神社に集まって信仰を高めてくれる。
昔から地元に住む人たちと、新興住宅街に越してきた人たちの交流の場として、この神社は使われるようになった。
貧乏神にとっては十分すぎる祭りだ。
(俺は幸せ者だな。)
今日も真っ暗になる前に、真尋が神社にやってきた。
真尋は独り言を言いながら背伸びをする。
「あー、疲れた。」
そして散り始めている小さな桜を眺めて微笑む。
桜の香りが気になったのか、匂いを嗅ぐ。
「なんか焦げ臭い…? いや、磯臭い…?」
貧乏神は思わず指先の黒をごしごしとこすってしまう。
しかし、その後はいつもの通り。真尋は礼をして柏手を打ち、手を合わせ祈る。
「お疲れ様。」
貧乏神は、ちょっとした礼のつもりで声をかける。
人には聞こえるはずのない慰労。
「ありがとうございます。」
貧乏神は、真尋が答えたので驚いた。
額に手を当てて託宣をしたわけではない。遠くから声を掛けただけ。普段なら聞こえないはず。
真尋は手を合わせて目を閉じたまま祈りを続けている。
(まさかな、偶然か?)
ただ、今までの真尋を見てきて、あながち無い事でもなさそうだ。
貧乏神は、それ以上は何も言わずに彼女を見送った。
真尋は一回だけ振り向いて、帰って行った。




