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貧乏神の涙、乙姫の微笑み ~鈍感な貧乏神に恋した乙姫の婉然たる悩み~  作者: M
八.弥生

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お花見


 三月の終わり。

 乙姫神社では桜並木が咲き誇っていた。

 鳥居までの階段に沿って植えられた桜は、華やかに春の始まりを歌いあげる。

 花見がてら参拝する人たちが階段を上っていく。


 浦島が階段の下でひっくり返っていた。

 ヒレをバタつかせて起き上がろうとしているが、甲羅がゆらゆらと揺れるだけ。


「大丈夫?」

「ああ、乙姫様。もう少し、もう少しで起き上がれると思います。」


 乙姫は必死にもがく亀を少しだけ眺めていた。


「手伝おうか?」

「いえ、何とか。もう少しでございますから。」

「そう。」


 乙姫神社の拝殿まで一直線に作られた階段であるため、かなり急になっている。

 階段がきつくて、祭の神輿(みこし)が担ぎ手と一緒に落ちたこともあった。それからは神輿は境内の中だけで、町を練りまわることはなくなった。

 浦島もこの階段から何度か落ちている。が、丈夫な甲羅があるから問題はなさそうだ。


「おぉ、浦島。桜が見やすそうな恰好をしているな。ははは。」


 貧乏神だ。

 今日は煤けた顔をしているが、健気に笑っている。

 貧乏神というより、炭焼き小屋から出てきた職人のようだ。


「笑い事ではござらん。起こしてくれないか。」


 浦島がこっそり助けを求める。

 やっぱり一人では起き上がれなかったのだ。

 私に起こしてもらうのは、プライドが許さなかったとか?

 もう素直じゃないんだから…


 乙姫は自分の事を棚に上げて、煤で汚れた貧乏神の顔を見る。

 衣もあちこちが焼け焦げていて、指先も炭で真っ黒だ。


「その汚れはどうしたの?」

「近くの家で火事があってな。ちょっと、様子を見に行っていたんだ。」

「様子を見てたじゃ、そんなに汚れないわ。」

「いや、ちょっと。その家でウサギを飼っていたものでな。」


 きっと、火事の中に入って、ウサギを助けたのだ。

 彼はこうやって無理をするから心配で堪らない。


「で、申し訳ないんだが、水浴びをさせてもらえないだろうかと思って…だな。」

神社(ウチ)は銭湯じゃございません!」

「いや、それは分かっているんだ。そこを何とか。」


 なにかと私を頼ってくれるのは嬉しいんだけど。

 こんなに無理をして願いを叶えてたら、いつか大怪我をしてしまう。怪我では済まないかもしれない。


「そんな無茶をするような……いえ、そんな汚れてばっかりのあなたに、そう何度も私の神体である滝を使わせるわけには行かないわ。」

「む。まあ、確かにそうなのだが…。」


 貧乏神は困って頭を掻く。

 でも、悪いのは私を心配させる彼だ。


 足元で浦島が唸る。


「…すまぬ。起こしてくれまいか。」

「お、忘れてた。申し訳ない。」


 貧乏神が甲羅をぐいっとひっくり返し、浦島が丁寧にお礼を言う。

 亀のせいで話が途切れてしまった。なんでこの亀は邪魔するかな。


「仕方ない。浦島の所で禊させてくれ。」

「ああ、構わんよ。」


 浦島の神体は海に浮かぶ岩礁だから、海の水で汚れを落とすことはできる。

 ただ、乙姫神社の滝ほど綺麗な水ではないから、完全に汚れを落とすことはできない。


「あ…、でも。」


 乙姫は引き留めようとするが、貧乏神は行ってしまった。


「何でこうなるのよ!!!」


 すぐに「使って良いよ」と言っておけば良かった。

 乙姫は次こそはと心に固く誓うのであった。


***


 日の入りがだいぶ遅くなってきたとはいえ、春の夜の訪れはまだ早い。

 もう西の海に日が沈もうとしていた。


 海での水浴びを終えた貧乏神が、浦島にお礼を言う。


「ありがとう。サッパリとしたよ。」

「先ほどは起こしてもらったからな。」

「貸し借りは無しという訳か。かなり人というものを学んだようだな。」

「ああ、人というのは面白い。儂は人が好きだ。」

「俺もだよ。」


 そう言って浦島と別れた貧乏神は、御殿森神社へと帰ってきた。

 まだ指先には炭の黒が残ってしまっている。まあ仕方ない。


 御殿森神社には一本だけ桜が咲く。

 いつ植えられたのかもう覚えていないが、小さな桜の木で、花もまばらにしか付いていない。

 こんな桜に花見に来る者はまず居ないから、いつもどおり神社は静かだった。


 真尋の父が氏子総代に就き、この数年で御殿森神社はきちんと管理されるようになった。

 割れていた社殿の土台はしっかりと直され、腐りかけていた扉も応急的な修理がされた。

 二人ほど座れる小さな木製のベンチまでできた。


 さらに、新しく鉄製で屋根つきの新しい絵馬掛けができていた。

 前の絵馬掛けは真尋の父が日曜大工で作ったもので、根元が腐りはじめ傷みも進んでいた。

 それを見た金属加工の町工場の社長が、絵馬掛けを寄贈してくれたのだ。


(二十年前とは別の神社のようだ。)


 見違えるようになった神社を改めて見まわすと、貧乏神は感慨にふける。

 これも、真尋のおかげだ。


 彼女は地元で就職した。社会人になってからも、週一回神社の掃除をしてくれている。

 忙しくても、毎日仕事終わりにお参りに来てくれる。


 最初は真尋の迷子猫を探すお願いを叶えたのがきっかけだった。

 様々な願いを叶えるようになって、徐々に神通力も昔に戻ってきた。


 神社で祭も行われるようにもなった。

 それを働きかけてくれたのも真尋だ。

 自治会の秋祭りの延長で、何かの神事を行うものではないけれど、沢山の人がこの神社に集まって信仰を高めてくれる。

 昔から地元に住む人たちと、新興住宅街に越してきた人たちの交流の場として、この神社は使われるようになった。

 貧乏神にとっては十分すぎる祭りだ。


(俺は幸せ者だな。)


 今日も真っ暗になる前に、真尋が神社にやってきた。

 真尋は独り言を言いながら背伸びをする。


「あー、疲れた。」


 そして散り始めている小さな桜を眺めて微笑む。

 桜の香りが気になったのか、匂いを嗅ぐ。


「なんか焦げ臭い…? いや、磯臭い…?」


 貧乏神は思わず指先の黒をごしごしとこすってしまう。

 しかし、その後はいつもの通り。真尋は礼をして柏手を打ち、手を合わせ祈る。


「お疲れ様。」


 貧乏神は、ちょっとした礼のつもりで声をかける。

 人には聞こえるはずのない慰労。


「ありがとうございます。」


 貧乏神は、真尋が答えたので驚いた。

 額に手を当てて託宣をしたわけではない。遠くから声を掛けただけ。普段なら聞こえないはず。


 真尋は手を合わせて目を閉じたまま祈りを続けている。


(まさかな、偶然か?)


 ただ、今までの真尋を見てきて、あながち無い事でもなさそうだ。


 貧乏神は、それ以上は何も言わずに彼女を見送った。

 真尋は一回だけ振り向いて、帰って行った。


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