14.冬木に咲いた花の名は③
それから三日目の夜−輝く満月が空の真上に差し掛かった頃、リーリエは部屋を抜け出して訓練場の林に向かっていた。
−いよいよだなぁ。アルにはあれから会えてないけど…あの資料のこと、もう一度ちゃんとお礼を言わないと。そういえば…今日使う魔法道具って、いったいどんな魔法なんだろう。
リーリエは朝目覚めた時から、ずっと夜が来るのを待ち遠しく思っていた。魔法道具を初めて扱うことに対して、不安や緊張が無い訳ではない。それでも、彼女の足取りに迷いはなかった。アルフレドがくれた手製の資料を思い出すたびに、彼の優しさに報いたいという気持ちが大きくなっていったのだ。
彼女が林に着くと、先に到着していたアルフレドが枯木の陰から現れた。普段は春の光のような彼の髪色は、青白い月光を受けて天の川をまとったように輝き、瞳は薄暗い中でも爛々と存在感を放っている。リーリエはその人間離れした美しさを目にして、彼の方が自分よりもよほど精霊や神の類に近いのではないかと思った。
「アル、お待たせ。」
「遅い。」
「ごめんね。こんな時間に付き合ってくれてありがとう。それから、光魔法についてまとめた資料…すごく参考になったよ!」
暁光色の双眸がリーリエを見定めるようにじっと見た。
「怖くないのか?」
「え?何で?」
あっけらかんと聞き返したリーリエに、アルフレドは少々面食らった。
「…今まで魔法を使ったことなんてないくせに、最初から適性外魔法を使うんだぞ?」
−もしかしてアル、非魔法使いの私が魔法道具を使う危険性を分かっていないか…もしくは単に神経が図太いとでも思ってるのかな。
リーリエはアルフレドが言わんとしていることを想像してみて、小さく声を出して笑った。
「アル、私のこと馬鹿にしてる?」
「は?何でそうなるんだよ。」
アルフレドが片眉を引き上げてリーリエを見た。彼女はその視線を正面から受け止める。
「大丈夫。今からしようとしてることが、アルが渋るくらい危ないって理解してるよ。平気なフリはしてるけど、やっぱり少し怖いし。でも、これが神力を使うための第一歩なら、私はやる。」
リーリエはアルフレドに一歩近づき、その手をとった。彼女はアルフレドの瞳の鋭さが幾分鳴りを潜めたことに安心し、言葉を続ける。
「それにね、アルがいるから。」
「…俺は関係ないだろ。」
「ううん、あるよ。だって、初めて会った時からずっと、アルはすごい人で、私のこと助けてくれるから。」
「だから、今回も俺に助けてもらおうってか。他力本願じゃ魔法なんて使えねぇよ。」
アルフレドは蔑みをたたえた瞳でリーリエを見下ろし、彼女の手を振り払おうとした。しかし、リーリエはその手を繋ぎ止め、先程よりも大きな声で彼の言葉を訂正した。
「違うよ!ええと…確かにいっぱい助けてもらってるし、これからもアルを頼ることがあると思うけど、そうじゃなくて…私が言いたいのは、つまり、アルはすごいから、私も早く神力を使えるようになって、アルに追いつきたいってこと!」
リーリエのその言葉を聞いて、アルフレドは目を見張った。国一番の士官学校においても、人より何歩も先を行く彼に追いつきたいなどと言った者はこれまでにいなかったから。
「アル…?」
困惑した顔のリーリエがアルフレドを見上げた。アルフレドの反応がないので、自分の思いがきちんと伝わったのか不安に感じたようだ。
「お前、ほんと語彙力…。」
しばらくして、脱力するとともにアルフレドの口からこぼれたのはそんな言葉だった。
「え?伝わってない?ごめんね、教会では誰かに自分の考えを話すってあんまりなかったから…。」
何か別の言葉はないかとあたふたし始めたリーリエを視界の端にとらえながら、アルフレドは久しぶりに愉快な気持ちになり、ついには抑えきれなくなって声を出して笑った。
「アルが、笑ってる…。」
声をあげて笑うアルフレドの姿を見て、リーリエは驚いた。これまで見てきた高慢な雰囲気は消え失せた、年相応の青年の姿がそこにはあった。
「…始めは神力に興味があっただけなんだけど、俺に追いつく?いいね、面白くなってきた。」アルフレドは「おい」とリーリエに呼びかけた。
「何?」
「さっさと始めるぞ。俺に追いつくんだろ?」
「うん、もちろん!アルが困ってる時には、助けられるくらいになるから。」
「いつになるんだか。」
「もう、本気だからね。」
◆
アルフレドがジャケットのポケットから取り出したのは、小さな紅い石だった。
「これが魔法道具?」
「ああ。今からお前にこれを渡す。お前は『アエラス』と唱えるだけでいい。後は、道具が勝手にお前の魔力を吸い上げて魔法が発動する。」
「呪文?魔法使いって感じがする。」
「魔法道具は必ず、起動するための言葉が刻まれてんだよ。」
リーリエはアルフレドから受け取った魔法道具をしげしげと見つめた。そうしているうちに、まだ大事なことを聞いていないことに気が付いた。
「ところで、これってどんな魔法なの?」
「使ってみてからのお楽しみ。」
アルフレドはわざとらしい笑顔で言った。リーリエは信じられない気持ちになったものの、何度聞いても教えてくれるとは思わなかったので、掌にある玉石を握り直して姿勢を正した。
―オルタンスといい、魔法使いって何でも秘密にしたがるなぁ。心の準備だってあるのに。でも、絶対大丈夫、コントロールしてみせる。
「あ、そうそう、一応俺の袖でも掴んどけよ。」
アルフレドの意図は分からなかったが、リーリエは言われた通りにした。
「俺がいれば何とでもなる。死にはしないからやってみろ。」
今のリーリエにとっては、アルフレドの自己過信がすぎる発言も安心材料にしかならなかった。彼女は心を落ち着かせるために一度深呼吸をしてから、魔法道具を起動させるための呪文を唱えた。
「『アエラス』」