7話:勇者は酒場であくせく働く
「お待たせしました。こちら頼まれていた資料です」
「あぁ、朝早くから悪いな」
「まだ魔王がこの世界に存在していた頃からの村民名簿。おそらくこれで全てです」
明くる日の朝、俺は朝からギルドに足を運ぶとたまたま遭遇したギルド職員――オルツに一つ頼み事を持ちかける。
――この村で生活している人間の名簿があれば見せて欲しいんだが
『聖女』の後ろ盾もない中、ギルド職員の力を借りることが出来るのか。
どちらかといえば分の悪い賭けかと諦め半分の気持ちで相談を持ちかけてみたところ、少し悩んだ末に彼は次の返事で承諾の一言を口にする。
「というか俺がいうのもアレだが、昨日村に現れたばかりの余所者に村民名簿なんて見せても問題ないもんなのか? 俺としちゃありがたいがこれで君が処罰を受ける事にでもなれば流石に気が引けるというか」
「そうですね。本当は良くないと思います」
場所は昨日彼と会話を広げた施設二階の応接室。
目の前のテーブルに積まれた羊皮紙の束をペラペラとめくりながら問いかけると、彼はあははと苦笑いしながら頬をかく。
「ですが、実は先ほどアイシャさんがこちらに顔を出されまして。出来る範囲で構わないからあなたの協力をして欲しいと申し出を口にされました」
「アイシャさんが?」
俺は昨日酒を飲み交わした一人の女性のことを思う。
「私は彼女とその妹のお願い事は無碍に出来ない人間でして。ですので彼女たちが信用するあなたを私も信用してお力添えをさせていただいている次第です」
「……そうか。助かる」
「お礼はアイシャさんにお願いします。私は頼まれた仕事をしているだけですので」
そう言葉を口にする彼は柔らかい笑みを浮かべる。
歳若く、そして度胸も愛嬌あるオルツという人間に俺は少なからず好印象を抱き始めていた。
「それでは私はこれで。陽が真上に上る頃にまた来ますので、それまでに用事済ませてください」
「あぁ、分かった。あ、そうだもう一つ頼みがあるんだが――」
俺はアイシャさんへの恩返しの一環としてとあるお願いを口にすると、今度は小さく声に出して笑いながら彼は首を縦に振る。
「えぇ。承りました」
では失礼します。
そう告げると、彼は部屋の外から扉を閉める。
窓から差し込む陽の光が部屋を明るく照らし、昨日は陰って見えなかった部屋の細部まで視線が行き届く事を確認する。
「……よし。始めますか」
俺は羊皮紙に記載された村人たちの情報を確認すべく腕を伸ばす。
名前、家族構成、職業、居住歴。
生まれてから一度もこの村から出た事がない人間もいれば、逆に外からこの村に移住してきた人間もいる。さらにその逆もまた然り。
『以前はあの森にも魔物が多く棲みついていました。ですがかの最愛の勇者が魔王を討伐して以来、徐々にその目撃情報は減り、やがて平和と呼んでも差し支えないほどにこの村への影響がなくなりました』
昨日オルツが口にした言葉。
魔王が討伐されて以降魔物が減ったという話は、ここ最近旅をしてきた中で度々耳にしていた。
だが、本来であれば彼のその言葉は違うものになっていなければおかしいのだと俺は知っている。
「……こんな村の近くで魔物が出るってのがそもそもおかしいっつう話よ」
頬杖をつきながらつい独り言を呟く俺は、やがて一枚の羊皮紙に視線を向ける。
羊皮紙をめくる手をとめ、その情報を上から下まで眺めて三度一人言葉を溢す。
「ま、これが第一候補だわな」
これまた独り言。
続けて手を動かし、俺はあらためて羊皮紙めくりを再開する。
******
「ルナちゃん! 三番卓の料理をお願い!」
「はーい! ただいまー」
ここはアイシャさんが切り盛りする酒場のフロア。
私とマーくん、それにアイシャさんとコレットちゃんの四人で過ごした静かな昨晩とは異なり、今は大勢のお客さんで賑わいを見せている。
「嬢ちゃん! 注文いいかい?」
「はーい! 今向かいまーす! あ、こちら山菜の盛り合わせお待たせしましたー」
「おぉ、ありがとう! すまん、ついでに追加で注文をいいかい?」
「え? えーと先にあちらの注文を聞いてからまた来ますので」
……いや、本当にすごい賑わっている。
ってか、これ本当にいつもアイシャさんとコレットちゃんの二人だけでなんとかなってるわけ!?
「ルナお姉ちゃん! ここは私が注文を受けるから配膳をお願いしても良い?」
ふと喧騒の中、後ろから透き通る幼い声が耳に届く。
「あ、コレットちゃん」
髪を後ろに括ったコレットちゃん。
その可愛らしい姿に明るい営業スマイルを浮かべながらお盆を片手に左右を見渡す。
「ごめんねー。慣れればもう少し上手く立ち回れると思うんだけど」
「え? いや十分助かってるよっ! ただ今日はなんでかすっごく混んじゃってて」
私が彼女に視線を向ける一方で、コレットちゃんは酒場の外へと顔を向ける。
そこには満席の酒場で入店待ちしている人たちと、待ちきれずに立ったまま酒を飲み交わす若い男たちの姿が見受けられる。
「たまに満席になることはあるんだけどここまでは――って、はーい! すぐ伺いまーす」
とりあえず頑張ろう!
そう言いながら胸元でぐっと両の拳を握り締め鼓舞するコレットちゃん。
そんな姿もまた可愛く、忙しくなければぎゅっと抱きしめてしまうこと請け合いである。
あー、本当に可愛いなー。
******
「すみませーん! 注文お願いしまーす」
「はーい!」
「姉ちゃん、帰るからお会計いいかい?」
「ただいま向かいまーす」
「酒、追加で頼むよ」
「よろこんでー!」
「お、姉ちゃん可愛いね。外から来たんだって?」
「ご注文お願いしまーす!」
******
いやいやいやいや。
この仕事量、マジですか?
一度食事を運んでしまえば少しは手が空く……かと思えば次第に外で飲み明かす人数が増えること増えること。
酒場のテーブルでしか食事の注文を受けていないからなんとかギリギリのところで保っているものの、この調子で客が増えるようであれば張り詰めている糸が切れかねない。
というか、私たちよりもだけどそれ以上に調理場が先にパンクしてしまうだろう。
「アイシャさん、大丈夫ですか?」
「う、うーん。これはちょーっと予想外だわ。こんな忙しい中でお手伝いしてもらってごめんなさいね」
心配で声をかけたものの、逆に心配し返されてしまった。
たしかに歴戦の戦士の如く超人的な動きで数々の料理を一人で作り上げるアイシャさんはすごいけど、それでも徐々に疲労が蓄積している様子が窺える。
「あはは。注文承りました!」
一方のコレットちゃんも絶えず笑顔を浮かべているものの額に汗が珠のように浮かんでいる。
このままではあの子の体力が持たないかもしれない。
であれば、私が取るべき手段は一つだと切り札を切ることに決める。
――………………。
私は心の中で二階の部屋に置いてきた聖剣へと呼びかける。
――………………。
そう。代償は勇者ポイントを一ポイント。願うのはアイシャさんとコレットちゃんの疲労回復。
――………………。
私? 私は大丈夫。
支払えるのは一ポイントだけだから、私の分二人を元気にしてあげて。
――………………。
うん。それじゃあいくよ。
******
「あー、すっかり遅くなっちまった」
ギルドで調べ物を済ませた後、村の周辺を調査するため森へと赴いていたのだが気がつけば陽がすっかりと落ちていた。
そこそこの成果が収穫できた時点で切り上げるつもりだったのだが、まったくと言っていいほど成果を上げる事が出来なかったため、つい粘ってしまったところ今に至る。
早めに切り上げて酒場を手伝おうと思っていたのだが、まぁルナがいるし大丈夫だろう。
そんな考えを脳裏に浮かべつつ帰路を辿り、やがて酒場へと到着すると思いがけない光景を目の当たりにすることとなる。
「……あれ? 店が閉まってる?」
どうやらすでに営業を終了しているらしく、入り口には営業終了と書かれた看板が吊り下げられている。
「うーん?」
たしかに辺りはすでに真っ暗だが、まだ多少なりとも客がいたとしておかしくない気はする。
灯りは点いているからアイシャさんたちは中にいるはずだし、一応話でも聞いてみようか。
そんな軽い気持ちでただいまーと扉を開くと、そこにはテーブルに倒れ伏してる三人の姿が視界に映り込む。
……え、どうしたのこれ。
「……あ、おかえり。遅かったね」
「お、おう。ただいま。……え、どうした?」
伏したまま腕だけあげて言葉を発するルナの掠れた声に冷や汗をかきながら店の中を見渡す。
テーブルに置きっぱなしの食べ終わった食器。
調理場に積まれた洗い物の山。
そして一切身じろぎする気配の無い三人の姿。
……これは、もしかしてやっちまったか?
「あー、三人ともお疲れみたいだし。洗い物くらいは俺がやっとくぞ。まぁ風呂でも入ってゆっくり休んでくれ」
未だ動かない彼女たちをよそに、俺は上着を脱ぎ軽装になると後片付けを始めようとテーブルに置かれた食器に手を伸ばす。
「ねぇ。マーくん」
身体の芯から捻り出したようなドスの効いた声色に、俺の身体が反射的にびくりと震える。
「な、なんだよルナ。あ、あぁ。もしかして疲れて歩けないから部屋まで背負ってけってか? それなら仕方な――」
「ねぇ。マーくん。今日ね。酒場が大繁盛してたの」
「そ、そうか。それは大変だったな」
あの、すみません。
ルナさん、どうして私の手を掴んでおられるのでしょうか。
あ、アイシャさん。あなたもですか?
「食材がね。なくなっちゃったの。だから仕方なく閉店までしちゃって、本当に忙しかったのよ」
顔は付したままなのに手だけ伸ばして腕を掴むのは非常に怖いと申しますか。
あと随分力が入っておられますね。
「ねぇお兄ちゃん。今日オルツに何をお願いしたの?」
あれ、コレットちゃん。
ようやく顔を上げたと思ったらなんでそんなに冷たい表情を浮かべているのでしょうか?
疲れてる? あ、そうですよね。
――バーンッ!
「ねぇマーくん。質問に答えようか」
「は、はい。えーっと確か『今日は可愛い新人さんが酒場を手伝っているって情報をギルド中に広めておいて』と頼んだ記憶がございます!」
俺を掴んでいないもう一方の手で思いっきりテーブルを叩きつける音に背筋を伸ばし嘘偽りない回答を返す。
「へぇ。で? マーくんは今まで何を?」
えーっと、だからそのぉ。
「ねぇマーくん」
「ねぇ『魔法使いさん』」
「ねぇお兄さん」
「え、だってそんなに繁盛するなんて思わな――あ、はい。もちろんです。洗い物? 全部やります。――あ、いや洗わせていただきます。明日の仕込み? え、どうやって――あ、もちろんやらせて頂きます。え、明日ですか? 明日はちょっと調査の続きを――あ、はい。もちろんです。いえ当然です。はい」
一応俺も歩き回って疲れてるんだよなぁなどとは口が裂けても言えない雰囲気である。
多分口にしたら命はない。それほどまでに感じる尋常ならざるプレッシャーを前に俺は膝をつく。
え、ていうかこれって俺が悪いんですかね。
「あ、はい。なんでもございません。どうもすみませんでした」
本作と少しだけ世界観が交わる新作を執筆しております。
「魔法使いの花嫁たち」
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ややコメディ寄りの作風で、もし興味があればご一読ください。
※両作品を読まなければ理解できない話などは特に予定ありません。