10話:ギルド職員は酒場に足を運ぶ
手に持った資料を書棚にしまい、壁際へ歩み寄り窓から外を眺める。
目の前には暗闇が広がり、風に揺れる木々の音が微かに聞こえる。
魔王亡き後、魔物の脅威が減少したと言われる森を見つめ、私はついため息をつく。
「ため息をつくなんて珍しいですね」
「ああ、いえ。何でもありません」
いま執務室には私と副ギルド長の二人がいる。
彼女は仕事を続けつつ、気遣いを込めた一言を口にするため私は問題がない旨で返事を返す。
無表情で冷徹な性格だと陰口を叩かれることもある副ギルド長だが、彼女のこのような小さな気遣いこそ人に評価されるべきだと私は常々思っている。
ふー。さて――。
「……もうそろそろ、ですね」
ふと彼のことが頭に浮かぶ。
日中にとある相談を持ちかけてきた彼は今、酒場で手伝いをしているはずだ。
先日コレットが忙しかったと愚痴をこぼしていたことを思い出す。
今この瞬間、酒場がどの程度盛況であるかはわからないが、コレットいわくあのルナと名乗る少女が復讐に燃えていると聞いている。
もしも先の状況より盛り上がっている場合、彼はそうロクな目には合わないのだろうと想像できてしまう。
さもありなん。
私に出来るのは女神様に祈りを届けるのみである。
「オルツさん。私の仕事ももうすぐ終わりますので、職員に退室するよう伝えていただけますか?」
「分かりました」
なお酒場へ向かうのは私だけではない。
このフウリン村と、そしてコレットの将来を決める重要な会議。
むしろその目的のために招かれた副ギルド長こそが主賓と言っても過言ではない。
「そうだ。それと、オルツさん。これをご存知ですか?」
退室しようとした私に、副ギルド長は小さく丸い何かを机に置く。
透き通った赤い宝石に見えるが、やはりよくわからない。
「触ってみても?」
「どうぞ」
手に持ってランプの灯に透かしてみると、透き通った光が鮮明に煌めく。
しかし、それだけだった。そこから得られる情報は何もない。
「これは一体?」
「さぁ? 私にもわかりません」
不思議なことを言う。
その感想を私が口にするより早く、彼女は宝石をポケットに仕舞い込む。
「呼び止めてすみませんでした。すみませんが、職員への連絡をお願いします」
「……分かりました」
執務室を出る私の背後で、彼女は再び書類に向き合う。
私は回答を得られぬまま執務室を後にした。
******
私とギルド長が酒場に着くと、既に営業を終了している様子で、看板が掲げられていた。
いつもならばまだ賑わい騒がしい光景が広がっているはずだが、静寂がその場を支配している。
何やら店の外にも机が並んでいて、どうやら外にまで席を並べるほどに盛況だったらしい。
「ふむ、夜食の計画がダメになったか」
副ギルド長が何やら呟く傍で、私は酒場の扉をノックする。
――コンコン。
反応はなし。近くにいないのかもしれない。
少し間を置いて再びノックすると、内部から女性の声が聞こえてきた。
「はーい。あ、オルツくんとラナさん、いらっしゃい」
「こんにちは、アイシャさん。お邪魔しても?」
「えぇ。どうぞ、お入りください」
アイシャさんは、まだ後片付け中だと言いながら私たちを中に案内する。
あたりを見渡せば、すでに店内は人の気配がなく、テーブルや椅子は綺麗に並べられていた。
もし後片付けを終えた状態なら、一体いつ営業を終えたのだろうか。
「悪いな。まだ調理場の片付けがまだ終わっていないんだ。少しだけ待っていて欲しいんだが――ほれ。これ、簡単なつまみと飯だ」
続けて『魔法使い』さんが店の奥から現れる。
彼はなぜか少し嗄れた声で話しながら、私たちの近くのテーブルに料理を並べる。
「ありがとうございます。お料理はあなたが?」
「あぁ、ちょちょっとな。あまった食材で悪いんだが、煮込んだ芋が入ったシチューを作ってみた。食べてみてくれ」
副ギルド長は彼が置いた食事に興味を抱いた様子で、さっさと椅子に腰をかけると私にも座るように目で合図する。
それに倣い私も遠慮なく席に着くと、副ギルド長と合わせていただきますと礼を述べる。
「……これは、美味しい」
シチューは温かくとろみがあって口の中で広がり、またミルクの濃厚な味わいが満足感を与える。
思わず「美味しい」と感想を漏らすと、副ギルド長も同じ言葉を口にする。
彼の印象とは異なる繊細な料理に私は驚く。
「そりゃどうも。――っと。アイシャさん、俺は戻りますわ」
「私も行きます。二人でさっさと片付けてしまいましょう」
いつの間に気が合ったのか、息の合う様子を見せる『魔法使い』さんとアイシャさんの様子に私はつい微笑を浮かべる。
「ご馳走様でした」
一方、副ギルド長は早々に食事を終え、大層満足そうな様子だった。
ふと、これでこの後の話がスムーズに運べば、なんて考えが頭に浮かぶのは私の悪い癖だろうか。
ともあれ、まずは食事だと私は余計なことを考えずにシチューを口に頬張る。
うん。やっぱりとても美味しい。
******
「さて。早速話を始めたいと思うのだが、そちらで先に確認しておきたいことはあるか?」
その後、しばらくして『魔法使い』とアイシャさんだけが現れた。
コレットとルナさんが参加しないのかと尋ねると、事情が事情だけに外してもらっているとのこと。
どうやら二人は村の大浴場に向かったらしい。
「当事者ではないのですか?」
「これからな。今はまだ違う」
あえて主語を避けた副ギルド長の言葉に、彼もまた含みを持たせて応える。
一方でアイシャさんは、いつもの柔らかな笑顔が消え、真剣な表情をしていた。
彼女もまたこの問題の当事者だから当然だ。
「分かりました。それと、話の前にあなたに見てもらいたいものがあります」
そう言い、副ギルド長はポケットから先ほどの赤い宝玉を取り出し、テーブルの上に静かに置いた。
「……これが、何ですか?」
「いえ。もしかしたらあなたなら何かご存じではないかと思いまして」
「……なるほど。『聖女』か」
その一言に、副ギルド長の表情がわずかに変わる。
どうやら何か琴線に触れた様子で、おそらく正解なのだろうと直感する。
「聖女様、ですか?」
「……まあ、そうですね。――ちょっと見ていてください」
アイシャさんの言葉に返事を返すと、彼はテーブルに置かれた宝玉を手に取る。
親指と人差し指でゆっくりと掴み、天に向けると、宝玉は突然赤い光を放ち始めた。
「え、え、何ですか!?」
店内が突如赤く照らされると、その眩しい光にアイシャさんは驚きの声を上げる。
私も腕で宝玉から放たれる光を遮りながら、目を離さないようにと彼の姿をじっと見守る。
やがて宝玉は光を失い、最後には輝きを失った透明色の宝石へと姿を変える。
「これでいいのか?」
「はい、結構です」
『魔法使い』さんと副ギルド長は、その間一切慌てずにその場の展開を静かに見守っていた。
それは二人にしか分からない何かを感じさせるものだったのだろう。
「じゃ、本題に入ってもいいか?」
「ええ、問題ありません」
二人はその件に触れずに本題へと話を進める。
私とアイシャさんは戸惑いを隠せずにいたが、今は目の前の問題に集中することを決める。
この場に集まったその本来の目的。それは――。
「それじゃあ始めよう。このフウリン村とコレットを救うための重要会議だ」
X(旧Twitter)でAI画像による人物紹介をしてます。
興味があれば覗いてみてください。
https://twitter.com/202306Akinashi
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本作と少しだけ世界観が交わる新作を執筆しております。
「魔法使いの花嫁たち」
https://ncode.syosetu.com/n3805id/
ややコメディ寄りの作風で、もし興味があればご一読ください。
※両作品を読まなければ理解できない話などは特に予定ありません。