【短編版】最後に裏切って殺される乙女ゲームのCV:あの声優さんのキャラに転生した俺、生き残るためにこの魔性の声を武器に攻略キャラクター(男)たちと愛を育みます~
「いい? よく聞いて。このままだと私たち、破滅するわよ」
豪奢な金髪をきらめかせながら、アストリッド――もとい、”千鶴姉ちゃん”は宣言した。
「とにかく、私たちは今や悪役令嬢と悪役令息――二人ともストーリー後半になって主人公たちを裏切り、返り討ちに遭って死ぬ役割よ。しかも全ルートでね」
二年後に死ぬ――正直、全く実感が湧かない言葉だった。
それはその宣言を聞いた『彼』の頭の中をふわふわとティッシュペーパーのように漂うだけで、数年後に差し迫った確実な破滅を実感させてくれる程ではなかった。
「そこで、私は考えた。折角こうして生まれ変わったのにまた死ぬなんて嫌だものね。夜も寝ないで昼寝して、それこそ色々と考えた」
フゥ、とアストリッドはため息をつき、じろりと『彼』を見た。
その顔は見慣れたいつもの姉の顔ではなかった。これぞ悪役令嬢のそれと言える、本人の中の融けない氷を連想させるような、ぞっとするほどに冷たい美貌だった。
「正直、確実とはいえないわ。私だってこの世界でそんなことをしていいのかはわからない。でも、現状私たちが生き残るためには、この武器を活かすしかない」
「武器?」
『彼』は思わずオウム返しに訊ねた。
そうだ、というように美しい姉は深く頷いた。
「そう、私たちに残されたたったひとつの武器。それが――」
アストリッドは意味深に言葉を打ち切り、こちらに歩み寄ってきた。
その白魚のような指が――そっと『彼』の喉仏に触れた。
「私たちの武器は、あなたのその声――今のあなた、ヴィエル・アンソロジューンの声を務めている声優、櫻井ヒロの声そのものよ」
は――? と彼は思わず呆気に取られて姉の顔を見つめた。
声? そんなものが武器? この姉は一体何を言っているのだろう。
「ね、姉ちゃん……声って?」
「そう、その声。この声が私たちを救ってくれるかもしれないの。私は真剣よ」
「ば、馬鹿な事言うなって」
『彼』は盛大に尻込みしながら両手を振った。
「こ、声がなんの武器になるんだよ? そりゃ声優さんの声なんだろうからいい声なんだろうけど――どう聞いても普通の声だろ?」
「普通? 馬鹿ね。その声は立派な凶器よ、ユーリ」
ユーリ――この世界の彼の名前ではない、彼が日本に住む人間だった頃の名前だった。
その言葉と目に込められた圧に思わず言葉を飲み込むと、姉は真剣な表情で言い募った。
「『乙女ゲーム界のプリンス』と称されるその声。かつて数多の女だけでなく、数多の男をも篭絡してきた櫻井ヒロの声。それは絶対に普通の声ではない、それはもはや一種の凶器、男も女も見境なく魅了してしまう魔性の声――」
日本人だった頃の姉のことならば、また妄言が始まったと呆れるところではある。だが「千鶴」ではなく「アストリッド」に転生した姉のこの顔で言われると、それはどうしてなかなか一笑に付せない言葉に聞こえるのだった。
「いい、ヴィエル、いや、ユーリ。今から言うことをよく聞いて」
アストリッドは意志が燃える目で言い聞かせた。
「あなたはこれから、悪役令息ヴィエル・アンソロジューンとして、あなたと私を殺そうとする攻略キャラクターたちと愛を育むの――その魔性の声を使ってね」
愛、って――!?
『彼』――ヴィエル・アンソロジューンは大げさに顔をしかめた。
「ば――馬鹿な事言うなって姉ちゃん! こんなときに脳みそ腐らせてる場合じゃないだろうが!」
ヴィエルは姉の華奢な肩を掴み、正気に戻れというように強く揺さぶった。
「俺たち二年後には殺されるんだろう!? それがわかってるならさっさと逃げようよ! 死ぬのがわかっててこんなところにいていいわけがないだろうが!」
「逃げられるわけないじゃない。ここは乙女ゲームの世界よ? 私たちがいなくなったらストーリーが進行不能になって世界そのものがぶち壊れるかもしれないわ。あくまで舞台そのものから逃げる訳にはいかないのよ」
ぐっ、とヴィエルは反論する言葉に詰まった。その隙間にねじ込むようにしてアストリッドは畳み掛けた。
「いい? 私は決して乙女脳や腐女子脳でこんなこと言ってるわけじゃない。あなたは魔法学園の、主人公の少女を巡る男たちの戦いの中で殺される――ならばそれから逃れる方法はたったひとつしかない。あなたを殺そうとする人間に殺さないでと訴えかけるしかないのよ」
姉の目は確かに真剣だった。少なくとも、ヴィエルには真剣に見えた。
ヴィエルは押し黙ったまま、姉の言葉を聞いた。
「幾ら乙女ゲームの攻略キャラである彼らでも、親友以上の関係になったあなたを手に掛けたりはしない、しないと思う、しないと信じるしかない。あなたも私も、現状ではその可能性に賭けるしかない――そうでしょう?」
アストリッドの声はあくまで説得する声ではなく、それが最善だと理解を促す声だった。
「それに、別に本当に男同士で恋人になれってんじゃないわ。抱き合ってチューするだけが愛じゃない。ただ、あなたを殺したくない、って思わせる程度に関係ができればいいの。あなたの人をたらし込むその声なら出来る、絶対にそれが出来るわ
ヴィエルは顔を俯向けた。
俯向けてから――姉の顔をもう一度見た。
「姉ちゃん」
「何?」
「一応確認しとくけど――本当にそれが最善なんだな?」
「もちろん」
「失礼かもしれないけど、本当に腐女子脳で言ってるわけじゃないんだよな?」
「当然だろ」
「本当の本当だな?」
「賭けてもいいわよ。『マジプリ』の初回限定版ディスクとかね」
「いらねぇよそんなもん――ハァ、本当に、俺のこの声なら、その、男相手でも大丈夫なんだな?」
「大丈夫大丈夫、絶対に篭絡できるわ。男でも女でも、その声ならね」
姉は得意げに笑った。その笑みの邪悪なることは正しく悪役令嬢のそれ――この乙女ゲームの世界、『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンとかいう、ふざけたタイトルの乙女ゲームの巨悪そのもの。果てしない企みと謀りごとを思わせる、不敵な笑みだった。
「覚悟を決めなさい。今のあなたはもう葛西有利じゃない。『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンが誇る裏切り者――悪役令息ヴィエル・アンソロジューンなんだからね」
ヴィエルはこれぞ乙女ゲームの攻略キャラといえる、美しく端正な顔でため息をついた。
長い長いため息だった。
全身が萎んでしまうかのようなため息が終わって――。
ヴィエルは、相当無理矢理に運命に抗う覚悟を決めた。
「わかったよ、姉ちゃん。俺たち二人で絶対に生き延びよう。俺たちは絶対に死なない、そうだよな?」
ヴィエルは姉の手を取った。
アストリッドは笑い――それから、少し迷ったような表情で口を開いた。
「あのさ、ヴィエル」
「何?」
「一回でいい、一回でいい、もう二度と頼まないからさ」
「うん」
アストリッドの美しい顔が、その瞬間、盛大に崩壊した。
「『愛してるよ、千鶴』――って言ってみてくれない? その顔とその声で」
その途端、トロトロに緩んだ姉の唇からドブッとよだれが噴き出したのを、ヴィエルは見逃さなかった――。
◆
ことの発端は数日前に遡る。
その日、この国随一の勢力を誇る公爵家・アンソロジューン家の令嬢アストリッド・アンソロジューンと、その弟であるヴィエル・アンソロジューンは、ともに屋敷の階段から転げ落ちた。
それも、事故の内容が噴飯ものであった。まずアストリッドが階段の上でスカートの裾を踏んづけて体勢を崩し、下にいた弟を巻き込んで転げ落ちるという、それは今では到底流行らないギャグの類に入る事故であった。
それを見ていた従者たちの動揺と恐怖は如何ばかりであっただろうか。何しろ、この国では最も強大な貴族家の令嬢と令息が諸共に死ぬようなことがあれば、それは留守を預かるものたちの不手際である。失神している二人はすぐさま屋敷の寝室に担ぎ込まれ、複数人の医者が呼ばれ、二人は手厚い看護を受けた。
幸い、重大な箇所の骨折等の怪我がなかったどころか、二人は奇跡的に無傷であった。
だがしかし、おそらくすぐに目を覚ますだろうという医者の見立てに逆らい、彼らは覚醒することを拒否するように、実に丸一日も仲良く眠り込んだ。
明くる日、二人が心配そうにその顔を覗き込む従者たちが見守る中で再び目を開いた時、周囲の人間はほっと安堵のため息をついた。
彼らの父である公爵が不在の間に起こった珍事は、そうして何事もなく終わったはずだった。
だが――目を覚ました彼ら二人の中には、実際には重大な変化が生じていた。
強く頭を打ったことがそうさせたのか。
それとも、眠っている間に彼らの魂が輪廻の輪に触れてしまったためか。
覚醒した時――彼ら姉弟には、前世の記憶が蘇っていた。
それも、二人が遠い遠い異世界――日本という国の、やはり今と同じように姉弟であったときの記憶である。
姉の葛西千鶴は、こう言ってはお差し障りがあるやも知れぬが――いわゆる腐女子であった。
二十二歳にもなって現実の男を「萌えないゴミ」と言って憚らなかった女は、仕事から帰宅するなりスーツを脱ぎ捨て、そのまま深夜までやれ乙女ゲームだBLゲームだと言った趣味に興じることを無常の喜び――否、生きる糧としている女であった。
その不肖の姉の三つ歳下の弟――当時大学生で、姉のアパートで二人暮らしをしていた葛西有利は、ものぐさで自堕落で、クサリ神に魅入られきったこの姉と、ところがどっこい、なかなか平和にひとつ屋根の下で暮らしていたのだった。
だが――そんな平和な姉弟を、ある日の深夜、凶事が襲った。
築十五年という古いアパートのことである。日々の暮らしや襲い来る湿気に耐えて耐えて耐え抜いていたアパートのインフラのひとつ、ガスパイプが破断し、そこから大量のガスが漏れ出して部屋の中に充満したのだ。
そこに姉が夜食を食べようとガスを点火したからたまったものではない。深夜の住宅街を轟かせたガス爆発は容赦なく二人の姉弟の肉体を吹き飛ばし――こうして葛西千鶴・葛西有利は若い身空で敢え無く即死ということに相成った。
だがその時――遠い遠い異世界で、同時に死の危険を迎えていた肉体があった。
それが公爵家アンソロジューン家の姉弟、姉のアストリッドと、弟のヴィエルであった。
目を覚まし、己の肉体が全く異世界人のそれになってしまった姉弟は手を取り合って震えた。
震え、嘆き、慄き、一体これはどうしてしまったことだろうと動揺する中、姉のアストリッド――否、葛西千鶴が、はっとした表情で弟を見た。
「ユーリ、アンタその声――!?」
「へ? な、なにか変?」
「お、おおおぉぉぉぉ……! エッロ……!」
「えっ何!? 急に何そのトロ顔! 怖ッ!」
「やめなさい! その声でそんな下品な騒ぎ方しないで! その声は愛を囁くこと以外に使っちゃダメ!」
「は、はぁ――?! 何言ってんだよ姉ちゃん!? 怖ッ!」
「その声、その声は――!」
そう――彼らが転生した先は、姉の千鶴が「人生の羅針盤」と言って憚らなかった乙女ゲーム『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンのゲームの世界。
そして、その悪役令息であるヴィエル・アンソロジューンのCVを担当している男こそ、『乙女ゲーム界のプリンス』として名声を馳せる声優――櫻井ヒロなのであった。
◆
櫻井ヒロ。
それは一度その道を究めた、否、極めた腐女子ならば、無視しようして無視できぬ、一種の一里塚的存在である。
その類まれな程に端正な美声と、ただひたすらに声優としての己の技を磨き続けるひたむきさ、そして老若男女全てを完璧に演じて魅せる演技力から『乙女ゲーム界のプリンス』とまで称される、その道の第一人者。
出演作品はゆうに一千作品を越え、彼が声を当てればどんな脇役でも主人公すら喰らいかねない存在感を発揮してしまう稀代の名優である――。
「――と、ここまではいい?」
アストリッドは黒板に様々なアニメやゲームのタイトルを列挙し、その真ん中に一際デカデカと書かれた『櫻井ヒロ』の文字をチョークでドンドンと叩いた。
もうこの時点で三十分以上も姉の乙女ゲーム講義を聞き流すだけの時間を過ごしているヴィエルは、まるで補修を受けるおちこぼれ学生のような渋面で腕を組んだ。
「まぁ、俺だって名前ぐらいは知ってるけどさぁ……」
「名前を知ってるぐらいでわかった気にならないでちょうだい」
アストリッドは小馬鹿にしたようなため息をついた。
「全く、これが我が弟かね。姉の私が一心にイケメンたちと愛を育んだり愛を育むイケメンたちを見ていたりする横でアンタは何やってたの? 櫻井ヒロが誰を演じて代表作が何かなんて今や新たなる一般常識として注目されてるぐらいなのに」
「一般常識は急に注目されたりしねぇだろ。それにどこの世界の一般常識なんだよ。半径二キロぐらいのせっまいせっまい世界の話だろソレ」
「もうちょい広いわ。少なくともこの界隈は小岩井農場ぐらいの広さはある」
「余計わかんねぇよ。東京ドームで例えるといくら?」
「六百四十個分よ」
ゴホン、と咳払いをしたアストリッドは「ここからが本題よ」と口にした。
「ヴィエル。アンタはもちろん知らないでしょうけど、櫻井ヒロにはとある都市伝説があるのよ」
「都市伝説?」
ヴィエルは器用に片眉を上げた。
「声優の都市伝説――って、なんじゃそりゃ。まさか表舞台に出てるのは実は影武者だとか、実は外国の王様のご落胤だとかそういうこと?」
「それが本当だったらそれも面白いけど、んなこっちゃないわ。というより、これは彼自身というよりも、彼が演じたキャラクターについての都市伝説ね」
そこでアストリッドは何事なのか眉と声とをひそめ、顔を寄せてきた。
「え――何?」
「耳貸せ」
「洗ってすぐ返せよ」
「裏切んのよ」
「は?」
「裏切る」
「裏切る?」
思わず、ヴィエルは姉の口元から顔を離し、目だけで姉を見た。
アストリッドは怪談師が怪談を語るときの表情で、なおも繰り返した。
「だから、裏切んのよ。櫻井ヒロが演じたキャラはね、必ず最後に裏切るの」
裏切り――普通に聞いていたのであれば重すぎる言葉だったけれど、それは実際、乙女ゲームを一ミリも知らない彼にとっては、何の理解も伴わない綿埃のような言葉であった。
言われたことの意味がわからず、ヴィエルは姉の顔を見た。
「必ず裏切る、って何? 聞いてもわかんないんだけど」
「ああもう察しが悪いな。とにかく言ったまんまよ。裏切る。櫻井ヒロが声を当てたキャラクターはね、最後に裏切る可能性が高いってことよ」
裏切り、裏切りと、アストリッドはとにかくその単語を繰り返した。
「いつからこんなことが囁かれるようになったのかは正直わからないわね。櫻井ヒロは大御所だから主人公やヒーローの声を当ててる場合も多い。けれどそうでなかった場合はね、そのキャラはとにっかく裏切るのよ。なんでなのかは知らないけど」
どうしてなのかしらねぇ、とアストリッドは額に手をやった。
「まぁそういうイメージがついてしまったってだけの可能性も否めないけど――とにかく、櫻井ヒロが声を当てたキャラクターは如何にイケメンだろうと如何にフレンドリーだろうと如何に性癖どストライクのキャラだろうと、最後には裏切るものとして疑ってかかるのが定石。櫻井ヒロイコール裏切るキャラクターという話は東京ドーム六百四十個分の中では常識的な話なのよ」
フゥ、とそこでアストリッドは息をついた。
息をついてから――アストリッドはズバッとヴィエルを指さした。
「然るにお前! ヴィエル・アンソロジューン!!」
「な――何?」
「アンタも当然その常識に漏れない! アンタは裏切るの! この『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンの世界でもね!」
今まで声を潜めていたんじゃなかったけ、と首を傾げたくなるような大声でアストリッドは宣言した。
「ヴィエル・アンソロジューン! それはこのゲームの世界『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンの悪役令嬢であるアストリッドの弟であり、タイトルの通り五人いる攻略キャラクターには含まれないシークレットキャラの腹黒糸目青年! 血縁上の姉であり悪役令嬢でもあるこの私・アストリッドをも凌ぐ、吐き気を催す邪悪! それが今のアンタよ!」
どうだショックだろう、というようにアストリッドは声を張り上げた。
鼻息荒く一息に言い切った姉に向かい、ヴィエルは首を傾げた。
「それがどうかしたの?」
「どうかしたの、だと――?」
弟のこの反応におそらく肩透かしを喰らったのだろうアストリッドは、額に手をやって首を振った。
「ハァ、察しが悪いわね。ヴィエルに、櫻井ヒロが演じたキャラクターに転生してしまったことへの恐怖。お前はこの恐怖をわかっていない。わかっていないのである」
「である?」
ぐいっ、と、アストリッドはヴィエルに顔を寄せて。
そして、あっけらかんと言い放った。
「端的に言うなら――アンタ、もうすぐ死ぬわよ」
◆
「は?」
「だから、死ぬ。ヴィエルはこのゲームのエンディング間際、今から約二年後に裏切る。そして死ぬ。この『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンのルート通りなら死ぬ。つまり死ぬのよアンタは」
「――自然死?」
「他殺よ」
「たさっ――!」
ヴィエルの顔から音を立てて血の気が引いた。糸目を見開き、思わずヴィエルは椅子から腰を浮かせた。
「そっち先に言えよ! 櫻井ヒロの都市伝説がどうのこうのなんてどうでもいいだろうが! お――俺が、死ぬ――?! 二年後に!?」
ヴィエルはわなわなと震えた。姉はそんな様子の弟を満足そうに眺め、己の肘を抱いた。
「やっと飲み込めたか、たわけ弟。裏切り者には死を、それは世界中どこでも常識でしょ? たとえそれが乙女ゲームの世界でもね」
アストリッドは弟の頭に恐怖を刷り込むかのように続けた。
「ヴィエルは私たちの今の父・アンソロジューン公爵が市井の性悪女との間に作った妾腹で、その生い立ちから心に深い闇を抱えている。ゆくゆくは私を殺し、父を殺し母を殺し、アンソロジューン公爵家を乗っ取る腹づもりでいる。要するにゲームの展開通りなら、悪役令嬢ことアストリッド・アンソロジューンはアンタに殺されるってわけ」
何だか物凄い情報なのに、アストリッドは平然とした表情で言い放った。
「だがそれには力が足りない。ヴィエルはアンソロジューン家を乗っ取るための力を求めて魔法学園にやってくる。そこに現れるのが――」
そこで姉は黒板に向き直り、サラサラとなにかの絵を描き出した。流石歴戦の同人作家と言える手つきで描かれたのは――少女の顔だった。でも何故なのかわからないが、鼻から上が滲んでいてよく見えない。この姉が女性キャラを描くと何故か鼻から上が滲んでよく見えなくなるのだ。この謎の現象は姉曰く「BL作家の宿命」らしい。
「彼女の名前はアリス。この『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンの主人公であり、生まれながらにして破魔の魔法の素質を持った世界唯一の女の子よ」
この顔を忘れないで、とアストリッドはヴィエルを睨みつけた。ガクガクと頷くと、アストリッドは続けた。
「ヴィエルはこの少女の才能に目をつける。この子が持つ強大な破魔の魔法の力があれば、アンソロジューン家の全員を暗殺して公爵家を乗っ取ることなんて容易いこと。いやもっと大きな野望を描くことすら出来る。破魔の魔法で王家に反旗を翻し、この国を転覆させることすら――」
そんな馬鹿でかい野望を秘めた男だったというのか、今の自分は。将来はワールドカップに出てイニエスタ相手にハットトリックを決めるんだと言い張る腕白小僧の夢の方がまだ現実的ではないか。ヴィエルの身体に嫌な悪寒が走った。
「だからヴィエルはなんとかアリスを我が物にしようと画策する。これがヴィエル以外のキャラのルートの大体の筋書きね。だけどストーリー後半、アリスが自分のものにならず、他者の手に渡ったとわかった途端、ヴィエルは学園の仲間たちを裏切る。生まれ持った闇の魔力でアリスを奪い、己の野望のために闇に堕とそうとする――」
それで、攻略キャラの誰かに殺される。
言わなくとも、アストリッドの目は明確にそう言っていた。
ぞっ、と背筋が冷たくなり、思わずヴィエルは反論した。
「で、でもさ! それはヴィエル以外のルートだろ?! よくわかんないけどさ、俺が攻略キャラクターの一人ってことは、俺のルートもあるってことなんだよな!? そ、それなら、俺が頑張ってそのアリスとフラグ立てられたら――!」
「甘いわね。その場合、アンタの死因が他殺から自殺になるだけよ」
はっ――? とヴィエルは息を呑んだ。
「隠しキャラ、それも櫻井ヒロが演じたキャラクターの業は深いわね――シークレットキャラであるヴィエルルートのトゥルーエンディングはね、何度突き落とそうとしても穢れることを知らないアリスの心にいつしか本気の恋をしてしまったヴィエルが、彼女の清廉さと己の抱えた闇のギャップに悩み、自殺という手段で決着をつけるのよ」
なんだってそんなめんどくさいことを!? ヴィエルは自分自身を呪った。
フゥ、とアストリッドはため息をついた。
「これがもう、それはそれはエロいエンディングでねぇ――己が手で胸に短剣を突き立てたヴィエルをアリスが抱き起こし、その血塗れの手を握り、お互いに涙する――あのヴィエルが、あの腹黒ヴィエルが、最後に人の心とぬくもりとを知って散るのよねぇ」
ジュボボ……と姉の口が汚らしい音を立てて唾液を啜った。
「まぁ流血描写はあんまり得意じゃないんだけど、このエンディングだけは抜けた――いや、泣けたわねぇうん」
「なぁーにを呑気なこと言ってんだよ! つ、つまり、俺って全ルートで死亡率十割ってことか!?」
「あはは、オータニ=サンを上回る伝説のバッターねアンタ。まぁ打率じゃなくて死亡率だけど」
「笑い事か! 笑い事であってたまるか!!」
ヴィエルは美しい金髪の頭を掻きむしった。
「じゃ、じゃあ、ヴィエルがヴィエルじゃなくなって俺になったってことは、もう死ぬ危険はないってことでいいんだよね!? 俺そんな国家転覆とか全然考えてないし! 変に出世とかしないで一生平無責任に暮らしたいZ世代だし!」
「本当にそう上手く行くかしらねぇ」
自分のことでもあるというのに、アストリッドは浅知恵を憐れむかのように嗤った。
「本当にアンタは安全だと思うわけ? この世界は乙女ゲームの世界なのよ? もしアンタがそういうことを考えなかったとしても、攻略キャラクター同士が主人公を巡って殺し合いなんてザラっザラのザラよ。アンタが攻略キャラである限り、絶対安全な訳がないわ」
「お、乙女ゲーってサツバツ……! そんな、女の子を巡って殺し合いなんて……!」
「あら、これでもまだソフティな部類に入る展開よ。アンタ、推しにフォークで何度も何度も刺された経験ある?」
「そんなスプラッタな経験あるか! 俺はチンする前のソーセージじゃないよ!」
「ソーセージ、言い得て妙ね。ソーセージに転生したらあんな気分だったのかしらねぇ」
妙なところで感心してみせたアストリッドは、とにかく、と声を張り上げた。
「とにかく、二年後に私たちは破滅、否、死ぬわ! 今私たちがやるべきことは、その死の危険を回避する方策を練ることだけよ!」
アストリッドはとてもいい声と表情で言った。その目は生きることを諦めても、襲い来る破滅に怯えてもいない。思わず頷いてしまうと、アストリッドはこうも言った。
「とにかく、今や私たちは破滅姉弟、二年後に死亡する可能性が高いという絶望の箱庭の只中にいる! だからって怯えながらコソコソ生きていく気はサラサラないわ! 死を回避し、なおかつこの異世界の大地でハチャメチャ♥ラブロマンスな学園生活をエンジョイしてフィーバーするためには、己の武器を活かす他ないのよ!」
「や、やけに久しぶりに聞く言葉ばっかり――! そ、それで、姉ちゃん。その武器って――!? なにか隠し武器でもあるの!?」
「ええ、あるわ。アンタが他の攻略キャラじゃなく、ヴィエル・アンソロジューンに転生したからこその武器がね――」
アストリッドの顔に不敵な笑みが浮かんだ。その自信満々の笑みに戸惑うヴィエルに、アストリッドはツカツカと歩み寄ってきて、そしてヴィエルの喉仏にそっと触れた――。
「私たちの武器――それはアンタの今のその声、櫻井ヒロの魔性の声そのものよ」
《続》
ここまでお読み頂きありがとうございます。
今回の短編?は
「そういや短編からの長編化はやったことあるけど、その逆は見たことねぇな」
という、真に適当な思いつきからやってみたものです。
よく「連載候補作」と称して、まだ長編化していない導入部だけの短編は見かけても、
既に連載してる作品の導入部分を短編パイロット版にしてるのは見ないなぁと思い、
実際やったらどんな効果があるのかなぁと思ってやってみました。
ということで、
「面白そう」
「続きが気になる」
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。
【VS】
もし導入だけで気に入っていただけましたら、こちらに連載作品もございます。↓
『最後に裏切って殺される乙女ゲームのCV:あの声優さんのキャラに転生した俺、生き残るためにこの魔性の声を武器に攻略キャラクター(男)たちと愛を育みます~』
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