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「宝珠?」
アルバスタはリリーに聞き返した。
「そうだ。宝珠といっても、その辺にある珍しい石なんかじゃない」
「単に宝石の類ではない、と?」
その通り、という風にリリーは頷く。
リリーは懐からおもむろに一冊の古びた手帳のような本を取り出す。その本は豪華な装飾がしてあるわけでもなく、珍しい形をしているわけでもなかったが、アルバスタはその本に吸い込まれるような不思議な感覚を覚えた。
「ここに記述があるんだ。見てくれ」
リリーはページを何枚かめくり、文を指さす。
文字はかすれて読みにくくなっているが、アルバスタはかろうじて文字を読んだ。
「たしかにその、命の宝珠ってやつが鍵になるらしいな」
「そうだ」
しかし、とリリーは繋げる。
「どこにも命の宝珠がどのような色で、どのような形であるのかは書かれていなかった」
「じゃあ、見つけられないんじゃないか…。もうこの旅は詰んでいるのか?」
「いいや、手掛かりはある」
リリーはさらに本のページをめくり、再び指をさした。
「ここだ、アル」
「………なるほどな。この王国に保管されている、と?」
リリーは指した指をアルバスタに向ける。
「その通り」
「…それで、俺はどうしたらいいんだ?」
そのアルバスタの言葉を聞いた瞬間、リリーはぴくッと体を動かし、嬉しそうな表情に変わっていく。
「そ、それは…一緒に来てくれるってことか…!?」
「あ、あぁ…そうなるな…」
予想もしなかったリリーの反応にアルバスタは驚きながらも恥ずかしさを感じていた。
なんとなく、こうやって話していると、いつか昔に話したことがあるような懐かしさがアルバスタの中に生まれた。その懐かしさがリリーへの不信感を弱めるに至ったのだ。
「やった!やった!アル、君は最高だよ!」
はしゃぐリリーを横目にアルバスタは頬を緩める。
リリーは自分がはしゃいでいたことにはっと気が付き、コホンと咳ばらいをして場を鎮めた。
「アルが旅の途中、なにをすれば良いかということだったな。君には、私と一緒に命の宝珠を手に入れる手伝い、それに加えて毎日の食事を用意してほしい」
「いいだろう」
「では」
リリーはそう言うと、本を懐にしまって、その代わりに一本のナイフを取り出した。
アルバスタはリリーが何をするのかを見ていたが、まったく見当がつかなかった。
ナイフはリリーの親指に押し当てられると、柔らかなリリーの肌から赤黒い液体が盛り上がってきた。
「リリー…?」
何をしているのか。そう尋ねようとするアルバスタを制して、リリーは話し出す。
「血の契約だ。これを結ぶことで、時間が戻った時でも君も記憶を引き継げるようになるんだ」
「なにか、デメリットとかはないのか?」
「うーん。君には特にないけれど、血の契約は一人一回のみなんだ」
「つまり、リリーは俺と契約すると、他のやつとは契約を結べなくなるってことか?」
「そういうこと。また、詳しくこの契約について言うと、これは一般的に世間で使われる、魔法による主従契約とは異なる」
紅髪を持つものが行うことのできる血の契約は、特別なもので、家族になるようなものなんだ、とリリー。
「君と私の間には切っても切れない、家族と同等の関係が結ばれる」
「そんな大切な契約をするのが、俺でいいのか…?」
どう考えても関係の浅いアルバスタと契約を結ぼうとするリリーにアルバスタは問いかける。
「君がいいんだ」
真剣な表情をしながらそう言うリリーを見て、少しアルバスタの胸がときめいてしまったことは言うまでもなかった。
「だが、私が良くても君が良くなければ、結ばなくても良い。だが私はこの契約を、互いが互いを信じ、共に生きる誓いとしたいんだ」
両親からも、兄弟からも、村人からも冷遇され、なにも信じることができなかったリリー。
うつむき、ぐっと拳を握り、口を固く結んだリリーの姿を見てアルバスタは口を開く。
「リリー。俺はお前に命を救われた。確かにまだお前のことを完全に信用できているわけでもないし、お前も俺を完全に信用できないでいるんだろう。……俺の命はリリーに救われた。だから、俺の命はお前に預けたい。リリーが結びたいなら、血の契約だろうが、主従契約だろうが何だって結んでやるさ」
「アルバスタ……」
リリーは顔を上げると、親指を自分の口に入れる。そしてその指を舐めると、顔をゆっくりとアルバスタに近づける。
ゆっくり、ゆっくり。
その可愛らしい顔がだんだんと距離を詰めてくるのに、アルバスタはただ眺めているしかできなかった。
「!!?」
そのリリーの顔を見つめていると、アルバスタの唇には湿りを帯びた柔らかな唇が触れ、瞬間、アルバスタの口に舌が入り込んできた。
口の中で感じるのは鉄の香り。
リリーの血液だった。
アルバスタは思わず唾液を飲み込むと、その血液が自分の体内に入り込んだのが分かった。
「リ、リ、リリー!?」
唇が離れたリリーはアルバスタに向けて年齢に似合わない妖艶な笑みを浮かべる。
アルバスタはその表情に何も言えないでいると、突然胸に熱さを感じた。
「アルバスタ、これで君との契約は終わりだ」
家族になった。
父、母、妹を失い、失意に暮れていたアルバスタの目の前に現れたのは美しい紅色の髪を持つ少女。
その少女と家族になったのだ。
その時アルバスタは、なにか失われたものが一部分だけ戻ってきたような、満たされたような感覚があった。
「さぁアル。行こうか。目指すは王都。その王都のどこかに命の宝珠が眠っているはずだ。私の助けになってくれよ?」
リリーは立ち上がり、アルバスタに向けて右手を差し出した。
その右手をアルバスタは何のためらいもなく握る。
「この命、お前のために使わせてくれ」
二人が目指すは王都。
並んで歩く後ろからは、沈み始めた太陽が照らしていた。
「なぁ、アル」
「なんだ?」
リリーは野営の準備をしながらアルバスタに尋ねた。
そのアルバスタは前時代的な方法で火を起こし、近くの川でとれた魚を焼いているところだった。
「手持ちの金を渡してくれ。路銀にするから」
「は?金なんて持ってないが」
「えぇ!?だって君、いつも懐に金の入った袋を持っているじゃないか。それがなくても、十分なたくわえがあるって言っていたぞ!」
「そりゃあ、あんな非常時に金を持って逃げる余裕なんかなかったさ。だから一銭も持ち合わせていないが」
「な、なんだと!?」
「まさかリリー。お前、持ち合わせは……?」
「同じく一銭もない」
その夜、火を囲んだ二人の緊急会議が執り行われたことは言うまでもない。