仮設トイレ
※この物語は“低俗”なフィクションです。作中に登場する「ヤキュー」なる野蛮行為は架空のものであり、“野球”という実在の神聖なスポーツとは一切関係ありません。
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『月の女神アルテミスは、巨人オリオンを生き返らせることが叶わなかったため、せめて最後にと、全能神ゼウスに願った。
「オリオンの亡骸を空に上げてください。
さすれば、私が銀の車で夜空を走って行くとき、いつも彼に会えるから」
その願いは叶えられ、オリオンは星座として夜空に輝くこととなった。』
――『ギリシア神話』
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「一球入魂」という言葉が有る。
それは、野球というスポーツにおいて、まるで“魂を込める”かのように全力でボールを投げることを表す造語である。
さらに、そこから派生した「一筆入魂」なる造語も存在し、前述の言葉と似たようなもので、“魂を込める”かの如く文字を書き記すことを意味している。
スポーツや芸術に限らず、あらゆる分野において、その道を極めようと志す者達は、“魂”と呼ばれる透明な《炎》を燃やし、全身全霊を傾ける。
それは、祈りにも似て否なる、心の所作。
ある者にとっては、 己自身との闘い。
また、ある者にとっては、この世界への挑戦である――。
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『39度の とろけそうな日
炎天下の夢 Play Ball! Play Game!
"せーの"で走り出す デートならデーゲーム
遊びたい年頃なんて訳じゃないけど』
――SENTIMENTAL:BUS『Sunny Day Sunday』
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薄暗く、半畳ほどの狭い個室の中にて……。
「……」
“虎”に似た若者が、椅子のような物に腰掛け、俯いていた。
その悩ましそうな様子は、どことなく、いにしえの時代に造られたという伝説の芸術品、『考える人』を彷彿とさせる。
――『考える人』とは、「地獄へ堕ちる罪人たちを眺めながら、地獄の門の上に腰掛けて思索している男」の姿を象ったブロンズ像である。
しかし、若者の居る“個室”とは「仮設トイレ」であり、若者が腰掛けている物は椅子でも地獄の門でもなく“洋式便器”であった。
若者のズボンは足元までずり降ろされており、剥き出しの尻は洋式便器の中へ向けられている。
つまり、今まさに若者は“排泄”の真っ最中なのだ。
そして若者の頭の中は、芸術的な構想でも哲学的な思想でもなく、クソみたいに煩悩的な“妄想”で満ち溢れていた。
「あぁ~、嫁さん9人くらい欲しいわぁ~……」
アクビするかのような動作で天井を仰ぎ見ながら、ため息混じりに“戯言”を呟く。
「……以前にも言うたかもしれへんけど……」
下からはブリブリという音を発しながら、上ではブツブツと何やら“語り”始めた。
「ワイには……、この“コジロー”には、夢が……、野望が有るんや」
この、虎のような若者の名は、「コジロー」という。
「“ヤキュー選手”と言いたいところやけど、ぶっちゃけ、それは通過点や」
年齢は十代後半だが、小柄なうえに童顔であるため、他者からは十代前半だと誤解されることもある。
「ワイの最終目標はな、子供を9人作って、その子らでヤキューチームを結成することや……」
ざっくばらんにカットされた“虎刈り”の頭髪は、部分部分が黒色や黄色で分かれており、“虎柄”を織り成している。
「もちろん、チームの監督はワイや。
最強やん?」
ギラギラした三白眼と、ギザギザ尖った歯は、さながら肉食獣を彷彿とさせる。
「しかし、嫁さん1人に子供を9人も産んで育ててもらうんは、いくらなんでも酷やん?」
日焼けした小麦色の肌には、フェイスペイントかタトゥーなのか、黒色の稲妻のような紋様が所々に描かれている。
「せやからワイは嫁さんも9人くらい欲しいねん」
着ている衣服は上下共にスポーツウェア。
黄色の生地に黒色の縦縞が走っており、くどいようだが、やはり“虎柄”だ。
「いや、別に、“モテたい”とか“ハーレム築きたい”とか、そういうスケベ心で言ってるんとちゃうで?」
一見すると細身な印象だが、その実、絞り込まれて引き締まった筋肉を秘めている。
さながら、真綿で包まれたワイヤーのように。
「しかし、まあ、“そんなヤラシイ気持ち全く無い”と言えば嘘になるかもしれへんけど……?」
立てば虎、座れば虎、歩く姿もまさに虎。
もしジャングルを歩いていたならば、本物の虎と見間違えられて猟銃で射たれるであろう、「虎のような若者」であった。
「それにしても、いかんせん、ワイの野望を実現するためには、この世界に再びヤキューが普及してくれへんと話にならへんねん……」
その時、
〈せやな~〉
という相槌の声が、仮設トイレの外から響いた。
「おお、“ハナコ”よ。
珍しく今日は理解てくれるんか?」
コジローは、仮設トイレの外で待ってくれているであろう相方、「ハナコ」の名を呼ぶ。
〈そやな~〉
「ヤキュー……、最高やで。
“旧文明”の人らも、“ドンパチ”なんかやのうて、ヤキューの試合結果に基づいて物事を決めてれば良かったんとちゃうかな?」
〈わかる~〉
「きっと、ヤキューは世界平和を実現し、人類を救うんや……」
〈せやな~〉
「……なんや? さっきからオモロナイ受け答えしかせーへんな?」
〈そやな~〉
「ホンマにワイの話、聞いとる?」
〈わかる~〉
「……この前、ハナコのメロンパン勝手に食った犯人はワイや。
猫に罪を擦り付けてスマンかったな」
〈せやな~〉
「……」
流石に訝しんだコジローは、排泄を中断し、便座から腰を上げて立ち上がると、ズボンを股下の辺りまでずり上げる。
ズボンを完全に上げ切らないのは、まだ尻を拭いていないので、下着に汚れが付着するのを避けるためだ。
ぎこちなく腰の引けた姿勢のまま、仮設トイレのドアへ手をやり、少しだけ開く。
光が射し込む。
コジローは光の眩しさに顔を顰め、片手を目の上に置いて日除け代わりにしながら、ドアの隙間から顔を覗かせ、外の様子を伺う。
太陽が燦々と燃える、青々と澄んだ大空の下……。
廃材や瓦礫の散乱するゴミゴミとした“砂漠”が広がっていた。
人呼んで、「ゴミ砂漠」。
最終戦争から数百年、強者達が夢の後、“ポストアポカリプス”である。
コジローの居る仮設トイレは、そのゴミ砂漠の只中にポツンと建っているのだ。
「ハナコ、どこや~?」
コジローは首を動かして周囲を見渡しながら、“ハナコ”なる人物の名を呼び、姿を探す。
だが、視界に映るのは砂とゴミばかりであり、ハナコの姿はどうにも見当たらない。
〈そやな~〉
また声が聴こえた。
声の発生源は非常に近く、まるで、仮設トイレのドアの陰から響いているかのようにも聴こえた。
コジローは嫌な予感を抱きつつ、仮設トイレの中から半ば身をのり出し、ドアの表側へと目を向ける。
そこには、三枚の“紙切れ”が貼り付けられていた。
「おい、嘘やろ……?」
コジローは手を伸ばし、三枚の紙切れを掴んでベリベリと毟り取る。
その三枚の紙切れには、それぞれ
“せやな~”“そやな~”“わかる~”
と記されていた。
そして“わかる~”と記された紙切れが薄っすらと青色に発光し、
〈わかる~〉
という音声を発した。
コジローの話に相槌を打っていたものの正体は、この喋る“不思議な紙切れ”だったのである。
コジローは斜め上を見上げ、片手の人差し指をビシッと上空へ向けると、
「これじゃ、昔話の『三枚の御札』やないか~いっ」
と、誰にともなくツッコミの言葉を叫んだ。
さらに、何故か「……ゃなぃかぁ~ぃ……、かぁ~ぃ……」と自らのクチで“エコー”のようなエフェクトまで付け足す。
〈せやな~〉
――『三枚の御札』とは、滅びた古代文明に伝わる御伽噺の類いである。
山の中で、人食いの妖怪“山姥”から狙われた小僧が、和尚から授けられていた“三枚の御札”の不思議な効力を駆使して逃走を続ける、という物語だ。
「さしずめ、ワイは山姥ってか?」
〈そやな~〉
「やかまし……」
そこでふと、コジローは表情を強張らせ、押し黙る。
〈わかる~〉
「……」
――。
「……――来るッ!」
次の瞬間、コジローは眼をカッと大きく見開き、仮設トイレの中から勢い良く跳び出す。
その直後、仮設トイレの真下の砂地がグググッと盛り上がり、
“ずどーんっ”
と爆ぜた。
砂が空中へ舞い上げられ、辺り一帯に飛び散る。
地中に潜みながら忍び寄って来た巨大な“襲撃者”が、凄まじいパワーと質量をもってして、仮設トイレを下から突き上げ、地上へと姿を現したのだ。
三枚の御札が突風に吹かれ、〈せやな~〉〈そやな~〉〈わかる~〉などと音声を発しながら何処かへと飛ばされてゆく。
仮設トイレから跳び出して退避したコジローは、そのまま砂の上にゴロゴロと転がって受け身を取りながら敵との距離を取り、起き上がると同時に臨戦態勢に入った。
下がっていたズボンを腰まで上げ、ベルトを閉める。
次に、ズボンのポケットに手を突っ込み、中から“アレでもない、コレでもない”とでもいうかのようにピーナッツの殻やガムの包み紙といったゴミを次々と掻き出して放り捨てる。
そのうち、お目当ての品であるビー玉ほどのサイズの白い“球”を探り当てて取り出すと、指先でカチリッと押し込む。
すると、球はシュポンッと音をたてて“拳大”にまで膨らんだ。
赤い糸の縫い目がラインとなってグルっと走っている、白い球。
“野球ボール”であった。
一方、仮設トイレの在った方角では、砂埃が晴れてゆき、“襲撃者”の姿が露となる。
それは、一言で表すなら、「巨大なミミズ型の機械」であった。
「壊す獣」と書いて、“壊獣”。
その一種であるデストラクション・ワーム。
略して「デスワーム」。
壊獣。
それは、最終戦争の際に開発されたという、破壊を目的とした自立行動型のマシーンの総称である。
最終戦争から数百年以上が経過した今尚、主を失って野生化した壊獣達は、“破壊”という与えられた使命を忠実に遂行し続けているのだ。
先程までコジローが居た仮設トイレはデスワームの口腔部位に半分ほどスポッと収まっており、「ンゴッ、ンゴッ」という音と共にデスワームの体内へと呑み込まれてゆく。
「ふぁ~、ワイまだケツ拭いてへんで?
ってか、まだ“出しきって”もおらへん」
コジローの小言を余所に、デスワームは仮設トイレをゴクンッと完全に丸呑みにしてしまう。
そして「次はお前だ」とでも云うかのように、まるで粉砕機のような仰々しい形状の口腔部位をコジローの方へと向けると、〈ちゅみ~ん〉という少しかわいい鳴き声を発した。
コジローはデスワームに向けて野球ボールを掲げる。
「うら若き男児がトイレに籠るという、神聖にして不可侵なる時間……。
それを脅かす“不束者”は、ワイの“ヤキュー”で場外へ退場してもらうで」
男児がトイレに籠ることが神聖なのかは不明だが、この場合、不束者ではなく不届き者と言った方が正解であろう。
そして、コジローは
「『重いコンダラ 試練の道を』」
と、何やら詠唱し始めた。
「『行くが男の ど根性』」
すると、コジローの肌に記された黒い紋様のようなものが、まるでフィラメントのように明るく発光し始める。
「『真っ赤に燃える 王者のしるし』」
その紋様は“星々の光”に選ばれし者の証、“聖痕”であった。
「『巨人の星を掴むまで』」
その聖痕は、まるで描き足されてゆくかのように全身へと伸びて広がってゆき、コジローの姿を夜空に輝く星座の如く煌かせる。
「『血の汗流せ 涙を拭くな』」
同時に、コジローの周囲に小さな電流のようなものがパチッパチッと発生し始める。
「『行け行け飛雄馬 どんと行け』――」
そう歌い切りながら、コジローが決めポーズのような動きをとろうとした、
次の瞬間――
デスワームが大きく口腔部位を広げながら、獲物に飛び掛かる猫のような俊敏さで「ちゅみみ~ん」と突進を繰り出してきた。
「――ッ!?」
コジローは咄嗟に跳び退り、デスワームの突進をギリギリで回避する。
だが、僅かに掠り、ズボンが「ビリッ」と音をたてる。
「ちょっ! 待てや!
こういう時、見守るのがルール、襲ってこんのがセオリーやろ⁉
ブシドー精神とかスポーツマンシップってもんは無いんか⁉」
しかし、そのように人間が人間の価値観で手前勝手に定めたルールやセオリーが、人間以外の存在、ましてや破壊という単純なプログラムに従って動くだけのマッシーンである壊獣に通じる筈もない。
もし、この場にコジローの連れ合いであるハナコなる人物が居合わせたのなら、「長々とワンコーラス歌おうとする奴がアホ」とコジローに言うであろう。
「まあええ、準備運動は終わりや」
コジローの全身を覆う聖痕の煌めきが、コジローの握る野球ボールへと伝播し、紋章となる。
――さながら、電流が感電したり、炎が燃え移ったり、水が浸透するかのように――。
「“一球入魂”」
ひときわ、ボールの煌めきが増す。
「“稲妻色の巨神流星”」
そして、ボールは「バチバチ」と音をたてる“電流”を帯びた。
コジローは、左足を頭より高くピンッと上に伸ばすという大袈裟なフォームをとると、
「ス~パ~……」
その場でグルグルと横回転を始めた。
「トルネ~…」
回転は徐々に速度を上げ、やがてに電流が周囲をうねり始める。
「ド」
そしてコジローはピタリッと静止したかと思えば、
「波ぁ~っ!」
ボールを投げた。
“スーパートルネード波”とは、コジローが幼い頃に読んだ古代文明の“とある文献”に記述されていたものだ。
グルグルと横回転することにより、投げるボールの速度が飛躍的に高まるとされる“魔球”である。
コジローの投げた球は凄まじい豪速球であっり、稲妻を放ちながら突き進んでゆく。
しかし、ボールの向かう先にデスワームの姿は無かった。
コジローがクルクル回りながら「ス~パ~トルネ~ド波ぁ~っ」などど言っていた間に、デスワームは再び地中に潜って隠れていたのだ。
そのままボールは遠くの砂丘に着弾し、パーンッと大きな音を響かせ、砂丘をゴッソリと大きく穿|った。
その速度、その威力、さながら“超電磁砲”から撃ち出された砲弾が如し。
「くっそ、躱されたかっ」
コジローは2球目を投げようと、再びポケットに手をつっ込む。
「ふぁっ?」
だがしかし、ポケットの中はカラッポだった。
ポケットには“穴”が開いていた。
先程のデスワームの突進を回避し、僅かに掠った際、ズボンのポケットに穴を開けられていたのだ。
デスワームが地中から「ヒョッコリ」と顔を覗かせる。
「ちょ、タイム頼む」
「ちゅみみみみ~んっ」
コジローは心の底から相方の名を叫ぶ。
「はなこぉぉぉ~! 助けてクレぇ~!」
その“魂の叫び”は、広大なゴミ砂漠に響き渡った。
☆彡
同時刻、仮設トイレから少しばかり離れた位置に、砂漠の廃材や瓦礫を寄せ集めて築かれた街が存在していた。
スカベンジャー・タウン。
略して“スカタン”。
ゴミ砂漠のゴミを漁って生計を立てる人々が集って築き上げた、モザイクのように不細工なゴミの街である。
その一角、露店が建ち並ぶ路にて。
上着のフード部分に子猫のような小動物を乗せた少女が、“立ち食いヌードル屋”でパクチー香るトムヤンクン味のヌードルを啜っていた。
――……はなこぉぉぉ~……
どこか遠くから、微かに、助けを求める誰かの悲鳴が響く。
ふと、少女――「ハナコ」は顔を上げ、空を仰ぎ見る。
空には、ソフトクリームのような形状の雲が浮かんでいた。
「そうだ、ソフトクリーム食べよ」
それに賛同するかのように、フードに乗っている子猫のような小動物がアクビをしながら「にゃお~ん」と鳴く。
そのままハナコはソフトクリーム屋へと向かい、チョコミント味のソフトクリームに舌鼓を打った。
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人類と地球外生命体“オーガ”との間で繰り広げられた“最終戦争”による文明崩壊と世界荒廃から数百年の時が過ぎた。
壊獣、汚染、災害、無法者。
驚異は尽きず、世界は未だに混迷を深めていたが、それでも人々は明日を信じ、今日を生きている。
そんな混沌とした“ポストアポカリプス”で、人類は文明復興の希望となる“新たなエネルギー”を発見した。
その、星々の煌きに似たエネルギーは、人間の精神に感応して人体から発生し、物質に宿ることにより、超常の奇蹟を実現する。
人は、その神秘のエネルギーを「オリオン」と名付け、オリオンを操る能力を持つ者を「オリオン使い」と呼んだ。
この物語は、破壊と創造が繰り返される世界を彷徨い、流星のように駆け抜けた者達の、“魂”の軌跡である。
☆彡
『けぶる木漏れ日浴びふと気付く 春風の奥思い出す』
――Hysteric Blue『春~spring~』