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ラストゲーム

作者: 綿花音和

「来い、来い、確変」

 恥ずかし気もなく叫び、左手でパチンコ台を叩く。汗ばんだ右手で、ハンドルを強く握り込んだ。財布の札を全てを突っ込み、最後の勝負。隣で打っていたおばさんが、身を乗り出して覗き込んでくる。やっと訪れたリーチ。当たれ、当たれ、奇数で並べ。爪がしらむほど強く念じる。残り玉は僅か。このリーチが外れたら、生活もままならない。破滅のスリルすら快感に変え、痺れる私はおかしいのだろうか。

 

 劇場版が制作された人気ロボットアニメの台を目当てに、開店前から並んで三時間。飲み込まれ続けた銀玉は数万円分。たいしておいしいチャンスもないのに麻痺した金銭感覚は金を投入させ続けた。

 このまま終わるのかと諦めかけた時、推しキャラクターが銃を構え、照準が敵ロボットを捉えた。大音量で流れる主題歌。

 このリーチは熱い、激熱だ。ドーパミンが脳内に溢れる。『来た来た来た』呪文のように唱え、液晶画面に釘付けになる。

 

 しかし最後のリーチは外れた。持ち玉は一つ残らず台に飲み込まれ、残されたのは、厳しい現実。

「お姉ちゃん、あと少しだったのに残念」

 言い残し、おばさんはトイレへ消えた。隣の台が当たるかはずれるかにさして興味はないだろう。所詮他人事だ。いらついてしまうのは心に余裕がないのだろう。

 未練たらしく、デモ画面を見つめながら座わっていた。何分経過しただろう。パチンコ台のガラス越しにサラリーマンが映った。どうやら、この台が飲み込んだ玉を狙っているようだ。ハイエナめ、私に金さえあったなら。心で毒づいても、財布にはわずかな小銭が入っているだけ、仕方なく台を離れた。

 

 自動ドアを抜けると、蝉しぐれが出迎え、クーラーで冷え切った身体があっという間に汗ばむ。自販機でレモンスカッシュを買い、一気に喉に流し込む。最後の贅沢だ。

 まだパチンコを打ちたい。欲望を抑え、繁華街から脱出した。近くの公園の木陰に入りベンチに座わる。おしゃれをした恋人たちが、カフェに入っていく。眺めていると、惨めさに涙が出そうになった。

「夕飯どうしよう。何やってるんだろう、私」

 悔やみ、声に出しても金は戻ってこない。自分だけが真っ当な世界から脱落し、前を横切る人々と隔てられた気がして辛い。見上げれば緑の隙間から夏の日差しが眩しく、光の残像が黒く踊る。家に帰らなきゃ、足を踏ん張り立ち上がる。

 

 汗だくになって、やっとアパートに着いた。服を脱ぎ捨て、下着姿になる。万年床に身体を丸め横たわった。何も考えず、このまま眠り続けたい。

 悪い夢を見た。

「好きな人ができた。桃、悪いけど別れてくれないか」

「嘘でしょ、嫌だ。まだ付き合ったばかりじゃない、納得できない」

「ゼミで真剣に付き合いたい人に出会ったんだ」

「私との付き合いは、なんだったの」

ももは遊び相手にはいいけど、ずっと一緒にいたいとは思えない」 

 『遊び相手』、なんてひどい言い方だ。十九年の人生で最低な記憶が再生される。うなされたせいで夜中に目が覚めた。大学構内で、健輔けんすけから別れを切り出されたのが今年の春。それから生活がみるみる荒んでいった。

 

 冷蔵庫を開け、ペットボトルに入った水道水で喉を潤す。身体が冷え、人心地ついた。

「ほんとどうしよう」

 どう考えても次の仕送りまでの生活費が足りない。パチンコで大金を使ったからと、友人に打ち明けるのは耐えられないが、貸金業者を利用するのも怖い。

 

 恋人の健輔けんすけに『金を貸して』と呼ばれ、初めて騒がしいパチンコ店に入った。それから程なくして彼に振られた。ストレスを解消する方法も知らず、軽い気持ちでパチンコ台に座った。学校をサボるまで、はまるとは思いもしなかった。順調な人生を歩んでいるはずだったのに、いつのまにか転落への分岐点に差し掛かっている。

 元々親の希望もあり、自分の力以上の名門大学に必死に勉強し入学した。ここで結婚相手を探し付き合えば、これからの人生は安泰だと思ってきた。それなのに、その日の食事にも困っている。淋しくて惨めなのも、前髪が決まらないのも、なにもかも健輔のせいだ。地獄の釜が開いたみたいに、憤りを感じ苦しい。

 苛立ちと空腹のせいで目が冴え、とうとう寝付けなかった。天窓から光が差す、もう朝か。大学をさぼるのもそろそろ潮時だ。授業についていけるか不安だし、心配する友人たちからのメールもなくなった。毎日通っていたのに、ずいぶん遠くなったものだ。それはそのまま、普通の幸せからの距離だった。

 

 最後のパチンコから日が経つにつれ、自分がどこに向かっているのか、心配でたまらなくなった。家賃の締めは近いし、金を入れなければ、保証人の父に連絡されてしまう。それは絶対避けたい。両親に幻滅されるくらいなら、金策することをもいとわない。

 現実問題として、ふりかけとなめ茸を白米にかけるだけの食事にも飽きてきた。数時間ですってしまった数万円が、悔やまれる。こんなに困窮した経験はない。仕送りは潤沢で、多少遊ぶ分には困らなかった。なのに私は、自分の暮らしとパチンコを天秤にかけるようになった。スリルを楽しむため、金をつぎ込むようになった。自分が招いた結果なのに、受け止め耐えることすらできない。

 

 健輔だけには頼りたくなかったのに。貧しい生活に耐えられず、ついに電話した。

「久しぶり」

「桃か」  

 着信拒否でもされているかと思ったがすぐ出てくれた。

「あのね」

「金か」

 こちらの状況を見透かすような彼の言葉に驚くがかまってられない。

「うん、お金」

「何に使うの」

 パチンコで負けて食べるにも困っているなんて言えずに黙り込む。

「切るよ」

 冗談言わないで。

「生活費」

「親御さんから仕送りたくさんもらってたじゃん。どうしたの」

「使った」

「普通使い切れる額じゃないだろう」

 また黙る私。

「切るよ」

 だから、待って。

「あの、パチンコ」

「は」

 聞き返された、察してほしい。

「パチンコで」

「うん」

「負けた」

 言った。

「マジか」

「こんな嘘吐くわけないでしょ」

「危ういところがあるとは思っていたが。桃お前やばいぞ」

「パチンコにはまってるのがやばいの?」  

「そんなこともわからんか」

 イラっとする。

「健輔もパチンコで私に金借りようとしたじゃん」

「お前、やっぱ別れて正解だったわ」

 はっ? なんで別れたときの話に飛ぶの。

「なにが言いたいの」

「ほんとにわからんのか。切る」

 待って。

「わからんの、ほんとに」

 泣きそうだ。彼の言葉が理解できなくて戸惑う。

「普通はわかると思うけど。しょうがない」

 あきれたようすだ。

「普通ってなによ」

「しょうがない。桃、明日十一時に大学のカフェテリアに来いよ」

 いきなりの提案に驚く私。

「わかった」

「約束な」

「うん」

 電話を切った。こんな展開聞いてない。


 定期を買っておいてよかった。財布がすっからかんでも大学に行ける。健輔の提案には驚いたが、正直嬉しい。万年床を畳んで押し入れにしまった。久しぶりに化粧をして、スカートをはき鏡を見た。おかしなところはない。電車に乗り、三駅目のF大学前で降りる。住まいは学校に近い。父が家賃が多少高くても、通学に時間を取られない物件を選んでくれたからだ。

 久しぶりにくぐる校門に緊張していた。賢そうな学生たちが校舎に吸い込まれていく。今日もみな勉強に励むのだろう。私がパチンコにはまっている間も、ここでは真っ当な日常が送られていたんだ。

 エントランスホールは明るく、そのまま集う学生の未来を予感させた。明日食べるものにも困っている私とは大違いだ。

 

 カフェテリアの入口で立ち尽くしていると「おい桃」と呼ぶ声が聞こえた。振り返ると健輔が手を振っている。彼の姿を目にし、懐かしさと愛しさを覚える。

「こっちに来いよ」

 彼は席を確保してくれていたようだ。

「ありがとう」

 ぎこちなく座り、健輔と顔を突き合わせる。

「なに頼む?」

「お冷汲んでくる。私持ち合わせないから」

「俺が持つよ。誘ったのは俺だから。それより本題に入ろうか」

「うん」

 こぶしをぎゅっと握った。

「なんでパチンコにはまったの」

 答えたくないけど、それは避けて通れないよね。

「健輔に振られて、むしゃくしゃして」

 言葉を濁す。

「むしゃくしゃしてパチンコにはまったと。因果関係がはっきりしないな。ちゃんと答えて」

「やけくそになって、パチンコ屋に入ってみたのが最初」

「最初か。じゃなんで通い続けたの」

 それは、なんでだろう。

「健輔に振られたから」

「答えになってない。振られたからってパチンコにはまるのか。仕送り受けてる身で、生活費まで使い込むなんて甘過ぎる」 

「甘いって、凄く辛かったんだから。きつかったんだから」

 私悪くない。 

「お前」

 健輔は異星人でも見るような表情を向ける。

「何」

 間違った言葉を発したかと不安になる。

「お前借金するって信頼を失くすことと同義なんだぜ」

「わかってる」

「わかってないから借りられるんだ。桃は自分で働いて金を稼ごうとしたことないよな。俺からみたら異常だ。そりゃあ唐突に別れ話をして、お前に辛い思いをさせたのは間違いない。だけど何かのせいにして、自分の人生から逃げるのは違うぞ。奈落に落ちるのは勝手だけどな」

 違う、違う、違う。逃げてなんかない。自分なりにちゃんと生きてきた、はず。なのに動揺するのはなぜか。健輔の言葉は、私の胸をまっすぐ何度も刺した。頭が激しく痛み、眩暈で視界がぐらつく。

「う」

 返す言葉がなかった。

「いくら必要?」

「さん、三万円」

「そうか。金を貸すには条件がある」

 お金を貸して貰える、安堵と情けなさが身体を満たしていく。

「条件ってなに?」

「バイトしろ。自分で稼ぐんだ」

 稼ぐ。自分で働いて稼ぐ。考えたこともなかったが、もう私には『働く』のコマンドしか用意されていなかった。


 帰って、健輔から借りた三万円を財布から出し見つめる。使いこまないように封筒に入れて鏡台の前に置いた。お金の価値についてぼんやり考える。思えばほしいものはなんでも買ってもらえた。同級生がバイトしていても、縁遠い世界だと思っていた。自分が働いて稼ぐなど選択肢になかった。だが、約束は約束だ。仕方なくネットで求人情報を検索する。自分にどの仕事が合うのかもわからない。とりあえず大学の授業に響かない時間帯で、未経験でも受け入れてくれる会社を探そう。身近なのは本屋のレジとコンビニの店員、このあたりか。働くには、まず履歴書を書き面接を受ける必要があるようだ。履歴書を書くのは抵抗ないが、面接を受けるのは気が重い。


 次の日曜日。とうとう近所のコンビニの面接日が来てしまった。髪を結んで、スーツを着てローヒールを履き、店に向かう。ひいきにしているコンビニなので、面接官の店長さんの顔も見覚えがあった。挨拶と世間話もそこそこに本題に入る。 

「この店で働こうと思ったのは、どうしてですか」

「未経験者に対して研修期間を設けていることが一点です。また家から近く、学生生活に影響がでにくいと考えたからです」

「では、どんな店員になりたいですか」

 どんな? 考えてなかった。頭の中が一瞬白くなる。脳細胞をフル稼働させる。

「わかりません。でも一生懸命働きたいと思っています」

 口をついて出た言葉は、的外れなものだったと思う。採用もされないだろう。だが嘘を吐かないで率直な思いを伝えられたので、満足していた。

 

  落ちたと思ったが、どうしたことか数日後採用の連絡があった。ついに近所のコンビニで働き始めた。先輩店員さんについて見習いとしてのスタート。先輩が丁寧に教えてくれるものの、煩雑な仕事に苦戦する。週三日、夕方から五時間の勤務。時給は九百八十円。五時間勤めて四千九百円。自分の仕事をするのはもちろん、周りを見て忙しい店員がいればヘルプに入る。こんなに大変な思いをしてお金って稼ぐんだ。

 くたくたになって帰宅し、健輔から借りたお金を取り出す。このお金はバイトしてたくさんの時間を費やして、彼が作ったものだ。その金を借りようなんてどれだけ虫のいい話だったか。ほんとに私は甘ったれだ。恥ずかしくて身体が震え始めた。

 初めてパチンコ屋に呼ばれて行ったとき、健輔は私に詫び、「五千円貸してほしい」と言った。私はいいよと五万円渡した。あのとき、彼がお金を受け取らず難しい顔をしていたのを思い出した。今ならその意味がわかる。金のありがたみも知らず、親からの仕送りを湯水のように使う。私は最低な奴だ。

 急いで彼に連絡をとった。

 

 翌日、カフェテリアで健輔と向き合う。

「どうした? 桃」

「健輔、お金返す」

「突然だな。大丈夫なのか」

「うん、足りない生活費は装飾品を売ってなんとかする。私が馬鹿だった」

 そうネットオークションだってある。自分でなんとかしなきゃ。

「馬鹿は卒業したと思うぞ」

「えっ」

「土壇場で気づけてよかったな」

「不幸なのは人のせいだって、自分の人生から逃げてた」

 泣きながら頭を下げる。

「桃、頭をあげろよ」

「ごめんなさい、健輔の気持ちきちんと考えたことなかった」

「俺も褒められた人間じゃないさ。ただ自分が選んだカードの落とし前はつけていきたい」

「人生って、凄く厳しいゲームなのかもね」

「そうだな。リセットできないから苦しくて面白い」

「健輔って意外とロマンティスト」 

「そうか? ま頑張れや」 

「ありがとう」  

 万感の思いを込めて言う。

「じゃ」

 片手を挙げて、彼は去っていった。

 

 電話が鳴る。母からだ。

「もしもし」

「あ、桃子ももこ元気にしてるの。近頃、連絡がないからお父さんと心配していたのよ」

「元気にしてる」 

「ほんとに?」

「うん、心配しないで」

「ならいいけど。困ったら遠慮なくいうのよ」

「お母さんありがとう」

「いきなりどうしたの」

「ううん、お父さんにも伝えてほしい」

「変な子ね」 

「それより、お母さんとお父さんは元気なの」  

「ええ、それはもう」

 楽しそうな母の声を聞きながら、笑顔になる。 

 

 人生は降りられないゲームかもしれない。それでも私は自分の人生を運に任せたりしない。最後の最後まで諦めない。


読んでくださりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ラストゲームを経て、『人生は降りられないゲーム』と言うまでの間で変わっていく主人公の心の変化が丁寧に描かれていました。 主人公が最後に強い眼差しで前を向く様子が目に浮かびます。 土壇場でも…
[良い点] 〉毎日通っていたのに、ずいぶん遠くなったものだ。それはそのまま、普通の幸せからの距離だった。 こういう言い回し好きです。 ある程度裕福で満たされた環境に小さい頃からいると、与えられるもの…
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