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返ってくる男

作者: 阿部直弼

脱字、誤字あったらご指摘ください。

 栄えている街。俺が住んでいる街だ。

 ここに来てからだ。

 俺はここに来てからやけに損をしている。感じがする、なんて曖昧な言葉なんかじゃ表現出来ない程損をしている。

 

 目覚まし時計が鳴った。

 その瞬間目が覚めたのだ。久しぶりだ。いつもは寝ているか起きているか分からない状態で目覚まし時計の演奏を聞き続けていたのだ。

 いやー、見事に爽快だ。冷たい水を浴びたい。

 さあ、目覚まし時計くん。押しますよ。完璧に目が覚めたこの俺は、もう君の演奏で苦しまなくていいんだ。

 じゃあ押すよ。

 手を開き、長方形のボタン目掛けて手の平を降ろす。

 俺、勝利の瞬間。

 押すか押さないかぐらいの距離、目と鼻の先で目覚まし時計の電子音は止まり、眠ったように動かなくなった。

 なんでだよ!押してねえよ!なんだよこのグダグダ感!

 枕を蹴っても収まらないこのイライラ。なんとかしてほしいが狭いワンルームの俺の家には俺とスヌーピーのぬいぐるみ以外は誰もいなかった。

 朝食の卵の殻を割ったら黄身が無かった。それはもう突っ込む気にもならない。

 

 こんな最悪の朝を迎えたのに、会社へと向かう俺は真面目だ。

 真面目で何が悪い。つまらないって言われるのは慣れたが、つまらないという女の意味が分からない。結婚したらつまらないが一番安定するって大学も卒業出来たのに分からないのか。まあ、人はどんな天才でも解明出来ない世界一の謎だからしょうがない。

 

 そんな事を考えていくうちにバスがバス停で停止する。

 上京してきた俺がまず最初に驚いたのがバスのシステムだった。

 俺の故郷のバスは後ろから乗り、整理券を受け取り、次が自分の降りるバス停だったら「とまります」ボタンを押し、金を払って前から降りるという流れだ。だが、東京はまったく違う。最初に前から乗り、金を払う。それで自分の降りるバス停だったらボタンを押して、後ろから降りる。運転手と乗客の冷たい視線がシステムに戸惑う俺を更に追い詰めたものだ。

 今は躊躇なくそのシステムに応じている。

 コンクリートジャングルに馴染んでしまう自分を見ると、人はものすごく単純だ。

 

 さて、ここで不思議に思う事がある。

 今、俺の前に並んでいる女性。何度も会っているからこそわかる。彼女は俺と同じバス停で降りる。会社は違うと思うが。

 彼女は180円を清算機に流し込む。時には両替機を利用して流し込む。何も問題はない。問題は何故彼女と同じバス停で降りる俺が、220円も払わなければならないのかだ。

 不思議に思いながらも俺は220円を清算機に流し込む。馴染んだから。コンクリートジャングルに。

「いつも悪いね、あんちゃん」

 何度も見るこの運転手。いつも俺を見て頭を下げる程度だったがついに話し掛けてきた。「いえ…」と軽く応じる。

「でもあんちゃんはいいよ、その分返ってくるから」

「返ってくる?」

「そうですよ」

 俺の問いに答えてきたのは前に並んでいた彼女だ。

「あなたは損する分返ってくるんですから」

 

 返ってくるって、何がだよ。

 

「『贅沢は敵』。戦時中に誰かが言った言葉だな。それを今の日本に広めるために考えた法律だよ。各県庁所在地に住んでいる人を一人ずつ抽選で決めて、損をさせるんだよ。『贅沢は敵』ていう考えを馴染ませるためにね」

 会社の先輩と昼御飯を喰ってる最中、相談したら先輩は詳しく教えてくれた。

 ちなみに俺の昼御飯は焼きそばが入ってない焼きそばパン。

「だからってさすがに焼きそばが入ってない焼きそばパンは無いですよ。ほらあ」

「ははは、黄身が無いのも笑えたしな」

「目玉焼きじゃないですよ」

「でもまあ、その分返ってくるからいいじゃん」

 また返ってくるだ。

 先輩の焼きそばパンがすごい美味しそうだ。くそ、奥に入っている紅しょうがが憎たらしい。

「何回も聞いたんですけど、『返ってくる』ってどういうことなんですか?」

「俺の場合は現金だったな。六千万よ六千万。スロットでもそんなに稼げないぜ」

 軽く自慢のような体験談を披露する。羨ましいたらありゃしない…?

「俺の場合って…先輩、なった事あるんですか?」

「ああ、去年にな」

 驚いた。

 確かに入社しだした頃、先輩はやつれていた。拒食症かと本気で心配していたぐらいだ。だが今はふくよかになり、逆にメタボで心配になる程だ。

「届いた瞬間はさすがに…」

 俺が先輩にそう聞くと、先輩の笑みがこぼれた。

「いやー、すげー旨いもん喰ったよ。回ってない寿司とかさ」

「本当ですか?俺なんか回る寿司屋のリールが壊れて回らない寿司喰いましたけど」

「ははは、得じゃねーか」

「どこがですか?」

 先輩と談笑してよかった。有り難い体験者だし、紅しょうがは床に二本落ちたし、もうどうでもいいや。

「ところで、いつ決まるんですか?その選ばれるのは…」

「三月の最初だよ。一日だったな」

「一日?」

 俺はカレンダーへと視線を移す。

 今日は二月二十八日だ。

「明日ですよ!明日俺は損から解放されますよ!」

「おお!よかったな!」

「六千万何に使おうかなあ」

「よっしゃ、今日飲みに行くか!俺の奢りだあ」

「ありがとうございます!」

 紅しょうがパンを飲み込み、残りの仕事を片付け、俺たちは居酒屋へと立ち寄った。

 

「おっしゃ、何でも頼めよ」

 居酒屋のメニューを片手に、先輩は太っ腹アピールをしている。テーブル席にいる女子大生四人組はこちらなど気にしていませんよ。

「じゃあ水割りで」

「おいおい、気遣うなよ。まだ貰った金残ってるんだぜ」

「いや先輩、『贅沢は敵』ですよ」

「ははは、だな」

 俺はボトルを頼みたかったが、明日来る六千万を何に使おうか考えていて、ずっと水割りを飲んでいた。

 

 気付けば終電まで残りわずか。

 駅に着いた時には、あと五分だった。

 俺は水割りを飲み過ぎて、今すぐにでも寝たい。だが、朝までホームレスみたいな事をするのは嫌だ。

 ホームまで全速力で走る。千鳥足状態の全速力は変な走り方だ。

 ホームに最終電車が到着した時に、俺はホームに着いた。間に合った…。俺は息を荒くしながら電車に乗る。

 そこには乗客が乗っていない。栄えてるのに珍しい。

「貸切だな…。贅沢だ」

 そう呟いた。まだ二月二十八日だ。

 走ったからなのか、酔いが少し覚め、イスの上で寝転び、ゆっくりと…目を閉じた。

 

「速報です。先程起こった電車の脱線事故で、身元不明だった男性の遺体が唯一この電車に乗っていた乗客である事が分かりました。尚、運転手は軽傷で済みました」

(完)



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