御前試合
聖龍童子で総督元帥になった、林王石と、八鹿の出会いを書いている作品です。
「閣下、私は林王石を推薦いたします。」
良く通る声が一軍府本殿に響いた。一瞬の沈黙を置いて、周囲がざわめいた。
「何を申すか、利尚殿。そなたの本気か。」
いち早く反応したのはもう一人の一軍副官、関赤雲であった。白髪に長い白髭の利尚に対して、赤雲は黒に近い褐色の髪と短い髭が特徴であった。
利尚は迷いのない表情で頷いた。その言葉に驚いたのは赤雲だけではない。一軍府に集まる上将たちの誰もが、そして仙孝もまた驚きの表情を隠せなかった。
利尚は美髭をしゃくりながら言う。
「驚くことはございますまい。それにこれは殿下もお望みのことではございますまいか。」
「それは…」
その通りではあった。しかし仙孝はそれが難しいということもわかっていた。だからこそ大っぴらにそのようなことを言ったことはなかった。
赤雲がまくし立てるように言った。
「わかっておるのか、利尚殿。林はたかだか什長。しかも平民ぞ。平民を龍王陛下の御前に出すなど前代未聞のこと。一軍の恥ではないか。」
龍軍は総督元帥を筆頭に、五人の将軍がそれぞれ常時五千の軍勢を持つ。将軍の下には二人の副官、その下に十人の上将。その下に五人の校尉、その下に五人の什長、二人の伍長。その下に四人の兵卒が付く。他に下には雑役があるが、非常時の徴兵でありこれは武官に数えない。
王石は什長。即ち十人の兵士の指揮官である。大学武科卒業者であれば二十三で位階七位の龍軍什長は妥当なところと言えたが、問題は彼が平民であると言うことだった。
王石は二十歳で羅軍の伍長だった。その時、仙孝の目に止まり、龍軍伍長とされたのだ。大学卒業者での羅軍従軍は珍しい。普通は中央軍である龍軍に配属されるものだが、どこからかの圧力で、平民の王石が羅軍に配属されたことは想像に難くない。現に王石を龍軍に異動した時も、一番に反対したのは利尚その人であった。
だからこそ、仙孝は驚いたのだ。
利尚は名族孫氏の出身である。前真国侯の子であり、れきとした龍王族である。それ故に誇り高く、平民が将官となることを快くは思っていない節があった。
「まさか、利尚殿からそのような言葉を聞くとは…」
同じく王族の赤雲、そして王族と貴族で占められた上将達が困惑するのは当然であった。
「では、逆に尋ねるが、一対一の剣戟で、王石に勝てる者がこの軍におるか。」
利尚は赤雲に向かって言った。そして、上将達を見回した。
「おると言うのなら喜んで、私は前言を撤回しよう。」
詰め寄られて赤雲は沈黙した。
「出たければ、そなたらが出れば良かろう。仮にも軍の上将、副官。強き者の集まりのはず。必ず勝てるならば私は文句を言わぬ。」
沈黙は上将達にも広がった。利尚は自嘲の笑みを浮かべた。
情けないことだ。この中には龍王族もいる。それでも、誰も確信を持って林王石に勝てると言えぬ。
「一軍は龍の皇子を筆頭に頂く軍ぞ。けして、陛下の御前で醜態を晒すわけに行かぬ。だからこそ、実力のあるものが試合をすべきだとは思わぬか。」
沈黙は全体に広がった。誰もが苦虫を噛み潰したような表情であった。
「相分かった。」
仙孝は場を制する様に言った。
「一軍からは槍術、恩全統、孫正真。剣術、旅壮英、林王石を出場させる。以上だ。」