第八話 最強の陰陽師、話しかける
その日の夜。
晩餐が済み、屋敷の灯りも落ち始めた頃。なんだか喉が渇いて、井戸へ向かおうと外に出ると……月明かりの下、庭で剣を振るグライの姿を見かけた。
稽古中なのか。真剣な様子で、ぼくに気づく気配もない。
「熱心だね、グライ兄」
「あ……? なんの用だよ、セイカ」
汗を拭いながら鬱陶しそうな目を向けてくるグライに、ぼくは困った。
なんで話しかけたのか、自分でもよくわからなかったからだ。
「……別に。そうだ、相手になってあげようか。剣術ならまだ少し覚えてるよ」
「バカ言うな。お前の剣なんざ稽古の相手にもならねぇよ」
だろうなぁ、とぼくは思う。
前世の一時期、呪いの才に乏しかった弟子に付き合って、高名な武者に太刀の流派を習っていたことがあった。
いくつかの技を伝授され、それなりにはなったのだが……結局師匠には遠く及ばなかったし、弟子にもあっという間に追い越されてしまった。ぼくに剣の才はなかったのだ。
腕の錆び付いた今となっては……いやあの頃のぼくであっても、きっとグライの相手にはならなかっただろう。
「グライ兄には剣の才があったんだね」
「なんだ、お前? 気色悪ぃな」
「誉めてるんじゃないか。なんといっても、あの皇女の聖騎士に選ばれたくらいだ」
「……はっ」
グライがそう言って、傍らに置いてあった水筒の水を飲む。
聖騎士とは、フィオナのそばに控える魔法剣士たちのことだ。
本質はただの護衛兵で、人数も十に満たないが、その力は精強無比。数々の刺客や、強大なモンスターを討ち取ってきた……と、吟遊詩人たちには歌われている。
フィオナが視察の最中に東方の駐屯地を訪れた折。グライを一目見て新たな聖騎士に選んだのだと、ルフトからの手紙に書いてあった。
ただ、正式な任命は宮廷で行うらしく、そのためには帝都まで帰る必要がある。
自分の軍団から聖騎士が選ばれるのは大変な名誉……ということで、軍団長であるペトルス将軍の一声がかかり、グライが自分の小隊を率いて帝都まで護衛することとなった。
今はその途中、兵とフィオナの休養がてら、実家のあるランプローグ領に滞在している……というのが、ルフトから聞いていた今回の一連の経緯だ。
短い沈黙の後、グライが口を開く。
「あいつの護衛が、なんで聖騎士なんて呼ばれているか知ってるか」
「……? さあ」
「あいつ自身が広めたんだ。民衆の耳に心地良い、詩人に歌われやすい呼び名をな。要は、政治広報の一環だ」
「……外面だけで、中身が伴ってないってこと?」
「そうじゃねぇよ」
と言って、グライが水をもう一口飲む。
「あいつらの実力は本物だ。おれなんて最底辺だろうよ。あいつの侍女に二人、やべぇのがいただろ。今朝フィオナを止めてた奴らだ。行軍の途中、稽古とか言われてあいつらに叩きのめされたよ。あれで序列が下の方ってんだから、どれだけ恐ろしい奴らなのかわかんねぇよ」
「へぇ、全員帝都に置いてきたのかと思ってたけど、違ったんだ。侍女にね……」
そういえば、立ち居振る舞いがそれらしかった気もする。
「ふうん……で、つまり何が言いたいの?」
「おれが選ばれたのは、おそらく実力じゃねぇ。あいつの……何か、思惑があってのことだ。あいつは政治家だからな」
「……政治家」
ぼくはグライの言葉を反芻する。
「あまり、そうは見えないけど」
「見えないってだけだ。あいつがいつのまにか軟禁生活を脱して、世間にその存在が広まり、皇位継承の話題に名前が上がるようになってきたのが、ただ偶然だと思うか?」
「……全部、彼女が意図したことだと?」
「そうだ。聖皇女という呼び名や、庶民の印象も含めてな。あいつが自分で説明していたよ」
「……あの年齢でそこまで成し遂げたのなら、普通じゃないな」
ぼくは静かに言う。
「政に対する天賦の才があったと言ってしまえば、それまでかもしれないが……」
「それだけなわけねぇだろ。才能でどうにかなる域を超えてる。特に、聖騎士とかいうやべぇ奴らをあれだけ集めるなんて芸当は」
「……才能でないならなんだって言うんだよ」
グライが、一つ息を吐いて言う。
「託宣の巫女を知っているか、セイカ」
「……いや? 帝都の中央神殿にでもいるの?」
「違う。聖堂とは無関係の、かつていた一族だ。数百年に一度……勇者と魔王の誕生を予言する」
「……!」
「あいつの母親は、その末裔だった。聖皇女には託宣の巫女の血が流れている」
グライが言う。
「あいつには、未来が視えるんだ」
****
「未来が……?」
「そうだ」
問い返すぼくに、グライが続ける。
「頭に浮かぶんだとよ。ある時、ある場所、ある場面の、自分が見ている光景と記憶が。昼間に街で建物が倒れてきただろ。今思えば、あいつはあの場面を視てたんだろうよ。なんの意味があったのかは知らねぇが、だからわざわざあんな場所へ行こうとしたんだ。それと……お前が帰ってきた日、おれが負ける光景も、おそらくな」
「……そんなことは起こらなかったじゃないか。グライ兄が、突然やめるって言い出したから……」
「未来は変わるんだとも言ってたな。考えてみれば当たり前かもしれねぇが」
ぼくはしばし思考を巡らせ、口を開く。
「勇者と魔王の誕生を予言する一族……と言ったけど、それはあのおとぎ話に語られる巫女のこと?」
「ああ。おとぎ話ではなかったがな」
「なら妙だ。あの話に出てくる巫女に未来視の力などなかったはず。勇者と魔王の誕生を、ただその直前に察するだけの力だったはずだ」
「知らねぇよ。皇族は魔法の才に恵まれてるからな。そっちの血と合わさって、どうにかなったんじゃねぇの」
「今の話はすべて、皇女本人から聞いたことなのか?」
「ああ、そうだよ」
グライが言う。
「あいつの母親が託宣の一族の末裔だったことは、誰も知らなかった。ただあいつを産むまさにその時……予言したそうだ。勇者と魔王の誕生を」
「……」
「そのせいか知らねぇが、あいつの母親はそれからすぐに死んじまった。あいつはそれを、育ての親から聞いたらしい。それで覚ったんだとよ、自分の力がなんなのか」
グライは続ける。
「初めは母親の予言の方も、子を産む苦しみの末の妄言と思われていたそうだ。だが帝国の諜報の結果、事実だとわかった。魔族の側でも同じような情報が出回っていたからな。もっとも、向こうはなぜか魔王の誕生は知らないようだが」
「……」
「あいつがしばらく軟禁されていたのは、そういう事情もあったんだろうぜ。帝国が今、唯一把握している託宣の一族だからな。未来視の力は想定外だろうが」
「……それが本当なら、あまりに出来過ぎている。偶然とは思えない。皇帝は、フィオナの母親が託宣の一族であると知っていたとしか……」
「どうだかな。普通に考えればあり得ねぇが……あの皇帝なら、全部狙ってやったんだとしても不思議はねぇな」
ぼくは、少し考えて訊ねる。
「帝国や聖皇女は、わかってるのか? 勇者や……魔王が、誰なのかを」
「おれがそこまで知るわけねぇだろ」
グライが吐き捨てるように言う。
「あいつは、勇者と魔王が生まれた時には赤ん坊だった。だから本来の託宣を受けたわけではないだろう。ただ……あいつは知っているだろうな。その未来視の力で」
「……」
「あいつがあれほど、単なる学生に会いたがるなんて妙だと思ったが……剣を受けてわかった。あのアミュとかいう女が、勇者ってことなんだろうな。……なんだよ、怖ぇ顔しやがって。その様子だとお前も知ってたのか?」
「……いろいろあってね」
目を伏せるぼくに、グライが告げる。
「あまり首を突っ込むんじゃねぇぞ、セイカ。勇者や魔王なんてものに」
「……グライ兄が心配してくれるだなんて、おかしなこともあるもんだ」
「違ぇよ」
グライがぼくを睨んで言う。
「あいつの邪魔をするんじゃねぇってことだ。あいつはあれでも、帝国の未来を見据えている」
「……帝国の未来、ね」
政治家だけあるということか。
ぼくはふっと息を吐いて言う。
「首を突っ込むなと言う割りには、ずいぶんべらべらと喋るじゃないか。そんなことまで話してよかったの?」
「別に構わねぇよ。どうせこの程度のことは、あいつはいずれ民に広めちまうだろうからな。疑うなら本人に聞いてみればいい……いやっ、だが、あの侍女どもには絶対言うなよ。おれがぶっ殺されちまう」
「グライ兄も、いろいろ考えていたんだね。意外だよ。美人に仕えられて浮かれてるとばかり思ってたけど」
「はっ、くだらねぇ!」
グライが忌々しげに、剣を振りながら言う。
「女なんてクソだ!」
「ええ……」
ぼくは困惑する。
何があったんだろう……こいつも極端だな。
「セイカ、お前も気をつけろよ。おれには破滅に向かっているようにしか見えねぇぞ。あれだけ女を侍らせて……」
「き、肝に銘じておくよ……でも、それならなんで、グライ兄は聖騎士の誘いなんて受けたのさ。話を聞く限り、そのまま駐屯地にいた方がよかった気がするけど」
「最初は栄転だと思ったんだよ。こんなめんどくせぇ事情があるなんて予想できるか」
「へぇ……じゃあ、どうする? 今ならまだ辞退も間に合うんじゃない?」
「間に合うわけねぇだろ、ボケ! それに……辞退なんてするかよ」
グライが、視線を彼方に向けて言う。
「あいつの視ている未来が気になるからな」
****
「セイカさま」
部屋に戻ると、頭から顔を出したユキが話しかけてくる。
「あの者の話は本当でしょうか。あの者は、セイカさまに恨みがあるものと思っておりましたが……」
「少なくとも、嘘をついているようには見えなかったな」
わざわざそんなことをする理由も思いつかない。
ただ……。
「フィオナの力は、ちょっと信じがたいけど」
「未来が視えるという力でございますか?」
ユキが不思議そうに言う。
「なにゆえ……? その程度のことは、セイカさまも占術でなされるではございませんか」
「占いと未来視は別物だよ」
ぼくは説明する。
「命占も卜占も相占も、導けるのは特定の物事に対する特定の結果だけだ。たとえば生まれの星から宿命を見たり、亀甲の割れ方から縁起を判断したり、家や都市の構造から吉凶禍福を予想したり、とかね」
「未来を視るのと何が違うのです?」
「事前に情報や道具や知識が必要で、しかもわかることが限定されるんだよ。それに方法論が確立されていて、学べば誰でも使えるし、他人に教えることができる。未来視は、これとはまったく違う」
ぼくは続ける。
「情報も道具も知識も何もないところから、いきなり未来がわかる。方法論なんてものはなく、誰かに教えることもできない。魔術師の叡智からは隔絶した、超常の力だよ」
「はぁ、それは……管狐の予知に近いようなものでしょうか」
「管狐の予知も、厳密には占術だ。近いのは……西洋に伝わる預言者か、妖では件だろう」
「件、でございますか……」
人の頭に牛の身体を持った、人語を話す妖。
生まれてすぐに重大な出来事を予言して死に、それは必ず当たるという。
「話には聞くものの、ユキも見たことはございませんが」
「実は一匹持ってるけどな」
「ええっ!? どうやったのでございますか? たしかあれ、予言をしたらすぐに死んでしまうはずでは……」
「件の誕生を予言した件がいたんだ。丹後国にある村だということだったから、しばらく逗留して牛が産気づくたびに近くに張り付いてた」
「よくそんながんばりましたね!?」
「で、本当に生まれたから、何か喋る前にすぐ封じたんだ。悪いが見せることはできないよ。位相から出したら予言して死んでしまうからね」
「いえそれは別に、結構ですが……」
ユキは呆れ気味にそう言ってから、気を取り直した風に頭を上げる。
「それはともかく、どうされますか? あの姫御子は、セイカさまの脅威となりうるでしょうか……」
「いや……大丈夫だろう」
ぼくは言う。
「未来視と言えど、万能とは思えない。預言者も件も、自在に未来を視られるわけではないからね。そもそもぼくが力を振るうような真似をしなければ、そのような未来も来ないはずだ。政治家だというのは厄介だが、まあ――――」
ぼくはふっと笑う。
「深く関わらなければいいだけだろう」





