第四話 最強の陰陽師、会食する
聖皇女というのは、正式な称号ではない。
その生まれから、市井の人々がフィオナをそう呼び交わしているだけだ。
ウルドワイト帝国では、古くから伝わる多神教が国教となっている。
日本の神道や、古代ギリシア神話の信仰に近いものだ。
普段の生活で意識することはないが、帝都には総本山にあたる巨大な中央神殿が置かれていて、年に一度大規模な祭典が催される。
神殿に仕えるのは巫女だ。
俗世から隔たれて生活し、限られた場所でしか人前に姿を現さない彼女らは、人々から畏敬の念を抱かれている。
前世の宗教でもしばしば見られたように、神官、特に女神官には純潔が求められる。
姦淫はいずれの側も死罪。
有罪となった記録は数えるほどしかないが、判決に例外はなかった。
十五年ほど前、一人の巫女が子を孕んだ。
本来ならば死罪となるはずだったが、これまた前世でもしばしば見られたように、妊婦は罪が免除される慣習がこの国にはあった。
神殿からの追放。彼女への処分はそれで済んだ。
しかし、相手の男は別だ。死罪は免れない。
審問官が連日の執拗な尋問の末に聞き出した名前は、驚くべきものだった。
現ウルドワイト皇帝、ジルゼリウス・ウルド・エールグライフ。
ウルドワイトの皇帝は、神官の長である最高神祇官の職も兼ねている。
よく言えば守られている、悪く言えば自由のない巫女に手を出すことも、まあ不可能ではなかった。
問題は――――誰も皇帝を裁けないことだ。
帝都に常駐する近衛隊を含めた全軍の指揮権を持ち、自前の諜報部隊を飼う皇帝を、拘束できる者などいない。
議会は当然紛糾した。
しかし裁判への出頭拒否を糾弾していた議員が不審死を遂げ、さらには担ぎ上げられそうな次期皇帝候補がちょうどいなかったこともあって、皇帝の罪はうやむやになり、やがて消えてしまった。
そうした騒ぎが一段落ついた時期に、フィオナは生まれた。
残念ながら母親は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまったが、代わりに本来ありえないはずの、神殿の巫女の血を引く皇女が誕生した。
聖皇女フィオナ。
生まれの経緯もあってずっと軟禁生活を送っていたようだが、ここ数年で民衆に名が知れ渡るようになって、皇室でも存在感を見せてきているという話だ。
禁断の恋の末に生まれた巫女姫。
市井の人々が抱くイメージはこのようなものだが……。
「生まれ変わったら、空を飛びたいですわね」
と、突然こんなことを言っては、晩餐の席を凍らせるのだった。
「……」
見事に、誰も何も言わない。
燭台や花瓶で彩られた食卓には、父上に母上、ルフトにグライにぼく、あとはアミュらが着いていたが、反応に困る気まずい空気が流れていた。
仕方なく、ぼくが口を開く。
「それならば、南方の森に棲む鳥がおすすめですね。餌が豊富で外敵が少なく、見た目も色鮮やかで綺麗ですよ」
「それでしたら、以前商人が扱っているものを一度見たことがありますわ。でもせっかくですし、次の生はもっと強い存在になりたいものです。ドラゴンのような」
「ドラゴンの生も、なかなか大変そうでしたよ。アスティリアで見た限りでは」
「まあ。あの有名な? そのお話、もっと聞きたいですわ」
「ぼくが夏に……」
話しながらちらと食卓を見回すと……グライが、おいおいこいつマジかよ、みたいな顔でぼくを見ていた。
まあ、わかる。
フィオナはこう……控えめな言い方をすると、かなり不思議な感じだからな。
面倒がっていたぼくが、積極的に相手を買って出ているのが意外なんだろう。
グライはどうも気に入られているようだし、普段から話し相手にさせられてうんざりしていそうだ。皇女殿下相手にあんなぞんざいな態度なのもそのせいかもしれない。
この人、不思議な割りにけっこう喋るからなぁ……。
「まあ、イーファさんも一緒でしたのね。気になっていたのですけれど、お二人はどのような関係ですの?」
「ぶっ! ゲホッゲホッ!」
突然話を振られたイーファが咳き込む。
そう。
実は晩餐の席には、イーファも一緒に着いていた。
自分は奴隷だからいいと固辞するイーファに、今はセイカの同級生で客人だからと、ルフトが強引に参加させたのだ。
もっともこの空気を見るに、それがこの子にとってよかったのかは微妙だ。
もしかしたら、ルフトが犠牲者を増やしたかっただけな可能性すらある。
「え、ええええと、わたしはセイカくん、様の従者で、奴隷なのでその……それだけ、です」
緊張でしどろもどろになるイーファに、フィオナはおかしそうに笑う。
「うふふ。セイカくん、と呼んでいるの? 自らの主人を?」
「いえっ、あ、あの、昔からそうで……」
「なんだかかわいらしいですわ。うふふふ……大事にしてあげなさいな、セイカくん?」
「からかわないでください」
そこで、フィオナがふと話題を変える。
「それはそうと、学園は奴隷も等しく受け入れているのですわね。実力主義とは聞いていましたが、本当でしたのね。アミュさんとメイベルさんも、平民の生まれにもかかわらずよい成績を修められているようですし」
言われたメイベルとアミュが、やや不思議そうな顔をした。
「そう、だけど……」
「あたしはともかく、メイベルが平民の生まれだなんて言った?」
「あら……? クレイン男爵家へ、養子に入られて……わたくしの思い違いだったかしら。ごめんなさい。気分を害されたのなら謝りますわ」
「……別にいい。養子なのはほんとう」
「あと、こいつは別に成績よくないわよ」
「……! アミュに言われたくない。実技たくさん取って誤魔化してるだけのくせに」
「誤魔化してるってなによ」
「魔法学園の実技とは、どのようなことをなさるのですか?」
女子らの間で話が弾み出すのを見て、ぼくは自分の食事に戻る。やれやれ。
「セイカ」
と、今度はブレーズから声をかけられて、ぼくは頭を上げた。
今生の父は、特に笑いもせず言う。
「変わりないか」
ブレーズとは、タイミングもあってまだあまり言葉を交わせていなかった。
ぼくは笑顔を作りながら答える。
「ええ。壮健にやっていますよ、父上」
「アスティリアの件はご苦労だった。報告書もよくできていた。モンスターを専門とする学者の間では、一時話題になっていたようだ」
「ありがとうございます。学園で学んだ甲斐がありました」
「学園は……今も良い場所か?」
「……? ええ、良い場所ですよ」
「そうか。ならばいい」
ブレーズは、そう言ったきり黙った。
相変わらず言葉の少ない男だ。
「もう少しまめに手紙を書きなさい。ここにいては、ロドネアの様子がなかなか伝わってこないのだから」
ぼくは、驚いて匙を取り落としそうになった。
今はもう自分の皿に目を落としているが……確かにさっきかけられた声は、そこにいる母上のものだ。
転生してからずっと、ほぼ完璧に無視され続けてきたのに。
「は……はい。母上」
とりあえず、それだけ返すのが精一杯だった。





