第三話 最強の陰陽師、悪目立ちする
カレン先生は、予定より半刻(※十五分)ほど遅れて講堂に現れた。
長い黒髪の、落ち着いた妙齢の女性だが、今日ばかりは慌ただしげだった。
「ご、ごめんなさい、少し遅くなっちゃいました。みなさんの中には知らない方も多いかもしれませんね。実はこの時期になると、帝国の北方から氷が売り出されるようになります。ロドネアの菓子店はそれを使って……」
カレン先生はそこからさらに半刻ほど、ロドネア名物氷菓子の概要と、老舗菓子舗の商品を買うのがどれだけ難しいか、自分がそれを手に入れるのにどれだけ苦労したかを語り、授業はたっぷり一刻ほど遅れて始まった。
「今日は闇属性魔法の中でも、かなり特殊な分野となる『呪い』について説明します。有名なのは……」
カレン先生の講義は、なかなか興味深いものだった。
こちらの世界の『呪い』は、大きく二つに分類されるという。
一つは剣や鎧、装飾品などに術を施し、使用者に害を与えるもの。いわゆる呪物だ。
もう一つは相手に直接呪いをかけるもの。対象の体には呪印が浮かび、たいていは強力な効果を持つ。
……はっきり言って、どちらもめちゃくちゃ扱いにくそうではある。
呪われた物品は前世にもあったが、ほとんどが偶然の産物だ。狙って作って、どうするんだろう? 呪いたい相手に贈るのか?
後者は強そうではあるが、なんと呪いをかけるには近づかないとダメだという。もうそれ、弓か剣でいいだろ。物理的に殺せるよ。
こちらの世界での『呪い』がマイナーなのもうなずけた。
現に闇属性の魔法演習教官であるカレン先生も、呪いは専門外らしい。
四属性魔法は対モンスターに特化しすぎているようで、そもそも前世の魔術とはコンセプトがだいぶ違う。
前世の魔術は『呪い』こそが主役の一つだった。
はるか遠くから、病に偽装し、確実に殺せる術を行使できる。
いくつか欠点はあるが、対人に限ればこれほど強力な術もない。
文化が違えば魔術も違うんだな。
「そろそろ時間ですね。今日はこの辺で終わりにしたいと思います」
授業はキリのいいところで終わったが、絶対予定通りには進んでいないと思う。
次の授業に向かうべく皆が筆記具を片付けだした辺りで、カレン先生は急にこんなことを言いだした。
「あと、みなさんに連絡があります。十日後の講義はすべて休講です。毎年その日は開校記念の式典が開かれることになっていますので、みなさんはお休みということですね」
講堂内がざわつく。
歓声を上げる者もいた。
式典か。たぶん貴族や役人なんかを呼ぶ、お偉方向けのものだろうな。
「ただ、二名の生徒にはお手伝いをお願いします。アミュさんとイーファさん」
「え、わ、わたし?」
隣で驚いたような声が上がった。
カレン先生はにこやかに続ける。
「首席と次席合格者の二人には当日、祝賀会に先駆けて、今年入学した生徒たちの名を記した羊皮紙をロドネアの森にあるほこらへ収めてきてもらいます」
森にあるほこら?
「みなさんもご存知でしょうが、ここ学園都市ロドネアの興りは、希少な薬草の宝庫であるロドネアの森と、その傍らに居を構えた大賢者とその弟子たちです。森の奥には太古の昔この地に住んでいた者たちの神殿跡があり、様々な薬草は人為的に集められたものではないか、それらを育んでいるのは遺跡に残されたなんらかの魔力源ではないか……などと言われてきました」
先生は続ける。
「真偽の疑わしい話ですが、大賢者とその弟子たちは、神殿へ最大の敬意を払っていました。やがて学園が創立してからもその理念は受け継がれ、今でも毎年式典の折に、新入生の成績優秀者が礼拝に向かうことになっているんですよ」
「礼拝って、具体的になにをすればいいわけ?」
アミュが頬杖をつきながら声を上げる。
「先ほど言ったとおりですよ。新入生の名を記した羊皮紙を、神殿跡のほこらに収める、それだけです。礼拝と言ってもあくまで形式的なものですからね。それから去年の羊皮紙を持ち帰って終わりです」
「神殿があるのは森のどの辺り?」
「少し時間はかかりますが、問題なく歩いて行ける距離です。それほど心配しなくても大丈夫ですよ、アミュさん。毎年の行事ですから」
「そう。ならよかったわ」
アミュが目を閉じて言う。
なんだろう、意外と慎重な性格なのか?
でも……わからなくもない。
森とは本来危険な場所だ。
管理されたロドネアの森は、おそらくは数少ない例外なんだろう。
ただ、今は魔族の襲撃があったばかり。こんなタイミングでガレオスの拠点があったあの森に入るというのは、どうもいやな予感がした。
そして、そもそも懸念していることもある。
そうだな。ここは……、
「でも伝統ある行事で、とても名誉なことなんですよ。当日は……」
「先生」
ぼくは手を上げて、先生の話を遮った。
「あ、はい。なんでしょう、ミスター・ランプローグ」
「どちらかが辞退したときは、片方が一人で森に入るんですか?」
「いえ……そのときは三席の生徒に代理をお願いすることになるでしょうね。ロドネアの森にも一応弱いモンスターが生息していますから、一人というのは……」
「なるほど。ありがとうございます」
ぼくはイーファに顔を向け、あえて周りに聞こえる声で言った。
「イーファ。辞退しなさい」
講堂がざわめいた。
イーファは一瞬ぽかんとして、少し考えた後に悲しそうな声音で言う。
「え、で、でもセイカく、様。わたし、できれば……」
「聞こえなかったか? 辞退しなさいと言ったんだ」
「……わかりました」
イーファは立ち上がり、カレン先生に向かって頭を下げる。
「先生、ごめんなさい。そういうわけで、わたしはお引き受けできないです」
「……何あれ」「式典なんかそんなに出たいかよ」「奴隷に負けたのが悔しいんだろ」「貴族の恥さらし」「妾腹の魔力なしが……」
ざわめきが大きくなる。
カレン先生も眉を顰めていた。
「ミスター・ランプローグ。そのような行いはあまり感心できませんね」
「伝統ある行事なんでしょう? なら奴隷にやらせるべきじゃない。三席のぼくが代理を引き受けますよ、先生」
ぼくはそう言って席を立ち、講堂を後にする。
その後ろを、イーファが慌てて追った。
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「ごめんねイーファ。式典出たかった?」
「ううん。別に」
外の道を歩きながらイーファに訊いてみると、いつもの調子で首を横に振った。
「なんだかセイカくんが悪目立ちしたそうだったから、乗っかっただけだよ」
「ああ、やっぱり汲んでくれてたんだ」
勉強教えた時から思ってたけど、この子賢いんだよなぁ。
「ねえ、どうしてあんなことしたの? セイカくん、式典なんてぜったいどうでもいいと思ってるでしょ」
「ぼくってそんなイメージだった? その通りだけどさ」
「やっぱり……アミュちゃんのため?」
イーファがややためらいがちに言う。
「わざと悪目立ちして、アミュちゃんがこれ以上いろいろ言われないようにしたの?」
「まあそれも理由の一つかな」
「……」
イーファは少し黙って、それからぼそぼそと訊ねる。
「……セイカくんて、ああいう子が好みだったの?」
「えっ?」
「ずっとアミュちゃんにこだわってるから……美人だもんね。すらっとしてて、髪もきれいだし……」
ぼくはしばらく呆気にとられた後、思わず笑ってしまった。
「違う違う。ただ友達になりたいだけだよ」
「どうして? あの子偉い貴族でもないし、あとひどいこと言うし……」
「それは……」
ぼくは少し迷って、正直に言うことにした。
「強いからさ」
「……」
「イーファも見てたんだろ? あの子がレッサーデーモンを倒すところを。あれほどの才は、たぶんこの世界に数少ない。仲間になりたいんだよ。ぜひともね」
「……わたしじゃ、だめ?」
「ん?」
イーファが思い詰めたように言う。
「わたしだって強くなれるよ! なんだかそんな予感がするの。精霊も少しずつ集まってきてるし、難しいお願いも聞いてもらえるようになってる。いつか、きっとすごいことができるようになる気がする。アミュちゃんにだってきっと負けないから……」
ぼくは足を止め、イーファに向けて笑って言う。
「悪いけど、イーファじゃあ力不足かな」
「っ……」
「君は想像できるかい? 自分が多くの人に称えられ、恐れられ、その強さにすり寄られる姿を。あの子は、いずれそうなる。それだけの才能があるんだ」
「……そっか」
イーファは小さくそう呟いて、いつもの笑みを浮かべた。
「……じゃ、わたしも協力するね。女子寮で一緒だから、なにかきっかけがあるかもしれないし」
「ああ。お願いするよ」
「でも……もうさっきみたいなことは、できたらしないでほしい、かな。セイカくんが悪く言われてるのは、聞いてていやな気持ちになるから……」
「ん……わかったよ。イーファの評判にも関わるしね」
そう言って、柔らかな金髪を撫でてやる。
ああいう悪目立ちは、実は嫌いではないんだけど……ぼくの悪い癖だな。
「ちなみに、残りの理由ってなに?」
「ああ。イーファが断っても文句言われないようにするためと、あの場で話を済ませたかったから。それと……」
ぼくは言う。
「またなにか起きそうな気がするんだよね」





