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第二十三話 最強の陰陽師、出立する


 山頂からぼくは、歩いて下山することにした。


 異変の影響が残っていないか、確かめるためだったが……案の定、霧はその影すらも残っていなかった。

 それどころかモンスターも消えており、道中で見かけるのは鳥や獣ばかりだ。


 しばらく歩き、異変の影響が欠片も残っていないとわかってもなお、ぼくは自らの足で山を下り続ける。

 一昼夜歩き続け、朝日が昇り始めた頃……ぼくはようやく、里にたどり着いた。


 もうすっかり、雪は解けていた。

 住民が起き始めた朝の里を、まっすぐ神殿に向かって歩いて行く。


 そして、


「……」


 洗濯物を干している彼女の姿に、ぼくは足を止めた。

 彼女は初め、ぼくに気づいていないようだった。

 だが、顔を上げた拍子にぼくの姿を認めると、その目を大きく見開く。


「……セイカ!」


 洗濯籠を置いて、メローザが駆け寄ってくる。

 足を止めた彼女は、ぼくをわずかに見上げ……穏やかな笑みとともに言った。


「おかえり、セイカ」


 答えようと、口を開きかける。

 だが言葉が出てこず、代わりに一度だけ、彼女の目を見ながらうなずいた。



****



 出立の日は、あっという間にやって来た。


「もっと居なくてよかったわけ?」


 神殿の前の道にて。

 出立にふさわしい晴天の下、大きな背嚢を背負ったアミュが、気遣うように言う。


「あたしたちは一冬過ごしたけど、あんたは山に行ってたせいでほとんどここに居られなかったじゃない」


 ぼくが山から下りた時、里では数ヶ月もの時が経っており、すでに春になっていた。

 そのため、確かにアミュたちに比べれば滞在期間はずっと短かったのだが……。


 ぼくは半眼になって言う。


「それでも、けっこう長く過ごしたぞ」


 主に、区長二人に引き留められていたせいだが。


 山を下りた後、ぼくはまるで英雄扱いだった。

 神殿にはぼくを目当てにひっきりなしに人が訪れ、家族が目覚めたと礼を言われたり、握手を求められたりした。

 さらに、それに飽き足らなかった住民たちは、連日のようにぼくの名前を叫びながら夜通し騒いでいた。初めて訪れた時に感じた、穏やかで静謐な雰囲気はもうどこにもなく、そこにあるのは住民が祭日に騒ぎまわるありふれた集落の光景だった。


 聞いたところによると、まだ冬が明ける前に霧は消え去ったらしい。

 てっきり霧と時空間異常は同時に収まったと思っていたのだが、どうやら後者の影響はしばらく残っていたらしく、ぼくだけ時間の流れに取り残されていたようだ。


 霧が消えた当初、住民たちは戸惑い、一時的なものだろうと思ったのだという。

 だが少しして、眠っていた者たちが目を覚まし始めると、ようやく異変が終わったことを悟ったのだそうだ。

 住民たちは喜んだが、冬だったこともあってあまり大きく騒げなかったに違いない。雪解けとぼくの帰還をきっかけに、溜まっていた喜びが爆発してこんなことになったらしかった。


 セゼルテ区長は、幸いにも早いうちに目覚めたようだった。

 眠っていた時の記憶はないのだという。

 だが、それを語る表情にはどこか寂しげな色があった。


 実際のところ、まだすべての住民が目を覚ましたわけではない。セゼルテ区長の娘などもそうだ。

 だが異変の影響が失われた以上、遠からず残った者たちも目覚めることだろう。

 それまで眠っている場合ではないと、彼女は冗談めかして言っていた。


 ちなみに異変の真相については、誰にも話していない。

 訊かれた際には、ただ魔術的な原因を取り除いたとしか説明しなかった。

 アミュの耳に入れば戸惑わせてしまうかもしれない。剣や魔法の才を引き継いでいても、記憶も人格も異なる彼女は、勇なる者とははっきりと別人だ。前世の悲痛な出来事なんて、わざわざ知る必要はない。

 それになにより、すべては終わったことなのだ。亡国の女王の秘密を、触れ回る気にはどうしてもなれなかった。

 あの山で静かに眠らせてやるのが一番だろう。


 その後、しばしば祝いの席に呼ばれたりしていたので、とうに春になっていたにもかかわらず、ぼくらは誰も出立のことなど言い出さなかった。

 だが、当たり前と言えば当たり前なのだが、話はどんどん大きくなっていった。

 やがて森人(エルフ)矮人(ドワーフ)の王が、ぼく目当てにこの里を訪れるとか訪れないとかの噂まで流れるようになった。これ以上は面倒なことになりそうだったので、さすがに頃合いだろうと、ぼくらはこの里を発つことに決めたのだった。


 と、そんな経緯を思い返しつつ、ぼくはアミュに言う。


「元々、春になったら帝国に戻る予定だったんだ。長居しすぎたくらいだよ」

「でも……」


 アミュが神殿の方を気にしながら、ややためらいがちに言う。


「戻ってきてからは、ちょっとばたばたしてたじゃない。もう少しゆっくりしても……」


 と、その時。神殿から声が聞こえてきた。


「いいからいいからっ。これも持っていって!」

「ええっ、悪いですよそんなに……」

「たぶん入らない」

「大丈夫、入る入る! みんなのおかげでもらったお礼が神殿にまだいっぱいあるんだから、こんなの気にしないで!」


 しばらくすると、背嚢をパンパンにしたイーファとメイベルが神殿から出てきた。

 その後から、メローザがやり遂げたような顔をして出てくる。


「ふう。これで準備はばっちりだね」


 晴れやかにそう言って、メローザは額の汗を拭う。

 もう、すっかり元気になっている様子だった。


 アミュたちの話によると、メローザが目覚めたのも比較的早い時期だったらしい。

 他の者たちと同じように、見ていた夢の記憶はない。しかししばらくの間、なにやら思い悩むような様子を見せていたという。

 だが少し経つと、突然吹っ切れたように明るさを取り戻していたとのことだった。


 神殿の前に並んだぼくたちを見て、メローザは感慨深げに言う。


「みんなとも、ついにお別れかぁ……。誰かと一緒にこんなに長く過ごすなんて久しぶりだったから、寂しくなるなぁ」

「……世話になったわね」


 一瞬だけ、ぼくを気にするそぶりを見せたアミュだったが、すぐににっと笑って言った。


「キオノの冒険者が、時々護衛でこの里に来てるらしいの。もしかしたら、また会えるかもしれないわ。そのときは泊めてちょうだい。煮炊きでもなんでも手伝うから」

「アミュちゃん、すごく料理上手になったもんね~。また手伝ってくれたらうれしいな……ふふっ、最初はなんか、偏ったものしか作れなかったのにね」

「冒険者なんて、外で食べるようなものだけ用意できればいいと思ってたのよ……それに、メイベルよりは上手だったでしょ?」

「そんなことない。おんなじくらい」


 言い返すメイベルに、メローザが笑いかける。


「メイベルちゃんは、なんでもすぐできるようになってくれて助かっちゃったな。人間の国でも元気でね。きっとこれまで大変だったんだろうけど……メイベルちゃんなら、これからぜったい幸せになれるから」

「……うん」


 メイベルは、メローザの目を見てただうなずいていた。


「で……イーファちゃん!」


 メローザはイーファに向き直ると、ずいとそばに寄る。

 思わず仰け反るイーファへと、メローザはどこかうずうずしたような笑みとともに言う。


「わたしは、応援してるからね」

「え、ええっ……」

「イーファちゃんになら、うん、安心して任せられるよ。いい? 自分から行くんだよ自分から! じゃないとすーぐ盗られちゃうから! でもね、あんまりちょろいと思われるのもよくないんだよね。まだ神魔の里にいた頃に聞いたことなんだけど……はっ、また喋り倒そうとしちゃった! とにかく、がんばってね!」

「わかりました……が、がんばります」


 イーファが意気込んだようにうなずくと、それからおずおずと訊ねる。


「あの、メローザさんは……ずっとここにいるんですか?」

「……そうだね、ここにいるよ」


 メローザは、少し寂しげにうなずく。


「日暮れ森の里には帰りづらいし、人間の国に行くわけにもいかないからね。それに今は、この神殿を守らないと」

「そうですか……」

「でも、みんなのおかげで楽しみなこともできたんだよ」


 メローザが明るい顔で言う。


「ルルムとの手紙! みんなに教えてもらわなかったら、あの子に手紙を出そうなんて思わなかったもん。もしかしたら、また会える日が来るかもしれないしね。そう考えるだけで、今までよりずっと、寂しくないよ」


 メローザは笑って言う。


「ほんとうに、みんなのおかげ。ありがとうね」

「……よかったです。わたしも手紙、ぜったい書きますから」


 イーファが、小さく笑ってそう答えた。


 それから……メローザは、ぼくに向き直る。


「……セイカ」


 メローザが複雑な笑みとともに、ぼくの名を呼ぶ。


「なんだか、あっという間だったね……。まさか、会えるなんて思ってなかったよ。しかも、こんなに大きくなったセイカとなんて。わたしの中では……ずっと小さな赤ちゃんの、ままだったから」


 メローザが、わずかに目を伏せる。


「ほんとうは、もっと長い時間を、一緒に過ごしたかった。お母さんらしいこと、してあげたかったよ。ごはんを食べさせてあげたり、手を繋いでお散歩したり、服を縫ってあげたり……。でも、もう無理だよね。だってわたしの小さなセイカは、もう立派に大きくなっちゃったんだもん」


 メローザは顔を上げ、ふっきれたような表情で言う。


「わたしのことは、もう忘れて」

「……」

「ごめんね。ずっとお母さんらしいことしてあげられなかったのに、今さら顔を合わせても戸惑わせちゃっただけだったよね。今回会えただけで、わたしは十分うれしかったよ。立派に育ってくれてありがとう。セイカはもう大人だから……向こうでできた大切な人たちと一緒に、人間の国で幸せに生きて」


 ぼくらの間に、山からの風が吹き渡った。

 長くも短くも感じた沈黙の後、ぼくは口を開く。


「ぼくは……」


 ずっと押し込めていた感情が、言葉に乗る。


「……本当はあなたに会うために、ここへ来たのだと思います」

「え……?」

「この異変に関わろうとしたことは、自分でも不思議でした。わざわざ遠く、縁もない独立領の異変を解決するほどの理由が、ぼくにあるわけがなかったのに。でも……学園長からあなたの話を聞いた時、すでにこの地を訪れようと、決めていたような気がします」


 心の奥底ではずっと、気になっていたのだろう。

 もう百年以上も昔、幼い頃に姉が語った、優しい母の思い出を。

 前世でも今生でも、ぼくが知らずに失っていた存在のことを。


 ぼくは言う。


「また、会いに来ます。いつか必ず」

「……ほんとに? へへ、うれしいな」


 一瞬瞳を揺らしたメローザが、その顔をほころばせる。


「いつでも、気が向いた時でいいからね。わたしは……セイカが生きている間はずっと、元気でいられると思うから」

「……ぼくは」


 静かに言う。


「あなたより、長い時を生きます」

「え……?」

「あなたにまだ百年の時間が残されているのなら、少なくともそれ以上の歳月を生きましょう。だから……決して、あなたに先立つことはありません」


 孝行の仕方など知らない。

 だが、子が親に先立つことが不孝であるなら……それをしないくらいのことは、ぼくにもできそうだった。

 親孝行などより、人の寿命を超越する方が、ずっと簡単だ。


「それと……」


 ぼくは懐から一つの首飾りを取り出し、メローザに差し出す。


「これを。遅れましたが、誕生日の贈り物です。今はこれくらいしか、渡せる物がなくて」


 それは、白翡翠の首飾りだった。

 姉の形見でもあり、母の形見でもある物。

 しかしずっと、位相に仕舞い込んで忘れていた物だった。

 霧によって見た夢で、ようやく思い出せた。


「これって……」


 おずおずと受け取ったメローザが、白翡翠の勾玉を眺める。


「もしかして、魔道具? この白い石、宝石だよね……? もらえないよ、こんな貴重な物」

「いいんです。きっともうぼくには、必要ない物ですから」


 姉のことも母のことも、もう忘れることはない。

 呪物としても、ぼくには使う理由のない物だ。

 また位相に仕舞い込んでしまうくらいならば、彼女に贈る方がずっといいだろう。


 メローザは迷うように、首飾りとぼくの顔を交互に見た。

 だがやがて、その白い勾玉を両手で握ると、静かに言う。


「……ありがとう。大事にするね。でも……」


 顔を上げ、仕方なさそうにメローザは笑う。


「わたしはセイカが元気でいてくれるのが、一番の贈り物だよ」


 ぼくを見つめて言う。


「ごはん、ちゃんと食べるようにね」

「はい」

「体を壊したりも、しないように」

「はい」

「あんまり危ないことも、しちゃだめだからね。いくら強くても、無理だけはしないで」

「はい」

「よし……じゃあ」


 メローザが手を伸ばして、ぼくが背負う背嚢をぱんと叩いた。

 そして数歩さがると、笑顔で言う。


「いってらっしゃい、セイカ!」

「はい。その……いってきます」


 ぼくは踵を返す。

 神殿の前を延びる道に、一歩足を踏み出す。

 背後からは、メローザへ別れを告げるアミュたちの声が聞こえてきた。


 黙々と歩みを進める。

 自分でも、何がしたいのかよくわからなかった。

 多少なりとも母という存在を理解したために、メローザのことを憐れむようになったのか。それとも知らずになくしていた母の役割を、彼女に求めていたのか。

 どちらも、少しはある気がする。だが、それだけではきっとない。


 その時――――、


「セイカっ!」


 後ろから、彼女の声が聞こえた。

 振り返る。


「元気でねーっ! また会おうねーっ! わたしは、ここで待ってるからーっ!」


 少しだけ小さくなったメローザが、必死な顔で、大きく手を振っていた。

 ぼくは、彼女のいる神殿の方へと向き直る。

 そして……自然と手を掲げ、気づけば声を張っていた。


「どうか――――母さんも、元気で」


 メローザは、驚いたような顔をしていた。

 後ろからついてきていたアミュたちも、同じく驚いている様子だった。


「セイカさま……」


 息を呑んだようなユキの声が、耳元で囁かれる。こいつもきっと今、同じような顔をしていることだろう。


 ぼくは踵を返し、また黙々と歩き始める。

 自らの口から出てきた言い慣れない言葉の響きが、まだ喉の奥に残っているかのようだった。やはり、自分が何を考えているのかわからない。


 ただ……不思議と、これでいい気がした。

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