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最強陰陽師の異世界転生記 ~下僕の妖怪どもに比べてモンスターが弱すぎるんだが~  作者: 小鈴危一
十章(母の記憶編)

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第十六話 最強の陰陽師、よたび山へ向かう


 その翌々日。

 ぼくは四度目の登山に臨んでいた。


 山頂へ向かう下り坂は、進むほどに傾斜がきつくなっていく。

 霧もますます濃くなり、もはや薄暗いほどだ。


「異変の原因は、おそらく人間だ」


 歩を進めながら、ぼくは言った。

 頭の上からユキが顔を出す。


「どういうことでございますか?」

「やり口が人間くさすぎるんだよ」


 ぼくは説明する。


「記憶を読み取って夢を見せるだなんて、自然現象ではまずありえない。前世でもこういった現象は必ず、明確な意思を持った存在が引き起こしていた」

「だとしても、人間とは限らないのでは? 物の怪の仕業である可能性もございます」

「妖には確かに、そのようなものも珍しくなかったな。だがこちらのモンスターでは聞いたことがない。やつらは水や炎を操っても、幻術めいた手管を使ってくることはまずない。そういうものなんだろう」


 それは妖とモンスターの、性質の違いと言ってよかった。

 奇妙奇天烈な能力ばかり持つ妖とは対照的に、モンスターはだいぶ獣に近い。


「この異変には中心が存在する。最も霧が濃く、最も時間の流れが遅く、最も重力が強まる山頂に、この異変を引き起こした何者かが待っているはずだ。人間か、あるいは魔族の可能性もあるが」

「しかし、それはおかしいのでは?」


 ユキが疑問を発する。


「この異変は、たしかこの地に集落ができた五百年前の時点ですでに知られた現象であったはず。となるとこれを引き起こした者は、それよりはるかに以前から生きていることになります。たとえ魔族であっても、それほどの年月を生きるのは不可能では?」

「ここに、人間でありながら百五十年以上生きているやつがいるじゃないか」

「前世でのセイカさまのような、不老の存在であると?」

「そうであってもなんら不思議じゃない」


 ユキが納得しているかしていないか微妙な声音で言う。


「たしかに……魔族の地でも、五百年以上生きる女童(めわらわ)と出会いましたが……」

「そう、リゾレラもだったな。あれは【スキル】とかいう謎の概念で生まれながらに不老だったが、ぼくのように後天的に獲得していてもおかしくない。不老になんて簡単になれるのだから」


 不老は、様々な方法で得ることができる。

 ぼくのように(まじな)いを使ってもいい。人魚など妖の肉を食べてもいい。過去には、不死の妙薬なども存在したという。

 そして最も一般的な方法は、修行して仙人になることだ。


「いえ……決して簡単ではないかと思いますが」


 ユキが若干呆れた様子で言う。


「日本でセイカさま以外に不死の(まじな)い師などおりませんでしたし、人魚も百年に一度現れるかどうかでございますし、不死の妙薬などはもはや伝説。仙人になるにも、たしか壮絶な修行が必要だったはずでは?」

「真っ当な仙人ならそうだな。だが尸解仙(しかいせん)ならば比較的簡単になれるぞ。死後に復活できず、死んだままになる可能性の方が圧倒的に高いけどな」

「それは簡単と言えるのでございますか?」

「理論上は、もっと確実性の高い手段も存在する。西洋の思想家の間で唱えられていた方法だ。あえて訳すとすれば……船仙(ふなせん)、と言ったところか」


 ぼくは道中の沈黙を潰すかのように、説明を続ける。


「昔、ある英雄の乗った船があった。それは記念に展示され、長年風雨にさらされた。当然傷んでくるので、その部分を都度交換していく。数百年が経つ頃には、元の船の材料はどこにもなくなってしまった。そんな時、誰かが言った。これは果たして、英雄が乗った船と言えるのだろうか……と。お前はどう思う?」


 ユキに話を向けると、戸惑ったような声が返ってきた。


「それは、もちろん……言えないかと思いますが」

「そうだ」


 ぼくはわずかに笑って続ける。


「お前が言うならば、それで正しい。妖は不変の存在だからな。だが人間は違う」

「違うと申しますと?」

「常に息を吸って食物を食べ、息を吐いて排泄している。妖を不変の岩だとすれば、人や獣は川の中にできた渦だ。形はおおむね変わらずとも、それを形作る物は常に入れ変わり続けている。船仙は、この人間の本質を利用して不老となる方法だ」


 ぼくは続ける。


「体を徐々に、魔術的な物質に置き換えていく。初めは末端から、いずれは臓腑、最後には脳まで置き換える。そうして同一性を維持したまま全身を不変の物質に置換し終えた時、その者は老いることのない存在……仙人となるわけだ」

「……それは」


 ユキが、言いづらそうに言う。


「果たして、人間と呼べるのでしょうか」

「さあな。それは人間の定義次第だ。もっとも、不老を求める者はそんなこと気にしないだろう」


 少なくとも、ぼくはそうだった。


「こちらの世界で仙人のような概念は聞かないが、それでも不老は人間ならば誰しも追い求めるものだ。案外、どこかで達成した者がいるかもしれない。今ある国より前にも、人間の文明が存在したようだしな」


 魔族領にある果ての大火山の先には、はるか昔、噴火で滅びた人間の国があったという。

 こちらの地域にも、そのような歴史にはない亡国が存在していても不思議ではない。

 ぼくは言う。


「いずれにせよ、山頂にたどり着けば原因ははっきりするだろう。ただその前に、この霧の性質はもう少し探っておくつもりだけどな」

「……大丈夫なのでございますか?」


 ユキが、唐突にそう問いかけてきた。

 ぼくは訊ね返す。


「何がだ?」

「……セイカさまのことにございます」


 ユキが口ごもりつつ言う。


「先日霧に囚われた際も、なにやら思惑から外れた事態となったご様子でした。それに……母君のことついても、心を乱されているのではございませんか?」

「……」

「そんな中、あえて虎穴に入るような真似をすれば、虎に噛まれる羽目にもなりかねません。そのようなことをせずとも、セイカさまならば……」

「大丈夫だ」


 ユキの言を遮るように、ぼくは言った。


「先日の失態を踏まえ、対策は講じた。それにぼくは、心乱されてなどいない」

「セイカさま……」

「何も問題はない。万が一虎に噛まれたところで、ぼくがどうにかなるはずもない。なにより」


 ぼくは下方、霧の闇に沈む山頂を見据えながら呟く。


「虎穴に入らなければ、虎の正体はわからないままだ」

「……」


 聞いたユキは、あきらめたような口調で言う。


「またなにかございましたら、虎より先にユキが噛み付いて差し上げますので」

「そうならないよう努めよう」


 軽く目を閉じながら答える。


 とはいえ……真に夢に囚われてしまえば、噛み付かれたところで無駄だろう。

 取り戻したい過去の記憶を反芻させられた者は、おそらく自らの意志で夢に囚われてしまう。外的な刺激はもちろんのこと、たとえ結界を張り、霧の影響を一時的に遮っても、すぐに目を覚ますことはない。


 ただそれでも……異変を完全に鎮めることができれば、いずれは夢を維持できなくなり、皆目覚めるはずだ。

 解決の目はある。


 そう考えながら、また一歩足を踏み出した――――その時。



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 真夏であるにもかかわらず、虫や鳥の声がまったくしない。

 怪夜と呼ぶに、ふさわしい夜だった。


『――――拾ってやった恩を忘れ』


 月明かりの下、草原(くさはら)に老爺が立っていた。

 顔は皺に塗れ、狩衣(かりぎぬ)の袖から覗く腕は枯れ木のように痩せ細っている。

 齢七十を超え、ますます幽鬼じみた雰囲気を纏うその老爺は、鬼火が灯っているかのような眼光でぼくを射貫く。


『野良犬風情が、儂に牙を剥くとは。他の野良犬どもより多少生きながらえた、その程度の分際で』

『貴族の中にも、親切な人がいてね』


 対するぼくは、薄い笑みとともにその老爺へ答える。


『ぼくを、陰陽寮の陰陽師に取り立ててくれるって言うんだ。陰陽生や陰陽得業生みたいな学生じゃなく、いきなり官吏としての陰陽師にね。しかも今の身分じゃなんだからと、猶子(ゆうし)に迎えてくれるうえに妻まであてがってもらえるらしい。これでぼくも、玖峨の氏族に名を連ねる貴族になれるというわけだよ』


 ぼくは目を細める。


『あんたをぶっ殺せたら――――って条件でだけどね』

『愚かな』


 老爺が吐き捨てるように言う。


『そのような約定が果たされるものか。貴様は嵌められたのだ、×××。これまで儂に差し向けられてきた数多の刺客と同じく、妖に喰われて死ぬだけの捨て石にすぎん』

『弟子に忠告なんて、あんたらしくもない。なに、大丈夫さ。もし約束が果たされないようならば――――』


 ぼくは笑みを崩さない。


『――――玖峨氏丸ごと、呪い殺してやるだけだからね』

『……狂犬が。貴様を見つけたことは、儂の最大の幸運だと思っておったが……拾ったことは、最大の失態だったようだ』


 老爺が、どこからともなくヒトガタを取り出す。


『晩節をこれ以上汚す前に、後始末をせねばならん』


 その口から、しわがれた真言が紡がれる。

 宙に浮かんだヒトガタを起点に、空間が歪む。

 そこから現れたのは――――両目の潰れた、白い大蛇だった。


『来るがいい、×××。身の程知らずの野良犬に、儂が手ずから薫陶を授けてやろう』

『……ふっ、野良犬とは。狐混じりがよく言ったものだ』


 白蛇の邪視をそよ風のように受け流しながら、ぼくは失笑を漏らす。


『あんたは大層、父親と弟を恨んでいたようだな。血筋ではなく力によって陰陽寮を牛耳ろうと、ぼくのような者を探し集めては、時に殺し合わせ時に妖の前へ放り出し、最強の術士を作り出そうとしていたくらいだ。だが……』


 ぼくは一枚のヒトガタを宙に浮かべる。

 印も真言もないまま、空間が歪み始める。

 そこから現れたのは――――身の丈をはるかに超える、巨大な蜘蛛だった。


『あんたの蠱毒に付き合わされて死んだ野良犬たちの恨みは、そんなものじゃないぞ』


 感情が乱れ、呪力が漏れる。

 もはや呪詛となった声で、ぼくは告げた。


『この日を、ずっと心待ちにしていた――――殺してやるよ、師匠』


 無論、この後に起こることを、ぼくは知っている。

 あっけなく――――本当にあっけなく、師匠は死んだ。

 大陰陽師の実子にして、その怨念をもって(まじな)いの道を究めていた老人を、ぼくは齢十八にして超越していた。


 意外だったのは、ぼくに師匠暗殺を持ちかけた貴族が、きちんと約束を守ったことだ。

 ぼくを猶子に迎え、まさか無理だろうと思っていた陰陽師の地位も、約束どおりくれた。それは善良さや誠実さによるものではなく、おそらくあの貴族の矜持だったのだろう。

 苦労の末に得た成功だったが、残念ながら陰陽寮は性に合わず、貴族の地位も思ったほどよいものではなかった。

 ただ……妻と出会えたことだけは、紛れもない幸運だった。



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 場面は変わる。


『はあ……はあ……』


 夜の街道にて、まだ幼いぼくは、荒い息を吐いていた。

 額を垂れる、血と汗を拭う。

 目の前では……呪力任せの滅茶苦茶な陣によって動きを封じられた土蜘蛛が、空間の歪みに吸い込まれようとしていた。


 やがて完全にその巨体が消え失せると、ぼくは震える手で、宙に浮かぶ扉のヒトガタを掴み取る。

 妖を封じたのは、これが初めてだった。


『……』


 呼吸がいくらか落ち着いて、ようやく周囲を見回す余裕ができる。

 街道には……土蜘蛛の糸が絡みついた兄弟子たちの死体が、散乱していた。


 そのうちの一つ。

 幸いにもまだ顔が判別できる少年の死体に、ぼくは歩み寄った。

 虚ろに開いた目と口。その下半身は、丸ごと消失している。


『……っ』


 熱いものがこみ上げ、視界がぼやけた。

 涙をこぼす前に、ぼくは目元をごしごしと拭う。


 この日以降、数十年後に初めての弟子が独り立ちする時まで、ぼくが泣くことはなかった。



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 場面は変わる。

 そこは、都から大きく離れた僻地に建つ廃寺だった。


『大丈夫かい?』


 一人の少年が、へたり込むぼくに手を差し伸べている。

 首を回すと、ぼくに襲いかかろうとしていた三人の兄弟子が倒れていた。


 全員引きつった表情のまま、手だけで床を這って逃げようとしている。

 両の足だけが、完全に動かなくなっているようだった。


 なんて繊細な呪詛を使うのだろうと、ぼくは思った。

 呪いなど、殺すか、返されて殺されるかだと思っていた。単純な呪力量とは違う強さがあることを、ぼくはこの時初めて知った。


『……大変なところに来てしまったね』


 手を取ったぼくを引っ張り起こしながら、少年は憐れむように言った。


『ここは……残念だけど、強い者が生き残る場所なんだ。妖退治はもちろん、呪いの掛け合いで死人が出ることもある。誰かが突然消えても、気にする者はいない。ただ一人、最強の術士が生き残ればいいと、××様は言っているらしいからね』

『……』

『じゃあなんで助けたのかって? まあ、気まぐれかな』


 そう言って、少年は照れたように笑う。


『君を見ていたら、ふと死んだ妹を思い出したんだ。それだけだよ』

『……ぼく、男だけど』


 そう答えると、少年は固まっていた。


『……うん、ごめん。そっか……名前、教えてもらえるかな』


 ぼくが名乗ると、少年も名乗り返してきた。

 たくさんいる兄弟子の中で、それが初めて知った名だった。


『噂だけど、××様に実力を見出されれば、貴族になれるかもしれないんだ』


 少年は言う。


『君には才能がある気がする。呪力量だけで言えば、僕よりもずっと多い。だから……××様が求める、最強の陰陽師にだってなれるかもしれない』

『……』

『もちろん、僕だって負けるつもりはないよ。別に、最強が一人でないといけない理由もないからね』


 少年の笑みに、そこで初めて、子供らしさが滲んだ。


『がんばって、一緒に貴族になろう。×××』


 ハルヨシではない頃のぼくの名を、少年は呼んだ。

 ぼくはうなずいていたように思う。


 もちろん、この誓いが果たされることはなかった。



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 場面は変わる。

 川のほとりに建った小屋の中で、ぼくは死にかけていた。


 三日、水すらも口にしていない。

 小屋の中には相変わらず蝿が飛び回っていたが、鼻がとうにおかしくなっているのか、もう異臭を感じることもなかった。


 遠からず、ぼくは死ぬだろう。

 それでかまわなかった。


『……まさかここに、あの呪詛を為した者が?』


 外から声が聞こえた。

 複数人の足音が近づいてくる。

 誰かが小屋の簾を恐る恐る上げた。


『うっ……こ、これは……』


 誰かがたじろぐ気配がする。


『河原人の死体か……? とうに腐っているようだ』

『ひどい蝿と臭いだ。この季節だから無理もないが……』


 会話が聞こえてくる。

 言葉遣いには、どこか品のよさがあった。

 少なくとも、河原人や野盗の類ではなさそうに思える。


『この死体が、野盗一味とその血族をことごとく呪い殺した呪術師だったのか……?』

『よもや、死んでいたとは……』

『生きておる』


 しわがれた、老人の声が響いた。


『死んでいたならば辿れん。()く検分せよ。くれぐれも、呪い殺されんようにな』

『し、しかし××様。ご覧ください、これはどう見ても……』

『……待て。こっちの童は、まだ息があるのではないか?』


 声とともに、棒のような物で体を突かれる。

 たまらず呻き、身じろぎした。途端、複数人の声が上がる。


『ほ、本当だ!』

『ではまさか、この童が!?』

『どけ』


 再び、しわがれた声が響いた。声を上げていた者たちを押しのけて、何者かが小屋の中に入ってくる。

 ぼくはわずかに首を回し、視界の端で、その人物を見た。

 上等な衣装を纏った、幽鬼のような老人だった。


『……素晴らしい』


 まとわりつく蝿の群れをものともせず、周囲を濡らす黒い汁を履き物で踏みつけて、老人はぼくに歩み寄った。

 ぼくが未だに手を握る、姉だった物を一瞥して、満足げに呟く。


『なるほど。この女童の死体を形代と見なしたか。核となる同調物には、野盗どもの体液をそのまま用いたのであろうな』


 押し殺したような笑声とともに、老人は続ける。


『呪殺した野盗どもの死体をさらに形代と見なし、体内の血を同調物として、血族全体へと呪詛を連鎖させる……。見事な感染呪術だ。(まじな)いの理など解すはずもない河原人の童子風情が、呪力だけでこれを為すか……。よい。よい野良犬を見つけたぞ』


 ぼくを見下ろす老人が、語りかけてくる。


『童子よ、儂と共に来るのだ』


 それは、怖気がするような声音だった。


『妖も、他の術士も、ことごとく滅ぼせ。儂の悲願のため――――貴様が、史上最強の陰陽師となるのだ』



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『ぼくのお父さんって、どんな人?』


 また、場面が変わる。

 夕日の差す、川のほとり。

 ぼくは姉と並んで大きな岩に座り、光を反射する水面をただ眺めていた。


『お父さんはいないよ。あたしも会ったことないもん』


 姉が答える。

 その横顔に目をやって――――ぼくは、夢の光景が急速に色づいていく感覚を覚えた。

 わずかに驚く。

 百五十年以上ぶりに見た、姉の顔は……生き写しのようだと思っていたあの子にも、アミュにも、それほど似ていなかった。


 雰囲気こそ近いものがあるが、他人のそら似と言える程度だ。

 長い時を生きる中で、ぼくは唯一の肉親の顔の記憶すら、すっかり薄れさせてしまっていたのか。


『じゃあ、お母さんは?』


 夢の中のぼくが問いかけた。

 姉は、にっこりと笑って答える。


『やさしい人だったわ』


 夕焼け空を見上げて、姉は言った。


『×××は、お母さんのこと覚えてない?』

『ぜんぜん覚えてないよ』

『ふうん、もったいないの。あんた、あんなにかわいがられてたのに』

『……姉さんばっかりずるい』


 ぼくは口を尖らせる。

 本当は、ずるいなどとは思っていなかった。

 顔も知らない母のことなどどうでもいい。ただ、大好きな姉を困らせ、かまってもらいたいだけだった。


 仕方なさそうに笑って、姉は言う。


『しょうがないじゃない、そんなの。あんた、まだ小さかったんだから』

『……しょうがなくない』

『あんまりわがまま言わないの。じゃあ……お姉ちゃんがまた、なにか占ってあげる』

『ほんと?』


 ぼくは顔を上げた。


 姉の占いは、よく当たると評判だった。

 河原に住む者は、大水が起これば流される定めにある。そのため、天候を予知できる占い師はとても大事にされた。

 加えて河原人の中には、盗人まがいの者も少なくない。貴族とは違い、陰陽師の暦占などに頼れないならず者たちは、姉のような民間占術師の卜占(ぼくせん)を元にツキを測り、盗みの日取りなどを決めていた。


 占いの才があった姉は、多くの者から慕われていた。

 姉のおかげで、ぼくは河原でもよく暮らせていたのだ。


『今度はなにを占ってくれるの?』

『なんでもいいわよ。なにが知りたい?』

『えっと、それじゃあ……』


 ぼくは言いよどむ。

 姉に占ってもらえるのは嬉しかったが、今知りたいことなどは特に思いつかなかった。

 悩んだ末、ぼくは答える。


『……この先、幸せになれるかどうか』

『そんなの、占うまでもなくわかるわよ』


 姉は笑って言う。


『なれるに決まってるじゃない。生きていて、ずーっと不幸ばかりだなんて、ありえないんだから』


 こんな暮らしをしていても、姉はどこか楽天家だった。

 ぼくは口を尖らせる。


『そういうことじゃなくて!』

『わかってるわよ。でも、なにをもって幸せとするかは難しいのよね……。じゃあ、あんたがいつか死ぬ時、生きてきてよかったと思えるかどうかでどう?』


 ぼくはうなずく。


『それでいいよ』

『よし。待ってなさい』


 姉が小屋まで駆けていって、戻ってくる。

 再びぼくの隣に腰掛けた姉が手にしていたのは、緑青の浮いた一枚の宋銭だった。

 姉がよく、占いの際に使っているものだ。


『じゃ、いくわよ』


 そう言って、姉が指先で宋銭を弾き上げる。

 くるくると回転しながら落ちてきたそれを、姉は左手の甲で受けた。

 押さえていた右手をどける。

 宋銭は、文字の書いてある面が上になっていた。


『あ、よかったわね。×××』


 姉が笑顔で言う。


『表が上になっていたから、あんたは将来幸せになれるわよ』


 まるでただの運試しだ。

 だがこれも、立派な卜占だった。

 才ある者が行えば、たとえ無作為なはずの事象であっても、結果に明らかな偏りが生まれる。


 ただ……この時のぼくは、姉が嘘をついていると気づいた。

 仮にぼくが不幸に死ぬという結果が出ても、姉が告げるはずがない。

 きっと裏面が上になっていても、姉は適当な理屈を付けて、同じことを言っていたのだろう。実際のところ、占ってなどいなかったのだ。


 しかし、


『うん……ありがとう、姉さん』


 ぼくはそれを口にしなかった。

 こんなこと、占ってほしいなどと頼むべきではなかった。もしも悪い結果が出れば、きっとぼく以上に、姉は悲しむ。

 困らせるようなことはしても、悲しませるようなことはしたくなかった。


『あんたもそのうち覚えてみる? 占い』


 唐突に、姉が言った。


『もしかしたら、才能あるかも』

『ほんとっ?』

『うん。だって、お母さんも占い師だったんだもん。これだって、お母さんからもらったものだし』


 そう言って姉は首元に目を落とし、そこに掛かっていた白い勾玉を指でつまんだ。

 一見ただの白い石のようにも見えるそれは、実は希少な白翡翠(しろひすい)だということを、ぼくは後に知った。

 (まじな)いの成功率を底上げする、呪物の類であることも。


 姉は言う。


『あたしだけじゃなくて、あんたにも才能があったっておかしくないわ』

『あっ、そういえば』


 ぼくはその時、不意に思い出して言った。


『少し前、旅の法師さまに呪詛ってやつのやり方を教わったよ』


 途端に、姉の顔色が変わる。


『……呪詛?』

『うん。悪いやつをやっつけるおまじないなんだって。ぼくには才能があるって、法師さまが言ってた。呪力量……っていうのが、すごく多いって』

『……あんたそれ、誰かに使ったりした?』

『ううん。でも呪いたい人がいたら、人形と、その人の持ち物か体の一部を用意して……』

『やめなさい、そんなの』


 姉が突然、鋭い声で言った。

 ぼくは驚き、思わず身を竦ませる。


『え……?』

『あのね、呪いっていうのはすごく危険なの。失敗すれば、自分が死んじゃうかもしれないのよ』

『そ……そうなの?』

『いい? ×××。幸せに生きたかったら、呪いなんてぜったいに使ってはダメ。気にくわないからって力に頼れば、いつか身を滅ぼすことになるわ』

『で、でも、それじゃあ』


 ぼくは泣きそうになりながらも言い返す。


『ぜったいに許せないやつがいたら、どうすればいいの? もしそいつがすごく大きくて、ぼくじゃ敵いそうもなかったら……おまじないに頼らないで、どうやってそいつに仕返しすればいいの?』

『そんなの簡単。がまんするのよ』


 姉が諭すように言う。


『世の中にはね、どうしようもないことがあるの。人の悪意とか、神さまが定めた不運とか、そういうなくしたくてもなくせないような、嫌なものがたくさん』

『……』

『その度に誰かにやり返そうとしていたら、疲れちゃうでしょ? それに、危ない目にだって遭う』

『……』

『旅の法師さまが言うのなら、あんたには本当に才能があるんでしょうね……。でも、だからといって力に頼ってはダメ。どうしようもないことはがまんする。それが普通の人間として、幸せに生きる道なの』

『で……でも、でも……っ』


 泣き出してしまったぼくの頭を、姉は優しく撫でた。

 仕方なさそうに笑って言う。


『しょうがないわね……じゃあムカつくやつがいたら、お姉ちゃんに言いなさい』

『……姉さんに?』

『お姉ちゃん、知り合い多いから。許せないやつがみんなでそいつのところに行って、あんたに謝らせてやるわよ』

『……ほんと?』

『うん。あ、でも、あんたが悪くて喧嘩したんだったら、あんたが謝るんだからね』

『……わかってるよ、そんなの』


 すねたように言ったぼくの頭を、姉はもう一度優しく撫でた。

 そして、穏やかに言う。


『まったく、世話の焼ける子なんだから。……お母さんの代わりも、大変ね』


 姉は気を取り直したように言う。


『お姉ちゃん、お腹空いちゃったわ。そろそろごはんにしましょ』

『じゃあぼく、火をおこしてくるね!』


 小屋に向かって、ぼくは駆けていく。


 思い出した。

 姉はやはり嘘をついていて、忠告は正しかったのだ。

 この後、姉を無惨に殺した野盗どもを呪って、ぼくの生は不幸に塗れていく。

 前世での死に際は、とても幸福なものとは言えなかった。


 夢の光景がぼやける。

 再び、場面が変わろうとしていた。


 とっさに姉を振り返ろうとする。

 だが、叶わなかった。

 この時のぼくは、火起こしに集中していたから。これは夢なのだ。記憶にない行動は取れない。


 やめろ。

 思わず抵抗しようとする。

 これ以上、まだ遡るというのか――――。



▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖▘▖



 たくさんの人間が、眼下の街を行き交っていた。

 塔の上階からそれを見下ろすぼくのもとにも、賑わいの声が聞こえてくる。


 それは、どこか奇妙な街だった。

 見たことがない様式の、土と木でできた家々。

 大通りにも石畳のようなものは敷かれていないが、代わりに土とも膠泥(モルタル)とも瀝青(アスファルト)とも違う、灰色の何かで舗装されている。

 行き交う人々も、見慣れない風貌だった。黒髪にやや赤みがかった肌。素朴で色味の少ない衣服も、覚えのある形状ではない。

 文化水準の低い、貧しい街……というわけでもなさそうだった。土作りの素朴な家は、しかし帝国の大都市並みの密度で、広範囲に渡って建ち並んでいる。日本の仏塔や、西洋の鐘楼に匹敵する高さの建造物もあった。遠く、城壁のようなものも見える。どうやら巨大な城塞都市のようだ。


 前世でも、今生でも、こんな街は見たことがなかった。

 動揺とともに疑問が浮かぶ。


 なんだ、これは。

 ぼくの記憶ではない。


 その時、視界の端に山が映った。

 その稜線に既視感を覚える。

 それが独立領の中心にそびえる、まさに今ぼくがいる山だと気づいた時――――背後から声がかかった。


『×××××の御上(おんかみ)


 ぼくは振り返る。


 目の前に、男が一人(ひざまず)いていた。

 街の人々と似たような作りの衣装を纏っているが、ずっと色鮮やかで、装飾も多い。


 ぼくは、彼に告げる。


『開口を許す』


 響いたのは、女の声だった。

 その言語がまったく未知のものであることに、ぼくは今さらながらに気づく。ただ不思議と、内容は理解できた。

 聞いた男は、顔を伏せたまま話し始める。


『奏上いたします。クイロウの砦が……先ほど陥落。××将軍は、戦死なされました。残った兵たちが、現在ヘディヘイの砦まで退却中とのことです』

『おお……なんたることか』


 ぼくは、思わず嘆きの声を上げた。

 詳しい状況はわからないが、現在この国は戦争中で、戦況は厳しいらしい。


 男に対し、ぼくは縋るように言い募る。


『勇なる者はっ……我らが勇なる者は、無事なのか』

『はっ!』


 男は力強く肯定する。


『我らが勇なる者は、現在兵たちとともに退却しております。クイロウの砦では奮戦され、多くの馬足(うまあし)どもを仕留める戦果を上げられたとのこと。しかしながら、やつらの攻勢も激しかったために、砦の防衛までは叶わず……』

『おお、そうか……我らが勇なる者は、無事であったか』


 ぼくは、一瞬目を閉じて言う。


『そればかりは、不幸中の幸いであった』


 どうやらこの国には、民や指導者層の精神的支柱となる英雄のような者がいるらしかった。

 ぼくは決意を込めた声音で言う。


『ヘディヘイの防衛には、(われ)も出向こう』

『なっ、御上(おんかみ)!』


 男が驚愕に顔を上げる。


『なりません! その御心は重々。しかし御身に万一のことがあれば……』

『ヘディヘイは死守すべき砦。あそこが落ちれば、馬足どもにとってこの巫都はもはや目と鼻の先となる。違うか?』


 反論のない男に、ぼくは続けて言う。


『私情ではない。巫王としての判断である。理解せよ』


 そう言って、ぼくは男に背を向けた。

 再び、窓の外が視界に映る。山の稜線が、今度ははっきり見て取れた。

 それはやはり、この山で間違いないようだった。

 ただ――――今とは違い、山頂が霧に煙ってはいない。



▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▞▖



「……」


 ぼくは、無言で目を覚ました。

 顔のすぐ横に、地面がある。

 口の中には、血が滲んでいた。


「……毎度地面に倒れてしまうのも、困りものだな」


 体を起こしながら、ぼくは呟く。

 傷はすぐに治せるが、服が汚れてしまうのは面倒だった。

 土を払い落としつつ、ぼくはユキに訊ねる。


「今回はどれくらい眠っていた?」

「先よりも、やや長かったようでございました」


 ユキが答える。


「此度は特にご様子がおかしいようでもなかったため、ユキはなにもしませんでしたが」

「……そうか。また噛み付かれずに済んでよかったよ」


 ぼくは嘆息とともにそう言った。

 姉との記憶を見せられた際に解呪が発動していたら、またぼくは抵抗を試みていたかもしれない。今度は確実に解呪されるように準備していたが、ユキには噛み付かれていたことだろう。

 あの場面で発動しなかったのは……二重の意味で幸いだった。


 ユキが訊ねてくる。


「して、此度の夢はどんなご様子でしたか?」

「ぼくがまだ童だった頃の記憶まで遡ったよ。ただ、それだけじゃない」


 ぼくは続けて言う。


「ぼくではない者の記憶を垣間見た」

「えっ」


 ユキが動揺の声を上げる。

 あの記憶の正体には、すでに見当を付けていた。


「あれはおそらく――――この異変に関わる者の記憶だろう」

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