第八話 最強の陰陽師、説明する
「ずいぶんと若々しい母君でございましたね」
その日、皆が寝静まった頃。
神殿の少々埃っぽい一室で、ベッドに横たわるぼくに髪の中のユキが話しかけてくる。
「あまり、セイカさまには似ていなかったようでございますが」
「……当たり前だろ」
寝返りを打ちつつ、ぼくは答える。
「ぼくの母親じゃないんだから」
「中身に関してはそうでございましょうが、そのお体の母君であることには違いないのでは?」
「……たとえ血のつながりはなくとも、子は育ての親に自然と似ると聞く。ならば逆も然りだ。血縁であっても、中身が異世界人ならば似るものも似ないだろう」
巣立っていったぼくの弟子たちも、『あの者の下で育っただけある』などと方々で言われていたようだった。
どういう意味かはさておき、あれもそういうことだったのだろう。
ぼくは続けて、やや落胆気味に言う。
「ただ、残念ながら……ぼくがあの神魔の子で魔王だということは、夕食時の話ではっきりしてしまったけどな」
「……? どういうことでございますか?」
「彼女が自らの子である魔王にセイカと名付け、ブレーズに預けたのが事実なら、もう確定だろう」
「ああ……なるほど」
セイカなどという名前は、そうあるものではない。
これまでは一応、ぼくが魔王云々は可能性の話でしかなかったのだが、今日で確定してしまった。
もっとも、とうに覚悟していたことだが。
「……ユキはふと思ったのですが、セイカさま」
その時、ユキはおもむろにぼくの頭から這い出ると、窓から月光の差し込む床にぴょんと飛び降りた。
「セイカさまは、齢二つか三つくらいの頃に、そのお体へ転生してきたのでございますよね? それならば……それまでそのお体に宿っていた、あの母君の本来の子は……どうなってしまったのでございましょう?」
ぼくはユキに視線を向け、静かに問う。
「消えた、と言ったらどうする?」
「はぁ……別にどうも。そのようなこともございましょう」
ユキは、本当になんとも思っていないかのようにそう言った。
こいつはおそらく、道徳的にどうこう言いたいわけではなく、ただ純粋に疑問に思っただけなのだ。
人語を話し、意思の疎通ができても、妖が人間と同じような倫理観を持っているとは限らない。
ぼくは小さく息を吐いて言う。
「……そんな者はいなかった、というのが一つの解釈だな」
説明がやや難しい概念だった。
ぼくは続ける。
「人間は赤子の頃にはまだ、確立した人格を持っていないのだという。人格も、言語や運動能力と同じく、脳の成長とともに次第に獲得していくものなのだそうだ。転生は脳がある程度成長し、魂の再現条件が満たされた時点でなされる。だから逆に言えば……転生のその瞬間までは、人格のはっきりしない、人間として曖昧な状態だったともいえる。三つ子の魂百までなどというが、それ以前の魂は、成長すれば失われてしまうようなあやふやなものなのかもな」
魂が未熟だから、人間ではない。
と、そんな乱暴なことを言うつもりはないが、少なくともぼくが転生してくるまでのセイカは、まだ人格も十分に形成されていなかったことだろう。
「それならば」
ユキがさらに問うてくる。
「その曖昧だった者は、やはり消えてしまったのでございますか?」
「いや、消えてはいない。大ざっぱな言い方をすれば、ぼくと融合した」
ぼくはさらに説明する。
「この肉体が持っていた記憶の一部は、ぼくにも受け継がれた。肉体に深く刻まれた記憶、たとえば言語や運動能力の一部だな」
そうでなければ、ルフトやブレーズの話す内容がわからず、幼子の体に適した歩き方などもできなかったことだろう。かなり不審に思われたはずだ。
「ただ、融合という言い方も正確じゃない。たとえるなら、そうだな……本来のセイカが、未だ人格もはっきりしない頃に日本に飛び、ハルヨシの人生を一通りたどって、再びこの世界に戻ってきた。今のぼくは、おおむねそのような存在と言える。ハルヨシでありセイカでもある、というべきか」
転生という現象を、可能な限り正確に説明するならそんな感じだろう。
解釈によっては、今のぼくと前世のハルヨシは完全な別人ともいえる。
人格は魂だけでなく、肉体にも大きく左右される。肉体が変わり、異なる記憶まで得たぼくが、かつてのぼくとまったく同じ人間かと問われればなかなかうなずきがたい。
ただぼくの視点では、意識は前世の日本から連続している。また他者であるユキから見ても、ぼくはぼくのままだ。
ならば、同一人物とみなす。
前世の哲学体系では、そのような解釈が一般的だった。
ユキは望む答えを得たかのように、少し声を上ずらせる。
「それならば……ええとその、うーんと……」
ただ、その後が出てこなかった。どう言えばいいかわからないように唸っている。
少々難しい話だったので、理解しきれていないのかもしれない。
ぼくは少し気を抜きながら言う。
「まあ、あくまで解釈なんだけどな。別の解釈をすれば、ぼくがこの体の人格を乗っ取り、殺してしまったとも言える。どちらが正しいなどはない。すべては人間がどう解釈するかだ」
「そう、でございますか……」
「それに、考えようによってはぼくが乗っ取ってしまってよかったのかもしれないな」
「と……おっしゃいますと?」
「リゾレラが言ってただろ。勇者か魔王は必ずどちらかが、気が触れたようになって戦いを求めるって。アミュがそうなっていない以上、魔王の方がおかしくなっていた可能性が高い」
思い当たるふしもあった。
ルフトは以前、子供の頃にセイカのことを怖がっていた記憶がある、と話していた。
またブレーズの妻ベルタも、グライとぼくの決闘が決まった際、躍起になって止めようとしていた。
転生前のこの体の持ち主は……ひょっとすると、あまりまともではなかったのかもしれない。
改めて考えれば、満年齢で三歳は転生のタイミングとしては遅い。それだけ不安定な魂だったのだろうか。
そのまま成長すれば、人間に仇為す危険な存在になっていた。そんな可能性すらある。
「別にこの世界の人間に恩を着せるつもりはないが、気の触れた魔王が野放しになるよりはよかったんじゃないか? ぼくが転生しなかったら、ルフトやブレーズたちが無事だったかもわからないからな」
「……。そう、かもしれませんが……」
ユキの返事は、今ひとつ煮え切らないものだった。
ぼくは眉をひそめて問いかける。
「……さっきからどうしたんだ? 何か気がかりなことでもあるのか?」
「いえ……そういったことはございません。ただ……」
ユキが、ややためらいがちに言う。
「知らぬ間に子を亡くしていたあの母君を……少々、哀れに思っただけにございました」
「……」
ユキは床に視線を落としながら、消沈したように言った。
人語を話し、意思の疎通ができても、妖が人間と同じような倫理観を持っているとは限らない。
ただ……管狐は妖には珍しく、番をつくり仔を産んで殖える。
親個体は仔の誕生後にほどなくして消滅し、子育てはほぼ人間任せだ。
だが、信頼する自らの主人に託すまでは、親は仔を竹筒の中で必死に守り、その役目を終えるまで存在を保ち続けるのだという。
おそらく、管狐にとって……親を思う子の気持ちはわからずとも、子を思う親の気持ちは、想像できるものなのだ。
「……あの、セイカさま」
ユキが顔を上げ、恐る恐る言う。
「たとえ解釈の一つに過ぎずとも……セイカさまが、あの母君の子でもあるのならば……その、できるならば……」
言い終える前に、ぼくは再び寝返りを打った。
ユキに背を向けながら、無感情に告げる。
「……もう寝るぞ。明日はここの長に、異変のことを訊きに行くことになっているんだからな」





