第二話 最強の陰陽師、報告する
「そうでしたか、陛下はそのようなことを……」
その後。
フィオナの住む離れに戻ったぼくは、皆にことの顛末を話した。
ヒルトゼールとの間に起こった一悶着にアミュたちは驚いていたが、どちらかと言えば本題はその後の、皇帝とのやり取りの方だ。
「今回の反乱騒動の裏に、陛下が関わっている可能性は考えていました。いくら帝国軍に余剰の兵力が乏しいとはいえ、ここまで派遣に手間取るのは不自然でしたから。とはいえ……ほとんど首謀に近い動きをしていたとは、思いませんでしたが」
フィオナは微かに目を伏せ、思い直すように続ける。
「しかし、そちらは今はいいでしょう。問題はその次です」
フィオナの表情が、やや深刻なものになる。
「やはり陛下も、セイカ様が魔王である事実にたどり着いてしまったようですね」
ぼくは静かに問いかける。
「その様子だと……君もすでに知っていたんだな」
「ええ」
フィオナはわずかに微笑んで答える。
「セイカ様と初めて出会う、ずっと以前から」
訊くまでもないことだったかもしれない。
魔王の可能性をわかっていたからこそ、フィオナはアミュだけでなくぼくにも接触してきたのだ。
「黙っていたことについては申し訳なく思っています。ですが……自覚せずに済むのなら、それが一番だったのです」
フィオナは口元に手を当て、難しい表情で言う。
「陛下に対しても、隠し通せればよかったのですが……さすがに甘くなかったようです。今回の招聘も、セイカ様の力を見極める目的があったのかもしれません」
そう考える方が自然だろう。
勇者と魔王を戦場に放り込んで、どのような動きを見せるかを確かめたかったのだ。
「……悪かった」
ぼくが不意に呟くと、フィオナが顔を向けてくる。
「皇帝に探り当てられたのは、この夏にぼくらが魔族領に滞在していたからだ。いろいろ事情があったとはいえ、あまりにも軽率だった、と思う……」
フィオナに隠していた魔族領での一件も、結局話の流れで明かさざるをえなかった。
ぼくは恐る恐る訊ねる。
「ひょっとして、このこともとっくに知っていたか……?」
「ええ。といっても……これを明かされる未来が視えたのはつい先ほど、セイカ様たちが訪れる直前のことですが」
フィオナはにっこりと、明らかな作り笑いを浮かべて言う。
「とても驚きました。わたくしの知らないところで、逃亡中の身でありながら魔族領にまで赴き、そのうえ指導者階級にある者たちと交流までしていたなんて」
「……」
「ともすれば、魔族側の内通者と捉えられてもおかしくない行動です。よかったですね、陛下以外に漏れていなくて。反勇者陣営が息を吹き返したら、また面倒なことになるところでした」
「……」
「ああ、もう怒っていませんからご心配なさらず。先ほど一人でさんざんわめき散らして気が済みましたので」
「……」
フィオナの顔を直視できず、思わずアミュたちの方に目を向けると、三人もばつが悪そうに縮こまっていた。
神魔の奴隷を彼らの里まで送っていこうと言っていたのは彼女らだったので、ちょっとは責任を感じているのかもしれない。
「……怒っていません。本当ですよ」
フィオナが、やれやれと溜息をつきながら言う。
「なりゆきというのもあるでしょう。それに……セイカ様にとっては、自分の出自に関わることです。確かめたいと思うのも無理はありません。知りながら黙っていたわたくしも、少し責任を感じています」
「いや……まあ、元々ぼくが行きたがったわけではなかったんだけど……」
「……なによ、あたしたちが悪いって言いたいわけ? 言っておくけど、あそこにあんなに長くいることになったのは、あんたが変な連中と仲良くなって一ヶ月以上もルルムの里に戻ってこなかったからでしょ?」
「アミュちゃんっ、いいからいいから」
「だまって」
少しむっとした様子のアミュだったが、空気を読んだイーファとメイベルにたしなめられる。
まあ、言っていることはもっともなのだが。
フィオナがやや呆れたように続ける。
「そもそもみなさんがラカナから離れなければ、そんなことにもならなかったとも言えますが……」
「う……」
「……きっと、そう単純ではないのでしょう。みなさんは運命の存在を信じますか?」
「……いや」
消極的に否定する。アミュたちは顔を見合わせ、困惑している様子だった。
フィオナが口を開く。
「わたくしも信じてはいませんでした。そのように見えるものはただの錯覚であり、人間が偶然起こったまれな出来事にありもしない因果を見出しただけに過ぎないと、たくさんの未来を覗き視るうちに結論づけていました。ただ……最近は、その考えが変わりつつあります」
微かに目を伏せながら、フィオナは続ける。
「帝国で育ったセイカ様は、本来魔族を導く立場になどなるはずがありませんでした。それが、ラカナを離れた際にたまたま魔王を探す旅に出ていた神魔の巫女に出会い、最終的には魔族領で彼らの王と対面まで果たしています……こんな偶然があるのでしょうか?」
「……」
「勇者と魔王はこれまで、誕生すれば必ず相対してきました。どちらかが戦いを拒絶したり、道半ばで倒れてしまったことは一度もないとされています。今回も……かなり変則的な形にはなりましたが、アミュさんとセイカ様は出会いました。これがすべて、ただの偶然によって引き起こされたことだとは……どうしても信じ切れなくなっています」
場に沈黙が降りる。
フィオナの言うことは理解できた。
それはぼくも、薄々感じ始めていたことだからだ。
天の定めなどは眉唾にしても、たとえば因果に干渉する呪術は存在する。
幸運の呪いなどは前世でもありふれていた。
勇者と魔王の転生に、そういった魔法などが関わっているとすれば……あるいは、運命めいた因果も実現できるのか。
「あの……」
その時、イーファの遠慮がちな声が沈黙を破った。
「それでわたしたち、これからどうなるんでしょう……?」
それは、ぼくら全員の疑問でもあった。
フィオナがやや表情を緩め、口を開く。
「そうですね。アミュさんの罪は、もうなかったことになりましたので……学園に復学しないなら、帝都にずっといてくださってもかまいませんが」
「でも……ここって周りにダンジョンもないし、冒険者の仕事も少ないんでしょ?」
アミュが微妙な表情になって言う。
「なんにもしないでいるのも、居心地が悪いんだけど……どうせならラカナに戻りたいわ。知り合いもできたし」
それを聞いたフィオナが、少し寂しげな笑顔で答える。
「あの街が気に入ったようでしたら、それもいいでしょう。ただ、まもなく冬が来ます」
そう言って、ちらりと窓の外に目を向ける。
「道中は冷え込むでしょうし、ラカナへたどり着くまでに雪が降るかもしれません。そうなったら大変ですので……せめて春になるまで、ここに滞在しては?」
「あ……それがいいかも」
「今のうちに帝都、見ておきたい」
「……今まで来た時は、あんまりゆっくりできなかったしね。でも、冬の間だけで見て回れるかなぁ」
先の展望が見えて安心したのか、アミュたちの間の空気が緩む。
皇帝がこのままぼくらを捨て置くとも思えない以上、暢気な冒険者生活がいつまで続けられるかはわからないが……まあ仕方ない。
ぼくは小さく息を吐いて言う。
「悪いが、もう少し世話になる」
「いいえ」
フィオナが、仕方なさそうに笑って答える。
「臣民の平穏な生活を守るのも、皇室に連なる者の役目ですから」
それを聞いてふと、伝え忘れていたことを思い出した。
「そういえば、皇帝が最後に君への伝言を頼んできていたな。特に大きな意味があるようには思えなかったが」
「わたくしに……ですか?」
意外そうにするフィオナに、ぼくは内容を思い出しながら口を開く。
「『ぼくは負けないよ。たとえ、どんな強者が相手であっても。この国を、平和で豊かなものにするためにはね』……だったか」
「そう、ですか……」
フィオナはわずかに考え込んで言う。
「素直に捉えるのならば、セイカ様を支援しているわたくしへの牽制といったところでしょうが…………あまり、陛下のイメージには合いませんね」
ぼくも単なる牽制かと思っていたのだが、フィオナの考えは違うらしい。
難しい顔になって、フィオナは続ける。
「あの方のことは、本当によくわかりません。わたくしのことをどう思っているのかも……母のことを、どう思っていたのかも」
と、その時、フィオナは何かに気づいたかのような顔をする。
「……話は変わりますがセイカ様。陛下が連れているゴブリンは、ご覧になりましたか?」
「……ん? ゴブリン?」
「ああ、やはり謁見の際には連れていなかったのですね。みなさん誰も言及なさらないので、そうだろうとは思っていたのですが」
フィオナが納得したように言うが、話が見えなかった。
ぼくは訊ねる。
「なんの話だ? 皇帝が連れているゴブリンって」
「陛下は、この帝城で一匹のゴブリンを飼っているのです」
と、フィオナはそんな意外なことを言い始める。
「もっとも、飼っていると表現していいのかはわかりませんが……。檻にも入れずそばに置き、城内を連れ回すこともあるそうです。もちろん、人を襲ったりはしません。普通のゴブリンではなく、ゴブリン・カーディナルという珍しい種類で、群れでは仲間の回復に徹する大人しい性質なのだとか」
「ああ、名前くらいは聞いたことがある」
確か、ゴブリン・プリースト系統の上位種だ。
ゴブリンの群れにいても、攻撃してくることはないようなモンスターだと聞いているが……。
「昔、陛下が城に出入りしていた商人から買い求めたのだと聞きます。市井には広まっていませんが、隠しているわけでもないので知る者は多いです。中には、そのゴブリンこそが陛下の相談役なのだとのたまう者もいますが……あの陛下が、ゴブリン相手に悩みを打ち明けている姿はちょっと想像できませんね」
「……。うーん……」
ただただ、妙としか言えないような話だった。
少なくとも、謁見の間には連れてきていなかったはずだ。あの場にはそれらしい力の流れなどなかったから。
「……まあ、いくらなんでも相談役はないだろうな。愚痴にあの不快な鳴き声が返ってきて、気が晴れるとも思えない」
「あ、そのゴブリンですが、どうやら人語を話せるようで」
「人語を?」
思わず驚く。
前世では人語を話す妖など珍しくもなかったが、こちらのモンスターでそういう例はまったく知らない。
「それは本当なのか?」
「え? ええ。元から話せたのか、陛下が教え込んだのかはわかりませんが」
「だいぶ信じがたいな……」
「……そんなに、驚くようなことなのですか?」
きょとんとするフィオナに、ぼくは説明する。
「少なくともぼくはそんなモンスターを見たことがないし、見たという冒険者も聞いたことがない。文献でも読んだことがないな」
「へぇー……」
そこでフィオナは、なぜか室内の虚空をじっと見つめた。
それから、少し愉快そうな笑みを浮かべて言う。
「では人間と暮らすために、とてもがんばったのですね」
「うーん、その辺りはなんとも言えないが……」
妖によっては生まれながらに人語を話せたが……モンスターにもそういう種類がいたりするのだろうか?
小さく溜息をつく。
宮廷は、まったく理解しがたいことばかりだ。





