第二十五話 最強の陰陽師、真相を知る
「あの……」
帝城の回廊を行く。
第一皇子ヒルトゼールと、一悶着とは言えないほどのやり取りを終えた直後だが、この後は皇帝との謁見が待っている。
とはいえ、今は一人ではない。
ぼくは、傍らを歩く全身鎧の女騎士に声をかける。
「あらためまして、セイカ・ランプローグです。田舎貴族なのでご存知かはわかりませんが、現ランプローグ伯爵家当主、ブレーズ・ランプローグの三男です。お目にかかれて光栄です、エリーシア殿……」
一応、相手は公爵家という超上級貴族なので、それなりに格式張った挨拶をしておく。
「むっ、なんかよそよそしいな!」
しかし女騎士は、公爵令嬢とは思えない答えを返してきた。
「アタシはそういうのきらいだ! フィオナの友達なんだろー?」
「は、はあ……」
「じゃ、敬語とかいらないぞ!」
そう言って、エリーシアはガキ大将みたいな笑みを浮かべた。
あのパーティーの時、ヒルトゼールの隣で硬い表情をしていた女性がこれとは、少し信じがたい。
ぼくはやや唖然としながら言う。
「その、失礼で申し訳ないんだが……本当に公爵令嬢なのか?」
「そうだぞ! なんでだ?」
「いや、だって……」
そう思えない要素しかない。
とりあえず、あまり失礼じゃない、かつ一番気になるところを訊いてみる。
「……なぜ、それほど強い? 序列二位の聖騎士で、死霊兵の精鋭軍を壊滅させ、あの術士の首を取ってくるなんて……公爵家の娘として生まれた身で、どうやったらそこまでの力を身につけられる」
普通に考えればありえない。
剣や魔法を学ぶにしても、たしなみ程度なはずだ。
教養や礼儀作法などの習得に時間を取られ、技を極める余裕がない。何より、豊かな生活を送り、将来すら約束されている者が、強さを求める動機がない。
エリーシアは少し首をかしげた後、堂々と答える。
「わからん!」
「ええ……」
「もちろん、剣も魔法もがんばったぞ! でも、普通はがんばったくらいじゃ強くなれないらしいな……。なんでアタシだけ特別なのかは、知らん!」
「……」
唖然としていると、フィオナが補足するように言う。
「エリーシアはマディアス公爵家の長女に生まれ、公爵令嬢としてふさわしい教育を受けながら育てられました。貴族の娘としては珍しく剣の師匠をつけられ、魔法もたしなみ程度に学ばされたようですが、それだけです。特別な教育がなされたわけでも、本人が強さを求めたわけでもありません。いわゆる、英雄というやつですね」
英雄。
その意味の言葉は前世でもこの世界でも、複数の文脈で使われていたが……この場合は、ある特徴を持つ人間を指している。
異様なまでの強さだ。
血筋も環境も無関係に、突然この世に生まれ落ちる、なんの理由もなく強い者。人の身を超越する者。それが英雄だ。
前世でもいた。たった一振りの太刀で、おびただしい数の鬼や龍を斬った武者。八度の転生を重ね、上位龍にも匹敵する神通力を得た化け狐を、九つに裂いて封じた術士。
この世界ならば、あの死霊術士などがそれに当たるだろう。
そして言ってしまえば……ぼくもそういった連中の一人だ。
「ただ、残念ながら」
フィオナが苦笑とともに、エリーシアに顔を向けて言う。
「公爵令嬢には、あまり向いてなかったようですけれど」
「……そっちだって、ちゃんとがんばったんだぞ」
「……確かに、パーティーではかなり居づらそうにしていたな」
ぼくが言うと、エリーシアは先ほどまでとは打って変わってしゅんとした顔になる。
「社交界はきらいだ……。アタシが喋ると、みんないやな顔するんだ。言葉遣いが悪いとか、品がないとかって……。だから、じっと黙ってることにしてる」
「まあ……無理もないというか……」
「うふふ、わたくしは一生懸命おしとやかにしてるエリーシアも、かわいらしくて好きなのですけれど」
「やめろっ。あの時もいやだったんだっ、パーティーなんて出るつもりなかったのに!」
エリーシアが整った顔を歪めて言う。
「報告のために戻ってきたらあいつに見つかって、無理矢理連れ出された! あいつは本当に口がうまいんだ! 最悪だ!」
「……」
と、公爵令嬢がわめく。
その様子を見ながら、ぼくは静かに言う。
「報告、か……。やはりフィオナの指示で、ずっと動いていたのか」
「? そうだぞ! たまに戻ってきてたけどな! アタシは早馬より速いぞ!」
エリーシアが胸を張って言う。
転移魔法をあれほど自在に操れるのなら、それは速いだろう。西方で暗躍しながら、帝城へ報告に戻ってくることだって無理なくできる。
だが、問題はそこではない。
「思えば、聖騎士を動かしていると最初から言っていたな……。戦姫の噂も、君が流したものだったのか。フィオナ」
「いいえ。あれは自然発生したものでした。エリーシアが侵攻されそうな街の住民を追い出し、避難させていたのは本当のことですから」
フィオナが、特に取り繕う様子もなく普通に答える。
「エリーシアはとても強いですが……死霊兵の軍勢すべてを相手にできるほどではありません。鎮圧には、敵の死霊術士を叩くしかありませんでした。そのため消耗を避けつつ、わたくしが居場所を探り当てるまでの時間を稼ぐ必要があったのです」
フィオナは淡々と、事の真相を明かす。
「普通、略奪の対象と言えば何より食糧と水ですが、今回の場合は死体です。死霊兵は飲食による補給を必要としませんが、消耗した死体を交換しつつ、さらに軍勢を拡大しようとしていました。街を空の状態で明け渡すことは、敵の進軍を徒労に終わらせるという、消極的ながらも確実な抵抗だったのです」
合理的、ではあった。
西洋における古代の戦役の中でも、敵の侵攻に際し事前に街や村を焼き払うことで、補給を不可能にし撃退した記録が残っている。
こちらにも似たような歴史があるのかは知らないが、死体の軍勢相手によく考えついたものだ。
ただ……問題はそこでもない。
「もちろん、逃げた住民たちの生活もきちんと補償しています。戦乱で儲けた以上、傘下の商会にはしっかり利益を吐き出させていますので、そう遠くないうちに彼らも街へ戻れることでしょう」
後ろめたそうな様子もなく語るフィオナに、ぼくは言う。
「やはり……君は知っていたんだな。ぼくらが帝都に来るずっと前から、反乱軍の実態が死霊兵だったことを」
「……? ええ。それはもちろん」
やや怪訝そうな表情をしながら、フィオナがうなずく。
その反応に少々戸惑いつつも、ぼくは責めるように言う。
「どうして、ぼくたちに黙っていたんだ」
「……」
フィオナはいよいよ、この人は何を言ってるんだろう、とでも言いたげな表情になった。
予想外の反応に、ぼくはさらに困惑する。
「……あの時点ではまだ、帝都でその情報を掴んでいる者は限られていました。わたくしが実態を知り、動いていると、万一にもお兄様に気取られたくなかったのです。密談に不慣れなセイカ様たちには、帝都の中ではとても明かせませんでした」
不承不承といった様子で語っていたフィオナの表情が、そこで険しいものになる。
「今回の件では、わたくしにも言いたいことがあります。……どうして指示に従ってくださらなかったのですか。みなさんが死霊兵と交戦し始めたと報告を受けたときは驚きました。幸い、計画の変更までは必要なかったものの」
「……指示?」
ぼくは目を瞬かせる。
「なんの話だ……? 出立前に、何か言っていたか?」
「へ?」
フィオナもぽかんとした表情になる。
「いえ、出立前ではなくて……道中に、レンから聞いたでしょう? 一通りの事情と一緒に」
ぼくらは黙って顔を見合わせる。
それから……後ろを澄まし顔で歩いていた少年森人を、一斉に振り返った。
レンがぎくりとした顔になる。
「いっ、いや、これはその……」
しどろもどろになりながら言い訳を始める。
「お、おろかな人間に、ちゃんと伝えていたような……?」
「聞いてないぞ」
「おかしいですね~……失念したのでは? 困りますねぇひんへんはっへひゃへへふははい」
「フィオナっ! こいつクビにしよう! アタシにも斬りかかってきたんだぞ!」
エリーシアが、レンの両頬を左右から引っ張っていた。
フィオナが森人の聖騎士に冷たい視線を向ける。
「レン。正直に言いなさい」
「ほは……そ、そのう……」
両頬を解放されたレンが、目を逸らしながら言う。
「……ボクが一人で、敵の魔術師を倒してやろうかな~、って……姫様が目を掛けているほどの人間なら、ひょっとしたら居場所も探れると思って、それで……」
「……要するに、功を焦ったということですか」
フィオナが深く溜息をつき、少年森人を冷たく見据える。
「あなたの性格には問題があると思っていましたが……まさか、伝言すら満足にできないとは思いませんでした」
「しかもこいつ、アミュにも喧嘩を売って、挙げ句自分の剣を壊されてたぞ」
ぼくが告げ口をすると、レンが露骨に焦る。
「お、おろかな人間! 余計なことを……」
「はい?」
「いっ……」
フィオナの顔に浮かぶ表情を見て、レンが固まる。
「……はあ。レン、あなたは宝剣が直るまで謹慎です。それが明けてもしばらくはヴロムドかカヌ・ルと一緒に行動させます。あと減給です」
「そんなぁ~」
「そんなぁ~じゃないぞ!」
エリーシアがレンの頭をひっぱたく。
「アタシにはなんで攻撃してきたんだっ!」
「だ、だって……エリーシアとおろかな人間が顔を合わせたら、バレるかもしれないと思って……」
「そんな理由で森人の宝剣の魔法を味方に向けるなっ! アタシはなー、お前たちがフィオナの予定にない行動をとってたから、セイカとかいうやつが裏切ったんじゃないかって心配してたんだぞっ! お前だって殺されてると思ったんだ! アタシの心配を返せっ!」
「ほ、ほへんははい~」
エリーシアがまたレンの頬を引っ張っている。
あの日、ぼくがエリーシアにいきなり襲われたのは、どうやらそのような事情らしかった。
ぼくも思わず言う。
「お前、よく考えたらぼくたちに、責任がどうとかフィオナに迷惑かけるなとか散々言ってたけど、結局自分が一番迷惑かけてるし責任感も皆無じゃないか」
「い、言い過ぎではっ?」
「そんなことを言っていたのですか……あなただけは、それを口にする資格がないでしょうね」
呆れたように呟いたフィオナが、さらに追い打ちをかけるように言う。
「宝剣なしのあなたでは、グライにも勝てないでしょう。これからしばらくは九席を名乗りますか?」
「はぇ~っ!? ゆ、ゆるじでくだざい~」
レンが泣き始める。
どうやら、グライ以下は本気で嫌らしかった。
思った以上の本気泣きに、若干哀れに思えてくる。
そんなぼくの顔を見て、エリーシアが言う。
「気にすることないぞ! どうせ明日にはケロッとしてる。こいつはいつもそうだ」
「あ、そう……」
一気にどうでもよくなった。
ついでに、ぼくは気になっていたことを訊いてみる。
「さっきちらっと言っていたが、そいつが持っていた魔石の剣は直るのか? かなり希少なもののように見えたが……」
「直るぞ。破片を集めておくと勝手にくっつくんだ、ちょっと小さくなるみたいだけど。森人の里に伝わる宝剣らしい。こいつが、自分の里を出るときに盗んできたものだ」
「うわ……」
「だっで、ボグが一番上手ぐづがえるんでず~」
盗人本人が泣きながらなんか言っているが、普通に最悪だった。
若干引きながら言う。
「よくこんなのを聖騎士にしているな……」
すると、フィオナとエリーシアが顔を見合わせ、なんとも言えない表情を浮かべる。
「それは、そうですが……皆多かれ少なかれ癖がありますし……」
「少なくとも序列三位のやつよりはマシだ」
「ええ、あれよりはマシですね」
「いや……どんな集団だよ」
ぼくは呆れる。
こんなのが標準とはどうかしている。聖騎士とは本当に名ばかりのようだった。
典型的な、頭のおかしな強者ばかりで構成されているようだが、よくそんな連中を集めたものだ。フィオナが統制できているのが不思議すぎる。
「まあ、レンはまだ、状況を致命的に悪くしたことはありませんから」
フィオナが言う。
「今回も、むしろ……彼の功績というと腹立たしいですが、みなさんが死霊兵を倒してくれたおかげで、民の犠牲が減りました。その分時間も稼げたので、もしかしたらテネンドの防衛も死霊術士の討伐も、みなさんの働きがなければ叶わなかったかもしれません」
「……そうか」
ぼくは小さく呟き、言う。
「あの峡谷の街は、守れたんだな」
「はい。ただ、軽くない損失は出しましたが……」
フィオナが難しい顔で口ごもる。
「死霊兵の急襲に対抗するため、街に繋がる橋を二つとも、エリーシアの魔法で落とさざるをえませんでした。しばらくの間、人の流れに支障をきたすことになるでしょう」
ぼくは、台地の上に築かれた街、テネンドの威容を思い出す。
街を挟む峡谷にかかっていた橋が両方失われたのなら、街へ行き来するには背後にある険しい山林を通らなければならなくなる。死霊兵の侵攻は確実に止められただろうが、確かに損失としては軽くない。
フィオナが言う。
「しかし、幸いにも人命は失われずに済みました。橋の再建費用も、おそらく国庫から助成されるでしょう。ダラマト侯爵は政治的な力も強い方ですので、そのあたりはうまくやると思います」
それから、フィオナが付け加える。
「この程度で済んだことは、本当に幸いでした」
「……そうだな」
アミュが強く言わなければ、ぼくたちが西方の地に向かうこともなかった。
もしそれが、テネンドの民を助けたのだとしたら……あの子ががんばった意味も、あったのかもしれない。
その時、ふと気づく。
「ところでなんだが……ぼくらとのすれ違いが起こっていたことは、未来視でわからなかったのか?」
レンの独断専行を事前に知れれば、封をした手紙を預けて道中で開封させるような対策もとれたように思える。
訊かれたフィオナが、苦い顔になる。
「……残念ながら、わかりませんでした。この力の欠点です」
フィオナは続ける。
「レンが功を焦ったことによって、悪いことが起これば気づけたのでしょうが……結末が望ましい形だった以上、わたくしは未来に問題がないと捉えていました。するとレンの企みに気づくには、それが発覚した、まさに先ほどの瞬間を視なければなりません。どの場面を視られるかまでは、わたくしの思い通りになりませんので……」
「ああ、なるほど……」
なんとなく、未来視の扱いにくさがわかってきた。
万能でないことはわかっていたが、思った以上に不便そうだ。未来が視えるといっても、布にあいた虫食い穴から外の景色を覗くようなものなのかもしれない。
「それで……君はよく、あんなのと渡り合えているな」
未来が視えるのならば、あらゆる政敵に先んじられるものと思っていた。
ただ、そう都合よくはいかないらしい。
皇女とはいえ、フィオナも十六の少女にすぎない。帝国の宮廷など、魔境に等しいはずなのだ。
「そこは、努力です」
そう言って、フィオナは顔の前で両手を小さく握って見せた。
それは年頃の少女らしい、しかしあまり謀略家らしくはない、かわいげのある仕草だった。
フィオナは笑みとともに言う。
「わたくしは負けません。ヒルトゼールお兄様にだって」
「……」
ぼくは沈黙とともに、あの第一皇子のことを思い出す。
恐ろしい男だった。
知性も、冷酷さも……己が皇帝になるのだという、その狂気的な信念も。
ぼくの力を知りながらもその前に立ちはだかり、まるで死を恐れる気配のなかったあの狂気は、どこから来たものなのだろうか。
「あいつは、自分に厳しいんだ」
その時、エリーシアがぽつりと言った。
「アタシは許嫁だったから小さい頃から知ってるけど、すごかったぞ。剣を振っては倒れ、呪文を唱えては倒れてた。皇帝になるならこれくらいできなきゃダメだって、あの体で言うんだ。もう何度、医者のところに背負っていったかわからない。ただのたしなみ程度の、剣と魔法でそれだ。勉強なんて、厳しい家庭教師が本気で心配するほど入れ込んでたみたいだった」
エリーシアが、表情を曇らせながら続ける。
「次期皇帝に自分がふさわしいって、あいつが言ってるのは……それが本当のことだからなんだ」
「本当のこと……?」
「本当に、あいつが一番ふさわしいって意味だ。体の弱さを差し引いても、ヒルトゼール以上に皇帝をうまくやれるやつがいない。本人はそう思っていて……たぶん、それは事実なんだ。もし自分以上に皇帝にふさわしい者が現れれば、あいつはきっとそれを認めて、悔しくても身を引く気がする」
「……」
ぼくは沈黙を返す。
理解できる気がした。
仮にもっと適した人物がいるのなら、二番目の派閥が皇帝派になんてならない。現時点で養子の候補がいない以上、宮廷の外で見つかることも期待できないだろう。
たとえ数万の犠牲を払っても、それ以上に国を富ませ、帳尻を合わせる。
ただ冷酷で狂気的なだけではなく、その程度のことをあれはやってのける気がする。
皇帝が凡夫には務まらない地位ならば、あの男こそ、その地位にふさわしいのかもしれない。
しかし――――それを肯定できるかは、別だ。
「ふさわしいだけじゃ、ダメなんだ」
エリーシアが彼方を見つめるように、視線を上げて言う。
「あいつには足りないものがある。そのせいで、きっと民は苦しむ。誰かが止めなくちゃならないんだ」
「だから君は……フィオナに忠誠を誓っているのか?」
エリーシアを見つめ、ぼくは問う。
「ヒルトゼールの婚約者で……未来の皇妃という立場でありながら」
本来ならば、敵対派閥のはずだ。
フィオナに与することは、ヒルトゼールを裏切り、自らが皇妃になる未来を捨てることを意味する。
この女騎士が皇妃の地位を積極的に求めているとも思えないが、それでも公爵家の行く末を大きく左右することになる。決して軽い決断ではないはずだ。
「それはちょっと違うぞ」
エリーシアが、小さく笑って言った。
「あいつを止めたいのは本当だ。でもそれだけじゃない。フィオナには恩があるんだ」
「……恩?」
「そして、今では友達だ。仲良くなったからわかった。フィオナはあいつにないものを持ってる。フィオナならきっと、いい皇帝になれるって! だからアタシは、聖騎士になったんだぞ!」
エリーシアが、にっと笑う。
ぼくはというと、彼女の語った話の内容に、やや違和感を覚えていた。
エリーシアにとってのフィオナ以上に……フィオナにとってエリーシアは、喉から手が出るほど欲しい人材だったはずだ。
これほどの英雄は、この世界にそうはいない。
そんな相手に恩を売れたとなると、フィオナは相当な幸運に恵まれたことになる。
ふと、フィオナに目をやった。
聖皇女は微笑んでいる。
その時――――ぼくは急に気づいた。
「ああ……そうか」
幸運じゃない。
フィオナは初めから、自分が差し出せるものを欲するエリーシアに目を付け、近づいたのだ。
未来視を使えば、機会も演出できる。恩だって売れるだろう。
あとは簡単だ。交流を結び、自分の持つ価値を認めさせるだけ。
ヒルトゼールに対抗できる派閥と、帝位の継承権を持つ自分自身という価値を。
相手に、決してそうとは悟らせない形で。
フィオナはそのようにして、条件に合う強者を探し出しては聖騎士としてきたのだろう。
皇帝という地位は、凡夫には務まらない。
ならば彼女には――――どうだろうか?
「そうだっ。セイカも、聖騎士にならないか?」
「えっ」
突然の提案に、ぼくは動揺の声を上げた。
エリーシアが、まるで名案を思いついたかのように続ける。
「聖騎士になれば、セイカを利用しようとするやつも寄ってこなくなるぞ! 何かあっても、フィオナが助けてくれる!」
「……」
「それに、お前が仲間になってくれたら心強いぞ!」
エリーシアが快活な笑みで言う。
それは、確かにぼくにとって利益がある提案ではあった。
勇者一行は今、フィオナの庇護下にあることになっている。ただそれは、あくまで暫定的なものだ。アミュ、あるいはぼくに目を付けた者が寄ってくる可能性はいくらでもある。
政治的にも、守ってくれるだろう。
しかし――――それでは、ヒルトゼールの下につくのと何も変わらない。
「……エリーシア。ダメですよ、セイカ様を困らせたら」
ぼくが何か答える前に、フィオナが割って入ってきた。
「セイカ様には、セイカ様の仲間がいるのですから」
「えー? でもなぁ!」
「聖騎士は今でも足りています。無理を言って引き入れるものではありません」
「うーん、そうかー? それなら仕方ないなー……」
エリーシアは残念そうにしていた。
ぼくは少々の気まずさを感じながら、フィオナに言う。
「……悪い」
「いいのです」
フィオナは、仕方なさそうな笑みを浮かべていた。
「セイカ様を、政争に巻き込むつもりはありませんから」
「……助かるよ」
どうやら、ぼくの思いを汲んでくれているようだった。
ふと思う。
そういえば……フィオナはなぜ、ここまでぼくたちに世話を焼いてくれるのだろうか?
勇者やぼくの力を巡る、帝国の混乱を防ぐため。何らかの望ましくない未来を視て、それを避けるために動いているのかと思っていたが……それにしてはずいぶん、親しげにしてくれている気がする。
「ですが」
ぼくが何か言う前に、フィオナは少しいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「そろそろ、うれしい言葉が欲しいですね」
「え……? 何のことだ?」
「ほら、セイカ様。わたくしに、なにか言い忘れていることはありませんか?」
にこにこと、楽しげに言うフィオナ。
その時……ぼくは気づいてしまった。
思わず微妙な表情になる。
しかし、さすがに二度目だ。いくらなんでももう逃げるような振る舞いはできない。
溜息をつきたい気持ちを我慢しながら、ぼくは口を開く。
「その……君は今日も綺麗だ、と思う」
「……へ?」
「パーティーの時のドレスもよく似合っていた。これまで生きてきて、君ほど美しい女性は見たことがない……気がする。本当に」
「は……はい!?」
「……こういう感じでよかったか?」
やや居心地の悪い思いをしながらも、訊ねる。
フィオナは……首筋から頬までを赤らめ、目を丸くしていた。
口は何かを言おうとしているが、何も言えずにあわあわするばかり。
「な……そんっ……うぐ……」
「……どうした?」
「いえっ、ち……ち、違います! そうではなくてっ」
「え?」
「ほ、ほら! 危ないところだったでしょう! お兄様との、あの、先ほどの! 助けに入ってさしあげたではないですかっ」
「あ……ああ」
フィオナにしては珍しく、動揺しきりで話す内容にもまとまりがなかったが、さすがにぼくも誤解に気づいた。
苦笑しながら言う。
「そっちか。悪い、本当に助かったよ。最悪、ヒルトゼールの陣営に取り込まれていたところだった……。世話をかけるのも二度目だな。感謝している」
フィオナもその実、剣呑な政治家の一人だ。
本当ならば、無闇に近づくのも避けるべきなのかもしれない。
ただそれでも、ぼくやアミュたちのために動いてくれた彼女のことを、できる限り信じたいと思った。
「はい、はい……そうです、それでいいのです。はぁ……」
フィオナはなぜかぼくから顔を逸らし、こくこくとうなずいていた。
手で顔をぱたぱたと扇ぎながら、何やら呟く。
「か、完全に不意打ちでした……まさか、あのセイカ様から、あんな……うふ、うふふふふっ」
それから、どういうわけかにやにやし始めた。
後ろを歩く二人の聖騎士が、こそこそと言い合う。
「こんなフィオナ初めて見たぞ……!」
「姫様もああいう顔するんですねぇ……」
ぼくは、今さらながらに恥ずかしくなってきた。
誤解にもほどがある。なぜあのタイミングで、容姿を誉めろと促されたことなんて思い出したのだろう。
思わず取り繕うように言う。
「なんだか、とんだ思い違いをしていたな……。さっきのは忘れてくれ。君ならもっと、気の利いた賛辞を聞き慣れているのだろうし」
「いえ、忘れません」
フィオナが真顔で答えた。
****
回廊は続く。
ぼくらの間にも、いつの間にか言葉が尽きていた。
やがて――――その部屋の前にたどり着く。
「残念ですが、わたくしたちはここまでです」
足を止めたフィオナが、真剣な表情で言う。
「陛下がどのようなつもりで、セイカ様一人を呼んだのかはわかりません。ですが……」
「わかってるよ」
ぼくは軽く笑って答える。
ただのねぎらいなどでは、決してないだろう。
だが、それでも。
「大丈夫、あれと顔を合わせるのも二度目だ。それに、何があろうと」
謁見の間の扉を振り返り、それに手を触れる。
笑みを消して呟く。
「別に死ぬわけじゃない」
ぼくならば――――たとえどんな罠が待ち受けていようと、それが可能だった。
扉を強く押し開ける。





