第二十四話 最強の陰陽師、助けられる
振り返る。
「お兄様ったら……あまり、セイカ様をいじめないでください」
ドレスを身に纏い、水色の髪を背に垂らした、美しい少女。
フィオナ・ウルド・エールグライフ――――聖皇女の姿が、そこにあった。
その傍らには、澄ました顔で控えている聖騎士レンの姿もある。
「やあ、フィオナ」
ヒルトゼールが、変わらない声で異母妹の名を呼ぶ。
しかし……その笑みは、わずかに崩れていた。
「いじめるだなんてとんでもない。僕たちは今、二人で大事な話をしていたところなんだ。……邪魔をしないでもらえるかな」
「うふふふっ。その大事なお話――――」
口元に手を当て、フィオナは上品に笑う。
「――――わたくしも混ぜてくださいな」
その時。
不意に力の流れとともに――――回廊に人影が出現した。
全身鎧。腰には剣。篭手を嵌めた右手で、麻袋のようなものを握っている。
その姿には、見覚えがあった。
「戦姫……っ!?」
突然の事態に身構える。
だが奇妙なことに……ぼく以外の者たちは、突然転移によって現れた戦姫にそれほど驚いている様子がない。
「手土産を持ってきました」
笑みを崩さず、フィオナが言った。
反面、ヒルトゼールの表情は曇っていく。
「さあ、お兄様にお渡ししてあげて――――エリーシア」
それを合図に。
戦姫が、右手に持っていた麻袋を、無造作に放った。
麻袋は中に丸い物が入っているらしく、ヒルトゼールの方へところころと転がっていく――――床に血の跡を残しながら。
やがて青年の足元で、麻袋は止まった。
その口からは、わずかに毛髪がはみ出している。
「……」
ヒルトゼールは杖をついたまま屈むと、左手で毛髪を掴み、持ち上げた。
麻袋が外れ、中身が露わになる。
「っ……!」
ぼくは息をのむ。
それは、人の首だった。
呆けたような表情で固まっている、老人の首。
さらに言えば――――それはどこか、死霊術の中継役に使われていた、中年男の顔に似ている。あれが二十も歳をとれば、こうなるのではないかという顔だ。
「っ、まさか……!」
――――あの死霊術士の首なのか?
状況が掴めないぼくだったが、混乱の原因はもう一つあった。
フィオナは……あの女騎士を、先ほどなんと呼んだ?
「出会うのは三度目だな、セイカ・ランプローグ!」
どこか子供らしい溌剌さの残る声で、女騎士が言った。
「あの時は無礼なヤツとか言ったが……すまん! よく考えたら、まだちゃんと挨拶もしてなかったな!」
女騎士が、その兜を取る。
パーティー会場で見た覚えのある、艶のある金髪が流れた。
ぼくよりもいくらか年上に見えるその女性は、整った顔にやや子供っぽい笑みを浮かべて、口を開く。
「聖騎士第二席、エリーシア・バド・マディアスだ! マディアス公爵家の長女で、フィオナの友達で、あとそいつの婚約者だぞ!」
ぼくはあんぐりと口を開けた。
およそすべての情報がありえなかった。何から訊けばいいのかわからない。
「……やっぱり、君は僕の邪魔をするんだね。エリーシア」
自らの婚約者を見つめながら、憂いの籠もった表情でヒルトゼールは言った。
「ああそうだ! 企みは挫いたぞ、ヒルトゼール!」
エリーシアは婚約者を鋭く睨み返す。
「死霊兵の軍勢は全滅させた! 術士だって倒した! テネンドの街は、今も無事だ!」
その言葉に……ぼくは、自分でも意外なほど安堵した。
ヒルトゼールは小さく嘆息すると、自らが掴んでいる死霊術士の首に視線を落とす。
「あれほどの魔術師が、負けたのか……少し信じられないな。これは本当に本人のものかい? あの男は同じような顔の死体をたくさん作っていたから、僕ですら判断がつかないのだけど……君には見つけ出せたと? フィオナ」
「ええ」
微笑をたたえ、フィオナがうなずく。
「知っていましたか? お兄様。死霊術には、死体以外にも必要なものがたくさんあることを。どれだけ卓越した術士であろうと、様々な素材や道具の多くは、買わなければ手に入らないのです」
「……物資の流れを押さえられたか。商会に顔が利くのは厄介だな」
ヒルトゼールは苦々しげな表情を浮かべる。
「だが、あの男がその程度の用心を怠ったとも思えないが」
「ええ。拠点を複数構え、物資の搬入も分散させているようでした。しかし……人間用の食糧が搬入されていたのは、常にそのうちの一箇所だけです」
「ああ……はは、なるほどな」
ヒルトゼールが失笑を浮かべ、左手の生首を眼前に掲げる。
「どれだけ死体に親しもうと……結局こいつ自身は、生者に過ぎなかったというわけか」
青年が首を放り投げる。
稀代の死霊術士は、首だけで回廊を転がり、壁にぶつかって止まった。
「今回は……ずいぶん思い切った手を打ったものですね、お兄様」
フィオナが、笑みを消して言う。
「わたくしの支援者に損害はないばかりか、混乱に乗じて利益を上げた商会も多かったのですが……とても看過できませんでした。さすがに、目に余ります」
「残念だよ、フィオナ」
失望したように、青年は異母妹を見つめる。
「弟たちとは違い、賢い君なら理解してくれると思っていた。次期皇帝は、どう考えても僕以外にありえない。それを妨げようとする者は、帝国を混乱に陥れる危険因子だ。排除するためならば、多少の犠牲はやむを得ない」
「なに言ってるんだ! そんなわけないだろっ!」
エリーシアが、強く言う。
「お前から人が離れていくのは、お前自身が不甲斐ないからだ! 陛下の長男という立場と、自分の頭のよさを過信して、応援してくれる人たちの心を繋ぎ留めてこなかったからだろっ! そういう自分の至らなさを、民の命で補おうとするなっ!」
ヒルトゼールの表情が歪む。
エリーシアはなおも続ける。
「お前の妻にはなってやる! 子供だって産んでやる! だけど、皇帝にだけはさせないぞ! 人命を軽んじるお前に、民の暮らしを預かる資格はない!」
そして――――聖皇女を、手で示して宣言する。
「次の皇帝にふさわしいのは、フィオナだ!」
回廊に、沈黙が訪れる。
ヒルトゼールとフィオナが、視線を交錯させる。
だが……やがてヒルトゼールの方が、ふっと笑って視線を下げた。
「今回は僕の負けだ。大人しく引き下がることにするよ」
そう言って、一歩足を踏み出す。
ぼくの横をすり抜け、エリーシアとフィオナの傍らを通って、回廊の向こうへと歩き去ろうとする。
杖をつき、緩慢に歩を進める青年の背を、ぼくは見ていた。
その視線に気づいたかのように……ヒルトゼールはふと足を止め、ぼくを軽く振り返って言う。
「さようなら、セイカ・ランプローグ」
第一皇子が歩き去って行く。
その後ろ姿を、ぼくはずっと見つめていた。





