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最強陰陽師の異世界転生記 ~下僕の妖怪どもに比べてモンスターが弱すぎるんだが~  作者: 小鈴危一
九章(死者と帝国編)

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第二十二話 最強の陰陽師、死霊術士に会う


 夜の帳が降りようとしていた。

 夕闇がさらに陰る時分。荒れ果てた街の広場を、十歳ほどに見える女の子が一人で歩いていた。その胸には、一冊の古ぼけた本が抱きかかえられている。

 死霊兵に襲われた街の、生き残りの一人だった。


 広場に、他に人影はない。当座しのぎに片付けられた瓦礫が、無造作に積み上げられているだけの、生気のない空間。女の子の他に動くものは、数匹の蛍の光だけだ。


 女の子は、広場に面した建物の一つ――――唯一窓から灯りが漏れているその家に、入っていこうとする。

 だが扉に手を伸ばしたその時、広場の中心に立つぼくの姿を視界に捉えたようだった。


「わ……」


 女の子は一瞬びくりとしたが、ぼくの顔をまじまじと眺めたかと思えば、急に笑顔になる。


「あ……お兄さん」


 その小さな女の子は、ぼくとアミュが瓦礫の下から助けた子だった。

 笑顔のまま、その子は言う。


「戻ってきてくれたんですか? うれしいです! まだみんな、不安で……また、いつあれが攻めてくるかって……お兄さんが戻ってきたって知ったら、きっとみんな安心すると思います」


 ぼくは何も答えない。

 女の子は笑顔で話し続ける。


「あれから、少しずつですけど……わたしたちにも、元の生活が戻ってきてるんです。今日はお芋と野菜が手に入ったので、スープを作ったんですよ。あの赤い髪の女の人も来てるんですか? よかったら、一緒にどうですか?」


 ぼくは答えない。

 妙な話だった。


 助けたこの女の子と、ぼくもアミュも、会話らしい会話をしていない。

 瓦礫から引っ張り出し、気を失ったように見えたこの子を、街の避難場所に預けてそれきりだった。

 普通なら、顔を覚えられているはずもない。


 女の子は笑顔で話し続ける。


「お二人のおかげで、お父さんも元気になったんです。ほら、お父さん!」


 女の子が、家を振り返る。

 扉が開き、灯りが漏れ……そこから一つの人影が歩み出した。

 ありふれた格好をした、どこにでもいそうな中年男。


「あ……あぁ……」


 男は、ぼくではなく虚空を見つめていた。

 半開きの口が、虚ろな言葉を紡ぐ。


「ああ……ありが、とぉ……」

「もう、お父さん! ちゃんと喋ってよ!」

「あぁりが、とぉ……むす、すめを、たすすけけ」

「たすけて、くれれて、ありが……とぉ……」


 別の声が響いた。

 隣の暗い家から、一人の中年男が姿を現す。

 ありふれた格好をした、どこにでもいそうな、まったく同じ顔の男が。


「かんんしゃ、して、ますす……」

「たすかり、まし、まし……」


 西の路地から、二人の中年男が歩いてくる。


「しぬかとおもっ、おもったた……」

「いきいきててて、よかったた……」


 商店と民家の屋根の上で、それぞれ中年男が立ち上がる。


「でもも、もっとはややく……」

「はやくきて、きてきてくれれれば……」

「あんなに、くるるしまなくて……すんだだ、のに……」

「なんでで、なんで……」

「そんなにに、つよよくて、どうしてて……」


 瓦礫の陰から、建物の窓から、煙突の先から。

 ありとあらゆる場所から、同じ顔の中年男が湧き出てくる。


「……つまらなかったかね?」


 女の子の姿をした、何者かが言った。

 すでに、その顔からは笑みが消えている。


「残念でならないよ。せっかくこんな趣向を凝らしたというのに……。やはり生者の相手は難しいな」


 口惜しそうに、死霊術士が言う。

 その口調も話す内容も、幼い少女の姿にはまったく似つかわしくない。


 中年男の死霊兵に囲まれながら、ぼくは問う。


「ぼくの来訪を予期していたようだな」

「もちろん」


 少女の姿をした死霊術士が、その容姿に不相応な、鷹揚な笑みとともにうなずく。


「小生は死霊術士だ。操る死体は人間ばかりではないよ。知っていたかね? 鳥の視界は人のそれよりも優れていることを。色だけは妙なのだが、あれは人には見えない色が見えているのかもしれないな」


 死霊術士が、どこか得意げに語る。

 普通、死霊術士が死体と視界を共有することはできない。目の前の術士が語るそれは、一般的な死霊術からは大きく逸脱した技だった。


「それにしても……君もずいぶん奇妙なドラゴンを従えているね。あれが死んだ際には、ぜひ譲ってもらいたいものだ」

「それは難しいな」


 ぼくは静かに答える。


「あれの滅びを見ることなく……今夜、其の方の命運は尽きることになる」

「なんと、血の気の多い生者だ。しかし――――」


 ぼくに凄まれようとも、死霊術士にはどこか余裕があるように見える。


「――――問答をする気はある。違うかね? 確か、そう……セイカ君だったかな? 本名かは知らないが、君はあの時そのように呼ばれていたね」


 沈黙を保つぼくにかまわず、死霊術士は続ける。


「君には知りたいことがあるはずだ。同じ、術士の道を究めし者として。もっともそれは、小生の側も同様だがね。差し支えなければ、こちらから始めさせてもらおう……どうしてこの場所を?」


 まるで哲学者のような口調で、死霊術士は問う。

 ぼくは一拍置いて口を開く。


「距離の軛だ」

「ほう」

「どんな術も、距離が離れるほどに効果が弱まる。これほど広範囲に広がる大量の死霊兵を操るには、工夫が必要だ……其の方の工夫が、それなんだろう」


 ぼくは視線で、死霊術士の背後に立つ中年男の死体を示す。


「特別な、同じ形の死体を使い、術を中継させている。ぼくたちがここで瓦礫の下から引っ張り出した死体とまったく同じ顔の死体を、別の場所で見つけた」

「ほう。それは運が良い」


 死霊術士が感心したように言う。


「中継役の死体は少ないのだがね。よく見つけたものだ。死者をまとめて火葬に付してしまうか、あるいは顔がわずかにも傷つけば、それだけで発覚することはないと踏んでいたのだが」

「運じゃない。死体を傷つけずに軍勢を無力化するなど、ぼくには容易いことだ。状況にも慣れ、こちらにも余裕が生まれた。死者を弔う程度の余裕が」


 そう、決して幸運などではない。

 アミュが死者を弔おうとしたからこそ。

 レンに打ち勝ったからこそ。

 敵の手を見抜き、ぼくはここにたどり着けた。


「こちらに運があったとすれば……それは其の方が存外に間抜けだったことだ」

「ふむ……」

「その顔の死体を父などと呼ぶ者がいれば、何かあると考えるのは当然だろう。今振り返れば、意味不明の一手だ」

「ふむ……いや、参るね。その通りだよ。ただ、あの場ではそれが最善手だと思ったんだ」


 死霊術士が苦笑する。


「あの時小生が恐れていたことは、中継役の死体を調べられることだった。余計な痕跡を残さないようにはしていたが、何か見落としがあるかもしれない。住民の死体に見せかけたかったのだ。とっさの判断にしては、我ながら名演だと思ったのだが……完全に裏目に出たようだね」


 死霊術士は語り続ける。


「あれは、こちらにとっては不運な邂逅だった。この街は工房の一つにするつもりで落としたのだ。しかし満足な態勢も整わぬうちに、君たちがやってきてしまった。小生もずいぶん慌てたよ。瓦礫の下に隠れたつもりが、うっかり赤髪の少女に見つかってしまう始末だ。今回の広域実験にほころびが生ずるとすれば、やはりあそこからだろうと思っていた」


 ぼくは小さく息を吐く。

 あの不可解な一幕には、なんらかの意図があるか、あるいは罠の可能性も考えていたが、単に偶然が引き起こしたものだったらしい。

 だが、不可解なことはまだ残っている。


「こちらからも問おう……其の方の、その体はなんだ?」


 ぼくは、眉をひそめながら続ける。


「中継役となる死体があるとすれば、それは術士の似姿だろうと思っていた。だが実際にはまるで違うばかりか……これだけのことをやってのけるには、およそありえない姿をしている」

「……小生にここまで迫ったにしては、退屈な問いだね。答える価値を感じないな」


 死霊術士は、どこか落胆したように言う。


「代わりに、秘密を一つ明かそう。周りにいる彼らを、よく見てみるといい」


 広場を囲むように立つ、同じ顔の男たちを見回す。

 よくよく観察すると、それはまったく同じ顔というわけではなかった。

 わずかに太い顔、細い顔。丸い顔、角張った顔。色の白い顔、黒い顔に、傷のついた顔もある。

 首から下にも違いがあった。近い体型ではあるものの、太さや身長が少しずつ異なる。

 服装もだ。ほとんどがありふれた格好だが、中には鍛冶屋や料理人の装束ばかりか、女物や子供が着るような服まで混じっている。


「……まさか」


 ぼくは呟く。


「これらは……この街の住民だった者たちか」

「明察だ」


 死霊術士が満足げにうなずく。


「君たちが助けた生者たちを、余すことなく使わせてもらったよ。望みの形の死体を作るには、生きているうちから取りかからねばならない。この街に生き残りを用意したのも、元々これらの素体とするためだったのだ」


 死霊術士が上機嫌に語る。


「死体の成形は元来とても面倒なものだったのだが、今回の広域実験にあたり、治癒魔法を利用する手法を新たに開発してね。これが我ながら、なかなかに画期的だった。多少間違えて切り刻んでも元に戻せるうえ、肉の結着にかけていた時間を大幅に短縮できる。おかげで短期間のうちにこれほどの中継用死体を用意できてしまったよ。もっとも、死んでしまっては治癒魔法がかけられないために、素体が生きている間にすべてを終わらせねばならないという難点もあるがね。体の動きを封じる呪詛が効きにくい者などは、処置の最中に泣き叫ぶこともあって心が痛むのだが……死んでしまえば皆同じ。そのように考えて割り切ることにしているよ」


 死霊術士の口調は、まるで自らの発見を興奮気味に語る学者のようだった。

 人の身から逸脱したような強者の中には、精神が破綻している者も珍しくない。

 目の前の術士はまごうことなく、そういった類の破綻者であるようだった。


「何が目的だ」


 ぼくは問う。


「何を求め、そこまでのことをする」

「求道だよ」


 目の前の死霊術士は、当然のように答える。


「探究、それ自体が目的だ。他に何があると言うのかね? 死体という(ゼロ)を、価値を持つ(イチ)へと変換する。死霊術には無限を超えた意義がある。それは世界すら大きく変えてしまえるほどのものだ」


 少女の姿をした術士が語る思想は、まさしく破綻者のそれだった。

 死霊術士は憂うように続ける。


「とはいえ……小生も、ただ多くの実験材料があればいいわけではない。今回の広域実験は、支援者の意向によるものでね」

「っ……!」

「世知辛いものだ。探究には金がいくらあっても足りない。状態のいい死体以外にも、必要な道具は多いのだよ。貴重な物はそれだけ高く、たくさん必要な物も、やはり高くついてしまう。生者の中で生きられない小生にとって、支援者の存在は欠かせないものだ。要望にはなるべく応えねばならない」

「やはり……協力者がいたのか。誰だ」


 ぼくは鋭く問う。


「其の方の背後には誰がいる」

「おっと、それは答えられない」


 死霊術士がにやりと笑う。


「生者と会話をするのは久しぶりでね。ついつい余計なことを喋ってしまったようだ。これ以上は許してくれたまえ」

「……そうか」


 言いながら、ぼくは周囲にヒトガタを浮遊させる。


「ならば、其の方はもう用済みだ」

「問答はもう終わりかね?」


 少女の姿をした死霊術士は、拍子抜けしたように目を瞬かせた。


「小生の研究成果を、もっと知りたくはないのかね? 先日はついに、雌の死霊鼠の受胎、出産実験に成功したのだ。仔はもちろん生きているよ。理論上、これは人にも応用可能だ。生者の感情には明るくないが……配偶者を亡くした男などは、喜ぶのではないかね?」

「興味が持てないな」


 周囲のヒトガタが、呪力の漏出により青く瞬く。


「其の方に教えを請うことは、何もない」

「……残念だよ。ではこちらも、この問いで最後にするとしよう」


 死霊術士が、ぼくをまっすぐ見つめて告げる。


「君は何者だ?」

「……」

「小生は死霊術を究めるため、あらゆる魔法や、それに関わる物事の知識を蒐集した。今やどのような研究家にも負けない自負がある。その小生をもってしても、君の力は理解不能だ。不可思議な召喚術によって喚び出される、奇妙な剣やドラゴン。原理すら不明の符術。何から何まで、小生の知識にはないものだ」

「……」

「少年よ……それらをどのようにして会得した?」


 死霊術士の目には、深淵を見通そうとするかのような光が宿っていた。

 ぼくは、わずかにも表情を変えることなく言う。


「答える気はない。答えたところで、其の方には理解できないだろう」

「ふ……そうか。ならば小生も、君に用はなくなった」


 少女のたおやかな手が、抱えていた本を開く。

 凄まじい力の流れとともに、ページから光の粒子が噴出した。

 それは死霊術士の背後に流れ、次第に実体化していく。


「最後に、小生の最高傑作を見せてあげよう」


 姿を現したそれは――――奇怪なドラゴンだった。

 翼を持った、本来のドラゴンの体。そこから、七つもの異なる首が生えている。

 元々のドラゴンのもの。どこか華奢なヒュドラのもの。目を持たないワームのもの。三角形に近いワイバーンのもの。魚鱗に覆われたシーサーペントのもの。尋常な首はここまでだ。残り二つは、背景が透けて見える霊体のような首と、長い頸部の先に据えられたただ一つの赤い巨眼だった。


 およそありえない造形だった。

 元々多頭を持つヒュドラにすら、このような種はいないだろう。頭部が重すぎるのか、全体が前のめりになっている。体表の鱗すらも、ところどころで色や形状が違っていた。


「どうだね?」


 どこか自慢げに、死霊術士が言う。


「用いた素体だけで、城が建つほどの価値を持つ一体だ。小生の探究の結晶だよ。君の感想をぜひ聞かせてほしかったところだが……さすがにもう、口が利けないかな」


 死霊術士が愉快そうに言う。

 継ぎ接ぎドラゴンの霊体と巨眼の首が、今もぼくに劇烈な呪詛を送っていた。

 赤い巨眼の邪視によって動きが妨げられるとともに、霊体の首の呪いによってぼくの全身に楔形の呪印が浮かび始める。

 あの霊体の首は、おそらく亜竜の一種であるカースドラゴンのもの。赤い巨眼は大きさからしてサイクロプス、その邪眼個体から摘出したものだろうか。


「君を死霊兵にすることは、残念だけど諦めよう。そこまで甘い相手ではなさそうだからね」


 残る五つの首が、大きく引かれた。

 大きな力の流れが渦巻き始める。

 死霊術士が、鷹揚に告げた。


「では、跡形もなく死にたまえ」


 継ぎ接ぎドラゴンが、息吹(ブレス)を吐き出した。

 ドラゴンの口から炎が、ヒュドラの口から毒気が、ワームの口から溶岩が、ワイバーンの口から風刃が、シーサーペントの口から水流が放たれ、広場に荒れ狂う。

 その凄まじい反動により、継ぎ接ぎドラゴンの巨大な上半身が一瞬浮き上がっていた。

 中年男の死体たちが、ただの余波のみで燃え上がり、刻まれ、飲み込まれ、流されていく。

 仮に直撃すれば、尋常な人間なら死霊術士の宣言通り、跡形もなく消滅していただろう。

 ――――だが。


「……感想、か」


 莫大な出力の息吹(ブレス)は、どれ一つとしてぼくに届くことなく消失していた。

 ヒトガタに囲まれた結界の中で、ぼくは死霊術士に告げる。


「バランスが悪く見えた頭部が息吹(ブレス)の反動を相殺していたのは、意外に機能的に思えた。ただ――――」


 口も体も、動きに支障はない。呪印も、結界を張る前に消えていた。

 あの程度の呪詛など、対処の必要すらない。


「――――やはり致命的に、趣味が悪いな」

「……驚いたね」


 光の円柱の中で、死霊術士が強ばった笑みを浮かべる。

 その傍らには、いつの間に喚び出したのか、神官姿の死霊兵が二体立っていた。おそらく息吹(ブレス)の余波を防ぐため、二体がかりで解呪の結界を張らせたのだろう。


「その結界は一度見ているが……今の息吹(ブレス)すら防いでしまうのか。小生が知る符術の結界に、そこまで優れたものはなかったはずだがね」

「さあ? 其の方の知見が狭いだけだろう」


 言いながら、ぼくは新たに位相からヒトガタを引き出す。

 そして、口だけの笑みとともに告げる。


「面倒な動く死体も、これだけで静かになる」


 言葉と同時に、ヒトガタを散らした。

 それは瞬く間に四方八方へ飛び、街を囲むように配置されていく。

 軽く印を組む。

 各ヒトガタに呪力が込められ――――街一つを包み込む、巨大な結界が完成した。


 死体がどうなってもかまわないのなら、死霊兵の相手など簡単だった。

 ただ、解呪して死体に戻してやればいい。そしてそれは、陰陽術の得意とするところでもある。


 予想通り、結界が完成した瞬間……残った中年男も、神官の死霊兵も、継ぎ接ぎドラゴンも、糸が切れたかのように体勢を崩す。

 ――――だが。


「っ……!?」

「ふふ」


 結界によって術を解かれたはずの死霊兵たちが、倒れることはなかった。

 一瞬体勢は崩したものの、すぐに何事もなかったかのように立ち上がっている。

 ぼくは、事態を理解できない。


「どうなっている……?」

「一度見た、と言っただろう? 当然、対策も考えてある」


 不敵な笑みとともに、死霊術士は言う。


「その結界は呪符を頂点とした、立体の範囲に展開される。そこに隙があるのだよ。呪符は地下に潜らせることはできない。そのため、地下にその効果がおよぶことはない」

「……」

「したがって、地下に魔法陣を仕込み、術を維持しつづけることで回避が可能なのだ。接地面からの魔力供給が無効化されないかは賭けだったが……どうやら、小生は勝ったようだね」


 陰陽術の結界を攻略してみせた敵の術士に、ぼくは沈黙で答える。

 指摘は事実だった。

 結界の張り方にもよるが……ぼくがよく使うものは、地下までは効果がおよばない。

 ただ、まさか遠隔で一度見ただけの術士に、このような形で攻略されるとは思わなかった。発想も、それを実現する技術も、はっきりと常人の域から外れている。


 ただの異常者ではない。

 前世でも見たことがないほどの、道を究めた死霊術士。


「とはいえ」


 死霊術士が、神官の死霊兵を振り返って言う。


「やはり死霊兵の使う魔法は無効化されてしまうようだ。この分なら息吹(ブレス)も無理だろうね。しかし、問題はない」


 突然、広場の石畳が大きな音を立てて弾け飛んだ。

 地面の下から、何か大きな影が立ち上げる。


「オ゛……オ゛ぉ……」


 二丈(※約六メートル)近くもある巨大な人型の死体。それはどうやら、巨人であるようだった。

 次々と、地下から死霊兵が湧き出てくる。

 赤い肌の鬼人(オーガ)の死体。黒い毛並みを持つ熊人(ゆうじん)の死体。戦斧を持った、大柄な悪魔の死体までも。


「こんなこともあろうかと、地下には召喚用の魔法陣も仕込んでおいた。とっておきの、魔族の死霊兵たちだよ。生半可な剣や魔法は肉体だけで跳ね返し、人間など素手で引き裂いてしまう。結界が通じないこれらを相手に、君はどう戦う?」


 死霊術士が、突撃の号令を下す。


「願わくば、綺麗に死んでくれたまえ」


 魔族の死霊兵たちが、地を蹴った。

 ぼくはすでに、一枚のヒトガタを浮かべている。

 小さな嘆息とともに、呟く。


「まあいいか」


 片手で印を組む。


「どうせ、最後にはこうするつもりだったんだ」

《召命――――餓鬼(がき)


 空間の歪みから――――大量の妖が湧き出てきた。


「む?」


 死霊術士が動揺の声を上げ、死霊兵たちも足を止める。


 気味の悪い姿をしたその妖は、魔族の体格と比べるまでもなく、小さかった。

 人間に近い形ではあるが、その背丈は子供ほどしかない。加えてひどく痩せ細っており、まるで飢餓に直面した孤児のように、腹だけが張り出している。

 その目は、飢えを満たす物を求め、暗く輝いていた。


 餓鬼たちは、地面に降り立つやいなや駆け出した。

 そして、最も近くにいた巨人の死霊兵の足首に、一体の餓鬼が噛み付く。

 巨人が抵抗する間もなく――――その部分が、青い炎をあげて消失した。


「オ゛ッ……」


 バランスを崩し、巨人の死霊兵が倒れる。

 倒れた巨体に他の餓鬼が群がり、食らいつく。噛み付かれたところから、巨人の体は青い炎とともに消失していく。数度瞬きする間に、その大きさは半分ほどになってしまった。


 同じことが、広場のあちこちで起こっていた。


 下半身を消され、鬼人(オーガ)が倒れ伏す。上半身を消され、熊人が足だけで立ち尽くす。片腕を消された悪魔の死霊兵が戦斧を振り下ろすも、餓鬼はその刃にすら食らいつき、青い炎とともに消失させた。見る間に、悪魔の死体は頭だけになった。


「なん、だというのだ……これは、いったい……」


 目の前に広がる光景を愕然と見つめながら、死霊術士が呟く。


「グル゛ル゛オ゛オ゛オ゛ォォォ……ッ」


 継ぎ接ぎドラゴンが絶叫をあげ、暴れていた。

 首や尾が振るわれ、周囲の建物が崩壊していく。


 見ると、その巨体のそこかしこに、餓鬼が食らいついていた。

 厳めしい鱗をものともせず……そればかりか、霊体でできているはずのカースドラゴンの首にすら噛み付いて、青い炎とともに消失させていく。

 その体は、目に見える速度で小さくなっていった。


「ありえない……」


 今や失われようとしている、最高傑作の継ぎ接ぎドラゴンを振り仰いで、死霊術士が呆然と呟く。


「なんだ、あの奇怪なゴブリンは……腹に収まる以上の体積を、消失させている……? 転移魔法の類なのか? いやしかし、そのような形跡は……」

「あれは哀れな妖でね」


 ぼくは独り言のように言う。


「常に飢えているが、決して何かを食することはできない。口に入れたそばから、あらゆるものがあのように燃え、消えてしまうんだ。生前に欲深かった者が、死後に罰を受けた姿とも言われている」


 もちろんそれはただの迷信で、餓鬼という妖がそのような性質を持っているだけだ。

 噛み付いたものを消失させる現象も、餓鬼自身の神通力によって引き起こしている。


「はあ?」


 まるで馬鹿げた冗談を聞いたかのように、死霊術士が引きつった笑みを浮かべた。


「はは……なんだそれは。馬鹿馬鹿しい。そのようなことがあるものか……。人は死ねば、それまでだ。抜け殻である死体と、残り香のような霊魂が残るだけ。そのはず……そのはず、なのだ。だが……」


 死霊術士が頭を抱える。


「……わからない。あれの生態も、原理も。あれがどのようなモンスターなのか、なぜあのような現象が起こっているのか……小生には想像もつかない。なんということだ、なんと、なんと……」


 死霊術士は、少女の顔に喜悦の表情を浮かべる。


「なんと……すばらしい! 小生に計り知れぬことが、世界にはまだまだ存在しているようだ! 道は続いている……小生の究めるべき道は、まだ到底見通せぬほどに……あぐっ!」


 呻き声をあげて、死霊術士が倒れる。

 その両足に、二体の餓鬼が食らいついていた。

 皮膚の垂れた醜悪な口元に、青い炎があがる。


「ああ……はは。いい痛い……」


 死霊術士は自らに噛み付く餓鬼を振り向くと、短くなっていく足を認めて、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「ふ、不思議だ……噛まれた先の感覚が、一瞬でなくなっていく。まま、まるで、この世から消えているかのようだ……ああ、痛い、痛い……ふふ。いいぞ、これは……これは、きっと……」


 その目に、冷徹な光が差す。


()に生かせる」

「其の方に、次があると思うか?」


 ぼくは、死霊術士の体を喰らう餓鬼を呪力で止めながら言った。

 いつのまにか、周囲には何もなくなっていた。

 魔族の死霊兵も、継ぎ接ぎドラゴンも……そればかりか、瓦礫や民家でさえ。

 すべて、飢え続ける妖によって跡形もなく消されていた。


 餓鬼が集まってくる。

 唯一残った食物である死霊術士の体を、暗く輝く目で見つめている。


「無論、あるとも」


 下半身の大部分を消され、地面に這いつくばる死霊術士が、笑って答える。


「よもや、君が最初に発した問いの答えが、まだわからないとは言うまいね?」


 ぼくは小さな舌打ちとともに言う。


「やはり……その体は死体か」


 可能性はあった。

 少女の体が本体ならば、中継役の死体をあのような容姿にする理由がない。

 ただ、確信が持てずにいたのだ。


 死霊術によって蘇った死体が、生者とまったく同じ行動をとることはない。

 この少女の体は、まるで生者のように振る舞っていた。

 これほどに精密な操作をなしえる死霊術は、ぼくの理解をはるかに超えたものだった。


「ふふ。敵に自分を晒すなど、三流の死霊術士がやることだ。小生が、その程度の腕前に見えたかね?」


 餓鬼の群れに囲まれながら、どこまでも余裕の表情で、死霊術士は言う。


「失策だったね」

「何……?」

「君のモンスターが何もかもを食い尽くしてしまったおかげで、君は小生への手がかりを完全に失ってしまった。もう、再び相見えることはないだろう」

「別にかまわないさ」


 死霊術士を見下ろしたまま……飢えた妖の群れに、ぼくは号令をかける。


「――――食い尽くせ」


 餓鬼たちが一斉に、死霊術士へと群がった。

 残っていた少女の上半身が、激しい炎とともに一瞬でこの世から消失した。


 妖を戻す位相の扉を開きながら、ぼくは呟く。


「どうせ、手がかりなんて残していなかっただろう。それに――――」


 生者の失われた街を振り返り、わずかに表情を歪めた。


「――――あの子にこれ以上、墓穴を掘らせるわけにはいかないからな」

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