第十九話 最強の陰陽師、戦姫に会う
数日後、ぼくたちはまたもや別の街にやってきていた。
幸い今回も間に合ったようで、ぼくの前では死霊兵の軍勢が、街に向かって進行している。
「して」
ユキが、頭の上から小さく顔を出して言う。
「あれらのうまい倒し方は、なにか思いつかれましたか?」
「まあね」
軽く答えながら、ぼくは片手で印を組む。
《召命――――鴆》
空間の歪みから、一匹の妖が姿を現す。
それは、一見すると普通の鳥のようだった。
猛禽のように大きな体。その全身は紫がかった黒に染まっており、嘴のみが赤い。
首の長い優美な影は、天竺に棲まうクジャクにどこか似ていた。
ぼくは死体の軍勢を指さし、その妖に向けて告げる。
「行け」
「ぽぽっ」
鴆は、鼓を打ったような奇妙な鳴き声で答えた。
翼を広げ、妖が飛翔する。その姿も、普通の鳥と何も変わらない。
やがて鴆が軍勢の上空に差し掛かった時――――それは起こった。
「オ゛ッ……」
小さな呻き声とともに、鴆の下を行軍していた死霊兵たちが次々に倒れ始めた。
ただの一体も例外なく、足を止め体を強ばらせたかと思えば、地に伏していく。そのまま起き上がる気配もない。
見ている限り、鴆は何もしていない。ただ飛んでいるだけだ。それにもかかわらず、まるで見えない足が草むらを踏み倒しているかのように、真下の死霊兵たちが倒れていく。
その時、鴆に近づきすぎた一体の式神の視界が消えた。
別の視界でそちらを確認すると、媒体のヒトガタが朽ち、力を失って空を落ちているようだった。
ユキが意外そうに言う。
「おや、死体にも鴆毒は効くのでございますね。セイカさまの毒の煙は効きませんでしたのに」
「そりゃあな。妖が神通力で作った毒だ、普通の毒とは違う」
鴆は、その身に猛毒を宿す妖だ。
その毒が効果をおよぼす相手は、人や獣に限らない。田畑の上を飛んだだけで作物は枯れ、樹に止まれば枝が朽ち、石ですらも割れ崩れてしまう。
それだけ聞けば呪詛のようだが、鴆が毒の妖だと言われる由縁は、羽根を酒に漬ければその劇烈な毒素を抽出できる点にある。この性質により、鴆は古くから人々の間で毒殺などに利用されてきた。暗殺を恐れた唐土の帝が、鴆の目撃された山を焼きはらったなどという伝説まであるほどだ。
毒の強さはある程度コントロールできるようなのだが……おそらくあれでもまだ全力ではないだろう。
「……どうやら、終わったようだな」
そんなことを考えているうちに、最後の死霊兵が倒れていた。役目を終えた鴆が意気揚々と戻ってくる。
「ぽぽぽぽ」
「ご苦労。ほら」
そう言ってパン屑を放ると、鴆は待っていたかのようにつんつんと食べ始めた。
その姿はまるで鶏だった。妖とは思えない。
鴆は、クジャクと同じく毒蛇を好むと言われる。
しかし実際には、虫でも木の実でも米でもパンでも、やればなんでも食べる。
毒が流れてしまうためなのか、妖には珍しく酒を好まないが、そういうところも含めてほぼ鳥だった。
パン屑を食べ終えて満足そうにしている鴆を、位相に戻す。
それから、倒れている死体の群れの様子を、カラスの式神を飛ばして確認していく。
「うん。予想通り、綺麗に倒せたな」
多少皮膚に爛れは見られるが、調べるのに支障はなさそうだった。
その爛れも、毒を抜けばいくらか薄まるだろう。鴆の毒は死体に残るので、後で焼くにしろ周りに拡散しないようそうした方がいい。
と、この後の運びを考え始めた――――その時だった。
「……ん?」
カラスの視界、倒れた死体の群れの中心に、一つの人影が立っていた。
上等な全身鎧を纏い、剣を提げている。
周囲の死霊兵と比べると、ずいぶん充実した装備だった。兜に隠れて顔はわからないが……鎧の形状や立ち姿から、女のように見える。
ぼくは眉をひそめる。
つい先ほどまで、あんなのはいなかったはずだ。
光属性魔法で、毒を回復できる死霊兵がいたのだろうか。確かめるべく、式神のカラスを降下させる。
全身鎧の騎士は、腰をかがめ、死体から何かを拾い上げていた。
カラスがさらに降下し、それが何かわかる。
どうやら死霊兵が武器にしていた、手斧のようだ。
不意に――――騎士が、カラスを振り仰いだ。
式神の視界を通じ、騎士とぼくの視線が交錯する。
「っ……?」
次の瞬間、騎士がカラスに向け、手斧を投擲した。
刃物が迫ったかと思えば、式神の視界が消失する。
「……!」
式神が落とされた。
驚いて、自分の視界に意識を戻す。
遠く佇む騎士は、ぼくを見ていた。
落とした式神ではなく、術士であるぼくを。
「ああ……少々厄介そうな相手だ」
呟きながら、ヒトガタを浮かべる。
念のため妖を呼びだしておこうと、片手で印を組んだ……その時。
騎士の姿が、一瞬かき消えたかと思えば――――ぼくの目前で、その剣を振り上げていた。
「……っ!!」
振り下ろされた鋼の剛剣を、浮遊する銅剣が受けた。激しい金属音が響き渡る。
ギリギリで比々留斫の召喚が間に合った。ただし、あまり状況はよくない。
騎士の膂力は凄まじく、比々留斫は押されていた。柄の目玉が焦ったようにぎょろぎょろ蠢いている。
比々留斫と切り結べている時点で、剣も相当な業物だ。鈍ならば、受けた時に逆に両断しているはず。
妖と騎士の鍔迫り合いによって生まれたわずかな時間で、思考を整理する。
騎士が現れた瞬間、力の流れを感じた。転移魔法だ。ならば、闇属性を使う魔法剣士の類か。
方針を決めると、ぼくは顔をしかめながら呟く。
「なかなか面倒だな」
《木の相――――蔓縛りの術》
騎士の足元から、太い蔦が伸び上がる。
それは鎧の上から巻き付き、騎士の体を拘束するかに思われたが。
「……!」
力の流れが生まれると同時に、騎士の周囲に炎が巻き起こった。
蔦はそれに飲まれ、あっけなく焼け落ちていく。
「火属性魔法か……」
少し予想外の対応をされたが、残念ながらそれは悪手だ。
《木の相――――蔓縛りの術》
先ほどの三倍の量の蔦が、地面から噴出する。
鎧の不燃性を頼りに炎で燃やそうとも、いずれは伝わってくる熱に中の人体が耐えられなくなる。同じ手は何度も使えない。
「……ちっ」
小さな舌打ちの音。
同時に力の流れが生まれ、騎士の姿がかき消えた。
「そうだ」
そこで転移するはずだ。
ぼくは即座に、相手の剣が急に消えてつんのめっていた比々留斫の柄を掴んだ。
そのまま、勢いよく背後に振るう。
それはぼくの背後に転移し、振り下ろされていた騎士の剣を弾いていた。相手の動揺の気配が伝わってくる。
一方で、ぼくも思わず顔をしかめていた。
「っ……」
重い。
気功術による膂力と、比々留斫の神通力が乗って、騎士の剣はなお重かった。
しかし、それでも弾けた。狙い通りだ。
比々留斫が剣を受け、ぼくが術を撃ち放題になっていたあの状況を、騎士は脱しなければならなかった。
それには転移しかない。そして最も不意を突ける移動先は、完全に視界から外れる背後。
まあ、それだけに読みやすかったわけだが。
体勢の崩れた騎士へと、ぼくは一歩踏み込む。
剣の間合いの、さらに内側に入り、鎧に一枚のヒトガタを貼り付ける。
《陽の相――――発勁の術》
騎士の体が、斜め上方に向かって撃ち出された。
《発勁》は殺傷効果こそないが、初見ではかなり対処しづらい。普通なら何が起こったかすらわからないだろう。
空中に撃ち出せば、剣を突き立てて止めることもできない。高速で飛ばされているあの状況では、移動先座標の指定が満足にできず、転移もままならない。
とはいえ……苦し紛れの転移などしたところで、無意味な手で仕留める。
《陽木火の相――――燈瀑布の術》
巨大な炎の波濤が、騎士に襲いかかった。
燃え盛る油の波は、一面を火の海に変える。とっさの転移ではとても逃げ切れない。
勝負が決するかに思われた、その時。
騎士の持つ杖剣に、強い力の流れが迸り――――次の瞬間、波の進行を阻むかのように、虚空から巨大な氷塊が落下した。
「な……」
氷に触れたところから、炎が消えていく。
油が冷え、燃焼を続けられる温度を下回ってしまったのだ。
騎士は体を反転させ、逆方向に凄まじい風属性魔法を放った。
反作用で《発勁》の勢いを止めると、空中で兜越しに、ぼくを睨む。
「……まずいな」
すぐさま比々留斫を後方に放り投げ、位相へと還す。単体で歯が立たないなら邪魔なだけだ。
力の流れとともに、騎士の姿がかき消えた。そして一瞬の後、ぼくの眼前に現れる。
騎士は、剣を引き絞っていた。
次の瞬間――――空間すら裂かんばかりの刺突が繰り出される。
それはぼくの心の臓を正確に貫き、息の根を止める……ことはなかった。
騎士がその剣先に捉えたのは、ただ一枚のヒトガタ。
「転移はぼくもできるんでね」
後方の式と位置を入れ替え、騎士から間合いを空けたぼくは、すでに印を組んでいた。
騎士の足元に残していた、一枚のヒトガタに呪力を込める。
《金の相――――針山の術》
騎士を中心とした辺り一帯に、鈍色の巨大な棘の群れが突き出した。
転移による回避を許さない、再びの広範囲攻撃。だがこれで仕留められるとは思っていない。
案の定、騎士は針山地獄を躱していた。
地を蹴り、さらには伸びてきた棘すらも蹴って、空中に逃れている。
だが、ここだ。
《土の相――――天狗髭の術》
火山岩繊維の糸が、神速の鞭となって放たれる。
狙いは足。棘の先端を切り飛ばしながら、《天狗髭》が騎士に迫る。空中ならば躱せないはずだ。
しかし。
ヂンッ、という音。
同時に、騎士の左右に屹立していた棘が糸によって切り飛ばされた。
騎士は剣を振り上げた体勢のまま、平らの断面を晒す棘の一つに、その足で着地する。
ぼくは舌を巻いた。
騎士は下段からの斬り上げで、《天狗髭》の糸を切断したのだ。
ほとんど視認できない細さのうえ、高速で飛翔している強靱な糸を、初見で。
感心している場合ではない。振り上げられたままの剣には、大きな力の流れが渦巻いている。
杖剣が振り下ろされたのと、ぼくがヒトガタを周囲に配置し終えたのは、同時だった。
次の瞬間――――赤熱する巨岩が、虚空から大量に降り注いだ。
轟音とともに、周囲の大地が壊滅していく。
直撃する分は結界によって消滅するが、その高熱は空気を伝わり、ぼくにまで届いた。
頬に痛み。指で触れると、血が滲んでいた。どうやら周囲で砕けた石の破片が、飛んできて掠めたらしい。
身代による治癒が終わると同時に、魔法の隕石も止む。
騎士は、同じ場所に立っていた。さすがに消耗したらしく、息を切らしたように肩を上下させている。《天狗髭》を切断した際に端が掠めたのか、左の篭手からは血が滴っていた。
しかしその時、左腕に光属性魔法の淡い光が灯った。
ぼくはその意味を察し、呟く。
「治癒魔法まで使えるのか、あいつ……」
光が消え、騎士が感覚を確かめるかのように篭手を開き、握った。どうやら回復されてしまったようだ。
ぼくはわずかに苦い顔になる。
なかなかに剣呑な相手だ。
上位魔法を六属性分、完全無詠唱で発動している。さらには達人と呼べるほどの剣技に、膂力と戦闘勘まで備えている。黒鹿童子を相手取っても、それなりにいい勝負をしそうなほどだ。
初手からずっと拘束を試みていたが、どうにも難しい。
普通の拘束方法では転移で抜け出されてしまうし、かといって即死しない程度に痛めつけようにも、半端な術では今のように対処されてしまう。他の目もある手前、目立つ妖も使いづらい。
小さく嘆息し、気持ちを切り替える。
苦戦の一方で、確信できたこともあった。
拘束が難しいなら、この場で対話を試みるのも悪くない。ぼくはわずかに笑みを浮かべると、騎士に告げる。
「其の方は、どうやら死者ではなさそうだな」
いくらなんでも、こんな死霊兵はありえない。
もっとも、死霊術士でもないだろうが。
黙って返答を待つ。騎士は、息を整えるような間を置いた後、怒鳴るように答えを返してきた。
「なにやってるんだ、お前っ!」
その声は高い。女のものだった。
それは予想していた通りだ。しかし、意外な部分もある。
これほどの実力があるにもかかわらず、強者らしい圧がない。なんだか乱暴な子供のような喋り方だった。
そもそも、返答の意味もわからない。
「……何? どういう意味だ、何が言いたい」
「なにやってるって訊いてるんだっ。もしかして、お前……敵になったのかっ!? あいつはどうした!?」
「……。悪いが、其の方がぼくに何を問いたいのかわからない」
ぼくは、嫌な予感がし始めていた。
人の身から逸脱したような強者の中には、精神が破綻している者も少なくない。
まったく噛み合わない話の内容からするに、この女騎士もその類である可能性がある。
「何をしているのかと訊かれれば……見ての通りだ。帝国のため、街を襲う死霊兵を倒している」
「はあ~っ? 帝国のためっ? よくそんなでたらめが言えたな!」
女騎士が、怒りとともに叫ぶ。
「勇者の仲間が、この件に手を出すなっ!!」
「っ!?」
ぼくは衝撃に目を見開いた。
「なぜ……そのことを知っている」
てっきり、死霊術士側の戦力なのではないかと思っていた。
だが、勇者の派遣を知る者は限られる。ならばこいつは宮廷の差し金、あるいは皇帝の私兵か。
いや……死霊術士側が、協力者から情報を得ている可能性も捨てきれない。
混乱の中、ぼくはただ問う。
「其の方は……何者だ?」
「……お前、思ったより無礼なヤツだな! アタシは……」
と、その時。
女騎士を、炎と風と氷と砂礫の刃が襲った。
「うわっ!」
完全に不意を突かれた女騎士が、切断された棘の上から弾き飛ばされる。
ただ、思ったよりダメージがなさそうに見える。力の流れを見るに、どうやらあの鎧も魔道具で、いくらか魔法を無効化しているようだった。
「あははぁ、助太刀しますよーっ、おろかな人間!」
針山地獄の外側から、レンが叫んでいた。
らしくもなくどこか焦り気味に、上空へ振り抜いた魔法の刃を翻す。
「さすがのあなたでも、“戦姫”相手は荷が重いようでっ」
「戦姫……」
言葉を反芻すると同時に、再び刃となった魔法の群れが女騎士へと向かう。
先の攻撃で弾き飛ばされていた女騎士は、一際高く伸びた棘の先端に掴まるようにして、針山の間にぶら下がっていた。
間近に迫る極大の魔法と、それを操る少年森人の姿を見た彼女は、
「はあっ!?」
と、困惑と驚愕が等分に混じり合ったような声を上げていた。
そんな女騎士に、レンの魔法が容赦なく襲いかかる。
途上にある棘が、ことごとく破壊されていく。やはりかなりの威力だ。
だが彼女に到達する寸前、それは大幅に減衰していた。
女騎士の周囲には、円柱状に淡い光が灯っている。どうやら魔法を無効化する結界であるようだ。
しかし――――光の円柱は、次第に削られ始めていた。
この女騎士の展開する結界でも、レンの魔法は防ぎきれないらしい。
「く……っ!」
悔しげな声を漏らして、女騎士の姿がかき消える。
転移した先は、レンとは反対側の、針山の外だった。
「お前たちのことは、報告しておくからなーっ!!」
そんな言葉を残し、女騎士の姿がまた消える。
どこにも現れない。空を飛ばしているカラスの視界で確認しても、転移した先はわからなかった。おそらくだが、遠くに見える森にでも逃げたのだろう。
ぼくは小さく嘆息する。
「いやあ、危ないところでしたね。おろかな人間」
振り返ると、レンが小走りで駆けてきていた。
あまり体力がないのか、すでに額に汗が滲んでいる。
ぼくは訊ねる。
「あれが……戦姫なのか?」
「え? ええ。そうなのでは?」
レンが額の汗を拭いながら、澄ました笑みで答える。
「もちろんボクも初めて見ましたけど。あれほどの強さで女騎士となれば、噂の戦姫しか考えられないでしょう」
「……そうか。確かに、そうかもな」
反乱軍に先んじて来訪し、無類の強さで街を奪い取ってしまうという戦姫。そんな噂があったこと自体、すっかり忘れていた。
当初は反乱軍の指導者の可能性を考えていたが、少なくともそうではないようだ。
ただ……それ以外、何もわからなかった。
果たしてあれが、誰の駒なのかすらも。
再び嘆息する。
どうも、面倒事ばかり増える。





