第十八話 最強の陰陽師、予想する
「まったく、敵の術士には驚かされる」
その日の夜。
ぼくは再び、街の外に出ていた。
死体置き場に人気はない。例によって、蛍が数匹飛んでいるだけだ。
ぼくは呆れ半分に呟く。
「まさか、死霊兵に死霊術を使わせるなんて」
魔法を使う死霊兵がいた以上、それはまったくおかしなことではなかった。
だがやはり、現実に見ると驚かざるを得ない。
「さすがに反則じゃないか? 死霊兵に死霊術を使わせ、その死霊兵に死霊術を使わせれば、いくらでも兵力を増やせる。もちろん魔力の限界や、質のいい死霊術士の死体が都合よく手に入るのかという問題で、現実には難しいだろうが……」
とはいえ、工夫次第でなんとかなりそうな気もしてくる。
特に死霊術を極めたような術士であれば、なおさら。
「しかしその死体を操る死体は、倒されたのでございますよね? なにか手がかりは見つかりましたか?」
ユキが頭の上から顔を出して言う。
「殺めた住民を取り込んでいた以上、死体を操れる死体は敵の重要な戦力だったはず。ならば、その居場所に繋がる痕跡が残っていてもおかしくありません」
「……いや、残念ながら何もなかったよ」
ぼくは首を横に振って答える。
「死体の首には、ギルドの認定票が下がっていた。どうやらただの、冒険者の死霊術士だったみたいだ。どこかの街で取り込んで、他の死霊兵と同じように戦力として動員しただけだろうな」
「……そのように偽装した、とは考えられないので?」
「まあ、ないだろ。死んだワームの使い方が下手すぎた。普通なら地下に潜らせるところを、地上を這わせて味方まで巻き込む始末だ。さすがにあれが演技とは思えない」
「むぅ……」
「重要な戦力なら、敵ももっと大事に扱ったはずだ。殺した住民の死体を死霊兵にしているのも別の方法だろう。もっとも」
ぼくは付け加える。
「術の痕跡は結界のせいで消えてしまったから、確かなことは言えないけどな」
「……あの、セイカさま」
ユキが言いにくそうに言う。
「どうしてあの時、結界を使われたので? 手がかりが失われるからと、避けていたではございませんか」
「あの場ではとっさに体が動いてしまったが……今思い返しても、別に悪い判断じゃなかったと思うよ」
まず最初にワームを無力化しなければならなかったのだが、近くにいたローブの死霊兵を巻き込まず、動きを止める方法は限られた。
さらに、そちらに手間取れば軍勢がますます散兵化し、鎮圧により多くの時間がかかることになる。
その時間的余裕で、妙なことをされないとも限らなかった。
こと呪いにおいて、ぼくが後れをとるとは思わない。しかしだからといって、今回の敵は舐めてかかれる相手でもないのだ。
失策だったと言いたげなユキに、ぼくは軽い調子で言う。
「結界を使わなかったとしても、どうせ手がかりなんて見つからなかったさ。そんなに甘い相手じゃない。それより……今日はわかったことが二つあった。戦果としては悪くない」
「む、わかったこととは?」
「一つ目は、城塞都市を落とした手段だな……ワームを使ったんだろう」
反乱軍が死霊兵だった以上、内通者に城門を開けさせるような手は使えるはずがなく、どうしたのかとずっと疑問だったのだが……今日やっとわかった。
街の外から中に向かって穴を掘らせれば、城壁なんて関係ない。そこから大量の死霊兵を送り込める。
ワームは死体でもいいし、昼間のように調教師の死霊兵を使ってもいい。用いる方法はいくらでもある。
今回、防衛の強固な街に対してあの部隊を向かわせていたことからも、間違いないように思えた。
さすがにワームの数は限られるだろうから、昼に潰せたのはおそらく敵の主力の一つだろう。運がいい。
ユキが言う。
「それはようございましたが、これから攻められる都市の住民でもなければ、あまり関わりのない話でございますね。して、もう一つは?」
「敵の死霊術が、距離の制約を逃れている方法だ」
ぼくは言う。
「やはり、死体に死霊術を使わせている。そうとしか考えられない」
予想はしていたが、今日確信した。
ただの死霊兵に死霊術が使えるのなら、ぼくの想像するような方法だって可能なはずだ。
ユキが訊ねる。
「昼間のような、死体を操る死体の兵を使っているということでございますか?」
「普通の死霊兵とは違うだろう。そのやり方だと、末端の死霊兵ほどコントロールがしにくくなってしまう。もっと洗練された方法……おそらくだが、自分の似姿となるような死霊兵を作って、術を中継させているんじゃないかと思う」
「似姿……とおっしゃいますと?」
「そのままの意味だよ。自分によく似た死体だ」
ぼくは言う。
「似れば似るほど、呪いがよく伝わるようになるからな」
「あー……そういえば、前世にてセイカさまが弟子にそのようなことを語っていた場面を、見たことがあるような……」
「そりゃああるだろう。呪術思考の基本の一つだ。弟子には何度も説明している」
ぼくは続ける。
「形が似ているものには、同じ性質が宿る。人間はそのように思い込む傾向がある。もちろん、実際には違う。藁人形に髪の毛を入れ、釘を打ち付けたところで、それはただの器物に過ぎない。物理的には、髪の持ち主になんの損傷も与えられるはずがない」
ただ、とぼくは続ける。
「そこに思いが乗れば別だ。藁人形こそが髪の持ち主なのだと信じ込めば、釘を打つ行為は呪詛となり、本当の持ち主にまで届く。呪術の理屈など知らない素人でも、時に他者を呪うことができるのは、呪いの本質が意識にあるからだ。魔法もそこは変わらない」
呪いも技術の一つだ。
理屈があり、方法論があり、他人に教えることができ、同じ過程から同じ結果を導くことができる。
そして他の技術が、時に理屈よりも感覚や力に重きを置くことがあるように、呪いも思いの強さが重要になる場面がある。
「術に使う道具の形を何かに似せることは、その思いを強める工夫の一つだ。陰陽師の呪符が人の形をしているのもそれだな。これは逆も然りで、たとえば木彫りの熊を使って人を呪えと言われたら、ぼくでもかなり苦しいだろう。どうしても意識が熊に引っ張られてしまう。何も使わない方がマシなくらいだ」
「……」
「ん? どうした?」
「あ、いえ」
なぜか黙り込んでいたユキに問いかけると、はっとしたような返事が返ってきた。
「ええと、それならば……敵の術士は自らに似た死体の兵を用意し、それに呪いを伝わせている、ということでございますか」
「ぼくの予想ではな。死霊兵を自分自身だと強く思い込むことで、まったく同じ術を使わせる……ような理屈なのだと思う。中継役の死体を一定の間隔で配置できれば、それで距離の軛から逃れられる」
「となりますと、敵によく似た死体を見つけられれば、何らかの手がかりが得られる可能性がございますね」
「ああ」
うなずいて、ぼくは言う。
「まあ敵の顔なんて知らないから、見つけようがないんだけど」
「そうでございますねぇ」
敵の手の予想がついたからと言って、別に状況が進展したわけではなかった。
ぼくは続けて言う。
「むしろ、協力者との通信手段の方からたどった方が早いかもしれないな」
「そういえば、そのようなこともおっしゃっていましたね。なにか当たりは付けられたので?」
「残念ながら、今のところはまだだ」
ぼくは渋い顔になって答える。
「死体で術を中継できるのなら、鳥の死体に手紙を運ばせるとか、一応方法はある。ただ、この手の術士がそんな誰でも思いつくような手を使うとは思えないんだよなぁ。もっと速くて、秘匿性の高い方法を考え出している気がする」
「鳥は十分速いのではございませんか? それ以上となりますと……」
「大声を上げれば音の速度、狼煙や旗なら光の速度だ。周りにバレバレで伝えられる距離も短いが、速さだけはある」
「音や光に、速さがあるのでございますか」
「ああ。音は意外と遅いぞ。光はとんでもない速さだけどな」
話しているうちに新しい考えが浮かぶかと思ったが、うまくいかなかった。
そもそも、今その手段に当たりを付けるのは無理なような気がしてくる。
「まあ……わかるはずもないか。通信なんて極論、〇と一さえ表せれば成り立ってしまうんだ。手段の選択肢が多すぎる」
「〇と一だけでございますか? それではせいぜい、『はい』と『いいえ』くらいしか伝えられないのでは?」
「そんなことはないさ。お前だって知っているはずだ」
「?」
「ほら、八卦だよ」
ぼくは言う。
「あれは陰もしくは陽の爻を、三つ組み合わせることで八通りの卦を表す。陰と陽、つまり〇と一だ。三爻ならば八卦だが、六爻ならば六十四卦、六十四通りの情報を表せる。ここまでくれば、日本語の音素を一つ一つ当てはめることだってできる。〇と一だけで、十分通信は成り立つんだよ」
これが七爻ならば百二十八卦、八爻ならば二百五十六卦だ。情報はいくらでも伝えられる。
実際にこのような暗号が使われていた例は知らないが、理屈の上では可能だった。
聞いたユキは、ややうんざりしたように言う。
「うーん……ユキに難しいことはわかりません」
「あ、そう……」
まあ弟子もこういう話は興味を示す者と示さない者とではっきり分かれていた。
ユキにも別に、理解を期待していたわけではない。
ぼくは小さく嘆息して言う。
「今回は幸いにも防衛が間に合ったから、数日は街に滞在することになるだろう。次に備えて、軍勢のうまい倒し方でも考えておくかな」
「おや、やはりもう結界は使われないので?」
「一応な。手がかりが残っている可能性は低いとは言え、術の痕跡は調べられるようにしておきたい」
ぼくは街へと戻るべく踵を返した。
歩きながらふと、気になっていたことを思い出し、口を開く。
「そういえばお前、何か気になることでもあったのか?」
「はい?」
「呪術思考の話をしていた時、なんだかぼーっとしていたようだったから」
しばしの間、沈黙が流れた。
ぼくの足音だけが、街の外に微かに響く。
「……いえ」
ユキが、おもむろに口を開いた。
「お話を聞き……腑に落ちたことが、あっただけでございました」
「腑に落ちたこと?」
ユキはためらいがちに言う。
「人が、単なる似姿に元の存在を見出す心を持ち、セイカさまもその例外でないのなら……」
「……」
「セイカさまが勇者の娘に、やや過分なほど入れ込んでいたのは……その姿に、弟子であったあの娘の存在を、見出していたためなのだろう……と」
ぼくは、足を止めた。
月明かりに照らされ、長く伸びた自分の影を見下ろしながら、静かに答える。
「……そうかもしれないな」