第十六話 最強の陰陽師、愚痴をこぼす
死体のそばで、黄緑色の光が舞っていた。
「こちらの蛍は、なんとも気味の悪い質をしておりますねぇ」
頭の上からユキが顔を覗かせて言う。
話が終わり、皆が休んだ頃。
ぼくは、街の外の死体置き場にやって来ていた。
理由は、主に二つ。一つは慌ただしくて満足にできなかった死体の調査だったのだが……深夜ということもあり、なんとなく気力が湧かないでいた。
ユキが続けて言う。
「死体に群がるとは。死肉でも喰らいにきたのでございましょうか」
「……蛍は、成虫になると水しか飲まないらしい」
ぼくは静かに答える。
「だから、血を啜りに来たのかもな」
「いずれにせよ気味が悪うございますねぇ」
「初めに死霊兵の一団を倒した時も、翌朝死体の群れの近くを飛んでいた。この辺の地域には多いのかもしれない」
風情のある光も、このような場所で見ると人魂のように見えてくる。
よくよく考えると、肌寒くなってきたこの時期に少々季節外れでもあった。そういう種類なのだろうか。
「ほう。まあそれはともかくとして……」
ユキが口調を切り替えて言う。
「ユキになにか、お話しになりたいことでもございましたか?」
「……」
もう一つの理由の方は、どうやら察せられているようだった。
ぼくはややばつが悪くなりながら答える。
「別に……特段話すことはない。ただ一人で考え事をしたかっただけだ」
「ほう。ではユキは、セイカさまの独り言をただ聞いておくことにいたしましょう」
「……」
ここ数年で、ユキはずいぶんと言うようになった気がする。
百年近く生きて、こいつも成長した……というよりは、ぼくが不甲斐ないところを見せているせいでしっかりせざるをえないのか。
「ほら、どうぞお好きなように」
「……なんか、想像以上に厄介なことになったなぁ」
思わず口に出してしまう。
「いったいどこで間違ったのか……。お前は手を引くべきだったと言っていたが、冷静に考えてあそこから穏便に手を引けたとはとても思えない。思えば、宮廷とはあれほど距離を置こうとしていたはずなのに、だいぶ深入りすることになってしまった……。転生してからのぼくの人生、どうも根本的なところで間違っていた気がする」
なんとなくユキに指摘される気がしたので、ぼくは先んじて言う。
「言いたいことはわかる。勇者を利用しようなんて、らしくもなく小賢しいことを考えたことが元凶だって言いたいんだろ。確かにその通りだよ。ただ、あの時は……」
「いいえ」
意外にもユキは、ぼくの言葉をはっきりと否定した。
「ユキは、そのようなことが原因だとは思いません。もっと根本的な……セイカさまの覚悟の問題だと考えます」
「え……ぼくの覚悟?」
「はい」
思わぬ言葉に動揺するぼくに、ユキはうなずいて問う。
「セイカさまが、縁のある者を助けられるのはなぜですか? 城を破り、人の身が到底敵わぬような物の怪を倒し、災害すら鎮められるほどのお力を、他者のために振るわれるのはどうしてですか?」
「それは……」
それが、人の本性だからだ。
たとえ悪漢と呼ばれるような人物が、転んだ子供に手を差し伸べたとて、それを意外に思う者は多くとも、異常だと捉える者は少ない。
人間ならば、他者を助けようとする心を多かれ少なかれ持っているものだからだ。
ぼくも、そんな普通の人間の一人であるというだけのこと。
ただ、ユキがそんなありふれた答えを求めていないことは明らかだった。
ぼくは、かつて自分の中で出していた答えを返す。
「……大したことないからだよ。城を破るのも、強大な敵を倒すのも、災害を鎮めるのも……ぼくにとっては、転んだ子供に手を差し伸べるようなものだ」
転んだ子供を助け起こす者は多い。
一方で、怪我が治るまで面倒を見てやる者は少ない。
人が他者のために費やせる労力には限りがある。
ぼくは――――こと暴力に限れば、人よりもその限りがずっと高い。
最強だから。
そうあることを望み、その頂にたどり着けたから。
ただそれだけのこと。
「ならばこそ……セイカさまは、この世界で人を助けようとしてはなりませんでした」
ユキは静かに言う。
「転んだ子供に手を差し伸べる、その程度にとどめなければならなかったのでございます。御前試合で邪視の童が死んだ時、勇者の娘が城にさらわれた時、セイカさまはどうなさいましたか。あのとき振るった力は、常人の範囲を超えるものだったのではございませんか。此度の生のために彼らをあきらめようと、わずかにも考えましたか」
「……」
「人のため、セイカさまにとっては取るに足らない……しかし他者にとっては絶大な力を振るえば、為政者に目を付けられるのは必然。勇者に関わらずとも、時間の問題であったとユキは思います」
「……」
「普通の人間は、弱き存在です。災いや暴力の前に為す術なく屈してしまう。セイカさまは……彼らと同じように、膝を突く覚悟がありませんでした。痛みを受け入れる覚悟がありませんでした。思うに前世での死は、セイカさまを多少疑心暗鬼にはしても、親しき者を見殺しにし、後悔に苛まれる覚悟を持たせるほどではなかったのでございましょう……。その時点で、普通の人生を送ることなど不可能だったのでございます」
ユキがはっきりとした声音で言う。
「此度の生に間違いがあったとすれば、弱き存在として生きる覚悟を決めなかったことなのではないかと、ユキは思います」
ぼくは、口を半開きにしたまま固まっていた。
ユキにここまで言われるとは思っていなかったのもあるが……説教の内容が、ぐうの音も出ないほど正論だったからだ。
思わず呻く。
「な……何も反論できない……思えば完全にその通りだ……」
もやもやと感じていたどうにもうまくいかない感覚が、綺麗に言語化されて腑に落ちた心地だった。
ユキに言われるまで気づかないって……ぼくは馬鹿じゃないのか?
当のユキは、澄ました調子で言う。
「素直に受け止めてくださったようでなによりでございます。ユキも前々から思っていたことを言えてすっきりいたしました」
「前から思ってたならもっと早く言ってくれよ……」
「実は喚ばれてすぐの頃からユキは内心で首をかしげておりましたが、そこはセイカさまのこと。なにか深いお考えがあるのかと思い、出過ぎた真似はせず控えておりました。今時を戻せるのならお伝えしていると思います」
「…………。いや待て。よくよく考えたらお前、ラカナとか魔族領の時はむしろ助ける方向で煽ってなかったか? ぼくはそこまでするか迷ってたのに」
「あそこで彼らを見捨てたところで、セイカさまが生き方を変えられることはないと思ったためでございます」
ユキは言う。
「縁の薄い者は見捨てられても、勇者の娘がさらわれるようなことがまた起これば、セイカさまは迷わず力を振るわれたことでしょう。それではなんの意味もありません。彼らも見捨てられ損でございます」
「……」
「それならば、わずかな悔いも残さない方が幾分かマシ。そのように考え、進言奉りました。ユキも初めは自信がありませんでしたが、今では間違っていなかったと思っております」
ぼくは無言で、頭の上のユキを見るように視線を上に向けた。
こいつは……思った以上にぼくを見ていて、いろいろなことを考えていたようだった。
ぼくは指を伸ばし、ユキの細い体を撫でながら言う。
「お前いつの間にか、そんなに難しいことを考えるようになったんだな。あいつが屋敷に持ってきた時は、まだ人語もおぼつかなかったのに」
「ユキも成長しているのでございます。弟子たちに混じって聞くうちに、論語だってそらんじられるようになりました」
「……そうだったな」
思わず小さく笑みがこぼれた。
まだ、転生する前の出来事だ。
「じゃあ……これからどうするべきだろうか」
「ユキに難しいことはわかりません」
流れで訊くと、素っ気ない答えが返ってきた。
ずっこけそうになる。
「そりゃないだろ」
「とはいえ、普通の人間として生きるのはまず無理である以上、為政者とはうまく折り合いをつけていくほかないのではないでしょうか」
「折り合い、か……」
ぼくは溜息をつく。
どうにも難しそうだ。そういう人の思惑とか読むの、ぼくには向いてない。
「暴力でなんとかなればいいんだけどな……」
「人の世はそう単純ではございませんよ」
「妖に言われてしまっては世話がない」
「ひとまず、目の前のことから片付けられては? 死者の群れの方がまだ、力でどうにかなりそうにも思えますが」
「……こっちも、そう単純じゃないんだよ」
ぼくは思わず苦い顔になる。
ユキが意外そうに言う。
「呪いの比べ合いで、セイカさまがお手上げでございますか?」
「向こうの方が有利なんだよ」
ぼくは言い訳するように言う。
「事前にこれだけ死体を用意されて、隠れられてしまってはどうしようもない」
「死体から居場所をたどれないので?」
「……悔しいことに、そこは相手が巧みだ。ここまでやるかというほどにあらゆる痕跡が消されている。何か美的なこだわりすら感じられるほどだ」
こういう一つの呪いをとことん突き詰めるような、求道者気質の術士はたまにいた。
ほぼ例外なく腕が立ち、普通の術士には理解がおよばない領域にまで到達していることもあった。
ユキが唸る。
「うむむ。では手詰まりでございますか」
「……いや、そうとも限らない」
やや口ごもりながら、ぼくは言う。
「一つ、気になっていることはある」
「ほう。それは?」
「広すぎるんだ。死霊兵を操っている範囲が」
ぼくは続ける。
「報告を聞く限り、反乱軍はかなり広範囲に展開している。敵がどこにいるにせよ、死霊兵から離れすぎては普通術を維持できない」
呪いや魔法が作用する世界の第一階層に、距離は関係ない。だが、アドレスが離れすぎると関連性が切れて術を維持できなくなってしまう。
だからこそ、遠くまで影響をおよぼせる術は少ない。どんな呪詛も山一つ越えれば効果が弱まり、海を越えればほぼ消える。呪物の類も同じだ。神魔は粘土板のような魔道具を使って他種族の王都と連絡を取っていたが、普段のやり取りは森を行き来していたことから、おそらく距離の軛から逃れるだけの軽くない代償を支払っていたのだろう。
「むむ。では、敵は複数だということでございますか?」
「いや」
ユキの言葉に、ぼくは首を横に振る。
「こんな術士が二人も三人もいるわけがない。絶対に一人だ。それだけは確信している」
「となると……」
「必ず、何か工夫があるはずだ。ここまでの無理を通すほどの工夫が。それを見つけられれば、あるいは……敵の居場所を探れるかもしれない」
今の状況を解決できる希望は、それくらいだった。
「目星はついておられるので?」
「……何らかの方法で、術を中継しているのではないかと思う。普通に考えれば死体だが……決めつけない方がいいだろうな。少なくとも協力者との連絡には、そんな方法を採っているはずがない」
「協力者? 術士は一人のはずでは?」
「術士はな。だが、おそらくそいつの背後に誰かいる」
ぼくはわずかに顔をしかめて続ける。
「こういう求道者のような術士は、だいたいまともじゃないんだ。前世にもいただろ、そういうやつ」
「あー、たしかに幾人か心当たりが。主にセイカさまのご友人の中に」
「あの手の連中は、たった一人でここまで大それた事はできない。街の情報を集めるだけでも困難なはずだ」
侵略には、どこにどの程度の規模の、どのような街があるかを正しく知っていなければならない。
だがそれには、行商人に話を聞いたり、正確な地図を探して買い求めたりといった、ある種の社会性が必要になる。
力だけではどうにもならない。大事業を為すのに、一定のまともさは不可欠なのだ。
「どの時点から死体だったのかはわからないが、奴隷と信徒の集団を都合よく死霊兵に変えられたのも出来過ぎている。十中八九、死霊術士を利用している何者かが背後にいて……目的のために今も連絡をとっているはずだ」
おそらくは、こちらも距離の軛から逃れた術を使って。
早馬や鳥のような、足が付きかねない普通の方法はまず使わないだろう。
それなりに高いであろう、黒幕の地位を考えても。
「協力者は、少なくとも帝国の地理を知り、死体を用意できる程度には力がある者ということになる。ひょっとすると……帝都にいたかもな」
「……為政者、ということでございますか?」
「さあな。最初の反乱を主導したのは第二皇子と第三皇子らしいから可能性はあるが、この状況で得をしそうなのはむしろ商人のような気もする……いや、こちらも決めつけない方がいい。というか、無闇に探ろうとするべきではないな。やぶ蛇になりかねない」
世の中、知らない方がいいこともある。
今回の裏事情は、そういった類のものだ。
ぼくは溜息をついて言う。
「いろいろともどかしさは感じるが……ひとまずはお前の言うとおり、死体の群れをこつこつ倒していくしかないだろう」
そう言って、ぼくは伸びをする。
気づいたらだいぶ話し込んでしまった。死体調べはまた明日にして、今日は休むことにしよう。
そう思って踵を返した、その時。
「セイカさま」
ユキが、ふとぼくの名前を呼んだ。
思わず足を止める。
「ん?」
「ユキは先ほどあのように申しましたが……ユキはセイカさまの此度の生に、間違いがあったとは思っておりません」
ユキが、柔らかい声音で言う。
「様々なことがございましたが――――とてもハルヨシさまらしく、生きられていると思いますので」





