第十四話 最強の陰陽師、次の都市へ向かう
フィオナは、聖騎士とは別に情報収集のための部隊も飼っている。
早馬によってもたらされる彼らの情報によって、反乱軍の位置や進軍先は、大まかにではあるが知ることができた。
「……間に合わなかったか」
街の光景を見て、ぼくは呟く。
反乱軍の一つが向かっているという情報のあったその都市は、すでに陥落していた。
市壁は、一部が完全に崩れている。建物もそこかしこで破壊されており、遠くに黒い煙が上がっている場所もあった。
何より――――生者の気配がない。
「なによ、これ……これじゃもう……」
アミュが愕然と呟く。
イーファやメイベルも、言葉を失っているようだった。
と、その時。
「あっ、発見です」
レンが暢気な声を上げた。
そのまま流れるように、短剣を振り抜く。
風と砂礫の刃が飛び、物陰から姿を現した死霊兵を縦に割っていた。
「本隊は去ったようですが、やっぱりある程度死霊兵を残しているようですね」
魔石の短剣を軽く肩に担ぎながら、少年聖騎士は言う。
「まずはそれらを片付けましょうか。じゃあボクは向こうの方を見てきますので、あなた方は他をお願いします」
そう言い残すと、すたすたと早足で歩き去ってしまった。
だいぶ勝手な行動に、呆気にとられるぼくら。だがすぐに、アミュが意気込んで言う。
「あたしたちも手分けして見て回るわよ! もしかしたら生きている人がいるかも!」
「う、うん!」
「わかった」
駆け出そうとする三人に、ぼくは一応言っておく。
「イーファはメイベルと一緒に行け。後衛一人だと危ない」
イーファは一瞬足を止めると、うなずいてメイベルの後を追っていった。
本当はアミュも単独行動させたくなかったのだが……まああの子は大丈夫だろう。
「さて……」
扉を開け、位相からヒトガタを大量に取り出す。
十枚ほどをカラスに、残りすべてをネズミに変え、次々に街へと放っていく。
これでそれなりに広い範囲を探れるだろう。
「こちらは一番厄介そうなのを片付けに行くか」
街の中心に向けて歩を進めながら、ぼくは式神の視界に意識を向ける。
この都市を陥落させたのは、ただの死霊兵ではない。
奴隷や信徒の死体を操るだけなら、市壁や建物をここまで破壊できないだろう。
もっとも、すでに本隊と一緒に街を離れた可能性もあるが……。
「……ん?」
その時、視界に人影が映った。
薄汚れた衣服。虚ろな目で口から涎を垂らしながら、手に斧を携えている。
「オ゛オ゛ッ!」
不意に、死霊兵がこちらに向けて地を蹴った。
ぼくは小さく嘆息してそいつから目を離すと、片手で印を組みつつ呟く。
「用があるのはこんなのじゃないんだよな」
《召命――――比々留斫》
空間の歪みから現れたのは、黄褐色の剣だった。
それはくるくる回りながら飛翔すると、迫る死霊兵の首をあっけなく切り飛ばす。
そのまま地面に突き刺さってしまった剣だったが、しばらくするとぶるぶる震えだし、ぽんっと勢いよく飛び出した。
歩みを続けるぼくを跳ねるように追いかけ、やがて追いつくと周りをふよふよと漂い始める。
その様子を横目で眺める。まるで犬みたいだ。柄に嵌まっている、ぎょろぎょろと蠢く目玉さえなければ、かわいらしいとも思えるかもしれない。
比々留斫は、年経た銅剣の付喪神だ。
器物は人間の強い想念を受けると、まれに妖に変化する。比々留斫は作られてから八百年は経っている代物で、長く想念を受けてきたためか、付喪神にしては異常な神通力を持っていた。銅剣であるにもかかわらず、その切れ味はどんな名刀をも凌駕するほどだ。
とはいえ付喪神は大人しいものが多く、こいつも例外ではない。
生きている人間まで斬られてはたまらないから、今使うにはちょうどいい。
式神の視界に意識を向けながら、滅んだ街を歩く。
時折現れる死霊兵は比々留斫が勝手に斬ってくれるので、探索の邪魔をされることはない。
ふと顔を上げると、空に斜めの火柱が上がっていた。
おそらくレンの魔法だ。向こうの方が先に厄介なのと当たったのか。
「……お」
その時。
ネズミの視界が捉えた光景に、ぼくは足を止めた。
「こいつのようだな」
小さく呟いて、そこにいた式神と位置を入れ替える。
目の前の景色が、がらりと変わる。広がったのは同じような街並みではあったが、細部が違っていた。
正面には、背の高い五階建ての建物。
ただし、最上階には巨大な岩が埋まっており、半壊していた。
その下の階には、恐慌を起こし叫ぶ人々の姿が窓から見える。
そして――――それを為した者が、大通りの路上から建物を見上げていた。
大柄な、やや太った男。生気はなく、明らかに死霊兵であることがわかる。だがその身には冒険者の装備を纏っており……手には、魔術師の使う杖が握られていた。
「……震え、響かせるは黄……永き風雨に、耐えし磐石の精よ……」
口から漏れるのは、虚ろな呪文詠唱だった。
やはりか、と思いつつ、ぼくはヒトガタを飛ばす。
「死霊兵になっても、魔法は使えるんだな」
直後、死霊兵の魔術師によって放たれた岩塊が、解呪のヒトガタによって消失した。
意思の感じられない動きで、男がこちらに気づいたようにぼくに目を向ける。
そして杖を掲げると、その唇が再び呪文を唱え始めた。
やや哀れに思いながらも、片手で印を組む。
「……比々留斫を置いてくるんじゃなかった」
《土の相――――天狗髭の術》
風を切る、甲高い音。
同時に、死霊兵の首が飛んだ。斬撃は周囲の建物にまでおよび、真一文字の粉塵を舞い上げながら塀や壁が切断される。
一拍置いて、頭部を失った死体が倒れ伏した。
ぼくは小さく嘆息する。
「あまり好きじゃないんだよな、この術」
周囲一帯を一瞬で切断した、火山岩繊維の糸を解呪して消す。
一応死体を調べたいが、後だ。ぼくは《天狗髭》で斬らないよう気をつけていた、生者の残る建物に近寄ると、下から声を上げる。
「助けにきました。崩れかけているので、慎重に降りてください」
中の人々は、窓からこちらを恐る恐る見下ろすばかりで返事もない。が、たぶんまだ怯えているだけだ。安全になったとわかればいずれ降りてくるだろう。
「さて……」
ひとまず、街を破壊したとおぼしきやつは倒した。
まだ似たようなのがいるかもしれない以上、もう少し探しておくべきだろうが、とりあえずは比々留斫を回収しに戻った方がいい。あいつは放っておいても人を斬ったりはしないが、ぼくがいなくなって右往左往している気がする。
と、その時。
一匹のネズミが、アミュの姿を捉えた。
その様子を見て、ぼくは妖の回収を後回しにし、彼女の下に向かうことを決める。
「アミュ!」
転移してすぐに声をかける。
崩れた建物の傍らで、大きな瓦礫を持ち上げようとしていたアミュが、ぼくを振り向いて目を見開いた。
「セイカっ! こっち来て! 手伝って!」
崩れた建物。
その瓦礫の山の麓に、アミュはしゃがみ込んだまま声を張り上げる。
駆け寄ると、状況がわかった。
瓦礫の下から、小さな手が伸びている。
「下敷きになってるみたい! あんたそっち持って!」
アミュが大きな瓦礫の端を指さして言う。
術で持ち上げる方が簡単だが……少々加減が難しい。下がどうなっているかわからない以上、手作業の方が安全だろう。
「わかった」
アミュと息を合わせ、瓦礫を持つ手に力を入れる。
徐々にではあるが、持ち上がり始めた。
普通なら人の手に負えないような瓦礫でも、気功術とアミュの馬鹿力があればなんとかなってしまう。
たださすがに、ここまで大きな石材だと少し苦しい。ぼくは顔を歪ませながらアミュに言う。
「支えているからその子を引っ張り出せ!」
「わ、わかったわ!」
アミュがうなずいて、瓦礫を背で支えながら下に潜り込む。
すぐに、小さな体を抱えて出てきた。女の子のようだ。埃まみれで動かないが、微かに力の流れを感じる。気を失っているだけだろう。
アミュは女の子を地面に置く。
そして、何を思ったかまた瓦礫の下に潜り込んだ。
「っ、おい!」
「もう一人いたわ!」
叫び声が返ってくる。ぼくは汗を流しながら懸命に瓦礫を支える。
一度呪いで何かつかえさせた方がいいか……? と思い始めたとき、アミュが一人の人間を引っ張りながら出てきた。
その人物は、女の子よりもずっと大きかった。中年男のように見える。それがわかると同時に、ぼくは気づいて表情を険しくした。
アミュと男が完全に出てきたところで、支えていた瓦礫を手放す。大きな音とともに砂埃が舞った。
「はぁ……はぁ……」
アミュは荒い息を吐いていた。
ぼくは自分の呼吸を整えると、静かに口を開く。
「アミュ。その人はもう……」
「……わかってる」
アミュが唇を噛む。
その男は、すでに息絶えていた。
この街の住民だったのだろう。ありふれた格好をした、どこにでもいそうな一人の人間だった。
「あ……」
その時、小さな声が響いた。
女の子が、微かに目を開けている。
アミュが身を乗り出す。
「気がついたっ? 痛いところはない?」
「お、父さ……」
女の子は、その小さな手を動かない中年男に向けて伸ばしていた。
だがすでに気力の限界だったのか、その手は届くことなく地面に落ちる。また気を失ったようだった。
「……」
ぼくとアミュは、しばらくその場で、無言のまま立ち尽くしていた。
※天狗髭の術
玄武岩繊維の糸で物体を切断する術。火山岩の一種である玄武岩を融解させ、繊維状に再成形した糸は、鋼線の約四倍の引っ張り強度に加え、優れた物理的・化学的特性を有する。火山毛という、これに近いものが自然界でも噴火によって形成されることがあり、日本では天狗の髭などと呼ばれ古くから知られていた。





