第十三話 最強の陰陽師、また検討する
「何……?」
意味がわからず訊き返すぼくに、聖騎士はどこか得意げに言う。
「おろかな人間にもわかりやすく説明してあげましょう。あれらはどうやら死体のようです。動いているということは当然、何者かに操られている。つまりあの軍勢は、すべて死霊術士の操る死体――――死霊兵です」
「死霊兵……? あれらすべてがか」
死体に霊魂を入れて操る死霊術は、前世でもありふれた技術だ。
宋の道士が使う跳屍送尸術などが有名だが、他にも世界中の様々な呪術体系にこういった技術が存在している。
帝都の武術大会で戦ったことから、こちらの世界にも死霊術士がいることは知っていた。
死体なら、毒気が効かなかったことにも説明がつく。
だが……。
「三千という軍勢すべてを操っているだなんて、そんなことが……」
「あれらに集まっている精霊は、闇属性のものがほとんどです。普通の人間の群れにこんなことはありえない。典型的な死霊兵ですよ。それに」
短剣を振るう手を止めずに、レンは言う。
「三千ではないです。たまたまボクらが迎え撃った分だけが死霊兵ということもないでしょう。きっと反乱軍のすべて……数万の死体が操られています」
「……」
思わず言葉を失う。
だが確かに、そうだとすれば様々な事象に説明がつく。
奴隷と信徒という、まったく異なる暴徒の集団が一つにまとまったことも。
部隊を分けて運用できるほどの、秩序だった指揮系統が存在していることも。
しかし……だとすれば、これを成したのは相当な技量を持つ術士だ。
毒気で覆っても術が維持されている以上、術士本人はあの場にいない。どこか遠くから操っていることになる。もしかすると、異なる場所の軍勢も同時に。
死霊術としては、前世でも類を見ないほどの規模だ。
レンが澄ました笑みとともに言う。
「どうしますか? おろかな人間。このまま打つ手がないのなら、ボクは逃げますけど。おろかな人間たちの街は蹂躙されるでしょうがボクには関係ないことです」
言いながらも、森人の聖騎士が手を止めることはない。死霊兵の軍は前列からどんどん削られていく。
だがそれでも、殲滅することはできないのだろう。現に、徐々にだがぼくらと軍勢との距離は縮まっていた。
ぼくは舌打ちし、新たに一枚の呪符を浮かべる。
「打つ手なんていくらでもある」
そしてそれを、死体の群れに向けて地を這うような軌道で飛ばした。
無力化するだけなら、解呪して死体に還してやればそれで済む。
だがその場合、魔術的な痕跡も一緒に消してしまいかねない。手がかりが見つかる可能性がある以上、できれば避けたい。
ならば、物理的に壊してやるだけだ。
滑るように飛ぶヒトガタは、反乱軍の前列手前で勢いを落とし、地面に貼り付いた。
片手で印を組む。
《金の相――――針山の術》
軍勢の足元から、無数の棘が突き出した。
鈍色の鋼でできた円錐状の巨大な棘の群れが、死体の集団を貫き、その歩みを止める。
痛みを感じないためか、どの死体もまだ前進しようとしていたが、できるわけがなかった。ひとまず、これで侵攻は止められただろう。
一体も漏らさないようかなり広範囲に発動したために、反乱軍の周囲一帯が針山地獄のようになっていた。
「っ……」
さすがに圧倒されたのか、森人の少年は絶句していた。
ぼくは、そんな彼に向けて告げる。
「この後、あれを調べる。逃げるなよ、聖騎士」
****
「帝都に戻ろう」
その日の夜。
アミュたちを集めたぼくは、滞在中の宿の一室でそう告げた。
事情は一通り説明したが、かなり衝撃的な内容だったので彼女たちが飲み込めているのかは怪しい。
それでも、ぼくは言うべきことを続ける。
「前提が変わった。こんな状況で反乱の鎮圧なんて続けられない。反乱軍自体がまるごと死体に置き換わっているんだ、どうするにしても一度帰った方がいい」
敵は暴徒の集団ではなく、帝国に害意を持つ強大な魔術師だ。
その事実だけで、とるべき対応は大きく変わる。
「明日、準備が出来しだいここを発つ。みんな、それでいいな?」
ぼくが念を押すと、アミュが渋るように言う。
「でも……死体になっていても、他の街を襲おうとしてるんでしょ? 誰かが止めないと……」
「それはぼくらの役目じゃ」
言いかけて、やめる。
今のアミュに正論を言っても仕方がない。
「……敵は相当に腕利きの死霊術士だ。帝国はそのことを知らない。ぼくらで死霊兵を止めることはできるが、肝心の術士の居場所はわからず叩けない。つまり、ここで戦い続けてもよそで被害が広がるだけだ。それなら報告に戻り、帝国の諜報部隊に居場所を探ってもらう方がずっといい」
「報告するだけなら、フィオナに使いを出すだけで済むじゃない。あたしたちまで帰る必要ないでしょ」
「……アミュ」
ぼくは苦い顔になる。
確かにそうではあるのだが……いったいどう言えば説得できるのだろう。
「……もしぼくらが、自分たちで反乱の噂を聞き、自分たちの意思だけでここに来たのならそれでもいい。だが今ぼくらがここにいるのは、皇帝に頼まれたからだ。頼まれ、引き受けた以上、勝手なことはできない。前提が覆るほどの情報を得たのなら、報告して指示を仰ぐべきだ」
ぼくは、なんとなしに付け加える。
「皇帝だって、それを望んでいるはずだ」
「……」
聞いたアミュは、唇を引き結んで押し黙った。
それから、ぽつりと言う。
「……わかったわ」
ぼくはほっと息を吐いた。
アミュにはわざわざ言わなかったが、戻って何を言われようと、もうこの件からは手を引くつもりだった。こんな事態は予想していなかっただろうが、フィオナやユキの懸念が当たってしまった形になる。
アミュをどう説得するかは……戻ってから考えることにしよう。
その時。
「ボクは反対です」
唐突に、レンが声を上げた。
澄ました笑みで言葉を続ける。
「戻るなんてとんでもない。姫様に迷惑をかけないでください」
「……はあ?」
ぼくは聖騎士を睨んで言う。
「言っている意味がわからない。この状況で、なぜぼくらが戻ることがフィオナの不利益になるんだ」
「前提が覆った、本当にそうお思いですか?」
半笑いのレンがぼくに目を向ける。
「おろかで、なんともおめでたい人間。ずいぶんとこの国の王を信頼しているんですね。……あれが死霊軍の事実を知らなかったと、本気でお思いですか?」
「……まさか」
ぼくは言葉を詰まらせる。
皇帝は、実はすべてを知っていた。
それは決してあり得ない話ではない……むしろ、ぼくらが到着してすぐに知ったようなことを、皇帝が把握していないという方が不自然に思えた。
だが。
「……全部知ったうえで、ぼくらをここに送り込んだと? なぜそんなことを……情報を伏せる必要がどこにあった」
「わかりません。この国の王が考えていることなど、ボクには何も。ですが今帝都に戻れば、あなたがたはいささか悪い状況に陥ります」
「だから、どうなるというんだ」
「皇帝の勅命を受けながら、勇者はそれを放棄して戦場から逃げ帰った――――皆、そのように捉えることでしょう」
レンの言い分に、ぼくは眉をひそめる。
「何もかも違うじゃないか。議会を経ていない以上は勅命じゃない。逃げ帰るわけでもなく、報告に戻るだけだ」
「それはただの事実です。事実など、政の場においては簡単に覆る」
「馬鹿馬鹿しい。帝国の司法は皇帝の支配下にない。事実に基づかなければ刑罰も下せない。失態をでっち上げたところで、何も……」
何もできない、と言おうとして、ぼくは言葉を止めた。
何もできない……本当にそうか?
「何もできないわけがない。むしろ何でもできてしまう」
レンが笑みを暗くして言う。
「罪をそそがせるという名目で、あらゆることを命じられる。勇者は皇帝の支配下に置かれるでしょう。罪などないという声は、周囲があげる非難の声にかき消されてしまう。政の場とはそういうものです」
「……」
「悪ければ、その累は繋がりのある姫様にまでおよびます。だから戻るなと言っているんです」
「……その理屈で言えば、戻らなくても結末は同じじゃないか」
ぼくは声を低くして言い返す。
「重要な事実を知りながら、それを隠しいたずらに被害を拡大させた。そんな絵図だって描ける」
「ええ。ですが一つ、決定的に違う点があります」
「なんだそれは」
「あなたがたがここにとどまり、死霊軍相手に戦い続ければ――――人命が救われるということですよ。おろかな人間」
レンが笑みとともに続ける。
「人命は領主の財産であり、帝国の財産とも言える。それを守った事実は、ありもしない罪への対抗札となる。あなたがたはそんなもの持っていたところでどうしようもないでしょうが、姫様ならばうまく使えるでしょう。領民を救われ恩義を感じる領主、英雄への非難に引け目を覚える議員。そういった者たちに取り入って、支持を得られる。それが最終的には、あなたがた自身を助けることにも繋がります」
「……」
「理解できましたか? おろかな人間。勇者はもう、英雄になる以外ないんですよ」
半笑いの森人に、ぼくは舌打ちを返す。
思った以上に最悪の状況だった。どこまでがこの聖騎士の言うとおりになるかはわからないが、戯れ言として聞き流すには筋が通りすぎている。
レンが続けて言う。
「さらに、死霊軍と戦い続けることで、状況を覆す決定的な情報を掴めるかもしれません」
「なんだそれは」
「決まってるでしょう。死霊術士の居場所ですよ」
少年聖騎士が笑みを深める。
「そいつさえ倒してしまえば、今回の反乱は鎮圧完了。王の願いを叶えた勇者は、誰からも責められることなく、むしろ大変な名声を得られます」
「……現実的じゃない」
ぼくは目を伏せ、首を横に振る。
「死体からは何もわからなかった。よその死霊兵も同じだろう。他に居場所を探る手がかりが見つかるとは思えない」
敵はやはり、相当に力のある術士のようだった。
串刺しの死体を、まだ動いているうちから調べたにもかかわらず、術士に繋がる痕跡は見つからなかった。そもそも、力の流れすらも自然な形に偽装されていたのだ。レンが精霊の挙動で異常に気づかなければ、もっと発覚が遅れていたかもしれない。周到にもほどがある。
正面から打倒するのは容易いだろうが、こういう術士は正面切って戦ったりはしない。
見つけ出して倒すなど、かなり難しいように思えた。
レンがいつもの、澄ました笑みに戻って言う。
「あきらめの早い、おろかな人間。ボクは無理とは思いませんけどね。運が巡ってくることだってきっとあるでしょう。とにかく、何度も言いますが、戻ろうなどとは考えないように」
「……」
ぼくは黙考する。
どうやら、残って戦うしかなさそうだ。
ここに死霊兵は残っていないから、別の都市へ向かうことになる。蛟を使えれば楽だが……さすがに人間の地でそんなことはできない。移動ばかりで、この子らも大変だろうが……。
「セイカ……あんた、帝都に帰ってもいいわよ。イーファにメイベルも」
その時、アミュが唐突に言った。
下を向いたまま……しかし、決意を込めたように続ける。
「もう誰も殺さないとか、関係ないでしょ。みんな死んじゃってるんだから。あんたたちを巻き込んじゃったのは、あたしが安請け合いしようとしたせいだし……きっとあたし一人でも、なんとかなると思うから。よくわかんないけど、そんな気がするの」
誰とも視線を合わせることなく、アミュは言う。
ぼくらに負い目を感じているのが見え見えだった。
ただ、その一方で……自分一人でも戦えるという言葉に、気負いや虚勢の響きはない気がする。
「だから、あんたたちは戻りなさいよ」
「嫌」
きっぱりと言ったのは、メイベルだった。
「ラカナでも言った。最後まで付き合うって。それに、アミュは肝心なところで抜けてるから、危なっかしい」
「わたしも……残るよ! あんまりできること、ないかもしれないけど……」
「……あんたたち」
イーファも続けて言い、アミュが二人と顔を見合わせる。
それから、恐る恐るといった仕草で、ぼくを見た。
思わず笑って言う。
「……馬鹿だな。ぼくに任せて……」
口から出かけた言葉にはっとし、一瞬口をつぐんだ。
しかし、すぐに笑みを戻して続ける。
「……任せておけよ。パーティーメンバーなんだから」
「……悪いわね。あたしも、自分にできることはするから」
と、アミュが小さく笑って言う。
同じく笑みを浮かべるぼくだったが……内心では、漏らしそうになった言葉への動揺が残っていた。
――――ぼくに任せておけよ、弟子なんだから。
かつてあの子に放った言葉を、無意識になぞろうとしていた。
※針山の術
鋼鉄でできた巨大な円錐状の棘を大量に生み出す術。あまり正確な狙いはつけられず、主に密集している敵に対して用いる。





