第六話 最強の陰陽師、検討する
謁見から数刻後。
ぼくらは帝城敷地内にある、要人滞在用の離れの一室にいた。
普段、フィオナが住んでいる場所なのだという。
謁見が終わるやいなや、ぼくらは官吏の案内を断って、彼女に密談できる場所を頼んだのだ。
「どうなっているんだ」
そこでぼくは、フィオナに言い募っていた。
自分でも余裕がなくなっているのがわかる。
だが、それだけの状況だ。確認しなければならないことがいくつもある。
「聞いてないぞ、アミュに反乱をなんとかさせようだなんて。こんな命が下るとわかっていれば、帝都になど戻らなかった」
「……わたくしも、予想できませんでした」
フィオナは険しい表情で、口元に手を当てながら言う。
「反乱のことはもちろん把握していました。軍の派遣が遅れていることも。ただ……まさか、アミュさんを向かわせる腹づもりだったとは……」
フィオナは考え込むような仕草をした後、ぼくらに問う。
「それで、陛下にはどのような返答を?」
フィオナの問いに、メイベルとイーファが顔を見合わせて答える。
「セイカが、なんか難しいこと言って誤魔化してた」
「えっと……事が事だから熟慮させてほしいってことを、セイカくんが皇帝陛下に……」
「ああ……よいですね。それで陛下にすんなり帰してもらえたなら、それは朗報です」
そう言って、フィオナはわずかに安堵するような表情を見せた。
再び考え込む彼女に、ぼくは問う。
「反乱が起こっていること自体、ぼくらは初耳だった。皇帝から聞いた内容は少し信じがたいようなものだったが……本当に奴隷と信徒の反乱など起こっているのか?」
「ええ」
フィオナはうなずいて答える。
「帝都にまで正式に情報が届いたのは、半月ほど前になるでしょうか。それぞれ最初の反乱が起こったのは、ほぼ同時期。合流してからの勢力は二万から三万ほどのようですが、現在ではいくつかの集団に分かれています。制圧した街を拠点とし、食糧などは略奪によって調達しているようです」
「……そうか」
異なる大規模な反乱が同時期に起こるとは、運がない。帝国としても、ぼくらとしても。
もしかすると、ぼくが似たような例を知らないのも、単にこんな不幸な偶然はなかなか起こるものではないからなのか。
ぼくは続けて問いかける。
「城塞都市が陥落しているとも聞いたが、なぜそんなことが起こった? 普通は城門を閉ざしてしまえば、反乱軍にはどうすることもできないだろう。攻城兵器を入手し、運用できるだけの指揮系統が存在しているとでも言うのか?」
「それは……現時点では、なんとも」
フィオナが、わずかに目を逸らして答える。
「特定の指導者の存在は明らかになっていませんが、一定の指揮系統は存在するものと思われます。ただ、攻城兵器が奪われているとは考えにくいので……おそらく、内通者に城門を開けさせる、などの手段を講じたものと」
「ああ、なるほど」
それならば、ありえそうに思える。
奴隷や平民の集団なら、そういった手も使いやすいだろう。
徐々にだが、フィオナと話すうちに全容が掴めてきた。
初めに聞いた印象ほど、奇妙な反乱ではないのか。
ただ……だからといって事態が改善するわけではない。
ぼくは重い溜息をついて言う。
「せめて……あと半年ばかり、宮廷から隠れていられればな。その頃には反乱も鎮まっていただろうに。時間の問題ではあったんだろうが、まさかこんなに早くに見つかるなんて……」
「……それに関しては、セイカ様の行いもあるかと思いますが」
「……え?」
思わぬ返答に、ぼくは目を瞬かせてフィオナを見た。
こちらにじとっとした目を向けながら、フィオナは言う。
「みなさん、ラカナでは本名のまま冒険者をされていましたよね」
「え……あっ」
「普通、学のない咎人や逃亡奴隷だって、偽名を使うことを考えると思うのですが」
「それは、その……うっかりしていたというか……」
思わずフィオナから目を逸らしながら、ぼくは言い訳のように言う。
もう完全に、その発想がなかった。というより、居場所がバレてもラカナにいれば大丈夫なのかと思い、その辺りにまったく気を配っていなかった。
フィオナはどこか恨みがましげに言う。
「傘下の商会経由で情報が流れてきたときは焦りました。ラカナには人の出入りもあるのですから、目立てば噂になります。一応の対策として、他の都市にもアミュという名の冒険者の噂を流しておいたのですが……スタンピードが決定的でしたね。帝都にはセイカ様たちの名前までは届いていませんでしたが、陛下は自身の情報網でみなさんの活躍を掴んだことでしょう」
「う……」
「まあ、偽名については事前に言い含めておかなかったわたくしにも責任があります。スタンピードも当初は視えなかったことですので、仕方ありません」
「あ、ああ……申し訳ない」
謝りつつも、あまり責められずに済みそうでほっとしていると、フィオナが続けて訊ねてくる。
「ちなみにですが、ラカナからは出ていませんよね?」
「……。ええと」
「……まさか?」
「一度ケルツまで……冒険者の仕事に……」
「はい!?」
「い、いや、といっても一ヶ月くらいだから……」
「……。他には?」
「ほ、他には……」
目を泳がせながら嘘をつく。
「……行ってない。どこにも」
フィオナが盛大に溜息をついて言う。
「気を緩めすぎです。追われる身だったのですから、くれぐれも注意してください。もう遅いですが」
「……申し訳ない」
謝りつつ、再び内心で胸をなで下ろす。
どうやら、魔族領にまで立ち入ったことは知られていないようだった。
未来視の力でバレていてもおかしくないと思ったのだが、この先もフィオナに発覚することはないということなのか、あるいは発覚の場面をまだ視られていないだけなのか……。もし後者だとすれば、この先が若干怖い。
ぼくは頭を振って思考を振り払った。今はそれよりも重要なことがある。
軽く咳払いして口を開く。
「は、話を戻すが……皇帝は、どうしてアミュに反乱の対処なんて命じるんだ? 帝国軍の動員が一筋縄ではいかない事情はわかるが、それにしても傭兵を雇うとか、他に手段はいくらでもあるはずだろう。勇者一人の力が、大軍に匹敵するとでも思い込んでいるのか?」
「……わかりません」
フィオナは難しい顔になって目を伏せる。
「陛下のことですから、その辺りを見誤ったりはしないでしょう。何か目論見があるのだとは思いますが……わたくしには、なにも」
「君の、未来視の力を以ってしてもか」
「……ええ」
フィオナは微かにだが、はっきりとうなずいた。
「おそらくですが……陛下は、わたくしの未来視を対策して動いている気がします」
「未来視を、対策……?」
ぼくは思わず眉をひそめる。
「そんなことができるのか?」
「この力は、決して万能ではありませんから」
フィオナが続ける。
「わたくしが未来永劫知り得ないことは、決して知ることができません。自らの体験ではなく、伝聞の形で得る情報も、詳細を知ることが難しくなります。これら以外にも、弱点はあるのですが……陛下は対策となる行動を組み合わせ、自らの企みの露見を防いでいるようなのです」
「少し信じがたいが……どうしてそうだと?」
「陛下に関わる重要な未来を、これまで事前に知ることがほとんどできなかったためです。不自然なほどに。今回の件も、そうでした」
そう言って、フィオナは唇を引き結ぶ。
今話し合っているこの場面も、フィオナは視ることができなかったのだろう。
それがどういった手段によるものなのかはわからないが……つい先ほど、ぼくの魔族領進入を隠し通せたことからもわかるように、未来視でも全知はなし得ない。何らかの対抗手段があっても不思議ではないだろう。
少なくとも言えるのは、彼女の力に頼ってなんとかなる相手ではないということだ。
「……皇帝陛下、優しそうな人に見えたんですけど……」
イーファが、ためらいがちに口を開く。
「やっぱり……見た目どおりの人じゃないんですか?」
「……そう、ですね」
フィオナが力なく笑って言う。
「陛下がどのような人間なのか……真に理解している人間はいないと思います」
まるで自らに説くように、フィオナは続ける。
「陛下は先帝の死をきっかけに、若くして即位しました。先帝は元々、養子を後継者としていましたが、その養子も急死してしまい、陛下に帝位が回ってきたのです。満足な基盤もないまま即位し……以降、誰の傀儡になることも、心労や凶刃に倒れることもなく、二十年以上にわたって皇帝として君臨し続けています」
「それって、すごいこと?」
今ひとつピンと来ないのか、メイベルが首をかしげて訊ねた。
わずかに苦笑して、フィオナが答える。
「ええ。皇帝の地位は過酷です。歴史を紐解けば、心労がたたり病に倒れたり、議員や貴族との対立の末に暗殺されてしまった例は少なくありません。二十代という若さで即位し、大きな失態もなくこれまで皇帝を続けてきただけでも、普通ではないとわたくしは思います」
「ふうん……」
「加えて言えば……陛下は、腹心と呼べるような者を一度もそばに置いたことはないそうです。誰に対しても一定の距離を保ち、常にあのような態度をとっているのだと聞きます。即位から、これまでずっと」
「……」
君主とて人間だ。
時には弱みを見せ、助言を必要とし、有能な部下に頼りたくなることもある。普通は。
信頼できる腹心を持たず、背後に操る者もないまま、自らの力だけでこの大帝国の政をこなし続けているとなれば、確かに尋常な君主とは言いがたい。
「ちなみにですが……距離をとっているのは、肉親に対しても変わりません。実子である三人の皇子に対しても、わたくしに対しても、陛下は同じように接しています」
「……。皇妃は、たしか十八年前に亡くなったんだったか」
「ええ」
ぼくが訊ねると、微笑とともにフィオナはうなずく。
「以降は再婚することもなく、愛人のような者もいなかったと聞きます……わたくしの、母を除いては」
「……」
「陛下を真に理解する者がいたとすれば、皇妃か、わたくしの母か、そのどちらかだったのではないでしょうか。……今となっては、それを確かめる術もありませんが」
「……」
初めに皇帝を見たときは、為政者らしい雰囲気のない、ぱっとしない男という印象だった。
だが考えてみれば、ただの凡夫がこの大帝国を二十年以上に亘って治められるわけがない。ぱっとしないという印象自体が、異常だとも言えた。
再び重い溜息をつく。
どうやら、想像していたよりも厄介な相手のようだ。
やはり為政者と関わるのは面倒に過ぎる。
「……まあ、今の問題は皇帝の要請をどうするかだな」
気を取り直すようにぼくが呟くと、フィオナが即座に言った。
「断ってしまってかまわないでしょう。いえ、断るべきです」
ぼくは意外に思って目を瞬かせると、彼女に訊ねる。
「断って大丈夫なのか?」
「ええ。陛下が断らせないつもりならば、謁見の場でアミュさんをうなずかせていたでしょうから。そもそも議会を経ていない皇帝の個人的なお願いを、市民が聞き入れる義務はありません」
「……そういうものか」
フィオナの言葉に、ぼくは少しほっとする。
皇帝も、本気でアミュに反乱を解決してもらうつもりはなかったということだろうか。
フィオナは真剣な表情のまま続ける。
「今回の要請は、わたくしにも異常に思えます。反乱に帝国が手を焼いているのはたしかですが、勇者とはいえ、官吏ですらない一市民に重責を負わせるべき事態ではありません。明日、陛下へ断りの返答をいたしましょう。以降の手配は、わたくしが……」
「待って」
その時口を挟んだのは、ずっと黙っていたアミュだった。
皆の注目を集める中、彼女は言う。
「あたし……行ってもいいわ」
「……は?」
「あたしの力が必要なんでしょ? 困ってる人がいるなら、助けに行ってもいい」
「いや君……何言ってるんだ?」
ぼくは思わず唖然としながら言う。
「反乱軍は数万の規模なんだぞ。君が行ったところで何もできない」
「街が狙われてるんでしょ」
アミュが言い返す。
「平地で、反乱軍を全員ぶっ飛ばすようなことはできないけど……でも、街に籠もって守ることはできるじゃない。ラカナの時みたいに。あたしの力が、少しでも役に立つのなら……」
「いやいやちょっと待て。君、いったいどうし……」
どうしたんだ、と言おうとして、ぼくは気づく。
アミュはどうもしていない。ラカナでスタンピードが起こったときも、ルルムが捕まりそうになったときも、この子は困っている者に味方して強大な敵に立ち向かおうとしていた。
まるで、勇者の血がそうさせるかのように。
頭を抱えたくなる。
これまでは、多少の無茶もなんとかなってきた。だが今回の件は、とてもこれまでと同じようにはいかない。
フィオナも困惑したように言う。
「あの、アミュさん……。心配いりませんよ。今回の反乱にはわたくしも思うところがあり、裏で聖騎士を動かしているところです。きっと、すぐに解決しますから」
「でも、侵攻に遭おうとしている街はきっと今も助けを必要としてるんでしょ? 数万の反乱軍も、今はいくつかに分かれているのよね? そのうちの一つを相手にするくらいなら、あたしでもきっと力になれるから」
「いい加減にしろ。無茶を通り越して無謀だぞ」
「なにが無謀なのよ。ラカナの時、あたしちゃんと役に立ってたじゃない」
「……」
役に立っていた。それは事実だ。この子の奮戦のおかげで戦線が持っていたところは少なからずあった。仮に今侵攻に遭っている都市に加勢したとしたら、きっとあのとき以上に活躍できるだろう。
だが、そういう問題ではない。
ぼくは目を細め、静かに言う。
「……死ぬかもしれないんだぞ」
「そんなの、今さらじゃない。冒険者やってれば危険なんていくらでもあったでしょ」
「違う……敵の人間が、死ぬかもしれないと言ってるんだ」
ぼくはアミュをまっすぐに見つめ、問いかける。
「君、人を殺したことはあるか」
「……ないけど。でも別に、悪いやつをやっつけるくらい……」
「大したことないか? そうだ、大したことない。屑のような人間を死体に変えたところで、君自身は何も変わりはしないだろう」
初めて人を呪い殺した時も、ぼく自身は何も変わらなかった。
ただ、知っただけだ。
人を殺すなど、大したことはないのだということを。
「だけど……知らない方がいいこともある。悪人でも人の命は尊いのだと、勘違いしたまま生きていけるのなら、その方がずっといい」
「はあ? なにそれ。バカにしてるの?」
目つきを鋭くするアミュに、ぼくは続けて言う。
「それに、一度政治の場に関われば、必ず次があるぞ。皇帝の要請を受けて勇者がその力を振るったと、有力者の間で噂が広がるだろう。他の者も目を付け始める。君がどれだけ望まなくとも、政争に巻き込まれかねない。それでもいいのか」
「…………よくない」
「なら……」
「よくない……けど、でもっ」
アミュが顔を上げ、強く言った。
「でもそれは……今困っている人たちには、関係ないことじゃない」
「な……」
「人間相手に殺し合いなんてしたくないし、政にも関わりたくない、けど……そんな理由で、助けられる人たちを見捨てたくないわよ」
「っ……」
あまりの頑なさに、ぼくは閉口する。
一方で、頭の片隅には疑問が浮かんでいた。
この子は、果たしてここまで正義感の強い子だっただろうか?
この子の性格からして、かつて住んだ街が攻められようとしているのなら、こう言い出すのもわからなくはない。
だが、見ず知らずの者を助けるために軍勢に挑もうとするほど、現実の見えていない子ではなかったと思うのだが。
ぼくはいらだちを覚えながらも、アミュにはっきりと告げる。
「ぼくは反対だ。行くべきじゃない」
「じゃああんたは来なくていいわよ。あたし一人で行ってくるから」
「そうじゃない。行くなって言ってるんだ」
「なんでっ?」
アミュが身を乗り出すようにしながら、強く反駁した。
「これは、あたしが頼まれたことなの。勇者の、あたしが。あんたには関係ないことじゃない」
ぼくは、思わず押し黙ってしまった。
確かに、その通りだ。人を殺めてしまうかもしれないことも、政争に巻き込まれかねないことも、この子がそれを覚悟しているというのなら、それを妨げる権利は誰にもない。
特に、勇者の力を利用しようとして近づいたぼくが、この子の人生について偉そうに指図する資格はないだろう。
ただ、それでも。
「……心配だからだよ」
数年も共にすれば、多少の情も湧く。
いや……冷静に思い出してみると、もっと早くからだっただろうか。
「っ……」
アミュは驚いたように若草色の目を見開くと、それから迷うような表情を浮かべた。
だが、やがてぼくから視線を背けながら、小さく呟く。
「それだって……困っている人たちには、関係ないわ」
重い沈黙が流れた。
誰もが言葉を発せないでいる中、ぼくは考え続ける。
やがて、意思を固めると――――溜息とともに、口を開いた。
「ぼくがやるよ」
「え……?」
アミュが困惑したような声を上げた。
ぼくは念を押すように、同じ言葉を繰り返す。
「ぼくがやる。帝国軍が来るまでの時間を稼げばいいんだろう。それくらいわけない」
「……なによ、それ」
アミュが、目つきを鋭くして言う。
「自分だけ嫌な思いをするから、あたしはただ見てろって言いたいの? なんであんたにそこまで世話を焼かれないといけないのよ。あんたは……人を殺したこと、きっとあるんでしょうね。でも、それなら十人殺しても百人殺しても同じなの? 違うでしょ? これはあたしが頼まれたことなんだから、あたしだって同じくらい、嫌な思いしてやるわよ」
「殺さない」
「え……?」
呆けたように目を瞬かせるアミュに、ぼくは告げる。
「誰も殺さない。街の住民も、反乱軍の連中だって。それでも守れる街は守るし、時間稼ぎもする。それでどうだ」
「どうだ、って……」
「生け捕りにした反乱軍の連中は奴隷として売れるだろう。それで帝国の受けた損害も少しはまかなえるし、その金は街の復興のための支援にも回される。これ以上のことを、君はできるか」
「……できない」
「じゃあ、ぼくに任せてくれるか」
「で、でも……これ、あたしが頼まれたことなんだけど……」
なおも渋るアミュに、ぼくは言う。
「皇帝は、仲間と共にって言ってただろ。招聘されたのはぼくらも同じなんだ。仲間に頼ってうまくいくなら、それでなんの問題があるんだ」
アミュは、しばらくの間黙り込んでいた。
だがやがて、ぽつりと言う。
「……わかったわ」
ぼくは小さく息を吐き、内心で胸をなで下ろした。
これで聞き分けてくれてよかった。
アミュが口を尖らせて言う。
「でも、あたしにできることがあるならするから」
「それでいいよ」
そんな時は来ない。
少なくとも、この子を戦場に駆り出さなければならないような事態には、決してならないだろう。
話し合いの結論に満足したのか、アミュはすっかり大人しくなって憑き物が落ちたような表情を見せていた。
しかし、すぐに決まり悪そうな顔になって言う。
「……なんか、またあんたに助けられることになったわね」
「別にかまわないさ」
「でも」
アミュが苦笑のような、あるいはただ照れているだけのような、そんな笑みとともに言う。
「心配だとか、あんたに言われたの初めてね」
「仲間なんだから、心配の一つもしなければ薄情だろう」
「言葉にされたのがってことよ。あんたにしてみれば……周りの人間みんな、いつだって危なっかしくて見てられないのかもしれないけどね」
「……」
確かに、無闇に口に出すのは避けていたかもしれない。
なんだか恩着せがましいのもそうだが……狡猾に生きるにあたり、他人を過度に慮るべきではないと、無意識にでも考えていたのか。
ぼくは思考を打ち切ると、フィオナに目を向ける。
「悪いが、後始末をまた頼んでもいいか」
「……わたくしは、おすすめしません」
険しい表情のまま、フィオナは続ける。
「皇帝の要請を受けてしまえば、結果がどうあれ、噂が広がるのは防げないでしょう。セイカ様が危惧するとおり、政争に巻き込まれかねません。それに……今回の反乱自体にも、妙なところがあります。いたずらに関与するべきではありません」
「それは、その通りなんだが……そう言わないでくれ。一応これも人助けだ。噂については、勇者を利用しようとする者が現れないよう、うまく誤魔化しておいてくれないか」
「あのですね。わたくしにも、できることとできないことが……」
「そこをなんとか頼む、フィオナ。こと政に関しては君だけが頼りだ。無茶を言っているのは承知だが……君の力を、また貸してほしい」
「う……い、いえしかし、前回も大変だったんですからね? まあ、でも……うーん……」
フィオナがあからさまに悩み出す。
下手をしたら匙を投げられるかとも思ったが……押されれば意外と弱いのか。
やがてフィオナは、はぁー、という大きな溜息とともに言った。
「わかりました……でも、あまり期待はしないでください」
「助かるよ」
ぼくは微笑で答える。どうやら、噂の方もなんとかなりそうだ。
フィオナはぼくの顔をまっすぐに見ると、悔しさと呆れと、他のいろいろな感情が交じったような表情を浮かべて言った。
「まったく……あなたはいつだってそうなんですから」
「……いつだって?」
「こちらの話です」
そう言って、フィオナはぷいと顔を逸らしてしまった。
思わず首をかしげていると、アミュがおずおずといった調子で言う。
「あの……ありがとね、フィオナ」
フィオナはアミュに顔を向けると、若干引きつった笑みとともに告げた。
「次はありませんから」
「は、はい……」
アミュが縮こまる。
まあだいぶ無茶を聞いてもらう以上、これくらい怒られても仕方ないだろう。
ともあれ、これで方針は決まった。
ぼくはイーファとメイベルに顔を向けて言う。
「二人はどうする? あまり楽しい旅にはならなそうだし、帝都に残っても……」
「い、行くよ!」
「行く」
即答だった。
ぼくは苦笑する。まあこの子らならこう言うだろうと思っていた。
ぼくらを見回したフィオナが、少し考え込むようにして言う。
「念のため、聖騎士を一人つけましょう。セイカ様が、手を離せなくなるタイミングも増えるでしょうから」
「ええっ、大丈夫よ。あたしたち、ラカナでずっと冒険者やってたんだから、自分の身くらいは自分で守れるわ」
断ろうとするアミュに、フィオナは静かに言う。
「アミュさんは、狙われるかもしれない立場です」
「あ……」
「暗殺者の相手は慣れていないでしょう。帝都を離れればまず安全だとは思いますが、ここは万が一に備えておきましょう。対処を誤れば、周りの者にも危害がおよびかねませんから」
「そ、そうね……イーファやメイベルが、間違って襲われたら大変だし……」
消沈した様子で、アミュが了承する。
一方、フィオナはやや心配そうな表情を浮かべていた。
「ただ……今手が空いているのが、性格に難のある者だけなんですよね……いえ、よく言い聞かせておけば大丈夫でしょう。そもそも聖騎士のほとんどはちょっとおかしいので、細かいことを言っていたらなにもできません」
「ええ……それ大丈夫なのか……?」
どうやら吟遊詩人に語られるような、正しき英雄たちの集まりというわけではないらしい。
ふと、ぼくは思い至ってフィオナに問いかける。
「その手が空いている聖騎士って、ひょっとしてぼくの兄だったりするか?」
フィオナは目を瞬かせた後、微笑とともに首を横に振った。
「いえ。グライには今、任務に赴いてもらっていますので……。それに彼は、聖騎士の中では数少ないまともな人間です」
「う、嘘だろ、あれで……? 本当に大丈夫なのか、聖騎士……」
思わず唖然としてしまう。いったいどんな連中が集まっているんだ……。
「ふうん……あいつじゃないのね」
アミュが小さく呟いた。
フィオナは、ぼくとアミュの顔を交互に見た後、微笑みながら訊ねる。
「グライに会いたかったですか?」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「……ぼくも、遠慮願いたいな」
ぼくらの答えに、フィオナは仕方なさそうな笑みになる。
「そうですか。ですがきっとこの先、再会の機会も訪れるでしょう」
「……グライはあの後、ぼくのことを何か言っていたか?」
ぼくが問うと、フィオナは再び首を横に振る。
「いいえ、なにも。わたくしにセイカ様のことを訊ねることもなく、あえて話題に出さないようにしているようでした」
「……そうか」
グライに最後に会ったのは、アミュが閉じ込められていた地下牢で……その時ぼくは、彼に呪いを向けようとしていた。
会いたくないと思っているのは、むしろ向こうの方だろう。
別に、関係を改善したいと思っているわけではない。元々仲が悪かったのだ。二度と会うことがなかろうと、困ることは何もない。
ただ……あの時グライは、フィオナとともに地下牢のアミュを励ましてくれていたようなのだ。
もっと違う態度があったのではないかと、悔やんでいないこともない。
気を取り直すように、ぼくは言う。
「グライはどうでもいいけど……実家や学園がどうなっているかは、少し気になるな。というか、ぼくはあれからどうなった扱いになっているんだ?」
「学園は休学中ということになっています。みなさんの籍は残っていますので、復学しようと思えばできますが……」
「だ、そうだけど」
ぼくが三人に目を向けると、皆そろって首を横に振った。
まあ、当然だろう。すでに冒険者として生計を立てているのだ。一年半も経った今、あの学び舎に戻ろうという気はぼくも起きない。
フィオナが微笑とともにうなずいて言う。
「では、折を見て退学手続きをとるよう手配しておきましょう。ランプローグ伯爵へは、見聞を広めるために旅に出たというちょっと苦しい説明がなされているはずです。急なことで、きっと心配されていると思いますので……落ち着いたら、便りを出されるといいのではないでしょうか」
「……そうだな」
家を継ぐわけでもないぼくは、学園を卒業しようが退学しようが結局は一人で生きていくことになる。
突然旅に出たとなれば驚かれはしただろうが、独り立ちの予定が少し早まっただけだ。実際のところ、そこまで心配されてはいないだろう。
ただ……手紙の一通くらいは、書いてもいいかと思った。
「ねえ、あたしも旅に出たことになってるの?」
「はい。みなさんのご家族には、そう説明されているはずです」
「ふうん……。じゃああたしも、パパとママに手紙を書いておこうかしら。もう逃げ隠れしなくてもよくなったんだし。勇者のことは無理でも、ラカナでのこととかは、書いても大丈夫よね」
「あ、わたしも……セイカくんが書くなら、一緒に出そうかな。お父さんに……」
「私、どうしよう」
「あんたも書いといたら? 短い間かもしれないけど、世話になったんでしょ」
「……うん」
家族のことを話し合う彼女らの様子をぼんやり眺めていると、なんとなく、戻ってこられてよかったように思えてきた。
過去の繋がりを含め、逃亡生活では諦めなければならなかったものも多い。
あとは西で暴れている反乱軍と、皇帝の目論見さえなんとかできれば、心配事はなくなる。





