第三十話 最強の陰陽師、三眼の王都へ向かう
続いて赴いたのは、三眼の王都だった。
「ふむ。おおむね、意見が出そろいましたな」
階段状に席が並ぶ広大な議事堂にて、王のそばに立つ宰相のペルセスシオが言った。
「やはり大規模な支援は控えるべき、というものが多かったようですが」
三眼の議会も、黒森人の時と同じような流れをたどった。
ぼくとプルシェ王の主張通りに、他種族と協力し合おうという意見もないではなかったが……やはり負担を厭い、同胞への支援にとどめるべきという者の方が多数派だった。
黒森人の議会のように、一定の派閥の者が幅を利かせている雰囲気はない。
しかしそれでも、プルシェ王の主張が顧みられる様子はなかった。
彼らは政治家として、その方が種族の利益になると信じているのだろう。
厳しい状況にもどかしさが募る。
「では決を採りましょう」
「その前に、余から皆へ言うべきことがある」
ペルセスシオの進行を遮り、不意にプルシェ王が声を上げた。
議員らが注目する中、宰相が王へ問いかける。
「どうされましたかな、陛下」
「うむ、ちょっとな。時間を奪うことを許せ、じぃや」
「……陛下、不満はおありでしょう。しかしここは議会。それぞれ腹に抱えるものはあれど、皆が我が種族を思い、物事を決める場です。いくら魔族全体のためとはいえ、陛下の一存で……」
「わかっておる。だから少しばかり静かにしておれ」
そう言って、プルシェ王が議場を見回した。
「えー、皆の者」
大きな机を前に、プルシェ王の小さな体はほとんどが隠れてしまっている。
その姿は、まるで場違いな子供のようだ。
ただそれでも、彼女の高い声は議場によく響いた。
「せっかく魔王と共に見聞を広げてきたというに、土産がこのような面倒事ですまぬの!」
議場から笑声が上がる。
それに応えるかのように、プルシェ王はわずかに笑みを浮かべる。
「余の贈り物は常々、そなたらの妻や夫、子や親御にも大層喜ばれてきたと自負しておる。だからこそ、此度はこのようなものを持ち帰ってきてしまい、恥じ入るばかりじゃ。さらにはこれから……そなたらにわがまままで言い、恥を重ねねばならぬとは」
いつの間にか、議場は静まり返っていた。
プルシェ王は続ける。
「魔王が訪れたかの時、余がこの王都から連れ去られることがなければ、余もそなたらと同じ判断を下していたじゃろう。他の種族など知らぬ、魔族領など知らぬ、我らが三眼の民さえ栄えればよい、と。しかし……うむ、あそこに座っておる阿呆どもに絆され、どうやら心が変わってしまったようなのじゃ。少しばかりなら、あやつらと足並みをそろえるのも悪くない……と」
「……」
「まったくの私情、ただのわがままですまぬ。だが今ばかり……今ばかりは、そなたらに頼みたい。どうか、余の願いを聞き入れてほしい。以上じゃ」
言い終え、プルシェ王が沈黙する。
静まり返る議場にて、ペルセスシオの声が響く。
「……よろしいですかな、陛下。では決議に移ります。噴火にかかる魔族全体での対処のため、各種支援に賛成の者は、挙手を」
ぽつりぽつり、と手が上がっていく。
その数は、少ない。
賛成している者も、その表情や仕草から、強い信念があるようには見えなかった。どこかやれやれと、仕方なさそうな様子だ。
とてもではないが、議場の空気をプルシェ王が変えたようには見えない。
ただ――――挙手の流れは、止まらなかった。
次々に手が上がっていく。
その勢いは次第に強くなっていき、全体の三割を、四割を超え……やがて過半数を大きく超えた時に、ようやく挙手は止まった。
「こ、これは……」
宰相のペルセスシオが、両の目を見開く。
ぼくにも一瞬、何が起こったのかわからなかった。
プルシェ王の演説が議員たちの心を打った、という様子ではない。現に手を上げていない議員たちは、信じられないかのような面持ちで周囲を見回している。
だとすれば、可能性は一つだ。
初めに一定の派閥の者が幅を利かせている雰囲気はない、などと感じたのが間違いだった。
プルシェ王の派閥こそが、この議場で最大の勢力だったのだ。
それも、ただの現王派の派閥などではない。
普通幼い王の派閥というものは、それを傀儡とし、自らの権勢を高めようとする貴族などが背後にいるものだ。
だがこの状況を見るに、そうではない。プルシェ王自身が、確かにこの派閥の長として君臨している。
「すまぬの、じぃや」
プルシェ王が議場を向いたまま、ぽつりと言った。
「じぃやの思いは知っておる。これまで余を守ってきてくれたことも。国のため、老身を押して政務に励んでくれたことも。この支援には、本心では反対であろうことも。だが……今ばかりは許せ、じぃや」
「……このペルセスシオ、見誤っておりました」
宰相が言った。
その目は議場を向いており、顔からは感情がうかがえない。
「王の血筋からあなた様を見出し、他の者たちを政争で廃して養子につけさせたことは……私がこれまで成し遂げた功績の中で、最高のものだと思っておりました。後に即位したあなた様へ、私の政を見せ、学ばせ、落命と共にこの国を任せる。それこそが私に与えられた定めなのだと、そう信じておりました。しかし……」
ペルセスシオが、プルシェ王に顔を向けた。
そこには、深い皺に混じって穏やかな笑みが浮かんでいた。
「まさかこれほどに早く……立派になられていたとは」
ペルセスシオが再びプルシェ王から視線を外し、前に向き直る。
「もう、じぃやは必要ないでしょう……我らの命運を託しましたぞ、プルシェ陛下」
「なにを言っておるのじゃ」
その時、プルシェ王が呆れたように言った。
「じぃやはなにも見誤っておらぬ。隠居にはまだ早いぞ」
「む、しかし……」
困惑する宰相へ、三眼の王がまったく悪びれる様子もなく言う。
「余はまだ、政なぞぜんぜんわからぬからの! 此度の支援も詳しい内容はじぃやに決めてもらうつもりだったのじゃ。余の世話を放り出すでない。……これからも頼むぞ、じぃや」
ペルセスシオは一瞬呆気にとられたような顔になったが――――やがて、仕方なさそうな笑みと共に言った。
「これはこれは、仕様がありませんな。謹んで承りましたぞ、我が王よ」
その表情はどこか、プルシェ王の派閥の者たちが浮かべるものにも似ていた。
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「ま、ざっとこんなもんじゃの」
数刻後。
蛟の上で、プルシェ王がなんでもなさそうに呟いていた。
実際、彼女にとってはなんでもないことだったのだろう。
「驚いたよ。君、本当は王としての実権を握ってたんだな」
ぼくが言うと、プルシェ王が鼻を鳴らして答える。
「ふん、実権などと呼べるものではない。いざという時の保身のため、味方を増やしていただけじゃ。政のわからぬ余にとって、議場で有利を取ったところで意味がないからの。ただただ我が身のために他者へ礼を尽くし、金品を贈り、困った者のことは求められずとも助けてきた。それが……こんな形で役立つとは、思わなかったがの」
「でもプルシェ。お前、やっぱりおれたちのこと友達だと思ってくれてたんだな。おれは嬉しいよ」
「んあっ……! あ、あれはただの方便じゃ!!」
どこかからかうようなシギル王に、プルシェ王がむきになって答える。
「ふんっ、まあよい。次はヴィルダムド、そなたの番じゃな」
そう言って、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「あの恐ろしげな母御をいかに説得するか、妙案は浮かんだかの」
「正面からぶつかるよ」
ヴィル王は言った。
その手が、一冊の本を強く握りしめる。
「母上の望む方法でね」





