第二十七話 最強の陰陽師、弱音を吐く
その日の夜。
ぼくは、里の外れにある小高い丘へやってきていた。
代表らと初めて会合を行ったあの時と同じように、白い石柱に背を預けて溜息をつく。
「……勇者の娘らと会わずともよいのですか?」
頭の上から顔を出し、ユキが言った。
ぼくはぽつりと答える。
「そういう気分じゃないんだ」
とても今、アミュたちと話す気にはなれない。戻ってきたことを伝えてすらいなかった。
「……あの山が火を噴くことが、それほどの大事となるのでしょうか」
ぼくの心情を察したのか、ユキが別の問いを投げかけてくる。
「かの世界でも、たしか一度か二度、富士の山が火を噴いておりましたが……都へは少々の音が轟いた程度で、ほとんど影響はなかったではありませんか。ここ魔族領は、おそらく日本よりも広大。大都市が付近にあるわけでもなし、そこまでの懸念を抱く必要もないかと思われるのですが。だからこそあの魔族の者らも、さしたる動揺を見せていないのでは?」
「……そうとも言い切れない」
ぼくはぽつぽつと答える。
「確かにぼくが生きていた頃に起きた噴火は、それほど大したものではなかった。だが……ぼくが生まれる百五十年ほど前に起きた冨士山の噴火は、あれらとは比べものにならないほどの規模だったらしい。麓の湖が溶岩で埋まり、森の木々は焼き尽くされ、大勢の人々が家を追われたのだと、当時の記録に残されている」
ぼくは続ける。
「噴火の脅威は、何も溶岩や土砂ばかりじゃない。噴煙と共に空へ舞い上がり、後に降ってくる灰も問題だ。山の周辺では道や建物を埋めてしまうほどに降り積もるが、これは風向きによってはかなり広範囲に広がってしまう。それほどの量がなくとも、畑に降れば農作物に影響が出る。被害は麓の集落にとどまらない。あらゆる種族の食糧生産が減り、魔族全体の力が削がれることになるだろう。これは……そういう事態なんだ」
さらに言えば、おそらくはレムゼネルが懸念していたように、種族間での分断が進むことになる。
被害の少なく余裕のある種族と、復興に必死な種族とで、足並みがそろうわけがない。
そうなれば、もはや魔王軍どころではない。被害の数字以上に、魔族の力は弱まることとなるだろう。
もちろん、そうならない可能性だってある。
そこまで大きな噴火にはならないかもしれない。それどころか、噴火が起きないまま火山活動が収まってしまっても不思議はない。
だが、そんな希望的観測に縋っていい状況ではなかった。
あの火山はかつて、その向こうにあったという人間の国を滅ぼしているのだ。
その圧倒的な自然の力が、今度は魔族領側に向かないとも限らない。
セル・セネクルの言っていた通り、そうなったとしてもこの広大な魔族領が滅ぶことはないだろう。影響のまったくない地域の方が圧倒的に多いはずだ。
しかし。
勇者と魔王が誕生し、開戦の火種が燻っているこの時に、もし最悪の事態が起きてしまえば……、
「……ならば」
わずかな沈黙を経て、ユキが口を開いた。
「ユキは、あえて申し上げましょう……セイカさま。これは好機にございます」
「……」
「セイカさまは、魔族の者らとの関係に折り合いをつけ、人間の国に帰ることが目的だったはず。此度に起こる噴火は、その絶好の機会にございます。その被害が大きければ大きいほど、ここの者らは対処に追われ、魔王や戦争どころではなくなることでしょう。場合によっては……セイカさまがそれを引き起こしてしまうのも、よろしいかと存じますが」
「……。それは……」
ぼくは口ごもる。
ユキの言うことは、まったく間違っていなかった。
しかし……、
「わかっております」
ぼくが答えに窮するのを知っていたように、ユキは言う。
「セイカさまは、そのようなことはなされないでしょう。あの魔族の子らを……縁を結んだ幼き王たちを、見捨てるような真似は決してなされないのでしょう」
「……」
「久々に、弟子ができたようでございましたものね。ユキも……少々懐かしくなりました」
穏やかに言ったユキが、頭の上から丘へと飛び降りた。
ぼくを正面に見据えて、言う。
「それならば、セイカさまのなすべきことは、明らかにございます」
「……」
「あの山の噴火をお収めくださいませ――――セイカさまであれば、それも可能でございましょう」
ぼくは、わずかな沈黙の後に答える。
「方法は、なくはない。だが……とても簡単とは言えない。このぼくであってもだ」
ぼくは重々しい口調で続ける。
「火山の噴火は、とてつもない規模の自然現象だ。それを完全に思い通りにするのは難しい。同じ規模の破壊を行うよりも、ずっとだ」
ラカナのスタンピードも大災害と言えるものだったが、今回は事情が違う。
ただモンスターを倒せばいいのではない。その膨大な力を制御しなければならないのだ。
「確実にうまくいくとは言えない。もし失敗すれば、その瞬間に噴火が起こってしまうだろう。そうなったとき……少なくない魔族の者たちが、命を落とすことになるかもしれないが……」
事件の前日に温泉を借りた、鬼人の村を思い出す。
住民こそ魔族だったが、それ以外はどこにでもありそうな素朴な村だった。
湯を貸してくれた礼として余っていた酒樽を渡してやった時には、村人たちも喜んでいた。
あそこもきっと……土砂や溶岩に飲み込まれるか、そうでなくても灰に埋まってしまうだろう。
「……ぼくに、そんな責任は負えない。所詮、ぼくは魔族ではない人間……ここでは部外者にすぎないんだ。彼らの命運を、ぼくが左右してしまうのは……とても道理に合わない」
「ならば、備えさせればよいではありませんか」
ユキは言う。
「どのみち噴火は起こるかもしれないのです。もしもの時に備えあらかじめ付近の住民を避難させ、食べ物と家も用意させ、別の場所で暮らしを送れるようにさせましょう。結果としてうまくいかず、多少の不便が生じてしまっても、それは手を尽くしたセイカさまが責を負うものではありません。当事者は彼らなのです。その程度の協力と配慮は、当然にございます」
「……そう簡単にはいかないさ」
ぼくは力なく笑う。
「お前の言う備えには、かなりの金や人の手が必要になる。だが……代表らの様子を見る限りでは、どれだけやってくれるか知れたものじゃない。彼らが最も重視しているのは、魔族全体の利益などではなく、自らの種族の利益だ。他種族のための負担などは当然嫌がる。結果として互いに牽制しあい、先の話し合いのようになってしまう。あの様子では魔族全体での対処なんてとても無理だ。辺境の小さな集落のために、権力者たちがどれほど金を出すかも怪しい。避難すらも、どれほど行われるか……」
「……ならばっ」
その時、ユキが強い口調で言った。
「あの幼き王たちに、求めなさいませ」
「え……?」
「セイカさまがこれから行うことの、助けとなるよう。あの者たちは王であり、そして互いに友誼を結んでもおります。きっと成し遂げられるはずでございます」
「それは……無理だ」
ぼくは諦めとともに首を横に振る。
「あの子らは、まだ子供なんだ。王としての実権だって……」
「いいえ。きっと……きっと成し遂げるでしょう。ユキにはわかります」
ユキは、断言するように言った。
「たとえほんの一時であれ――――セイカさまに師事していた者たちなのですから」





