第十九話 最強の陰陽師、後悔する
その後、魔王城のテラスにて。
「重……」
石造りの柵にもたれ、ぼくは思わず呟いていた。
夜の森を眺めながら考えていると、だんだん憂鬱な気分になってくる。
魔族たちの内情は、想像以上に複雑でややこしい、重たいものだった。
とてもぼくの手には負えそうもない。
「……暴力で解決できる問題ならよかったのにな」
「そんなわけがないことくらい、容易に想像がついたはずでございましょう」
頭の上から顔を出しながら、ユキが呆れたように言う。
「力で片が付くような単純な問題ならば、彼ら自身でとうに解決しているはずでございます」
「……」
ぼくは大きく溜息をつく。
「……軽く考えてたなぁ」
政に明るくなくとも、ぼくほどの力があれば何かしら手を出せることがあると思っていた。
しかし現実には、ちょっと呪いが得意なくらいではどうしようもないことばかりだ。
「前世では日本でも西洋でも、それなりに国から頼られる機会があったんだけどな……。考えてみれば、こちらの世界の国々は前世よりずっと発展しているようだから、抱える問題も複雑化しているのかもしれない」
「あるいはかの世界でも、難しそうな問題についてはセイカさまにお呼びがかからなかったのかもしれませんね」
「……」
もはや黙るしかないぼくに、ユキは続ける。
「根本に立ち返ると……セイカさまが王たちに会おうとしていたのは、そもそも彼らの内情を把握するためだったはず。一応目的は果たせたので、そこまで悲観することはないかと思いますが」
「そうだなぁ……」
ユキの言うとおりではあるが、内情を把握したかったのは代表らの議論を誘導し、意見を統一させたかったからだ。
あの子らの話を聞いたことで、それが可能になったと言えるのだろうか……?
「……まあ、彼らにとって人間の国への侵攻が、そこまで切実に必要ではなさそうだとわかったのは収穫か。反戦の方向で結論を導ければいいが……ただ、王と代表の認識が食い違っている種族がいるのが気になる。話を聞く限りではあの子らの意見が正しそうだけど、代表らの言い分もあるだろうしなぁ……」
考えるほどにわけがわからなくなってくる。
やっぱり、魔族の事情になんて首を突っ込んだのは失敗だったのか……。
と、その時。
「ん、あれ……地震か?」
足元に感じた微かな揺れに、ぼくは顔を上げた。
揺れはしばらく続いた後、何事もなかったかのようにおさまる。
この分なら、何かが倒れたりもしていないだろう。
「……さして大きくもなかったが、珍しいな」
前世の日本とは違い、転生してから地震に遭ったことなどほとんどなかったのだが。
「いえ、そうでもございませんよ」
ユキが言う。
「セイカさまは気づかれなかったようでございますが、この魔族の住まう地を訪れてから、幾度か小さな地揺れが起こっておりました」
「え、そうだったのか」
まったく気づかなかった。
というより、管狐ほど小さくなければ、感知できるような揺れではなかったのだろう。
「さしたる問題もないかと思い、これまで申し上げませんでしたが、ここはそのような地なのではないでしょうか」
「うーん……」
確かに、土地によって地震の起こりやすさは違う。
そういう場所なのだと言われてしまえば、それまでだったが……。
「セイカ?」
その時ふと、背後から声が響いた。
振り返ると、そこにいたのは神魔の少女、リゾレラだった。
「なにしてるの? こんなところで……」
「ああ、いや別に。ただ外の空気を吸いたかっただけだよ。……そうだ、さっきの地震は大丈夫だったか?」
リゾレラは一瞬きょとんとして、それからなんでもないように答える。
「あれくらいで、転んだりしないの」
「それはそうだろうけど……」
「なに?」
「いや……怖くなかったのかと思って」
前世での経験上、地震の少ない国の民は、たいていはわずかな揺れでも恐れおののいていたものだったのだが。
リゾレラはおかしそうに笑って答える。
「セイカは怖かったの?」
「そんなことないけど……」
「無理しなくていいの。人間の国は地震が少ないと聞くから、怖くても仕方ないの」
「いや本当に違う。あれくらい慣れてるよ。というか……やっぱりこちらの土地では、地震が珍しくないのか?」
「そうなの」
リゾレラはうなずいて、夜の森が広がる先を指さす。
「ずーっと向こうの方に、大きな火山があるの。それが、地震を生んでいるって言われているの」
「へぇ」
「最近は、それが少しずつ増えてきているの。もしかしたら噴火の前兆かもしれないの」
「えっ! それ……大丈夫なのか?」
規模にもよるだろうが、ただ事では済まない。
思わず心配するぼくだったが、リゾレラは落ち着いた口調で言う。
「大丈夫なの。魔族がみんなで協力して、大丈夫なようにしているの。そのおかげで、ワタシが生まれる前からずっと、噴火は起きてないの。時々こうして地震が増えるくらいで」
「ふうん……?」
大丈夫なようにしている、というのが気になったが、今訊くことでもないかと思いここはひとまず流すことにした。
リゾレラは言葉を止めると、ぼくの隣に来て同じように柵にもたれかかった。
しばしの沈黙の後、話のきっかけを作るかのようにぽつりと呟く。
「……みんな、大変なの」
「みんな……って、あの子らのことか?」
「うん。だけど、それだけじゃないの」
リゾレラは森の方を見つめたまま続ける。
「メレデヴァも、ヨルムドも、ペルセスシオも……他にもみんな、必死なの。種族を統べるということは、それだけ大変なことなの」
リゾレラの瞳には、憂いがこもっているようだった。
ぼくはわずかに間を置いて答える。
「そうだな……軽い気持ちで訊ねる内容ではなかった」
「……なんだか申し訳ないの」
「……? 申し訳ないって、何が」
訊ねるも、リゾレラは首を横に振るばかり。
仕方なく、ぼくは話を変える。
「そういえば……神魔の内情については、まだ誰からも聞いてなかったな。ルルムが何も言っていなかったから、そこまで重大なことはないと思っていたんだが……何かあるか?」
「……そういうのは、レムゼネルに訊いてほしいの」
「いや、知っていることがあればでいいんだ。というか……レムゼネル殿は、侵攻か現状維持かの議論で態度を曖昧にしていたが、神魔としてはあれで大丈夫なのか? 普通はどちらか、種族として利益の大きい方の立場をとるものだと思うんだが」
「たぶん、ちょっと遠慮してるところがあるの」
リゾレラが静かに答える。
「神魔には、元々王がいないの。人間への感情も、里によって違うの。だから……菱台地の里長でしかない自分が、神魔全体の行く末を決めるのは間違ってるって、レムゼネルはそう考えてるところがあるの。代表というなら、他にもっとふさわしい人物がいるはずだ……って」
「ええ、そうは言ってもなぁ……一度代表に収まった以上は、しっかり務めを果たすべきだと思うけど」
ぼくが苦言を呈すと、リゾレラは言う。
「ああ見えて、意外と気の弱いところがあるの。でも……ほんとうは、とても優秀な子なの」
「そう、なのか?」
内容にしても言い回しにしても、どこか引っかかる物言いだった。
眉をひそめていると、リゾレラが続けて訊ねてくる。
「セイカ。いつまでここに滞在するつもりなの?」
「うーん……」
リゾレラに問われ、ぼくは答えに窮する。
内情をだいたい把握し、今後の方針が決まるまで……と、当初は考えていたのだが、なんだかとても無理そうに思えてきた。
悩むぼくに、リゾレラは言う。
「できれば、みんなと一緒に何日か居てほしいの」
「それはかまわないが……どうして?」
「きっと……」
リゾレラが優しげな笑みを浮かべる。
「あの子たちの、いい気晴らしになると思うの」





