第十六話 最強の陰陽師、黒森人の王に謁見する
黒森人の王都に着いたのは、日が沈みそうな時分だった。
「なんというか……まさに想像していた通りの街だな」
ぼくは王都の様子を眺めながら呟く。
黒森人の王都は、森と一体化した都市だった。
中央にそびえる一本の巨大な樹木。その根元から広がるように、木々と共に家々が建ち並んでいる。
森人はこのような集落を作るのだと聞いたことがあったが、文化の近い黒森人も同様だったらしい。
「じゃあ、毎度のように降りるとするか」
「待つのじゃ魔王よ、まさかここでもこのドラゴンで直接王宮へ向かう気なのか?」
焦ったようなプルシェ王に、戸惑いつつも答える。
「そのつもりだけど」
「よせ。悪いことは言わぬ。王都の外に降り、徒歩で向かうのじゃ」
「えー、時間がかかりそうだなぁ」
王宮があるのは、街の中心である巨樹の根元だ。
思わず渋ってしまうが、プルシェ王は譲らない。
「そなたはわかっておらぬ。ドラゴンは、どんな種族にとっても脅威なのじゃぞ。いきなり街にやって来たこれを見て、奴らがどんな行動を起こすか……」
「大丈夫さ」
本から顔を上げて言ったのは、ヴィル王だった。
「君たち三眼が把握していたんだ。当然黒森人の者たちも、魔王様が各地を巡っている情報は掴んでいるはずさ。いきなり攻撃してくることはまずない」
「むぅ……そうかもしれぬが……」
一理あると思ったのか、プルシェ王が黙った。
ぼくは笑みを作る。
「まあ、これまでに何度も襲いかかられてるからな。そんなこと気にするのも今さらだ」
そう言って、ちらとリゾレラを見た。
賛同してくれるかと思ったのだが、神魔の少女は険しい顔をするばかり。
「あれ? どうした?」
「……黒森人だけは、ちょっと事情が違うの」
リゾレラはぽつりと言う。
「ここは、軍部が強い種族なの」
****
リゾレラの言っていた意味は、すぐにわかった。
巨樹の根元に築かれた、樹の王宮。
そこでぼくらを待ち構えていたのは――――剣や弓で武装した、多数の兵だった。
「そこにおわすは、魔王様にあらせられるか!!」
まだ降りきる前に、指揮官らしい女性の黒森人が大声で叫んできた。
ヴィル王が予想していたとおり、黒森人たちもぼくらが来ることは予期していたらしい。
できればもうちょっと近づいてからにしてほしかったのだが、攻撃されても困るので仕方なくぼくも叫び返す。
「そうだ!!」
「交戦の意思がないならば、ドラゴンを街から離されたし!!」
「えー……?」
ちょっと困ったが、まあ理解できなくもない要請だった。
ぼくは叫び返す。
「わかったから、少し待て!!」
蛟を地表ギリギリにまで降下させると、いつものように《碧御階》による翠玉の階段で王たちを降ろす。
それから、一枚のヒトガタを蛟に向けた。
「――――ओम् पञ्च षोडश चतुर्दश अष्ट षट् एकम् निक्षेप सकल स्वाहा」
空間の歪みに、龍の巨体が吸い込まれていく。
その様子を、指揮官や兵たちが唖然として眺めていた。
「しょ、召喚魔術の類か……?」
「これでいいか?」
「……問題はない」
指揮官の黒森人が、気を取り直したように告げる。
「魔王様へお訊ね申し上げる。現在、貴公がドラゴンと共に各種族の地を巡り、それぞれの王を連れ出しているという情報が我らに届いている。これは真実か」
「まあ、一応……その通りだけど」
「ならば、率直に申し上げる。我らの王を、護衛部隊の同行なしに連れ行くことは認めかねる」
「……なぜだ?」
訊いていて、馬鹿な問いだなぁと自分でも思う。なぜも何もない。普通ダメに決まってる。
案の定、指揮官は言う。
「我らの法に反する。安全の面からも懸念があり、許容しかねる」
だよなぁと思っていると、指揮官はさらに続ける。
「また我ら種族の方針は、王の意思を議会が承認する形で決定される。議会なき状況にて、何らかの事柄が決定されるような事態は承服しかねる」
「……ぼくはただ、君たちの抱える事情を王から聞きたいだけなんだけど」
「承服しかねる。黒森人の内情ならば、特使として派遣したガラセラ将軍から聞かれたし」
「……」
ルルムの里に戻り、代表から聞けということらしい。
もっともと言えばもっともなのだが……ぼくは一応、食い下がってみる。
「せめて挨拶くらいはさせてもらえないだろうか。其の方らの君主の顔も知らないまま魔王を名乗るのは気が引けるし、ぼくらとしてもここまで来た甲斐がない」
「王は現在、王宮を空けている。行き先については護衛計画に差し障る都合、機密となっている。理解されたし」
「……」
取り付く島もなかった。
不在なんて絶対嘘だろうが……これ以上は粘ったところで王に会えるとは思えない。
軍部が強いというのは本当だったようだ。
仮にも魔王に対してここまで拒絶できるのは、徹底して統一された意思と、何より武力が背景にあるためだろう。
仕方ないか、とぼくは思う。
さすがのリゾレラも、ここはあきらめるだろう。こんな状況で『ドラゴンで木っ端微塵にする』なんて言ったら、何をされるかわからない。
そう思って帰る旨を指揮官に伝えようとした、その時。
「……セイカ。樹の上を見てほしいの。ばれないように」
不意に、リゾレラが耳打ちしてきた。
思わず問い返す。
「えっ、何?」
「人がいるの。見える?」
ばれないようにということだったので、飛ばしていた式神の視界で確認する。
注意深く見渡すと――――確かに、いた。
かなり上の方から延びる枝に、浅黒い肌に金髪の、黒森人の少年が立っている。
「あれ、王なの」
「はあ?」
「黒森人の王の、シギルなの」
「嘘だろ……」
「きっと待っててくれたの。あそこまでこっそり迎えに行くの。いい、セイカ?」
なんだそりゃと思いながら、恐る恐る指揮官へと向き直る。
黒森人の女軍人は、ひそひそ声で会話するぼくらを訝しげに見ていた。
「あー、えーと……それなら、帰ろうかな……なんて」
「……そうか。ご理解、感謝申し上げる」
ぼくがそう言うと、黒森人の指揮官は姿勢を正す。
「どうか誤解なきようお願い申し上げる。我ら黒森人は、魔王様に対し恭順する意思を持っている。此度の非礼も、我々の本意ではない」
「そ、そうか……」
「魔王軍結成の際には、我らの全精鋭が加わる方針でいる。他のどの種族よりも勇猛に戦い、多くの戦果を上げることを約束しよう。そして――――」
そこで指揮官は、わずかに間を空けて言った。
「――――五百年前、我らと森人とが袂を分かつ前の……かつての魔族の在り方に戻れることを、心から願っている」
「……」
この指揮官は、ひょっとするとかなり上の立場なのかもしれなかった。
そうでなければ、種族の意思をなかなかここまで語れないだろう。
「……わかった。えーっと、じゃあ帰るにあたってドラゴンをまた喚ばないといけないんだけど、いいか?」
「必要性は認識している。問題ない」
ぼくは再び蛟を位相から出すと、また階段を作って王たちを乗せていく。
「はい、早く乗って乗って…………えっと、そうだ。最後に一ついいだろうか」
「なんだ?」
「その……帰りに少し、この樹を見物していきたいんだ。こんなに大きい樹は人間の国にはなくてね。ドラゴンで近くを飛ぶだけなんだが、問題ないだろうか」
ぼくがそう言うと、指揮官はわずかに口元を緩めた。
「問題ない。むしろ魔王様にはぜひご覧になっていただきたい。この神樹は、我らの精神的な拠り所にして誇りでもあるのだ」
「そ、そうなのか。ではそうさせてもらおうかな……」
ぼくは蛟に離陸の指示を出すと同時に、ヒトガタを先導させて神樹の周りを遊覧飛行させる。そしてそのまま、さりげない動きで王のいる付近へと誘導していく。
妙な指示に、蛟もどこか不審そうな様子だ。
「……な、なあ。あそこにいるの、本当に王なのか?」
「そうなの」
リゾレラははっきりとうなずく。
やがて黒森人の少年が立つ枝の真下にまで来ると、その少年が大きく手を振ってきた。
「おーいっ! こっちこっち!」
蛟の頭を慎重に寄せていく。
十分に近づいたその時、少年が枝から飛び降りてきた。
蛟の上に、倒れ込むようにして着地する。
「うおっと……! ふぅー、うまくいったぁ」
笑顔を浮かべるその少年は、間近で見るとかなりの美形だった。
肌こそ浅黒いものの、尖った長い耳、輝くような金髪に整った顔立ちと、容姿の特徴は森人とよく似ている。
確か王たちは皆、ぼくよりも年下だったはずだ。
しかし、シギル王の見た目は人間の十代と変わりない。
どうやら長寿だからといって成長が遅いわけではないらしい。
シギル王は足元の蛟を眺めて、感心したように言う。
「しっかし、マジでドラゴンをテイムしているんだなぁ……あっ、そちらが魔王様?」
「ああ。セイカ・ランプローグという。なんだか、ずいぶんな顔合わせになってしまったな」
「ははっ、ほんとうにな。まったくおれは囚われの姫かっつーの! いや参ったよ。軍のやつら、魔王様が王を訪ねて回ってる噂を知ってすげー慌てて、おれのこと軟禁し始めてさ。いやいやそれはまずくね? って思ってなんとか脱出したんだけど、はあー苦労した」
「それは……大変だったな」
いくらぼくが原因とは言え、軍部が王を軟禁とは穏やかじゃない。
シギル王を取り巻く状況は、あまりいいものではなさそうだった。
ぼくが深刻そうな表情をしたためか、黒森人の少年が慌てたように言う。
「あ、いや、そんな顔されるほどのことでもないぞ? おれがまだ若いせいで、あいつらも心配してるだけなんだよ。黒森人の歴史の中でも、おれくらいの歳で王になったやつっていなかったみたいでさ……あっ、そういえば魔王様も、おれらと歳近いんだっけ?」
「ええと、たぶん。今年で十六になる」
「マジ? おれ十五!」
「……そんなに若い黒森人がいるなんて、なんだか不思議な気分だ」
「うわー、いかにも人間が言いそうな台詞! おれらだって生まれた時から百歳や二百歳じゃないんだからなー」
快活に笑う様子は、普通の少年のようだった。
リゾレラが普通の王と言っていた理由が少しわかった気がする。
「久しぶりなの、シギル」
「あっ、リゾレラ様! どうもっす! やっぱ全然変わんないんすねー……。ってかみんなもいるんじゃん。なんだよ、おれ最後だったのかよ」
シギル王は、他の王たちを見回しながら朗らかに言う。
「そなたにしては、今回珍しく無茶したのう。シギル王よ」
「いや仕方なかったんだよ。こっちにもいろいろ事情はあるけどさ、魔王様を門前払いにするのはまずいだろって、常識的に。つーかプルシェ、てっきりお前はいないと思ってたよ。意地でも王宮から出ないだろうなぁ、って」
「余だって来とうなかったわ!」
「うーっすシギル!」
「ようガウス! お前またでかくなったんじゃないか?」
「うれしいこと言ってくれるじゃねーか! また剣術ごっこでもやるか!?」
「勘弁してくれよ、もう敵わねーって……」
「バカに付き合うことはないよ。久しぶりだね、シギル」
「ヴィル! おいおいなんだよ、眼鏡かけるようになったのか?」
「ああ。本の読み過ぎか、少々視力が落ちてしまってね」
「相変わらず鬼人らしくねーなぁ。ま、そこがお前のいいところなんだけどな」
「やっほ~、シギル」
「『友よ、今この時に再会できたことが嬉しい』と、王は仰せでございます。シギル陛下」
「よっ、フィリ・ネア! コレクション増えたか? ってかアトス、おれには普通に喋れよなー。セル・セネクルさんが毎度大変だろ」
シギル王は、他の王たちと親しげに言葉を交わす。
「……ずいぶん、みんなと仲が良いんだな」
「えっ? ああ」
ぼくが思わず呟くと、シギル王は軽く頭を掻きながら言う。
「いやぁ……おれらってさ、境遇似てるじゃん? 種族は違うけど、みんな似たような歳で王様なんてやってて……。当たり前だけど、周りにそんなやついないからさ。だから顔を合わせる機会は少ないけど、なんとなく仲間っつーか、戦友みたいに感じてるんだよな。おれ、時々考えたりするんだぜ? あいつら今頃なにやってるかなー……とか。みんなもそうだろ?」
シギルが話を向けると、王たちが口々に答える。
「ふん。余はそんな湿っぽい感情は持っておらん。王同士であるから付き合っているだけじゃ」
「僕も、まあそこまでではありませんね……」
「う~ん、フィリはちょっとそれキモいなって思う」
「『とても心苦しいが、王である以上は友に対しても相応の距離感を保つよう努めている』と、王は仰せでございます」
「えーっ!? ひでぇ! 仲間だと思ってたのおれだけ!?」
「オレは戦友だと思ってるぜ、シギル!」
「ガウス~、お前だけかよぉ…………なんかそれはちょっとやだなぁ」
「どういうことだ、おい!?」
王である少年少女たちが、わいわいと騒ぎ出す。
ぼくはふと、シギル王の言っていることは本当なんだろうなと思った。
口では否定しているプルシェ王たちも、きっと心の奥底では似たような気持ちでいるのだろう。
「セ、セイカ。そろそろ行くの」
ふと、リゾレラがぼくの裾を引っ張って言った。
「ドラゴンが目立つから、黒森人たちが集まって来てるの。いつまでもじっとしてると変に思われるの」
地上に目を向けると、確かに人だかりができているようだった。
同じように下を見たシギル王が焦ったように言う。
「やべっ。早く逃げよーぜ魔王様」
「あ、ああ……だが、いいのか?」
ここまで来ておいてなんだが、ぼくは思わず訊ねる。
「いきなり王が消えたら、さすがにまずいんじゃ……」
「大丈夫!」
シギル王は爽やかな笑顔で言った。
「ちゃんと書き置きを残してきたからさ!」
****
「すっかり夜になっちゃったの」
緩やかに飛行する蛟の上で、リゾレラが呟く。
その言葉の通り、辺りには闇が満ちていた。今日は曇りだったせいで、二つの月明かりさえも地表には届いていない。
周囲をぼんやりと照らすのは、灯りのヒトガタが発する淡い光だけだ。
ここまで暗いと、蛟で速度も出しづらい。
菱台地の里に戻る頃にはずいぶん遅くなってしまうが、それでも仕方なかった。
「……フィリ、眠い」
フィリ・ネア王が白い毛並みの手で目をこすりながら言う。
「こいつなんてもう寝てるぜ!」
ガウス王の言葉に振り返ると、プルシェ王が座ったままがっくりと頭を垂れている。眠っているようだった。
「ドラゴンに乗って楽できているとはいえ、それでも長旅は疲れるものですね」
ヴィル王が首の辺りを押さえながら言う。
鬼人が言うのだから、きっと他の子らにとっても同じだろう。
「うーん、なるべく早く着くようにはしたいんだけど……」
かの世界では日が沈んでからもサギの仲間やコウモリが飛んでいたので、夜の空を急いでいた際に顔面に激突してきてひどい目にあったことがあった。
魔族領の空はどうなのか知らないが、王たちを乗せている以上、安全を考えるとあまり無茶はできない……。
「……あっ」
と、そこで、ぼくは思いついた。
曇天の夜でも明るい場所がある。
「これから雲を抜けるから、みんな掴まっていてくれないか」
「えっ?」
一同の困惑する声を受けながら、ぼくは蛟を駆り、上昇を始めた。
そしてそのまま、上空を覆う雲へと突入する。
ひんやりとした闇を抜け――――そして。
「わぁ……!」
誰かが、感極まったような声を漏らした。
眼下には、月明かりに照らされた雲海が広がっていた。
上を見ると、あの曇天が嘘だったかのように、満天の星が瞬いている。
「さすがに、こちらの空の上は綺麗だな」
月が二つある分、雲の平原が美しく浮かび上がっている。
前世でたびたび見た夜の雲海よりも、ずっといい眺めだった。
「ここなら鳥もいないから、もっと早く飛べると思う。ただ、まもなく初夏とはいえ少し寒いな。もし我慢できなさそうなら言ってくれ」
誰の言葉も返ってこない。
振り返ると皆、目の前の光景に見入っているようだった。
先ほどまでうとうとしていたフィリ・ネア王も、寝入っていたプルシェ王も、いつのまにか目を大きく見開いて、延々と続く雲海と星空をじっと眺めている。
ぼくはふと笑って、同じように景色を見つめ続けるリゾレラへと問いかけた。
「空を飛んだことがあると言っていたけど、雲の上に出たことはあったかい?」
リゾレラは、静かに首を横に振った。
「はじめてなの」
それから、じっくりと思いを込めたように、小さく呟いた。
「……きっと、ずっと忘れないの」





