第十三話 最強の陰陽師、鬼人の王に謁見する
菱台地の里についたぼくたちは、すぐに寝床にありつけることとなった。
リゾレラが神殿に少し口を利いただけで、本当に立派な宿を用意してもらえたためだ。不思議な地位にあった彼女は、どうやら神殿関係の有力者だったらしい。
神魔で最も大きな里というのがどんなところなのか気になったが、さすがに夜中に見回る気も起きず、疲れ果てていた二人の王と共に大人しく寝ることにした。
そして、翌日。
「へぇ。じゃあ悪魔にとってデーモンは、家畜に近い存在なのか」
「『人間の文化にたとえるならば。ただし実態としては、姿の異なる配下のような存在です。だから我々は彼らを眷属と呼び、彼らの生命に責任を持ちます』と、王は仰せでございます」
ぼくら五人は蛟に乗り、次の街に向かっていた。
ぼくがアトス王との雑談に興じる後方では、フィリ・ネア王がリゾレラにしつこく質問している。
「ねえねえ。今年はあなたの里の市におもしろい商品は並んだりしていないかしら? 神魔の魔道具にはね、フィリ期待してるんだ。去年は七つ丘の里から仕入れた商品で叔父さんが大儲けしててね」
「そういう話はレムゼネルとしてほしいの……」
若干うんざりしたように、リゾレラが答える。
商業種族の出身であるためか、フィリ・ネア王は商い事に関心が高いようだった。
「さて、次はどの種族にしようか」
「鬼人の里に向かうの」
ぼくが呟くと、リゾレラが身を乗り出して答えた。
「ここから一番近いの。他の里にも行くのなら、そこから回った方がいいの」
「鬼人か……」
思わず呻く。できれば最後にしたかった種族が来てしまった。
気の進まなそうなぼくに、リゾレラが眉根を寄せて言う。
「不満そうなの」
「いや、不満ってわけじゃないんだけど……なんか粗暴な印象があって気が引けるんだよな」
メイベルが戦ったあの鬼人も、ルルムの里に来た代表も、好戦的な気質を隠そうともしていなかった。
鬼人はその二人しか知らないわけだが、どうも種族全体がそうなんじゃないかという気がしてならない。
だから、なるべくなら後の方にしたかったのだが……。
「大丈夫なの」
しかし、ぼくの不安を一蹴するように、リゾレラは言った。
「他の鬼人はともかく――――あの王に限って、そんなことはないの」
****
昼を少し回った頃、ぼくたちは鬼人の王都へとたどり着いた。
「うーん……“王都”って感じではないな」
蛟から見下ろす先にあるのは、村のような集落だった。
土壁や木や、大型モンスターの骨でできた家々。造りはどれも簡素で、ほとんど無秩序に建ち並んでいる。
規模はそれなりに大きかったが、どうも発展している様子はなかった。
「鬼人の集落は、どこもこういう感じなの」
ぼくと同じく見下ろしながら、リゾレラが言う。
「戦いに価値を求める種族で、あまり文化とか芸術とかに興味がないの。粗暴というのも間違ってないの」
「『しかし、歌や踊りには見事なものがあります』と、王は仰せでございます」
「いろいろもったいないって、フィリ思うんだ。鬼人はもっと豊かになれる気がするんだけど」
「ふうん、そうなのか」
やはりぼくの印象はそう的外れでもなかったらしい。
しかし、リゾレラはそこで付け加える。
「でも、王にはそういうこと言わないでほしいの。気にしてるから」
「わかってるよ」
仮にも仲良くしようという相手に、お前たちは野蛮だなんて面と向かって言うわけない。
ただ……気にしている、という言い回しが少し引っかかった。
どんな王なんだろう?
****
鬼人の王宮は城……というより、砦だった。
背後の崖を利用し、巨大な石材をもって造られた物々しい佇まいで、どこか大盗賊団の根城といった雰囲気がある。
直接龍で降りたのはこれまでと同じだったが、衛兵の反応は少し違った。
「ほう……これは妙な客人が来たようだな」
「闘争の相手は久しぶりだ。少々手に余りそうだが、ふっ、贅沢は言えんか」
砦の門番は、二人だけだった。
どちらも大柄な体躯の鬼人。おもむろに立ち上がると、それぞれ斧と大剣をかまえる。
龍を目の当たりにしているにもかかわらず、パニックを起こす様子もない。
それは結構だったが、敵対されるのは困った。
ぼくは慌てて言う。
「待て。ぼくは一応、魔王ということになっている者だ。其の方らの王に会いに来た」
ぼくの少々アレな自己紹介に、二人の鬼人は不敵に笑った。
「クックック、よもや魔王を名乗るか」
「随分と不遜な人間だ。その力、我らで確かめるとしよう」
魔王の話は末端まで伝わっていなかったのか、門番二人はまったく信じる気配がなかった。
ぼくはなおも説得を試みる。
「待て待て。ほら、他種族の王も連れているんだぞ。信じる信じないの前に、お前たちはまず報告に行くべきなんじゃないのか」
「黙れ、問答無用!」
「死ねぇい!」
門番二人が、得物を振り上げて襲いかかってきた。
ぼくはヒトガタを浮かべつつ頭を抱える。
「結局これまでと同じだよ……」
《木の相――――樹蝋泡の術》
ヒトガタから生み出された黄金色の水塊が、二人の鬼人を直撃した。
「ぶはぁっ! な、なんだこれはっ……!」
「ぬぅっ、う、動けん……」
仰向けに倒れ込んだ鬼人たちがもがくが、全身に黄金色の液体がまとわりつき、立ち上がることすらもままならない様子だった。
そのうち完全に動けなくなるだろう。
松脂の糊は、放っておけばどんどん固化していく。
「まったく好戦的な種族だな。これ、王を穏便に連れ出すとかできるのか……?」
今後を心配するぼくとは対照的に、後ろでは王たちが勝手に盛り上がっていた。
「あはっ、なにこれ~。おもしろい魔法~」
「『さすがのお力です魔王様』と、王は仰せでございます」
「なんだかんだ言ってセイカも好戦的なの。毎回衛兵をやっつけてるの」
「いや好きでやってるわけじゃないからね」
まあ……毎度龍で直に王宮へ降りているぼくにも、原因がないとは言えなかったが。
****
その後、門番二人はいさぎよく負けを認め、砦の中へ案内すると言い出した。
門番としてそれでいいのかと思ったが……そういう種族ということかもしれない。ある意味素朴と言えなくもない。
そうして案内されたのが、この部屋だった。
「おやまあ……。まさか魔王が直接、この里を訪れるとはねぇ」
見上げるほど高い天井に、百人の兵が入れそうなほどに広大な一室。
その中心、これまた巨大な寝台に体を横たえていたのは、一人の鬼人の女だった。
これまで見た中で、おそらく最も大きな鬼人だ。
身長は、おそらくぼくの倍近くある。小柄な巨人と言われても信じてしまいそうなほどだ。
年齢はわからないが……話し方や雰囲気からするに、決して若くはないだろう。
「それに、悪魔に獣人……神魔の王まで伴って」
「久しいの、メレデヴァ。元気そうで何よりなの」
リゾレラが一歩進み出て、表情を変えないまま言う。
「でも、ワタシは王ではないの」
「ええ、そう言うと思ったわ。でもね、そう思っているのはあなただけよ」
それから鬼人の女は、ぼくへと目を向ける。
「鬼人族の内情を、あなたは詳しく知りたいのだったわね。魔王様」
「ああ」
「見ての通り、私は体を悪くしてしまってここを離れることはできないの。だけど、可能な限り協力しましょう。私の知る限りのことを、あなたにお話しするわ。それでいいかしら?」
「……なら、早速訊きたいことがある」
ぼくは、鬼人の女を見据えて言う。
「ぼくは鬼人の王に会いにここへ来た。其の方こそが王で、間違いはないか?」
しばしの沈黙の後、鬼人の女はゆっくりを首を横に振った。
「いいえ……。でも、あなたの話し相手ならば、私の方がふさわしいことでしょう」
「なぜだ」
「王はまだ未熟。器はあれど、鬼人の行く末を託せるほど世の中を知らないわ。今でも政務の一切は私が取り仕切っているの。何か不足かしら?」
ぼくが口を開きかけた時、部屋の外から口論が聞こえてきた。
「お待ちください陛下。今は太后様がお話しされているところです」
「陛下!」
「どいてください! 魔王様は、僕に会いに来たんでしょう!? ならば僕が会うべきです!」
勢いよく扉が開くと同時に、口論の声も飛び込んできた。
ぼくは思わず振り返る。
そこには、眼鏡をかけた鬼人の少年がいた。
「あなたが……魔王様……!」
鬼人の少年が、眼鏡の奥の目を見開く。
大柄ではあるが、どこか理知的な雰囲気を持つ少年だった。読書の最中に慌ててやってきたのか、その太い指は一冊の分厚い本を掴んでいる。
「は……はじめまして、魔王様。僕は、ヴィルダムド。鬼人の王です……!」
鬼人の少年が瞳を輝かせて名乗る。
魔王の来訪を、よほど待ち望んでいたかのようだった。
「どうかヴィルと呼んでください。親しい者は、皆そう呼んで……」
「陛下。お下がりを」
少年の興奮に冷や水を浴びせるかのように、鬼人の女が言った。
「今、大事な話をしているところです。この件に関しては政務と同様、一切をこの私にお任せください」
「母上!」
少年が叫ぶ。
「なぜです! 魔王様が会いに来たのは王たる僕だ! それなのに、会わせるどころか伝えもしないだなんて……!」
「陛下……」
「そればかりか、母上の雇い入れた門番は誰何すらせず彼らに襲いかかったそうじゃないか! いったい何をしているんだ! これが力の持たない客人だったらどうするつもりだったんだ! これだから、我が種族の者は……っ!」
「陛下、客人の前です。そのように取り乱されては底を見透かされますよ」
鬼人の女は呆れたように首を横に振る。
「申し訳ありません、魔王様。王は勉学こそ達者なれど、まだその立場にふさわしい振る舞いすら身につけられていません。あなたのお相手は、この私が務めましょう」
「……」
ぼくは無言で踵を返した。
そして、鬼人の王たる少年へと歩み寄る。
「え……?」
困惑する彼の前でぼくは微笑むと、その大きな手を取った。
「行こうか、ヴィル王。ぼくは君を迎えに来たんだ」
****
「穏便に出てこられたの……」
一刻後。
蛟の上で、リゾレラがぼやいていた。
「ドラゴンで木っ端微塵にするって、言うタイミングがなかったの……」
「なくていいんだよそんなもの。なんでちょっと残念そうなんだよ」
ぼくは軽くリゾレラを睨んで、それから鬼人の王、ヴィルダムドへと目をやった。
少年は他の王たちと同じように眼下の景色に見入っていたが、ぼくの視線に気づくと、その眼鏡を直して向き直る。
「すごいです、魔王様……! ドラゴンをテイムするなんて、これまでのどんな魔王でも成し遂げられなかったことです」
「あー、うん。コツがあるんだよ」
適当に誤魔化し、それから言う。
「申し訳ない。あんな風に連れ出してしまって」
あのメレデヴァとかいう巨大な鬼人の女――――王の母だから王太后ということになるが、意外にも彼女は素直に王の外出を了承した。
しかし、ぼくにしてもヴィル王にしても、心象はかなり悪くなっただろう。
ぼくはいいとして、政治の実権をメレデヴァが握っている以上、王としては今後かなりやりにくくなるのではないか……と、思っていたのだが。
「いいんです。むしろ感謝しています」
ヴィル王は清々しい表情でそう言った。
「母上とは昔から考えが合わず、言い合いになるのもこれが初めてではありません。今さらです。それに……人間の国で育った魔王様とは、一度お話ししてみたいと思っていました。だから、ああ言っていただけてうれしかったです」
「そうか、それならよかった」
こちらとしても、あの王太后のような人種は苦手だから願ったり叶ったりだ。
ぼくは軽い調子で訊ねる。
「ヴィル王は、人間の国に興味が?」
「ええ」
ヴィル王はうなずく。
「すばらしい文化や技術を持っていると思います。同胞に言えば鼻で笑われるでしょうが、僕たちも見習うべきところが多い。いつか帝国に留学して、彼らの叡智を学びたいと思うほどです…………もちろん、とても無理だということはわかりますよ。だから代わりに、たくさん本を集めているんです」
ぼくの表情を見て、ヴィル王は困ったような笑顔で付け加えた。
鬼人の王と言うには、ずいぶんと物腰が柔らかく、理知的な少年だった。
きっと、あの砦の中でも浮いているのだろう。
「ところで魔王様。アトス王にフィリ・ネア王、それにリゾレラ様もいるということは……もしやすべての王を集めるおつもりですか?」
「そうなの。魔王様はそれをお望みなの」
「最初はそんなつもりなかったんだけど、この子のせいでそういう流れになっちゃったんだ」
「なるほど。成り行きとは言え、魔王と共に全種族の王が揃うとはなかなかの重大事ですね。僕もこの場に参加できたことを光栄に思います」
感慨深げに言うヴィル王に、アトスとフィリ・ネアも反応する。
「『共に行こう』と、王は仰せでございます」
「ヴィルダムドは相変わらず鬼人らしくないね。先王だったら力試しに魔王へ挑みかかってたんじゃないかって、フィリ思う」
「ありがとうアトス王。それにフィリ・ネア王も。僕は自分が、そんな粗暴な君主ではないことに誇りを持っているよ」
どうやらヴィル王もまた、他の王とは面識があるようだった。話が早くて助かる。
ぼくは太陽の位置を見ながら呟く。
「今日もあと一箇所くらいは行けそうだな。どこがいいだろう」
「次は巨人の里に行くの」
リゾレラが即座に反応する。
どうやら最初から決めていたらしい。
「ここからだと、そこしか間に合わないの。三眼や黒森人の王都に行ってたら夜になっちゃうの」
「それなら仕方ないが、巨人か……」
思わず呻く。また後回しにしたかった種族が来てしまった。
リゾレラが眉根を寄せて言う。
「また不満そうなの」
「いや、不満ってわけじゃないんだけど……こいつに乗れるのかなぁと思って」
ルルムの里に来た代表は、二丈(※約六メートル)に迫る巨体を持っていた。
ただでさえ現時点で六人も乗っているのだ。そこまでの大男が追加で乗るとなると、さすがの蛟でも嫌がる可能性がある。
だから一番最後に、巨人の王だけ運ぼうかとか考えていたのだが……。
「大丈夫なの」
しかしまたまたぼくの不安を一蹴するように、リゾレラは言った。
「王は、巨人にしては小さいの。ヴィル王よりちょっと大きいくらいなの」
「ああ、それくらいなら大丈夫そうだな」
「でも」
楽観しかけたぼくに、リゾレラは少々不安になるようなことを言う。
「巨人にしては、ちょっとだけ乱暴者なの。そこだけ気をつけてほしいの」
※樹蝋泡の術
松脂の接着剤で固める術。主成分の一つであるテレビン油が揮発することで、樹脂であるロジンが固化し、接着作用を発揮する。





