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最強陰陽師の異世界転生記 ~下僕の妖怪どもに比べてモンスターが弱すぎるんだが~  作者: 小鈴危一
七章(神魔の巫女編)

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第二十一話 最強の陰陽師、見捨てる


 あれから依頼を貼り出していたギルドにヒュドラ討伐の報告をしたぼくたちは、すぐにケルツへの帰路につく……ことはできなかった。

 達成報酬が高額だったために、ギルドがその場で金を用意することができなかったからだ。


 とにかく時間がなかったぼくたちは、半ば脅すように急かしたところ、なんとか翌々日には金貨の詰まった袋を受け取ることができた。

 その足で馬車を手配し、その日のうちに冥鉱山脈麓の街を発ったというわけだ。


「ふぅ……もうすぐね。でもまだ気は抜けないわ」


 手綱を握ったまま御者台から振り返ると、アミュが張り詰めた表情をしていた。


「いい、あんたたち。その金は、なにがあっても守るわよ」


 アミュの言葉に、イーファとメイベルが力強くうなずく。


「も、もちろんだよアミュちゃん!」

「まかせて」


 二人は一緒に、金貨の詰まった大袋を我が子のようにひしと抱える。


 この三人は、報酬を受け取った時からずっとこんな感じだった。

 どうやら見たこともないほどの大金を受け取って、気がおかしくなってしまったらしい。


 三人の様子を、ルルムが微妙な表情で見つめている。


「そ、そうまでされると、受け取りにくいわね……」

「大丈夫……かなしいけど」

「こ、この子たちが誰かの役に立ってくれるのなら、ぐすっ、わたしもうれしいです」

「冒険者に別れは付きものなのよ……」

「……」


 ルルムがだんだん病気の人間を見るような顔になっていくのを見て、ぼくは小さく吹き出し、顔を前に戻す。


 視界にはすでに、西日に照らされたケルツの城壁が映っていた。

 ここまで来れば、もう野盗の心配もない。


 エルマンに約束させた取り置きの期日は今日。

 ギリギリではあったが、なんとか間に合いそうだった。


「うまく事が済みそうでようございましたね、セイカさま」


 髪から少しだけ顔を出し、ユキが言う。


「この者らに物の怪を狩らせ、一月のうちに一生食うに困らぬほどの大金を稼ぐなど、さすがに無茶ではないかとユキは思っていたのですが……見事、成し遂げられましたね。さすがセイカさまです!」


 弾んだ調子で言うユキに、ぼくは平然と答える。


「いや、成し遂げてないぞ」

「え?」

「奴隷の代金には全然足りていないということだ」

「な……なにが?」

「だから、金が」

「……ええーっ!?」


 思わず大声を出してしまったユキが、慌てて声を抑える。


「ど、どどどういうことでございますか!? あの八岐大蛇(やまたのおろち)のような物の怪を倒せば、奴婢の代価に届くとあの者たちと話していたはずでは……」

「ああ、あれか」


 ぼくは軽く笑って言う。


「皆には最初から嘘をついていたからな。エルマンから示された額の、二割ほどの額を伝えた」

「え、ええ? なぜにそのようなことを……」

「お前の言う通り、一生食うに困らないほどの大金を一月で稼ぐなんて無理だ。本当のことを言えば、きっとあの二人は強硬手段に出ただろう。それを防いで、なんとか穏便に買い戻させるためだよ」

「で、ですが」


 ユキは混乱したように言う。


「額が足りなければ、そもそも買い戻せないではないですか! これからどうされるおつもりで?」

「足りない分は、ぼくがこっそり出すよ」

「そんな大金………………あ」


 ユキは気づいたようだった。

 ぼくは微笑と共に言う。


「そう、フィオナからもらった手形があるだろ」


 あれを使えば、おそらくだが足りるだろう。

 ぼくは続ける。


「使いどころとしてはいいところだろう。額も、自分では簡単に用意できず、かと言って高すぎもしないくらいだからちょうどいい」

「なるほど、と思いましたが……ううむ、なんだかユキには、あれを使ってしまうのが惜しく思えます……」

「そんなことを言っていると、結局使うことのないまま一生を終えることになるぞ」

「例によって、経験談でございますか?」

「ああ」


 前世の屋敷には、貴重な呪物や宝物が手つかずのままたくさん仕舞ってあった。

 ぼくが死んで、あれらもすっかり焼失してしまったことだろう。


 ユキが言う。


「思ったのですが……あの手形を使えば、もしや全額でもまかなえたのでは? わざわざ物の怪を倒して回った意味は、なんだったのでございましょう……」

「全額を出してやるほどの義理はないさ。あまり貸しばかり作るのもよくない。それに……いいじゃないか」


 ぼくは、そう言って荷台を振り返る。

 さっきまでお喋りしていた元気はどこへやら。荷台に座るパーティーメンバーたちは、ルルムとノズロも含め、皆うとうとと船を漕いでいた。


 きっと、疲れが出たのだろう。


 ぼくは軽く笑い、ユキへと言った。


「なかなか楽しめたんだから」



****



 城門をくぐると、すっかり日没間近だった。

 もう少しすると、商館も閉まり始める頃合いだ。


 慣れない街中で少し緊張しつつ、ぼくはなるべく急いで馬車を走らせる。一日くらい過ぎても問題ないだろうが、できるだけ今日のうちに話を通しておきたい。


「ねえ。仲間を買い戻したら、その後はどうするつもりなの?」


 揺れる馬車の中で、アミュがルルムへと訊ねる。


「一度、私たちの里へ帰るつもりよ」


 ルルムが微笑を作って答える。


「さすがに、十五人も連れて旅はできないからね。もうずっと帰ってなかったから……ちょうどいいかもしれないわ」

「そう。じゃあ……ここでお別れなのね」


 アミュが、寂しそうな声で言った。

 ルルムが仕方なさそうに笑う。


「ええ。でも、それが普通なのよ。私たちは元々……種族からして違うのだから」

「……」

「冒険者には、別れが付きものなのでしょう?」

「う、うん……」


 アミュは、明らかに涙声になっていた。

 釣られたように、イーファとメイベルも鼻をすすり出す。


「……出立までには、いくらか時間がかかる」


 おもむろに、ノズロが口を開いた。


「同胞の中には、飢えや傷を癒やさなければならない者もいるだろう。すぐに故郷へ発てるわけではない……その間ならば、またダンジョンへ赴くのもいい」

「……!」

「ノズロ……」


 神魔の武闘家は、ぶっきらぼうに続ける。


「故郷へ帰るのなら、もしもの備えとして持ってきた金品を、いくらか貨幣に変えることもできる。しばしの間、滞在する程度には十分な額になるはずだ。そのくらいなら……してもいい」

「ふふ、そうね」


 ルルムが微笑む。


「お別れの時まで……もう少し、このパーティーで冒険を続けましょうか」

「じゃ、じゃあ……」


 アミュが、目元をごしごしとこする。


「約束、だからね。そ、それと……あたしたちのこと、忘れないで。ぼ、冒険者って、そういうものだから……」

「ええ、わかったわ」


 ルルムはしばらくアミュの手を握っていたが……それからしばらくすると、ぼくの座る御者台の隣へとやってきた。

 ぼくが無言で目を向けると、ぽつりと言う。


「素直でいい子たちね。あなたがかわいがるのもわかるわ」

「別に、かわいがっているつもりはない。年もほぼ同じだしな」

「そういえば、そう言っていたわね。少し信じがたいけれど」


 ルルムがくすくすと笑う。

 ぼくは、ややためらいつつ訊ねる。


「……魔王捜しは、どうするつもりなんだ」

「続けるわ。一度故郷へ戻るというだけ」


 ルルムは、穏やかな表情で言う。


「けど、さすがに少し疲れたから……短い間なら、休むのもいいかもしれないわね」

「……もしも、だが」


 慎重に言葉を始めたぼくへ、ルルムが視線を向けてくる。


「諦めざるをえないような時が来たなら……何か、代わりの物事を見つけるといい。どうにもならないことも、世の中にはある」


 海や砂漠を渡り、西洋で古代の叡智を学んでも――――結局、妻を生き返らせることは叶わなかったように。

 どんな存在にだって、どうにもならないことはある。


 ルルムは真剣な表情で、ぼくの言葉を繰り返す。


「代わりの、物事……」

「なんでもいい。学問でも、芸術でも……弟子を育てる、とかでもな」

「…………あなたは、何を諦めたの?」


 ぼくは、ケルツの街並みに目を向けたまま答える。


「ぼくはまだ、何も諦めてはいない」


 今生では、まだ。


「……そう。一応、参考にさせてもらうわね」


 ルルムは、どこかすっきりしたような表情をしていた。

 いつか来るであろう旅の終わりを、彼女だって何度も考えたに違いない。


「ありがとう、セイカ」

「礼なら、別れ際にまとめて言ってくれ。ダンジョンで君らを助ける度に言われていてはキリがないからな」

「あら。あなたも付き合ってくれるつもりだったの? 一級の認定票は、もう必要ないのだけれど」

「あの子らだけでダンジョンに向かわせるのは不安だ」

「やっぱりかわいがってるじゃない」


 ルルムはくすくすと笑う。



****



 ケルツの商街区にたどり着いた時には、日が赤く染まり始めていた。

 まだ開いているといいけど……。


 見覚えのある看板が目に入った時、ルルムが前方を指さして言った。


「あれ、あそこにいる……みたいだけど……」


 その言葉尻が、だんだん小さくなっていく。


 エルマン・ネグ商会が掲げる看板の下に、確かに見知った人影があった。

 顎髭を生やした痩身の男、代表のエルマン。

 猫背の陰気な若者、副代表のネグ。


 だが――――それだけではない。


 似たような衣服に身を包み、武器を持ったこの街の衛兵も、十数人たむろしている。


 馬車の速度を落として近づくと、気づいた衛兵がすぐにぼくらを取り囲むよう散開した。


 嫌な予感がしつつも、ぼくは御者台から飛び降りる。

 荷台からは、すでにノズロが姿を現し、鋭い視線を人間たちに向けていた。後ろからアミュたちが続き、最後にルルムが御者台の隣から降りる。

 皆、一様に不安そうな顔をしていた。


 ぼくは、一層うさんくさい笑みを浮かべているエルマンへ呼びかける。


「やあエルマン。二度目の来店で、ずいぶんと盛大な出迎えだな。ぼくはあまり、こういうのは好まないんだが」

「お待ちしておりました、セイカ殿」


 エルマンが顎髭を撫でながら続ける。


「いやはや、ご無事で何より。ワタクシめもほっといたしました。約束もなしに訪れた薄汚い冒険者風情とはいえ、我が商会の大事なお客様でございます。もし何かあったらと……」

「見ての通り、何事もない。亜竜を屠る一級冒険者相手に、何を憂うことがあるんだ? エルマン。わかったなら、さっさと周りにいる盛り上げ役を全員帰らせろ」

「いやいや……まさか。そうはいきますまい」


 もはや企みを隠そうともせず、エルマンは言う。


「本当に、ワタクシめは安心いたしました。皆様がギルドの依頼を次々に受け始めたと街の噂で聞いた時も、少々不安にはなりましたが……まあ少しだけ、少しだけお手持ちが足りなかったのだろうと、自分を納得させた次第でございます。しかし。しかしです。もう一つのお噂の方は……とてもそうはいきませんで」

「何……?」

「なんでも――――魔族の間諜を(・・・・・・)連れている(・・・・・)とか」


 ルルムとノズロが、息をのむ気配がした。

 エルマンは大仰な身振りと共に続ける。


「もしもそれが事実ならば……ああ、なんと恐ろしいことか! これはケルツのみならず、帝国に暮らすすべての民を危険に晒す、人間社会への重大な背信行為です! もはや事態は、一介の商人の手に負えるものではない……。そのようなお話を、少々の心付けと共に領主様へ懇切丁寧に説明し、こうして手勢を借り受けた次第でございます。さて、セイカ殿……まずはその危険な魔族二体の身柄を、こちらに渡していただけますかな?」

「――――必要ない。自ら行こう」


 そう声を発したのは、ノズロだった。

 動きを妨げる外套を放る。その眼光は、鋭くエルマンへと向けられている。


「だがその後は、勝手にさせてもらう……兵はせめて、口封じしきれぬほどの数を連れてくるべきだった」

「ふむ……」

「恨むな」


 ノズロが地を蹴った。

 それは、なんらかの武技だったのだろう。五間(※約九メートル)ほどもあったはずの距離が一足のうちに詰まり、商人が拳の間合いに入る。


 神速の手刀が放たれる。


 神魔の持つ膨大な魔力で強化された身体能力は、奴隷商の細首程度、一瞬で刎ねることすらも可能だ。

 そのはずだった。


「っ……!?」


 その手刀は、エルマンの首元で止まっていた。

 地面から生えた鋭い影が、ノズロの腕を宙で縫い止めていた。

 すかさず蹴りへ移行するべく重心を移した右足を、影が貫く。さらに左腕に肩、そして胸と、ノズロの全身を黒い影の穂先が貫いていく。


「が……っ!」


 神魔の武闘家が血を吐いた。

 顎髭を撫でつつそれを心配そうに眺めていたエルマンが、隣へ呟く。


「ネグ。くれぐれも殺してはいけませんよ。この商品は高値がつくでしょうから」

「ヒ、ヒヒヒヒヒッ! だ、大丈夫だよぉ、(あん)ちゃん! 魔族は丈夫だから!」


 猫背の怨霊使い、ネグが陰気に笑いながら答える。


「ノズロっ!」


 ルルムが悲鳴のような叫び声を上げ、背中の弓をとった。

 魔道具の矢がつがえられる。


「待ってて、今っ……」

「ヒヒッ、ダメだよぉ」


 その時――――ルルムの首元に、赤黒い荊のような紋様が浮かび上がった。

 途端、神魔の巫女が目を見開く。


「うぐ……ぐっ……」


 その手から、弓矢が落ちた。

 苦痛に耐えかねたように、ルルムが倒れ込む。両手で首元にかかる縄を外そうともがくも、そこには何もない。

 赤黒い、荊の呪印があるだけだ。


「だ、大丈夫!?」


 駆け寄るアミュへと、ルルムが汗を滲ませながら薄目を開け、掠れた声で告げる。


「逃げ……こい、つ、は……」


 言い終える前に、ルルムの影が大きく広がった。

 それは瞬く間に、ぼくらの足元を侵食していく。


 そして――――アミュ、イーファ、メイベルの首元にも、荊の呪印が浮かび上がった。


「……っ!」

「あう、ぐっ……」

「なん……なのよ、これっ……」


 皆が倒れ込む。

 影はそのままネグへと伸びていくと――――その背後で、襤褸を纏った漆黒の亡霊が湧出した。


「ォォォォォ――――――」


 レイスロード。

 強力な闇属性魔法を使う、アストラル系最上位クラスのモンスター。


 味方の衛兵すら声なく立ち尽くす亡霊の王の傍らで、エルマンが高笑いを上げる。


「はっはっはっはっは! はあ……懐かしいですねぇ、ネグ。昔はよくこうして、人を捕まえては売ったものでした」


 エルマンの目が、ヤモリのように見開かれる。


「荷を奪おうとした野盗一味を捕らえ、全員を鉱山へ売った! あくどい手を使ってきた同業者を始末し、妻子を売春宿へ売った! 言いがかりをつけ法外な税をふっかけてきた領主を脅し、大事な大事な領民を売らせた!」


 それから傍らの怨霊使いへと、親しみの籠もった視線を向ける。


「――――すべてはネグ、お前がいたからできたことです。あの暴力と商売の日々こそが、今の成功の礎でした」

「ヒヒッ、あ、(あん)ちゃんがあいつらを金に換えてくれなきゃ、おれなんか道端で野垂れ死んでたよぉ。ヒヒヒヒッ、おれたちは二人で最強だぁ!」


 ネグが上機嫌に笑う。


「で、でも(あん)ちゃん、やっぱり一番は……あれだったよねぇ!」

「ええ、その通りです――――神魔の逃亡奴隷。危険ではありましたが、あれほど高値で売れた商品はありませんでした。このような商材を扱うことは、もう二度とないだろうと思ったほどです」

「あ、あの野郎、もしまた逃げ出したら、またすぐ見つけて痛めつけて、別の奴に売ろうと思ったのに……」

「死んでしまったのなら仕方ありません」


 エルマンが惜しむように言う。


 なるほど、とぼくは思った。

 こいつが、ルルムとノズロという二人の神魔を相手取ることにためらいがなかったのは――――かつて一度、ネグが神魔に勝っていたからなのだ。

 おそらく、圧倒的なほどの力量差を持って。


「ですがネグ。我々はここまで来ました」


 エルマンが満面の笑みと共に言う。


「かつて(まれ)な幸運なしでは扱えなかった商材を、今や十五も仕入れることができるようになったのです。おっと……十七、ですな」


 エルマンがつかつかと歩いていき、呪印で苦しむルルムの顎を掴んで持ち上げる。


「ふむ。女子供は足りていますが、なかなか気品のある商品です。体の模様次第では高値がつくでしょう。それにしてもネグ、よくわかったものです。この二人が魔族であると」

「だ、だから言っただろぉ、(あん)ちゃん。ヒヒッ、みんな(・・・)そう言ってるって!」

「あ……あんた……っ!」


 苦悶の表情を浮かべるアミュが、ふらつきながら立ち上がった。

 首には呪印が浮かび上がったまま。相当な苦痛のはずだが――――それでも、手は剣の柄にかかる。


「ルルムに……触るんじゃないわよッ!!」


 杖剣を抜き放ち、奴隷商へ向け地を蹴る。

 だが幾ばくかの歩みも進まないうちに――――その眼前に、炎の壁が立ち塞がった。


「っ……!?」


 勇者の足が、後ずさって止まる。

 やがて限界が来たかのように膝をつくと、首を押さえながら喘ぐ。


 炎の周りを舞うように、仄赤い霊体が飛んでいた。

 フレイムレイスだけではない。青白いフロストレイス。薄緑のウインドレイス。土気色のグラウンドレイス。黒い靄のようなヘルゴーストに、人魂にも似たウィスプ。

 多種多様なアストラル系モンスターが、ぼくらを取り巻くように地中から湧き上がる。


「あ、(あん)ちゃんに何しようとした! こ、こ、殺してやるからなっ!」


 目を剥く怨霊使いへと、エルマンは穏やかな口調で言う。


「まあまあよしなさい、ネグ。この娘も、さすがにこれ以上の抵抗はできないでしょう。レイスロードの呪いに晒されながら、立ち上がれただけでも大したものです。それより気になるのが……」


 エルマンの足が、倒れ込んで喘ぐイーファの方へと向いた。

 その周囲には、血塗れで影に縫い止められているノズロや、同じく路上で苦しんでいるルルムと同じように、怨霊たちが舞っている。


 奴隷商は、金髪の少女を品定めするように見下ろす。


「ふむ……これはなかなか。髪色がいまいちですが、いい値が付くでしょう。ネグ、この魔族は?」

「ダメだよぉ、兄ちゃん。そいつ森人(エルフ)だもん。しかも混じり物……」

「ならば仕方ありませんな。間諜と言い張るには無理がある。あきらめましょう」


 そう言うと、エルマンはあっさり踵を返した。

 そして、一連の様子を黙って眺めていたぼくへと向き直る。


「さて。本題の前に、まずは一つ伺いたいのですが……セイカ殿。あなたは、なぜ平気なのですかな?」


 余裕ある笑みを浮かべるエルマンだったが……その瞳には、わずかに畏怖の色が見えた。

 ぼくは、首に浮かぶ呪印を撫でながら答える。


「つまらない呪詛だ。対象に窒息に似た苦痛を与えるだけ。身体に影響がおよぶこともない。こんなものはただの幻術と大差ない」

「……理解していたところで、耐えられる苦痛ではないはずですが」

「ほう。まるで体感したかのような言い草だな」

「ええ……それは無論のこと」

「用心棒の力量を自らの体で確かめるとは、気合いの入った商人だ。だが……虚仮威しの呪いで、このぼくをどうにかできると思うな」

「なるほど。いやはや……一級の冒険者とは化け物ですな。恐れ入りました」


 話すエルマンは、それでも余裕の態度を崩さない。


「ですが……余計な真似はしない方が賢明ですな」

「……」

「さて、話を本題に戻しましょう」


 エルマンは大仰な身振りと共に言う。


「魔族、それも神魔の間諜を連れていたとあっては……いくら偉大な功績を持つ一級冒険者と言えど、帝国法に基づき罪に問われることは避けられないでしょう。ともすれば極刑もありうる。無論、あなたのパーティーメンバーもです」

「……」

「あなたと言えど、この人数を一度に始末することはできますまい。衛兵の一人でも逃げ延びれば、あなた方は窮地に陥る。無論ここにいる兵がすべてではなく、彼方から遠眼鏡で見張らせている者もおります。仮に全員の口を封じることができたとしても、事態を察した領主があなたを告発するでしょう。すでにこの状況は詰みなのです」

「……」

「フ! ですがご心配なく、セイカ殿。ワタクシ……確信いたしました」


 まるで救いの手を差し伸べるかのように、エルマンは言う。


あなた方は(・・・・・)騙されて(・・・・)いたのでしょう(・・・・・・・)? この二体の魔族に」

「……」

「セイカ殿のパーティーは、元々四人であったと聞きおよんでいます。旅の途中に出会った魔族の間諜に騙され、同胞を助け出す手伝いをさせられていた。つまり被害者だったのだ、と……領主様へ、そのように報告してもかまいません」

「回りくどいな。はっきり言え」

「この商品どもの身柄を大人しく渡し、さっさと街を去ることです」


 エルマンが鰐のような笑みを浮かべる。


「たまたま行き会った流れの魔族に、同情でもなさいましたか? こやつら神魔は、人間と姿形がよく似ていますからなぁ。しかし……くだらない情は身を滅ぼします。高潔な貴族の心など、早く捨てた方がよいと忠告しますよ」

「……」

「ワタクシめは、ワタクシめの商品を狙う輩を許しません。あの場で真っ当な見積もりを出しては、こやつらに倉庫を襲撃されかねなかったため格安の価格を提示しましたが……全員を買うなどと、本来ならば一笑に付していたところです。冒険者風情がおこがましい」

「……」

「この始末は、身の程知らずへの罰とでもお考えください。さてセイカ殿、どう……」

「何やら気持ちよく喋っているところ悪いが、エルマン……ぼくには、何が何やらさっぱりだ」

「はい……?」


 いぶかしげな表情をするエルマンに、ぼくは倒れ込んだルルムに目を向けながら告げる。


「こいつらが魔族だって? それは驚きだ。そんなこと――――ぼくは想像すらもしていなかった」

「……!?」


 一瞬呆けたような顔をしたエルマンだったが、それからすぐに大口を開けて笑い始めた。


「はっはっはっはっは! これはこれは!」


 高笑いを上げるエルマンを前に、ぼくは続ける。


「お前の言う通りたまたま行き合い、実力があったから仲間に加えただけだが……まんまと騙されていたわけか。教えてくれて助かったよ、エルマン。礼と言ってはなんだが――――こいつらのことは、好きにしてくれていい」

「セ、セイカ……!?」


 アミュが顔をわずかに上げ、愕然としたようにぼくを見つめる。


「なに……言ってんのよ、あんた……?」

「はっはっはっはっは、これはいい! セイカ殿、あなたはやはり、ワタクシめと近しい存在だったようでございますなぁ! 出奔した貴族の生き様とはこうでなくては!」


 アミュはとりあえず無視し、愉快そうなエルマンへと言う。


「疑いは晴れたようだな。ならば、この子らにかかっている呪いを解いてやってくれ」

「はっは……ふむ。しかしながら、こちらとしてはもうしばし用心しておきたいところでございますな」

「それは道理に合わないな。ならばぼくが解こう」


 言うと同時に、アミュにイーファ、メイベルの首元から呪印が消える。三人が一斉に、荒い息と共に空気をむさぼる。


「こ、このっ……!」


 アミュがすぐさま立ち上がり、剣を手にエルマンへ襲いかかろうとした。

 ぼくは声に呪力を乗せ、告げる。


「アミュ。止まれ(・・・)

「っ!?」


 ただそれだけで、アミュが動きを止めた。

 信じがたいかのように見開かれた瞳が、ぼくを見る。


「セイ、カ……どう、して……」

「君はあの女と仲がよかったからな。気持ちはわかる。だが、いい加減に理解しろ。ぼくらは騙されていたんだ」

「ふ、ふざけ……っ!」

「すばらしい。あなたは賢明な人間だったようですな、セイカ殿」


 エルマンが笑みを深める。


「この者らは今後、簡易の裁判により罪が決することとなるでしょう。罪状は知りませんが、刑はすでに決まっております。そう、奴隷落ちですな。一般に罪人の奴隷は入札が行われますが、懇意にしている領主様のご厚意により、すでにワタクシめが買い入れることが決まっておりまして。この者らはこの後、そのままワタクシめの奴隷倉庫行きとなっております」

「ぼくには関係ないことだ。わざわざ自慢げに報告などせず、好きにしたらいい」

「おっと失礼。そうでございましたな」


 上機嫌なエルマンが、おどけたように言って……肩から提げていた革袋から、二つの首輪を取り出した。

 黒い金属の表面には複雑な模様が彫られ、力の流れを感じる。


「実はあれから、隷属の首輪が十分量手に入りましてな。いやはや、この日に間に合ってよかった」


 隷属の首輪が衛兵に手渡され、ノズロとルルムの首にそれぞれあてがわれる。


 血塗れで動けないノズロは大人しく受け入れていたが、ぐったりするルルムは少しだけ抵抗の気配を見せた。

 しかし衛兵に腕をひねり上げられ、乱暴に髪を掴まれて、無理矢理に首輪を嵌められる。


「ぐ……くぅ……!」


 名で縛っていたはずのアミュが、一歩足を踏み出した。

 やはり勇者とは大したものだ。この世界の生まれで、わずかにもぼくの呪詛に抵抗するとは。


 念のために再び告げる。


「アミュ。剣を手放せ(・・・・・)

「い……いや、よ……っ!!」


 取り落としそうになる剣を、アミュは歯を食いしばって握り直す。

 しかし二つの命令に抵抗するのはやっぱり無理なようで、もう一歩も動けなくなってしまった。


 エルマンが満足げに言う。


「ふむ、これで一安心ですな。ネグ、もう呪いと魔法はいいでしょう」


 影を抜かれ地面に倒れ込むノズロと、むさぼるように呼吸するルルムを、衛兵が手荒に立ち上がらせる。


 ぼくはエルマンへと言う。


「連れて行く準備ができたのなら、さっさと道を空けろ。こっちは馬車を返しに行く必要があるんだ」

「ええ、そうさせてもらいましょうとも。ところでセイカ殿……奴隷の購入は、取りやめということでいいですかな?」

「そうだな。もう必要ない」

「では――――キャンセル料をいただきましょうか。なに、気持ち程度で結構ですとも。我々があなたを告発しないと確信できるほどの、ほんの気持ち程度でね」

「……がめつい奴だ」


 ぼくは溜息をつくと、後ろを振り返る。

 そしてイーファとメイベルの方へと歩いていき、その傍らに落ちていた金貨の大袋を持ち上げる。


「セ、セイカくん、それはっ……」


 イーファの縋るような声を無視し、ぼくは大袋を奴隷商へと放った。

 エルマンの足元に落ちた大袋の口から、数枚の金貨がこぼれ出る。


「ほう。これはこれは……」


 かなりの重さがあるはずだが、エルマンはそれを自分で持ち上げた。


「なかなか稼がれたようですな。冒険者も馬鹿にはできない。これならば、どちらか一方の神魔を売って差し上げてもかまいませんが」

「ぼくにはもう関係ないことだと言ったはずだ」

「フ! それがよろしい。あなたは長生きしますよ、セイカ殿」


 大袋をネグへ手渡し、エルマンは鼻で笑ってぼくらへ告げる。


「良い取引でした。それでは」


 踵を返し、エルマンが去って行く。

 その後ろを、金貨の大袋を両手で抱えるネグと、二人の神魔を連行する衛兵たちが続く。


 その時、ルルムが微かに、こちらを見た。


「……っ」


 だが、悲しそうな横顔と共に、それはすぐに逸らされる。


「……」


 ぼくはその様子を、ただじっと眺めていた。

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