第二十話 最強の陰陽師、標的を倒す
ヒュドラは、意外にもそのまま突っ込んできた。
「っ、息吹吐くんじゃないわけっ!?」
叫んだアミュを筆頭に、皆散り散りになってヒュドラの突進を躱す。
亜竜の巨体が、ぼくたちの中心でたたらを踏んだ。五つの頭は、誰を最初の獲物とするか迷っているようだった。
前衛が壁となり、後衛が安全に大火力を撃つのがパーティー戦の基本だが、ここまで大きく、しかも頭が複数ある亜竜をアミュたちだけで止めるのは不可能だ。息吹の的にならないためにも、定石を無視して散開した方がいい。
この辺りは、一応事前に打ち合わせていた。
しかし、後は完全に各人の対応力任せとなる。
「ぐっ……!」
ノズロが、顎を大きく開けた頭の強襲を止める。
牙を横に受け流すように横転。首の内側に潜り込むと、突き上げるような掌底を放った。馬車ほどもある頭がわずかに浮き上がる。
だが。
「……チッ」
ノズロが舌打ちと共に距離を空ける。
ヒュドラは不快そうに頭を振ったのみで、大したダメージはなさそうだった。
その時、傍らから轟音が響き渡る。
「……む」
岩盤すらも割るメイベルの一撃を、しかし首の一つは慎重に避けていた。
勢いを殺さずに放たれた斬り上げからも、さらに上へ逃れる。流れるように投剣が閃くも、眼球を狙ったその一閃は硬い鱗で受けられた。
ヒュドラの青緑色の瞳が、小さな人間を不快そうに見下ろす。
一方で戦斧を構えるメイベルも、いらだたしげに呟く。
「……めんどう。モンスターのくせに」
その右方でも、硬質な音が響き渡っていた。
「っ、なんなのよこいつっ!」
首の一つが、アミュをしつこく狙っている。
噛みつき攻撃をなんとか弾き返してはいるものの、相手にはひるむ気配もなく、アミュは防戦一方だ。
「いい加減に……っ!」
赤い口腔へ向けて、アミュが火炎弾を放つ。
突然の炎に驚いたように首が引っ込むも、それだけだった。
軽く頭を振ったヒュドラは、まるで反撃されたことが不満であるかのように、その青緑色の目で少女剣士を睨む。
「……勘弁してよね」
引きつった顔で呟くアミュから、一旦目を離す。
今一番危ういのは、イーファのところだ。
「っ……!」
風の槍と炎の帯をくぐって、首の一つがイーファに襲いかかった。
危機を前に、少女の表情が強ばる。
だがその時、頭の横から力の流れが籠もった矢が飛来し、鱗の間に突き立った。瞬く間に水属性魔法の氷が生み出され、頭を覆っていく。
しかし――――ヒュドラは意に介すこともなかった。
氷をバキバキと砕きながら、少女に向け強引に大顎を開く。
そこへ横から飛び込んできたルルムが、イーファの体を抱えるように転がった。
獲物を捕らえ損ねたヒュドラは、勢い余ってその先にあった樹を三本ほどへし折り、そこで止まる。
もしも矢による氷で動きが鈍っていなかったら、間に合っていなかったかもしれない。
イーファを立ち上がらせながら、ルルムは張り詰めた声で言う。
「気をつけてっ、あれは中位魔法程度では止まらないわ」
「は、はい……」
ぼくはほっと息を吐き、向けかけていた呪いを解いた。
一応致命傷くらいならなんとかなるものの、ひどい怪我人が出ることは避けたい。
一方で、後方からヒュドラを観察していたぼくは、なんとなくこのモンスターのことがわかってきた。
攻撃してくるのは頭ばかりで、太い脚や尾を振るってくる様子はない。
ヒュドラにとっては、複数ある頭よりも、そのバランスの悪い体を支える脚や尾の方がずっと大事なのだろう。
となると、とりあえず五つの頭にさえ気をつければよさそうだな。
ぼくは頭をひねる。
「うーん、子供向けのお伽噺だと、こういう敵は首を絡ませて倒すものだけど……」
「そんなの現実にあるわけないでしょっ!」
ぼくの呟きに、アミュが叫ぶ。
そりゃそうだ。そんな間抜けな生物がいるわけがない。
五つの頭は擬態ではなく、すべてに意思があるように見える。しかしかと言って、胴体がそれぞれに引っ張られるような様子はない。
それは、おそらく……高く持ち上げた首でぼくらを睥睨する、中央の頭が全体を統制しているからなのだろう。
と――――その時。
四つの首が、一斉に引いた。
同時に、中央の頭が顎を開き、力の流れが渦巻き始める。
ルルムが叫んだ。
「息吹が来るわっ!」
直後――――中央の頭が、薄青い気体を吐き出した。
毒息吹の温い風は、山の地表を勢いよく撫でていく。
それを浴びた途端……生臭いような臭気と共に、目と喉に鋭い痛みが生まれた。
「ごほっ、ごほっ!」
「め、目が……」
「な、なによこれっ」
全員が咳き込み、目をこする。
よくよく周辺を見れば……地表に茂る下草は全体がうっすらと白みを帯びて、息吹の直下にあった枯れ枝にはなんと火が着いているようだった。
これは……予想以上だ。
毒気の濃度がかなり濃い。これではいくら傷病を移せるとはいえ戦闘にならない。
ぼくも咳き込みながら、身代のヒトガタを確認し…………愕然と目を見開いた。
「は……? 嘘だろ……?」
全員分のヒトガタが黒ずみ、すでに力を失って地に落ちていた。
これが意味するところは一つ――――ぼくを含めた全員が、一度死んだのだ。先の息吹で。
ぼくは青くなる。
ま、まずい……。
念のため、予備の予備の予備の予備まで作っておいたからまだ三、四回は死ねるものの、こんな調子で戦い続けたらいずれ尽きる。
もう手を出さないとか言っていられる状況じゃない。
中央の頭は、ぼくらが一向に死なないためか、不思議そうな顔をしていた。
業を煮やしたように、再び大口が開き、力の流れが渦巻き始める。
そして毒気の息吹が放たれる前に……ぼくは上空に飛ばしたヒトガタから術を解放した。
《水の相――――瀑布の術》
上向きに放たれた大量の水が、反転し雨となって地表に降り注ぐ。
ヒュドラは、うろたえたように息吹を中断し、空を見上げた。
毒気は雨に弱い。
下向きの気流ができるうえに、種類によっては水に溶けて流れてしまう。
火山の毒気ほど溶けやすくはないものの、このヒュドラの息吹もある程度はその傾向があるはずだ。
突然の天気雨に驚くパーティーメンバーへ向け、ぼくは叫ぶ。
「これで息吹は封じた! 今が攻め時だ!」
口にした直後、思った。これでは言葉が足りない。
息吹なしでも押されていたのだ、戦い方を変えなくては。
ぼくは少し考えた後、皆へ呼びかける。
「一人で挑むな! 数では有利なんだ、周りと協力しろ!」
仲間たちが、すかさず声で応えた。
一方で、ヒュドラは明らかに気勢が削がれているようだった。
雨という不利な天候の中、戦うことに迷いが生まれたのだろう。
しかし……五つもの頭を抱える鈍重な体では、ここから退くのも難しい。
意を決したように、首の一つがノズロへと襲いかかる。
その大顎を、神魔の武闘家は再び全身で受け止めた。
ここまでは先ほどと同じ。
だが、そこからの展開が違った。
「凍え凍て凍み割れるは青っ! 凛烈たる氷湖の精よ、沈黙し凝結しその怒り神鎚と為せ! ――――氷河衝墜!」
それは、ほとんど初めて聞く、アミュの呪文詠唱だった。
次の瞬間――――極太の氷柱が生み出され、ノズロが抑え込んでいたヒュドラの首へと突き立つ。
口から大量の血を吐き、その頭は白目を剥いて動かなくなった。
血と雨に濡れたノズロが、驚いたように呟く。
「……上位魔法か」
「そうよっ。呪文詠唱とか、魔法剣士らしくないことしちゃったわねっ!」
アミュが、もう一つの首の攻撃をさばきながら答える。
アミュは普段、中位や下位の魔法ばかりを無詠唱で使う。以前訊いたところ、魔法剣士とはそういうものなのだと話していた。
だが……決して、上位魔法を使えないわけではなかったのだ。
誰よりも才に恵まれた、勇者なのだから。
「――――なるほど」
ノズロが静かに呟く。
いったいどのようにしたのか。
神魔の武闘家は、その前触れすら見せることなく――――いつの間にか、アミュを狙うヒュドラの頭の上に立っていた。
「ならば、俺の奥の手も見せよう」
気づいたヒュドラが、頭を傾け、大きく振り払おうとした。
対してノズロが行ったのは……片手で厳めしい鱗の突起を掴み、もう一方の手で、ヒュドラの頭頂に軽く掌を添えただけ。
だが、それで終わりだった。
ヒュドラが振り払う間もなく――――大気を振るわせるような打撃が、その頭頂に打ち込まれた。
次の瞬間、まるで糸が切れたかのように、ヒュドラの首がどう、と地に落ちる。
舌をだらりと垂らして動かない。
すでに絶命していた。
地面に飛び降りるノズロを見て、アミュが呆気にとられたように呟く。
「な……なに、今の。あんた今ぶん殴ったの……?」
「そんなところだ」
宋に伝わる武術の技に、浸透勁というものがある。
ほとんど触れるような距離から掌底で放つ、標的の内側へ深く衝撃を響かせる打撃だ。
達人ともなれば、鎧の上から敵の内臓を破壊することもできたそうだが……まさか同じものを、異世界で見られるとは思わなかった。
アミュとノズロの善戦に、ルルムが笑みを浮かべている。
「……そうね。何も、自分だけで戦う必要はないんだわ」
ルルムは矢をつがえると、自らに迫り来る首の一つへ弓を向ける。
そして、ふつ、とそれを放った。
鱗の間に矢が突き立つ。
それは一見、いかほどの痛痒も与えていないかのように見えた。
だが、間近に迫っていたヒュドラの頭は――――牙を剥いたままで突如その動きを止めた。
よく見れば、突き立った矢からは細い影が伸び、ルルムの足元に繋がっている。
「こ、これ……強力だけど、自分も動けなくなるのよね……!」
ルルムは頬を引きつらせながら、それでも笑った。
「だから、あとは頼んだわ――――メイベルさん」
「わかった」
ズパンッ、と。
まるで水袋を斬ったような音と共に、ヒュドラの首があっけなく落ちた。
硬い鱗も、強靱な筋肉も、存在しないかのような一撃。
すさまじい重量となっていた戦斧の振り下ろしでなければ、為し得なかった光景だろう。
メイベルがどこか満足げに、戦斧を担ぎ直す。
「……すっきりした」
その時。
めきめきという音を立てながら、別の首が一本の大樹を根こそぎ引き抜いていた。
牛十頭でも敵わないであろうその怪力にも驚くが……何より恐るべきは、ヒュドラがそれを、明確に武器として使おうとしているところだった。
接近戦は危険だと考えたのか。先にはメイベル相手に慎重な動きを見せていたその頭は――――唐突に長い首を鞭のようにしならせ、ルルムとメイベルに向け咥えた大樹を横薙ぎに振るった。
もしも当たっていたならば……二人とも無事では済まなかっただろう。
当たっていたならば。
「上位魔法なら……ちゃんと効くんだよね」
次の瞬間――――空から赤熱する巨大な石塊が降り、その頭を大樹ごと押し潰した。
それは土属性の上位魔法、隕塊衝墜に似ていた。
しかし精霊のもたらしたその魔法は、人のものとは似て非なる、まったくの別物だ。
イーファが胸をなで下ろす。
「よ、よかった。間に合って……」
隕石の熱で雨水が蒸気になっていく中、最後に残った中央の首は、明らかに焦っているようだった。
無理もない。息吹は封じられ、五つのうち四つの首が倒されてしまったのだ。
残りは、自分だけ。
「セイカくんっ、あと少しだよ!」
「最後に決めろ!」
イーファとノズロが叫ぶ。
ぼくはきょとんとして訊き返す。
「え、ぼくがやっていいのか?」
「当たり前でしょっ、こんな時に文句なんて言わないわよ!」
「セイカ、はやく」
アミュとメイベルも言う。
そして、ルルムも。
「あなたが終わらせて――――セイカ!」
「……そこまで言われては仕方ないな」
ぼくはふっと笑い――――《瀑布》を止めた。
雨が止む。
中央の頭がはっとしたように、ちらと空を見た。
同時に大口が開かれ、力の流れが渦巻き始める。
息吹さえ吐ければ、まだこの人間どもを倒せる――――とでも思っているのだろう。
ぼくは口の端を吊り上げ、呟く。
「わざわざ結界ではなく、雨を降らせた甲斐があった」
術さえ止めれば――――こうして、任意に息吹を吐かせることができる。
ヒュドラの口元から、薄青い風が生み出される。
同時に、奴の眼前に飛ばしていたヒトガタを起点にして、術を発動した。
《陽の相――――薄雷の術》
ヒトガタの周りに火花が散る。
それは本来、小規模な稲妻を発生させるだけの術だ。
だが次の瞬間――――ヒュドラの眼前で、大爆発が起こった。
爆風が地表を吹き荒れる。
間近でそれを受けた最後の頭は、顎と首の鱗の大部分を吹き飛ばされ、純白の体を血に染めていた。
唯一残った左目が……それでもしかし、ぼくを睨みつける。
思わず呟く。
「毒蛇らしく、しぶといな」
さっさと楽にしてやるか。
一枚のヒトガタが、鱗の剥がれた首に貼り付く。
そして、片手で印を組んだ。
《木の相――――罌粟湯の術》
最後の頭が、大口を開けて間近に迫る。
決死の強襲は……しかし、突然ぼくを見失ったかのように逸れ、傍らの岩を粉砕して動きを止めた。
残った左目に、光はない。
すでに意識も失っていることだろう。
芥子に含まれる薬効成分は、過剰に摂取すると幻覚から昏睡の症状をたどり、最終的には死に至る。
少量なら鎮痛剤として使えるが、このように毒にもなる代物だ。
やがて、ヒュドラの体から力の流れが消えていく。
純白の巨体は血と土に塗れ、もはや起き上がる気配はない。
それが長きにわたり冒険者を恐れさせた、白いヒュドラの最期だった。
ぼくは大きく息を吐く。
「はあ……なんとか無事に済んだな」
全員、ひどい怪我を負うこともなかった。
まあ身代がなければ一度死んでいたけど。
皆ほっとしたような顔をするだけで、特段歓声なども上がらない。
亜竜はともかく、上位モンスターくらいならば何度も倒してきたのだ。今さらだろう。
だけど、雨でびしょ濡れになった仲間たちの間には、どこかやり遂げたような雰囲気があった。
「あれ、あんたそれ……」
その時、アミュがノズロを見て呟いた。
武闘家の太く、死人のように白い腕。そこに、幾何学的な黒の紋様がうっすらと浮かび上がっている。
「む……」
気づいたノズロは、自らの腕に視線を落とし、眉をひそめた。
「……雨で染料が流れた。それだけだ」
その声音には、わずかに気まずげな響きがあった。
ふと首を回してルルムを見やると、彼女も同様だった。落ちかけた染料の下から浮かぶ自身の紋様に目を向け、居心地の悪そうな顔をしている。
人間の前で、それはずっと隠してきたのだ。事情を知ったうえで、これまで同行してきたぼくたちに対してでさえ。
だから、気まずく思うのも無理はないかもしれない。
しかし、そんな反応をされるとこちらも困る。
こんなことなら雨はやめておくべきだったか……と、考えていた時。
「ふーん」
アミュは特に気にした風もなく、ノズロの腕を見ながらそう呟いた。
「なんだか忘れかけてたけど、そういえばあんたたちって魔族だったわね。ねえ、それってやっぱり生まれつきなの? 自分で入れるんじゃなく?」
「……そうだ。人間が体に彫り入れる紋様とは違い、身体と共に父母からもらい受けるものだ」
「ふーん、そうなのね」
それから、アミュはにっと笑って言う。
「じゃ、よかったわね。かっこいいのもらえて」
聞いたノズロは、一瞬呆けたように口を開けていたが……やがてふいと顔を逸らし、ぼそりと呟いた。
「……それほどでもない」
「ノ、ノズロ、あなたねぇ……」
一連の流れを見ていたルルムが、呆れたように言った。
「もう少し気の利いたこと言えないの? せっかくアミュさんが誉めてくれたのに」
「……」
「まったく昔からそうなんだから……」
「あ、あのっ。ルルムさんのも、素敵ですね……!」
「彫り師が彫ったみたい」
「えっ? そ、そうかしら。ありがとう……」
興味深げにまじまじと見つめてくるイーファとメイベルに、ルルムがややたじろぎながら答える。
いつの間にか、雰囲気は和やかに弛緩していた。
「やれやれ……この者らは気楽なものでございますねぇ。セイカさまの気も知らないで……」
ユキが耳元で囁いてくる。
「ユキははらはらいたしました……何事もなかったからよかったものを」
「そうだな……予想よりも手強かった。特にあの息吹が」
まさか、あれほど早く効くものだとは……。
身代があっという間にダメになったことにも焦ったが、眼球や気道の粘膜に触れた時の刺激も想像以上で、とても戦いどころではなくなってしまった。
火桶や火山の毒気ならこうはならないんだが……まあこういうのは、実際に自分で喰らってみないとわからない。存在を知っていたからと言って安易に考えるものではなかったな。
「もっともお前は、なんともなかっただろうけど……」
「む、なんともなくなどありませんよっ。あの蒜のような臭気は、ユキも堪えました……」
ユキはいかにも大変だったかのように話すが、あの息吹が嫌なにおい程度で済むのなら楽なものだ。
妖に効くのは、人々に広く知られた毒だけだから。
「しかし異臭で死にかけるとは、人の体とはなんとも脆弱なものでございますねぇ」
「別に臭くて死ぬわけじゃないけどな……。仕方ないさ」
人は弱い。
この程度の化生を倒すのにも、命を賭けて戦わなければならない。
彼らほどの実力があっても、なお……。
「セイカ~」
唐突にアミュが声をかけてきたので、ぼくはどきりとして振り返る。
「な、なんだ? アミュ」
「一応訊いておきたいんだけど……あの最後のやつ、なんだったわけ?」
「最後?」
「あんた、ヒュドラの息吹を爆発させてなかった? 全然煙たくないし、火薬とかじゃなかったのよね?」
続けてルルムも言う。
「あなたは不思議な魔法をたくさん使うけれど……ヒュドラの息吹を爆発させるなんて、そんなこともできたの?」
「あー、いや、そうじゃなくて……」
ぼくは説明する。
「あのヒュドラの息吹が、元々そういう毒気なんだよ」
うっすらと青く、浴びた物の色を抜き、燃え上がらせる、妙なにおいのする毒気。そんなものは一つしか思い当たらない。
雷臭気だ。
稲妻によって生まれるこの気体は、強い毒性と共にいくつかの奇妙な性質を持つ。物の色を抜き、触れた物を燃え上がらせ……そして、強い刺激によって爆発する。
かなり濃度が高くなければ反応すらしないものの、人を即死させるくらいだからいけるだろうと踏んだら予想通りだった。
なかなかおもしろい現象を見られた。やっぱり適当な術で安易にぶっ飛ばさなくてよかったな。
アミュが若干興味を示したように言う。
「ふうん。じゃあ、普通のヒュドラ相手だとできないのね……」
「いや、できる。実は火山の毒気にも似たような性質があるんだ。濃度にもよるけど」
「そうなのっ? じゃあまた今度、ヒュドラが出るダンジョンに行ってみましょ。あたしもやってみるわ!」
「危ないからやめろ。定石通り、雨か霧の日に不意打ちした方が絶対にいい。火山の毒気はかなり水に溶けやすいから……」
ぼくの話を、アミュは不満そうに聞いている。
その様子を眺めていたルルムが、呆れたように言う。
「あなたは……よくそんなことばかり知っているわね」
「そんなことばかりって言うな。たまたま前に書物で読んだことがあっただけだよ」
「どうせまた博物学の本でしょ? あんたも物好きよね」
「いいだろ別に」
「……ふふ」
その時、ルルムが小さく笑った。
「やっぱり……あなたは、メローザたちの子ではないのでしょうね」
黙って目を向けると、ルルムはどこか諦めたような笑みで言う。
「そういうところはとても、人間らしく見えるわ」
※罌粟湯の術
モルヒネを生成する術。ケシが作るアルカロイドの一種で、鎮痛作用がある一方、多量に摂取するとせん妄、意識混濁、昏睡状態を経て早ければ数分で死に至る。実際に発見されたのは近世だが、作中世界では八世紀にアラビアの薬草医が分離していた。





