第十九話 最強の陰陽師、標的を見つける
翌日。
山に追加で放っていたコウモリの式神が、標的の姿を捉えた。
「ほ、本当なの? ヒュドラを見つけたって」
「ああ」
信じられなさそうに問いかけてくるルルムへ、ぼくは歩みを進めながら短く答える。
まあ、信じられないのも無理はないかもしれない。
ルルムも力の流れが見えるようだが、式神を使えばそれをはるかに超えた範囲を探れる。
「確認したいんだが」
皆を先導しつつ、目だけで後ろを振り返る。
「ここのヒュドラは、妙な息吹を吐くんだったな」
「って、ギルドにいたやつは言ってたわねっ」
答えたのはアミュだった。
喋りながら倒木を飛び越える。
「生臭いような、変なにおいの毒らしいわ。普通ヒュドラの息吹は、硫黄のにおいがする火山の毒のはずなんだけど、ここのやつのは全然違うみたい。透明に見えるけど、ほんの少しだけ青い色がついていて……浴びせたものを燃え上がらせるんだって」
前もってギルドで聞いていた情報を、アミュは話す。
ただそれは、眉唾物にも思える内容だった。
「枯葉に突然火が着いたり、間近で息吹を浴びた人の髪の毛がいきなり燃え始めたりしたそうよ。もっともその人は、体が焼けるよりも先に苦しんで死んじゃったそうだから、火よりも毒そのものを気をつけた方がいいと思うけど」
「その息吹は、物の色を抜くとも言ってたな」
「あー、そうとも言ってたわね。死体の服の血染みが薄くなってたり、葉っぱが白くなったり……。そのヒュドラ、真っ白な色をしてるみたいだけど、なにか関係あるのかしら?」
「関係あるかはわからないけど……」
しかし何を吐いてくるのかは、なんとなく想像がつく。
「こちらも、今一度確認したい」
黙々と山を登っていた、ノズロがおもむろに言った。
「我々は息吹を気にしなくていいということだが……本当に対処を任せていいのか?」
「ああ」
ぼくは短く肯定する。
「息吹を浴びようが、気にせず攻めてくれ。毒の弱点は、敵を止める物理的な力が弱いことだ。剣を振るわれたり火を吐かれるのと違って、その瞬間は問題なく戦い続けられる。効き目が現れるまでにはいくらか時間がかかるからな」
「しかしそれでは、敵を倒せてもこちらが死ぬ」
「これでも回復職だ。回復は任せてくれ」
「……わかった」
わずかな間の後、ノズロはうなずく。
「いずれにせよ、貴様がいなければヒュドラ討伐は厳しい。信じることにしよう」
ぼくへの不安に、ノズロはそのような形で折り合いをつけたようだった。
思わず苦笑して言う。
「まあそれでも、なるべく息吹を浴びないよう立ち回ってくれ。こちらに面倒がなくて助かる」
本音を言えば、ぼくが一人でぶっとばしてしまうのが一番楽だ。支援に徹するとなると、余計な苦労が増える。
ただそういうわけにもいかないから、人と人との関係は難しい。
「……」
ぼくはちらと、ルルムに目をやる。
神魔の巫女は、ひどい足場に苦戦しつつも、周囲の力の流れに気を配っているようだった。
これまでと何も変わらない。昨夜の出来事に気をとられている様子は、微塵も見られない。
ぼくは無言で視線を戻す。
それでいい。ぼくも彼女も、今はこれからの敵に集中するべきだ。
やがて――――。
「……ここだ」
目的の場所へたどり着いた。
そこは、細い谷を見下ろす崖だった。
下には急流が流れている。今はもっと上流にある、滝が削ったとおぼしき地形だ。
アミュがきょろきょろと辺りを見回す。
「……? いないじゃない」
「この下だ」
崖際から何もない谷底を見下ろしつつ、ぼくは答える。
アミュは不思議そうにしながら、こちらへ歩み寄ってくる。
「下? 崖の下にいるってこと?」
「いやそうじゃなくて、崖の途中にある洞窟の中に……」
アミュが崖際から顔を出そうとした、その時。
谷全体が、薄青く色づいた。
「げっ!」
急いでアミュを引っ張る。
少女剣士がバランスを崩して尻餅をついた直後――――崖下から、ぬるい風が噴き上がった。
崖際に生えていた雑草や樹木の葉が、白く変色していく。
「ちょっと、なにすん……」
「喋るな。一度崖から離れるんだ――――来るぞ」
アミュの手を引いて立ち上がらせると、身構えるパーティーメンバーの元にまで後退する。
その時――――崖の下から、白い蜥蜴のような頭がにゅっと現れた。
ドラゴンよりも鼻面が長く、華奢な印象を受ける。だがその純白の鱗はいかめしく、生半可な攻撃は通しそうにない。頭は、長い首へと繋がっていた。
青緑色の目が、ぼくらを品定めするように見つめる。
「あ、あれがヒュドラ……?」
イーファが呟いた直後。
まったく同じ首が二本、崖下から伸びた。
さらに、一本。さらにもう一本……合計五つになった頭が、崖の先でぼくらを見つめながら揺れる。
「やっぱり、首は五つで間違いなかったのね……」
ルルムが険しい表情で呟く。
ヒュドラは複数の首を持つモンスターだが、その数が増えるほど危険になると言われている。普通は三、四本であることを考えると、この個体は十分強敵と言っていいだろう。
崖際に太い爪がかかる。
ミシミシと岩を割りそうなほどの握力が込められ、ヒュドラが崖上に、その白い巨体を持ち上げた。細い首には不釣り合いにも映る強靱な胴体に、太く長い尾。
なるほど、もっとも剣呑な亜竜と呼ばれるだけはありそうだ。
アミュが目を白黒させながら言う。
「こ、こんなのどこに隠れてたのよ!?」
「だから、崖の途中に洞窟があって、そこに潜んでたんだって」
どうりで今までなかなか見つからなかったわけだ。
山脈全域を徘徊し、積極的に冒険者を襲うという話だったはずだが……もしかしたら恐ろしさが誇張されていただけで、元々そこまで活動的なモンスターではないのかもしれない。
まあ何にせよ、見つけられたのならいい。
ぼくは軽く笑みを浮かべると、皆へ告げる。
「さあ、いよいよボス戦だ。こいつを倒してケルツに帰るぞ」
仲間たちが答えるよりも先に――――ヒュドラの五つの頭すべてが、まるで開戦を知らせるように甲高い雄叫びを上げた。
身構えるパーティーメンバーを後ろから眺めつつ、ぼくは思う。
さて……無事に終わればいいけど。





