第十話 最強の陰陽師、倉庫を見学する
エルマンに案内されたのは、街の城門からほど近い、巨大な倉庫が建ち並ぶ一角だった。
大きな商会が、運び入れた商品を保管しておくための場所のようだ。
「さあさあ。こちらでございます」
と言って、エルマンが先導する。
その傍らに、ネグはいない。あの怨霊使いは商館に残ったようだった。
どうやら少なくとも、まともに取引できる相手とはみなされたらしい。あるいは単に、馬車に乗れる人数の問題だったのかもしれないが。
ぼくらはぞろぞろとエルマンの後ろをついていき、やがてたどり着いたのは、一棟の比較的小さな木造倉庫の前だった。
「むっ、誰だ! ……っと、エルマンの旦那じゃねぇか」
見張り番らしき、槍を持った巨漢が鋭く誰何するが、エルマンの顔を見るとすぐに気勢を弱めた。
エルマンは機嫌良さそうに、見張り番へと声をかける。
「ふむ。ご苦労ご苦労」
「へぇ、どうも。今日はどうしやした? そっちの連中は?」
「お客様だ。当会の商品をご覧に入れたい。中を案内してくれ」
「はぁ、わかりやした」
見張りの巨漢がガチャガチャと鍵を開けると、倉庫の扉を開け放つ。
「っ……」
途端にすえたような臭気が鼻腔を刺して、思わず顔をしかめた。
「ええと……どうぞ、こちらへ」
巨漢が慣れない様子でぼくらへ声をかけ、そのまま倉庫へと歩み入っていく。
ぼくらがためらっていると、エルマンが隣で朗らかに言う。
「いやはや、ひどい臭いでしょう? 当会の奴隷は高価な都合、扱いが比較的よく、これでもマシな方でして……。本来はお客様を案内する場所ではないので、どうかご容赦を。ささ、参りましょう」
平然と中へ入っていくエルマンを、ぼくらは仕方なく追う。
倉庫の中には、木枠に鉄格子の嵌まった檻が並んでいる。
だが、中に人影はない。
「今この倉庫は、魔族の奴隷のため一棟すべてを当会で借り受けておりまして。商品は、もう少し奥に入れております」
訝しげなぼくの様子を見て取ったのか、エルマンがそう説明する。
やがて見張り番の巨漢が、ある箇所で立ち止まった。
「ここからになりやす」
その檻には、確かに誰か座り込んでいるようだった。
しかし倉庫内は薄暗く、曇天なせいもあって窓明かりだけでは容姿がわからない。
エルマンが困ったように言う。
「灯りを持ってくるべきでしたな。確か詰所に……」
「必要ない」
そう言って、ぼくは灯りのヒトガタを飛ばす。
ほのかな光に、檻の中の人影が照らし出される。
「おおっ、お客さん魔術師か。便利な魔法だなぁ」
素朴に驚く巨漢を余所に、ぼくは中の人物を観察する。
突然の光に戸惑っているのは、一人の少女であるようだった。
歳はぼくらとそう変わらないくらい。簡素な貫頭衣に、両手には手枷、首には妙な力の流れのある金属の首輪を嵌められている。
漆黒の髪に瞳。綺麗な顔立ちをしているが……その顔や裾から伸びる手足は死人のように白く、そして表面には入れ墨のような黒い線が走っている。
以前学園を襲った魔族の一党の中にも、このような容姿の男がいた。
「……神魔か」
「まさしく」
エルマンが、自信を含んだ声で言う。
「全部で十五ほど、在庫がございます。いかがでしょうセイカ殿。か弱い少女に見えますが、膂力では大男をねじ伏せ、生来の魔法で中位モンスターすらも圧倒します。魔族の中でも、特に強い力を持った種族ですので」
「こんなもの、どうやって手に入れた」
「そこは商売の種ですので、ご容赦を。まあ、魔族側に伝手があるとだけ申し上げておきましょう」
「人攫いの伝手か?」
「どうかご容赦を」
うさんくさい笑みのエルマンから視線を外し、ぼくは少女を見る。
ルルムの話では、探している人物はもう十六年も前に子供を産んでいるとのことだった。
それを踏まえると若すぎる気もするが……神魔は人間よりもずっと長い寿命を持っているはずだから、見た目だけではわからない。
ちらと横を見ると、ルルムとノズロは険しい表情をしていたが、それだけだった。
となると、この子ではなさそうか……?
「もっと近くで見てみるかい、お客さん」
巨漢は軽い調子でそう言うと、鍵の束を取り出して、鉄格子にかかっている錠を外し始めた。
ぼくは思わず言う。
「おい、そんなことして大丈夫なのか」
「へへっ、心配ねぇよ」
巨漢は鉄格子の戸を完全に開け放つと、中へずんずんと入っていき、少女の手枷を掴む。
「おらっ、立て!」
「い、いやっ、やめて」
少女が抵抗する。
力が強いというのは本当のようで、体格差にもかかわらず巨漢は手を焼いているようだった。
しかしその時――――少女の首輪の、力の流れが増した。
首元に光る呪印が浮かび上がる。それと同時に、神魔の少女が苦しみ出す。
「うぐっ……かはっ……」
「手間をかけさせるからだ。ったく」
巨漢はぐったりする少女の手枷を引き、檻の外へと連れ出した。
ぼくは呟く。
「今のは……」
「隷属の首輪が働いたようですな」
何気なく言ったエルマンへ、ぼくは問う。
「なんだそれは?」
「奴隷の抵抗を防ぐ首輪です。魔道具の一種でして、逃げ出そうとしたり、主人に逆らったり、あるいは無理矢理首輪を外そうとした場合、先のように苦しみ始めるのです。これがあるからこそ、安全に神魔を扱えておりまして」
「普通の奴隷より大人しくなるから、こっちも楽で助かるぜ。いつもは反抗的な奴隷がいると、檻をぶっ叩かなきゃならねぇからな」
「ふうん……初めて聞いたな、そんな物」
「高価な代物でして、このような危険な奴隷でもない限り普通は用いません。採算が取れませんので」
だろうな、とぼくは思う。
なかなか複雑な呪物だ。そう簡単に量産できるとは思えない。
「で、どうだいお客さん」
巨漢が手枷を持ち上げ、神魔の奴隷をぼくの前に突き出した。
薄い貫頭衣が肌に貼り付き、少女の体の線が露わになる。
「こんな危ない奴隷、何に使うか知らねぇが……こいつは上等なもんだぜ。闘技場へ送るにも、護衛にするにも申し分ねぇ。ツラはいいし、肉付きもまあまあだ。この肌が俺には気色悪ぃが、そっちの楽しみもできるんじゃねぇか。興味があるなら裸を見てみるかい? いいよな、エルマンの旦那?」
そう言って、巨漢が少女の貫頭衣に手をかけた。
裾が持ち上げられ、白い太腿とそこに走る黒の線が露わになるが、神魔の少女は虚ろな目をしたまま抵抗の気配もない。
ぼくは嘆息する。
実際のところ、こちらは人を探しに来ただけで買う気はまったくないのだ。いくら奴隷とはいえ、剥かれ損ではこの娘もかわいそうだろう。
あとアミュたちの視線も気になる。
そんなことを考え、断りの言葉を言おうとしたその時――――ガキリッ、という何かが砕ける音が倉庫内に響き渡った。
「……?」
何の音かと、皆が不思議そうに周囲を見回す。
そんな中……ぼくだけは、何が起こったのかを把握していた。
「ッ……!」
足元のネズミの視界に意識を向ける。
フードの下で怒りの形相を浮かべ、強く拳を握るノズロの篭手からは、粉のような物がぱらぱらと落ちていた。
どうやら、いつの間にか握り込んでいた石か何かを粉砕したらしい。
ぼくはわずかに目を細め、口を開く。
「そう猛るな、ノズロ」
「っ!?」
ノズロがはっとしたように、ぼくへ視線を向ける。
「な、何を……」
「そういえば、神魔はお前の父の仇だったな。まあ抑えろ。お前の拳でも簡単に壊れない、もっと頑丈そうな奴隷を見繕ってやる。だから――――妙な真似はするな」
ノズロを横目で睨み、ぼくは告げた。
神魔の武闘家は一瞬押し黙った後、うなずく。
「……わかった」
「そういうわけだ、エルマン。他を見せてくれ」
「かしこまりました。……おい、そいつは檻に戻しておけ」
「へいへい。……よかったなぁ、買われなくて。お前じゃ弱っちすぎるとよ。ほら、早く戻れ。……それにしても、そっちのお客さんは親の仇が魔族なのかい? 珍しいなぁ、こんな時代に。そんな話、俺はひいじいさんからしか聞いたことないぜ……」
ぼくらは巨漢の案内で、倉庫に並ぶ檻を見ていく。
中にいるのは、全員が神魔だ。その首には例外なく、隷属の首輪が嵌められている。
しかし……、
「……女子供ばかりだな」
「そればかりはご容赦を」
エルマンが苦笑と共に言う。
「成熟した男の神魔を捕縛できる者など……そうはいないもので」
「捕縛? なんだ、やっぱりこいつらは魔族領から攫われてきたのか」
「いやはや……。言い訳になりますが、一応帝国法には背いておりませんので」
「ふん」
鼻を鳴らしながら、ぼくはわずかに後ろへ下がり……張り詰めた表情で周りの檻を見回す、ルルムへと耳打ちする。
「……いたか?」
ルルムは無言で首を横に振った。
やがて……ぼくらは、倉庫の端へとたどり着いてしまった。
「ん? これで終わりか?」
「ええ。いかがでしたか、セイカ殿。気に入った商品はございましたか?」
にこやかに言うエルマン。
思わず眉をひそめていると、不意にルルムが顔を寄せ、耳打ちしてきた。
「……まだいるわ。上よ」
倉庫の後ろ半分は、中二階になっている部分があった。
きっと、そこにも奴隷がいるのだろう。
ぼくは奴隷商へと言う。
「ぼくの記憶違いか、エルマン。確かさっき、お前は在庫が十五だと言っていたはずだが。まだ十一しか見ていないぞ、残りはこの上か?」
「いることはいるのですが……残念ながらお見せできかねます」
エルマンが困ったように言う。
「恥ずかしながら少々手違いがあり、隷属の首輪が十分な数用意できなかったのです。そのため奴隷の内の幾人かは、少々手荒な方法で手なずけなければならず……今は、到底売り物にならない状態でして」
「ひどい傷があるということか? そんなもの構わない。見させてもらうぞ」
そう言って、中二階への階段へ向かおうとする。
だがその時、目の前に巨漢が立ち塞がった。
「おいおいお客さん。困るぜ、勝手なことされちゃ」
「どけ」
「いいや、どくわけにはいかねぇな。借主が見せられねぇっつってんだ、ここは通せねぇよ」
「エルマン」
「どうかご容赦を。これはワタクシめの、奴隷商としての矜持でございまして。加えて言えば、この上にはあまり力の強い奴隷は置いておりません。セイカ殿のご要望には適わないかと」
「……そうか。ならいい」
無理矢理通ってやろうかとも思ったが、やめた。
ここにいるのは、どれも魔族領から攫われてきた者たちなのだ。十六年前に人間の国へ渡ったという、ルルムの尋ね人がいる可能性は低い。そこまでする意味はない。
それでも一応、もう少しだけ食い下がってみる。
「では、いつ見られる。隷属の首輪とやらが用意できたらか」
「それが、手配はしているのですが……なにぶん貴重な魔道具のため、新しい物が用意できるまでにどれだけかかるかわからないもので」
「なんだ。それではいつまで経っても売り物にできないじゃないか」
「一応、手は講じておりまして、ええ。ルグローク商会に隷属化の手術を依頼しているところです」
その名前を聞いて、ぼくはわずかに目を眇めた。ネズミの視界を見ると、背後ではメイベルが息をのんだように目を見開いている。
こちらの表情の変化に気づく様子もなく、エルマンは続ける。
「あそこは以前より強力な奴隷を扱っていたのですが、実は魔道具ではなく、手術によって自由な意思を奪っていたようでして。最近になって突然それを公表し、依頼があれば任意の奴隷にそれを施すという商売を始めましてな。どのような商態の変化かわかりませんが、渡りに船ということで、早速手紙を出したところです。話がまとまれば、ルグロークの医術者がこちらへ出張ってくる手はずになっております」
「……」
「費用は決して安くないのですが……どのような商品に仕上がるか、ワタクシめも少々楽しみでございまして。興味がおありならば、セイカ殿もそれまでケルツへご滞在されるのがよいかと」
「……考えておく」
まさか、ここでまたその名を聞くとは思わなかった。
帝都での武術大会以来だから……二年ぶりか。
またろくでもない商売を始めたようだ。
「それで、いかがでしたかな? セイカ殿」
エルマンが笑顔で訊ねてくる。
「どれか気になる商品はございましたか? 女子供ばかりではありますが、それでも生半可な人間の戦士などよりはよほど剣呑な者ばかりです。ワタクシめの一押しは、三番に四番、そしてなんと言っても八番ですな」
「……。そうだな……」
ここらが潮時か、とぼくは思う。
これ以上ここに居座っても仕方ない。尋ね人がいないことはわかった以上、もう大人しく帰るべきだ。それが当初の約束だったのだから。
しかし……ルルムとノズロの様子を見る限り、どうもあっさりと引き下がるようには見えなかった。
二人とも、今すぐにもこの場の全員を殺し、奴隷を助け出しそうな表情をしている。
同胞がこんな目に遭っているのだ、無理もないだろう。
だが、それは許されない。
ここは人間の国で、人間の道理によって動いている。魔族の勝手が通る場所ではない。
それに、この人数の奴隷を、全員連れて逃げるなんて不可能だ。下手をすれば隷属の首輪によって、街を出る前にほとんどの者が死んでしまうかもしれない。
二人の神魔も、当然その程度のことは理解している。だからこそ、動けないでいるのだ。
やはり、ここが潮時だろう。
ぼくは口を開く。
「悪いがエルマン、お前の奴隷では……」
その時、服の裾が引っ張られる感覚があった。
思わず顔を向けると、メイベルが縋るような表情でぼくを見上げながら、無言で上着の裾を引っ張っていた。
一瞬の沈黙の後、ぼくは言う。
「……なんだ、メイベル」
「セイカ。お願い」
「何が……」
「お願い」
そう言ったきり、メイベルはうつむいてしまった。
それでなんとなく、言いたいことを察したぼくは――――小さく嘆息すると、苦笑しつつ少女の頭を撫でる。
「君までか……。まったく、仕方ないな」
ぼくはエルマンへ向き直り、言う。
「悪いがエルマン、お前の奴隷を見る目は信用できない。人間の奴隷ならばまだしも、魔族の強さを荒事の経験もない人間がそう簡単に判断できるとは思えない」
「ほう。となると……セイカ殿がご自身で見出した奴隷がいると?」
「いや、ぼくでも魔族の強さなどそう簡単にわからない」
「んん? それは、つまり……残念ながら、今回はご縁がなかった、ということですかな?」
「いや、神魔の奴隷は希少だ。この機を逃したくはない」
「え? で、ではつまり……どうなさると……?」
ぼくの意図が掴めないのか、エルマンがここへきて初めて動揺の気配を見せた。
それを眺めながら、ぼくは口元に笑みを浮かべ、告げる。
「全員だ」
「……へ?」
「上にいる傷物も含めた、全員を買うと言っているんだ。強さなど、ぼくがこの手で確かめればいい」
呆気にとられる面々の前で、ぼくは少しだけ爽快な気分になりながら、最後に言った。
「さあ、いくらだ。見積りを持ってこい」





