第二十話 最強の陰陽師、またボスを倒す
北の城壁は、一時戦力が大幅に減っていたこともあって厳しい状況だったらしいが、サイラスの迅速な増援によって今は持ち直していた。
しかし、再び別の危機が近づきつつある。
城壁の上に転移したぼくは、ちょうど近くにいたアミュに声をかける。
「アミュ」
「ええっ、セ、セイカ!? いきなり現れるのやめなさいよ!」
驚いたようにぼくを振り返ったアミュが、額の汗を拭って言う。
「あんた、ここにいていいわけ? なにかやることあったんじゃないの? あと援軍が来るとか、でかい声で言ってたけど……」
「援軍は、ここだけの話、嘘だ。サイラスも否定していないだろうが、ただ混乱を避けるために口をつぐんでるだけだ」
「……やっぱり」
「そんなもの必要ないさ。さっきも、押され気味だった東と南の城壁を手伝ってきたところだ。西側は元々ダンジョンがないおかげでモンスターが少ないようだから、あとはここだな」
「そうね……ついさっき、面倒そうなのが出てきたのよ」
「わかってる」
アミュの視線の先にいるのは――――巨人のごとき全身鎧だった。
リビングメイル、なのだろう。大きさはともかく、中身が空洞の鎧が動いているのなら、そう考えるのが自然だ。
ただ、異様でもあった。
普通のリビングメイル以上に、動きがぎこちない。足を踏み出す度に鉄靴や膝関節の可動部が歪み、鋲が弾け飛ぶ。明らかに、自重を支えきれていないように見えた。
力の流れも不自然だ。
あれも龍脈の暴走が生んだ、歪なモンスターなのだろう。
巨大なリビングメイルは、一歩、また一歩と、城壁に近づいてくる。
アミュが険しい表情で言う。
「あいつ……戦棍を持ってるのよ」
鎧が右手に持つのは、アミュの言う通り縁が組み合わさった戦棍だ。
確かに、あの武器はまずい。
そうこう言っている間に、リビングメイルはすぐ近くにまで接近していた。
不安になるような動きで戦棍を振り上げ――――それを、城壁の中ほどに叩きつける。
地揺れのごとき振動が、足元に起こった。
冒険者の多くがたたらを踏み、リビングメイルを指さして騒いでいる。
見ると、城壁の一部がわずかに崩れているようだ。
ただし、攻撃した方も無事ではない。
腕が歪み、戦棍自体も縁の数枚がひしゃげていた。
再び、戦棍が叩きつけられる。城壁がさらに崩れ、鎧の鋲がいくつも弾け飛ぶ。
その光景を眺めて、ぼくは呟く。
「なんか、ほっといたら壊れそうだな」
「それって、鎧が? それとも……城壁が、ってこと?」
アミュが不安そうな顔をする。
無論リビングメイルを指して言ったつもりだったが、そう思ってしまうのも無理はないだろう。
万が一、ということもある。
ただ……、
「硬そうだなぁ」
術を使うにしろ妖を使うにしろ、面倒そうだ。
ぼくは少し迷って……あいつを喚ぶことにした。
《召命――――黒鹿童子》
空間の歪みから現れたのは……簔と笠を纏い、手に大太刀を提げた、大きな黒い人影だった。
人ではない。
爪は太く鋭く、口には収まりきらぬ牙を持っている。
突然黒い人影が、鞘から刃を奔らせた。
神速の白刃は、しかしぼくの目前で、結界に阻まれて止まる。
「ふ、ずいぶんな挨拶じゃないか、黒鹿よ」
「ハルヨシ……貴様、ハルヨシ、か……」
黒鹿童子が太刀を引く。
その牙の隙間から、蒸気のごとき息を吐く。
「なんダ、その姿ハ……なんダ、この世界ハ。何故、此の身の……封じを解いタ」
「事情があってな。それより喜べ、黒鹿よ。お前の望みを叶えてやろう」
「何」
「見ろ、戦場だ。兵だ。お前が斬り結ぶにふさわしい敵だ」
ぼくは城壁の下を指す。ちょうど戦棍が振るわれ、足元に振動が伝わる。
黒鹿童子はリビングメイルの巨人を一瞥し、吐き捨てる。
「つまらヌ、化生ダ」
「つれないことを言うな。鬼斬りの武者に比べれば劣るかもしれないが、百鬼夜行など目じゃないほどの軍勢だろう」
「ふン……よイ。長キ無聊の慰めにハ、なろウ。貴様の露ヲ、払ってやル、ハルヨシ……人ガ、よもや化生との約束ヲ、果たスとはナ……次の戦場モ、忘れるナ」
「ぼくは約束は守るさ。帰陣の祝いには、この世界の酒を振る舞ってやろう。楽しみにしておけ」
「……。ソれも、約束ダ。違えるナよ」
と言って――――黒い人影が、城壁の下へと身を翻した。
真下にうごめく、おびただしいモンスターの群れの中へ落ちていく。
アミュが驚いたように身を乗り出す。
「ええーっ! あの人、落ちてっちゃったわよ!?」
「人じゃない」
その時。
下方から微かに、涼やかな抜刀の音が聞こえた。
リビングメイルの、右腕が落ちた。
続けて左腕が、胴鎧が、両足が斬られていく。一瞬の残光と共に落とされた部位には、鋭利な切断面が作られていた。
リビングメイルが瞬く間にバラバラにされた後も、刃が閃く度にモンスターの群れは切り飛ばされ、駆ける黒い人影の周囲に血煙が舞っていく。あの分だと、北側のモンスターはそのうち殲滅されてしまうだろう。
呆気にとられる冒険者たちの中で、ぼくは小さく呟く。
「鬼さ」
黒鹿童子。
自ら固有の名を名乗る、鬼の剣豪。
丹波の深山に棲み、挑む者を求め、力ある武者を幾人も葬ってきた修羅だ。
とはいえ、龍を斬れるほどではないが。
あいつのいいところは、あんまり大きくないから目立たないところだ。今使うにはちょうどいい。
「オニ、って……モンスターの名前? あれも、あんたのモンスターなの……?」
「そんなところだ」
「じゃあ、あんたさっき、モンスターと喋ってたわけ……? なに話してたの? さっきのはもしかして、モンスターの言葉?」
不思議そうにするアミュに、ぼくは微笑を向ける。
「いや……遠い国の言葉だよ。まあそんなことはいいじゃないか」
と言って、城壁の先を見つめる。
まだ、か。
ぼくは転移用のヒトガタに意識を向ける。
「……そろそろまた東の城壁でも手伝ってこよう。じゃあ後は任せ……」
その時。
大地が揺れた。
「……!」
「な、なに!?」
周りの冒険者たちも、何事かとざわめく。
一方で……ぼくは城壁からはるか先を見つめながら呟いた。
「出てくるか」
地面が盛大に噴き上がった。あまりにも高く舞った土埃が、風でこちらまで流れてくる。
茶色に霞む景色の中でのたうつのは、黒い影。
「な、なんだあれは!?」
「でけぇ……あんなの見たことねぇ……」
「おい、あれまさか……ワームか!?」
冒険者たちが騒ぎ出す。
長い体。目のない顔に、頭部のほとんどを占める大きな顎。
地面から頭を出してのたうっているのは、どうやら土中に棲む亜竜、ワームであるようだった。
ただし、その大きさは尋常ではない。
頭部の太さから見るに、その体のほとんどは未だ地面の下に隠れているのだろう。
だが見えている部分だけでも、それは通常のワームの何倍もの大きさがあった。
地面から上手く出られず、不器用にのたうつその姿は、体の自由が利いていないようにも見える。
龍脈の影響で肥大しすぎた、歪なモンスター。
ぼくは呟く。
「ようやく姿を見せたな」
地面の下から、少しずつ上に上がってくる気配はずっとあったが、ずいぶんと時間がかかったものだ。
その時、巨大なワームが大口を開き、激しく頭を振った。
その顎から溢れ出てきたのは――――大量のモンスターだった。
ゴブリンにオーク、スケルトンにリビングメイルにガーゴイル。種類には統一性などなく、まるで嘔吐するように、ワームはおびただしい数の生きたモンスターを吐き出していく。
その姿は、苦しんでいるようにも見えた。
「な……なんなのよ、あれ」
「このダンジョンのボスだよ」
呆然とするアミュに言葉を返すと、困惑したような顔を向けられる。
「ボス? どういうこと?」
「ラカナは今、一つの巨大なダンジョンになっているんだ」
すべてのダンジョンが消え、行き場を失った龍脈の流れは、出口を求めた。
かつてのボスモンスターのような、龍脈の力を取り込めるモンスターを。
そして不幸にも、地中に棲んでいるがために龍脈に最も近く、たまたま力を取り込む能力に長けていた一体のワームに、すべての流れが集中してしまったのだろう。
一瞬ですさまじい力を得たワームは、この世界の法則に従い、核となって異界を形成する。
それはラカナをも飲み込んで――――ここら一帯を、モンスターを発生させる巨大なダンジョンに変化させてしまった。
「で、あれがそのボスというわけだ。つまり――――あいつを倒せば、スタンピードが収まる」
なるべく、あれが地上に出てくるまで待つ必要があった。
姿を直接見たこともなく、真名も媒介もなければ、呪詛は使えない。地中にいるまま倒そうとすれば、どうしても地形をめちゃくちゃにしてしまう。それこそ災害と同じだ。
「で、でも……あんなの、誰が倒すのよ」
「だから、ぼくが」
真顔でそう答えると、アミュは一瞬固まった後、大きく溜息をついた。
「……おとぎ話の勇者って、どのくらい強かったのかしらね。あんなのどうにかできたかしら? あんたが魔王だったとしたら、勇者は人間の国を救えた?」
「それは……もちろん、そうに決まってるさ。何せ伝説の勇者なんだから」
笑顔で適当なことを言うと、アミュが微妙な顔をした。
「あたし、何をどうしたって、あんたを倒せる気がしないわ……」
「ぼくだって、死ぬ時は死ぬさ。人間だからね」
「ん……し、死ぬんじゃないわよ」
「はは」
いろんな感情が入り交じったような顔で言うアミュに、ぼくは笑った。
「あんなのでは死なないよ」
そして、戦場を見ていた式神と、自分の位置を入れ替えた。
モンスターの群れのただ中へと転移する。気づいたオークやスケルトンが襲いかかってこようとするが、さらに転移を繰り返す。
一瞬の後に、ぼくは巨大なワームの正面へと降り立った。
のたうつ巨体を見て、ぼくは呟く。
「哀れな化生だ」
その時、ワームが大口を開けた。
再び大量のモンスターが吐き出される。
向かってくるそれらを払おうとして……ぼくは呪いの手を止めた。
視界の中で、幾条もの剣線が閃く。
「露ハ、払おウ。ハルヨシ」
頭から、胴から。
視界を埋め尽くしていたすべてのモンスターが、両断されて崩れ落ちていった。
背後で、納刀の小気味良い音が響く。
「さっさト、やレ」
「助かるよ黒鹿」
ぼくは、浮かべたヒトガタをワームへと向ける。
真言を唱え、小さく印を組む。
金の気で生み出された鋼の壁が、目の前で形作られていく。
それは巨大なワームの顎でも、飲み込めないほどの大きさにまで広がる。
再びモンスターを吐き出そうと、ワームがのたうち、頭を振り上げた。
ぼくは呟く。
「何、すぐ済む」
《木火土金の相――――震天炮華の術》
壁の向こうで、膨大な量の火薬が炸裂した。
耳をつんざくような爆音が轟いて、すさまじい衝撃に大気が波打つ。
一瞬で世界から音が消え去るが、ほどなくして身代によって内耳が治癒したのか、周囲に喧噪が戻る。
辺りを濛々と白煙が満ちる中、ぼくは解呪のヒトガタを飛ばし、鋼の壁を情報の塵へと還していく。
再びぼくの目に映ったワームの体からは……頭部が完全に失われていた。
《震天炮華》によって放たれた無数の礫が、すべて削り取ったのだ。
薄く平面上に敷いた火薬が爆発する際、片面が重い岩や金属などに接していると、爆風のほとんどがもう一方の面に向かって放たれるという性質がある。
《震天炮華》はこれを利用し、鋼の壁に薄く貼り付けるよう火薬を配置することで、爆発の方向を前方に定め、その威力を強く集中させる術だ。
火薬を扱う宋の技術者から、伝え聞いた性質だった。
このすさまじい威力に、呪いは関係ない。ただ多量の火薬と、知識に基づく工夫があるだけだ。
この世界の人間も、いずれは兵器でドラゴンを倒す日が来るかもしれない。
「……」
ワームの死骸は、まるで砂漠で死んだ獣のように、急速に干からび始めていた。
振り返ると、スタンピードの終わりの光景が目に映る。
空を舞っていたガーゴイルやキメラが墜ちる。スケルトンやリビングメイルは崩れ、オークやゴブリンは老い衰えたように地を這う。かろうじて動ける一部のモンスターが、森の方へと逃げ帰っていた。
核が失われれば、ダンジョンは消滅する。
その力に頼っていたモンスターたちも、同じ末路をたどる。
すぐ近くで、鬼の呟きが聞こえた。
「やハり、つまらヌ、死合いだっタ」
「そう言うな。喜べ、黒鹿。ぼくらは勝ったんだ」
ぼくは小さく嘆息し、微笑と共に言う。
「たとえ楽に拾えた勝利でも……ちゃんと喜ばなければ、彼らに失礼だろう」
「知らヌ。知らヌが……彼らとハ、どちらダ。人カ、それとも……化生カ」
鬼の問いに、ぼくは答えない。
城壁からは、遠く歓声が聞こえてきていた。
※震天炮華の術
指向性を持たせた爆発を発生させる術。平面状に薄く敷いた爆薬が爆発すると、通常全方向に均等に拡散するはずの爆風は、前後左右方向に小さく、上下方向に強く発生する。この時、片面が比重の重い物質で覆われていた場合には、爆発のエネルギーのほとんどがもう一方の面に向かって放たれるという性質がある。これをミスナイ・シャルディン効果といい、現代ではクレイモア地雷や自己鍛造弾などに利用されている。





