第十七話 最強の陰陽師、気が変わる
翌朝。
ラカナでは、蜂の巣を突いたような騒ぎが起こっていた。
夜の内に迫っていたモンスターの第一波を、城壁に詰めていた衛兵が察知したらしい。
市長に報告が行き、戦力の増強がなされ……日が昇り始める頃には、スタンピード発生の事実が街全体に広まっていた。
「……ひどい有様だな、これは」
宿の屋根から、ぼくはラカナの街を見下ろす。
まだ、城壁は突破されていない。
大量のモンスターに包囲され、脱出こそ不可能になっているものの、堅牢な城壁はかろうじて大群を押しとどめており、防衛が叶っている。
しかしそれにもかかわらず、街の中にはすでにモンスターが入り込んでいた。
翼を持つ一部のモンスターが、城壁を飛び越えて侵入してきているのだ。
市民は建物の中に避難し、今は冒険者たちが、街を襲うモンスターたちを退治して回っている。
だがすでに少なくない被害が出ているようで、ラカナのそこかしこから悲鳴が上がっていた。
まだギリギリで人間側が優勢であるが……もしも城壁外に迫っているモンスターの一部でも侵入を許してしまえば、それもあっけなく覆るだろう。
明け方に見た街の外の光景は、絶望的なものだった。
多種多様なモンスターが、無秩序な雲霞のごとくこの街に押し寄せてきている。あんなものは、まさしく災害だ。他のモンスターを踏みつけてまで城壁に取り付く様からは、人の住む地を貪ろうとする激烈な意思だけが感じられた。
城壁の上からは、今も衛兵や冒険者の矢や魔法が、壁面を登る虫型モンスターを落としている。
サイラス市長の指揮により、街の冒険者たちがいち早く防衛に参加したおかげで、今の均衡がある。ザムルグやロイドも、パーティーを率いてこの防衛に参加していることだろう。
しかし、いつまで持つかはわからない。
城壁の一部が破られたり……あるいは、地中を移動するモンスターが侵入口を作ってしまえば、それで終わりだ。
奴らには城門を開ける知恵こそないだろうが、物量の桁が違う。
援軍は期待できない。
帝国の意思以前に、人間の軍がこの災害をどうにかできるとは思えない。
ラカナは、ほどなくして滅びを迎えるだろう。
と、ぼくは振り返る。
「ああ、三人とも。準備はできたか」
アミュにイーファ、メイベルが、宿の屋根に上がってきていた。
この場所を襲うモンスターはいない。
空を飛ぶキラーバットやキメラを《薄雷》で墜とし、ガーゴイルを《発勁》で弾き飛ばしているうちに、ぼくに近づいてくるモンスターはいなくなってしまった。
と、そこで、ぼくは首をかしげる。
「あれ、荷物は?」
「セイカ……これから、どうするつもりなの」
不安そうにするアミュ。
ぼくは安心させるように笑って言う。
「そりゃあもちろん、逃げるんだよ」
「逃げるって、そんなのどうやって……」
「どうとでもなる」
《召命――――蛟》
空間の歪みから、鱗を纏った青く長い体が、朝の空に現れる。
初めて目にする龍の姿に、三人は目を丸くして固まっていた。
できれば妖の姿は見せたくなかったが、仕方ない。
もう、他のまともな方法で脱出できる時機は逸してしまった。
龍の巨体を背景に、ぼくは彼女らへ笑いかける。
「これまで黙っていたけどぼく、実はモンスターを何体かテイムしていてね。こいつで飛んでいこう。なに、乗り心地はドラゴンと変わらないさ。イーファは覚えているだろう?」
「セ、セイカくん、でもこれ……ドラゴンじゃ……」
「似たようなものだよ。四人でも大丈夫、これだけ大きいんだからね。さあ、早く荷物を取ってきなさい。見つかって騒ぎになると面倒……でもないか、別に」
見られたとしても、どうせ滅びゆく街の人間だ。
口を封じる必要すらもない。
「ま、待ちなさいよっ」
その時、アミュが硬い声で言う。
「逃げるって……あたしたちだけで?」
「ああ」
「じゃあ……この街のみんなは、どうなるのよ」
ぼくは笑みを消し、首を横に振る。
「どうにもならないよ。欲望の街が、欲をかきすぎたために滅ぶんだ。これも運命だろう」
「そんな……」
アミュが声を震わせて言う。
「あんた、こんなモンスターを持ってるのなら……スタンピードをなんとかすることだって……」
「できるかもしれないな」
「それならっ」
「この街は救えるだろう。で、仮にそうするとして、次はどうする?」
「え……?」
「君がどうしてもと言うのなら、多少の頼みは聞こう。それで、ぼくはどこまで救えばいい? この先スタンピードとは関係なく、モンスターに襲われる冒険者は? 暴漢に襲われる女は? 街の外で獣や野盗に襲われる商人は? 食糧不足に陥った余所の村はどうする? あるいは、人々どうしでの戦争は?」
「……」
「ぼくなら、どこへだって行ける。たいていのことはできる……だけど、すべては無理だ」
ただ最強であるだけでは、全員を救うことなどできはしない。
「どこで線引きする? 誰を救い、誰を見捨てるんだ?」
「……」
「ぼくの意思に任せるというのなら、親しい者は助けよう。だが、赤の他人の世話までしてやるつもりはない」
「……」
「わかったか? ならば、これ以上聞き分けのないことを言うな。早く荷物を……」
「他人じゃないわよっ!」
だが。
アミュはそう、強い口調で言った。
「だって……ここには、ティオがいるじゃない。あの子は、どうなるのよ」
その言葉に、ぼくはわずかに目を見開いて固まった。
イーファとメイベルが、アミュに続く。
「アイリアさんや、ウォレスさんたちも……今、がんばってるんだよね……?」
「エイクに、ニドたちもいる」
それは全員、ぼくも知った名だった。
アミュが、ぼくから一歩遠ざかる。
「あたし、行かないわ。みんなが戦ってるのに……ここで自分だけ逃げたら、一生後悔する」
「……。君らも同じか?」
イーファが、ためらいがちに言う。
「わ、わたしは……セイカくんが逃げるって言うなら、ついてくよ。でも……セイカくんは、本当にそれでいいの……?」
「何……」
「セイカ」
メイベルが、ぼくを見据えて言う。
「セイカが、私を助けてくれたとき……別に私たち、親しくなかった」
「それは……君一人の時とは、状況が違う」
「セイカにとって、状況なんて関係ない。そうでしょ?」
「……」
「セイカは、本当は、どうしたいの?」
二人ともそう言ったきり、動く気配はない。
ぼくは内心苛立つ。
ぼくがどうしたいか……? そんなこと、今はどうでもいい。
この街に残っても、未来はない。たとえ勇者であっても、今の弱いアミュが、あのモンスターの群れをどうにかできるわけもない。
こうなれば、無理矢理にでも連れて行くしか……、
「セイカさま」
その時、耳元で、ユキのささやき声が聞こえた。
「再び無為な進言を奉ることをお許しください。ユキに……考えがございます」
訊き返す間もなく、ユキが言う。
「この街の民を皆、セイカさまが手ずから、先に黄泉へと送られてはいかがでしょう」
「っ……?」
困惑するぼくに構わず、ユキが続ける。
「セイカさまならば、その程度のことは造作もないはず。彼らも物の怪に生きたまま喰われるよりは、安楽な最期を迎えられることでしょう。それに救うべき人間がいなくなれば、この娘たちも諦めがつくというもの。一挙両得にございます」
「……」
ユキの言うことは、まったく道理にかなっていた。
しかし……、
「抵抗がおありですか?」
「……」
「ならば、彼らを見捨てるというこれよりも酷い選択肢もまた、セイカさまのお心に沿わぬはず。かの世界で、力のままに人を助けてきたセイカさまにとって……本来ならば到底、受け入れがたいものにございましょう」
「……」
「お心のままになさればいいと、ユキは思います。前世のように。なにより……占いにだって、そう出ていたではございませんか」
だが……と言いかけた言葉は、ついに口から出てくることはなかった。
永遠とも思える迷いの沈黙を経て、ぼくは……蛟を振り返り、扉のヒトガタを向ける。
空間の歪みに、龍の巨体が吸い込まれていく。
妖の威容が消えた、朝の空をしばし眺め……ぼくは半身を向けて、彼女らへと告げた。
「今回だけだぞ」
「ほ、ほんとっ!?」
喜ぶ彼女らを、ぼくは憮然とした顔で眺める。
何を言っているんだろう、ぼくは。
こんなはずではなかったのに。
アミュが、気づいたように言う。
「あっ、でも、さっきのドラゴンみたいなやつ、帰しちゃってよかったわけ? これから使うんじゃ……」
「いい。蛟は使わない。あいつは目立つからな……できるだけ、噂になりたくないんだ」
もう手遅れな気もするが……さすがにまだ、ヤケクソになるには早い。
ぼくは言う。
「あんなのに頼らずとも、なんとかしてみせるよ」





