第九話 最強の陰陽師、奴隷少女に人魂を授ける
イーファは明らかに動揺して言った。
「え……な、なんのこと?」
「実は、イーファが動物か何かの霊魂を目で追っているのは何度か見たんだ」
「セイカくんにも見えてるの!?」
「まあ」
ぼくの場合生まれつきだが、修業でも霊の類なら見えるようになる。
しかし、それ以外は別だ。
「でも、それだけじゃないよね」
「……」
「ぼくにも見えない何かを目で追っているところは、それ以上に見てるんだ。イーファ、君は霊以外の何が見えてるの?」
「……すごいね、セイカくん。そんなことまでわかっちゃうんだ。死んだお母さんに、ぜったい誰にも知られちゃダメだ、って言われてたんだけどな」
そう言うとイーファは、宙空の何かに手を差し伸べる。
もちろん、そこには何も見えない。
「これはきっと、精霊なの」
「精霊……」
「うん。おとぎ話に出てくる、あの」
「……それは、どんな姿をしてるんだ?」
「丸くてぼんやりしてて、小さな羽が生えてるのが多いかな。でも小さな動物の姿をしている子も時々いるよ。鳥とかトカゲとか、魚とかモグラとか。たぶん力の強い子なんだと思う。そういう子が通った場所は、温かかったり、風が吹いたりしたから。……やっぱり、信じられないよね?」
「いや……信じるよ」
霊でも妖でもない何らかの存在は、前世でも感じたことがあった。
西洋の叡智を探す旅で出会ったケルトの呪術師、ドルイドは、宿り木で作った特別な杖を持っていた。
彼が言うには、その杖には精霊が宿っているとのことだったが……力の流れは確かに感じるものの、ぼくにその存在を見ることはできなかった。
君ほどの者に見えぬのか? この藍色のワタリガラスが。
あの意外そうな言葉は嘘には聞こえなかった。
やっぱりこちらの世界にもいたか……。
霊のような魂の残滓か、妖のような肉体に依らない魂か……あるいはまったく別の存在かもしれない。
「お母さんは賢明だったね。周りに知られても、たぶんいいことなんてなかっただろうし」
「……セイカくんでもなきゃ、信じてももらえないよ。きっと」
ああ、そうかも。
ぼくは訊ねる。
「ひょっとして、今日のカーバンクルやぼくの服を見つけられたのも精霊のおかげだった?」
「う、うん。あの子たち、魔力に群がるの。セイカくんの持ち物だけは……ちょっと特別だけど」
「特別って?」
「セイカくんの持ち物があると、精霊が変になるの。おかしいくらい群がって、中には酔っ払ったみたいにくるくる回り出す子とかいて……。だから近くにあればすぐわかったよ」
「へぇ……ちなみにぼく自身には?」
「それがね、セイカくんには全然。むしろ避けてる気がする。普通魔力の強い人、たとえば旦那様にはいつも何匹かくっついてるんだけど……だから、すごく不思議」
ふうん、なんでかな? まあいいや。
「精霊って触ったり……は、できないよね。言うことは聞く?」
「ううん。人間とは無関係に、自由に生きてるような子たちだから」
「本当に全然?」
「うん……あ、そうだ。一回だけ」
イーファは思い出したように言う。
「一回だけ、お願いを聞いてくれたことがあったの。洗濯物を干してる時、鳥の姿の子たちが何匹も遊んでたんだけど……そのとき、風で旦那様のシャツが飛ばされそうになったから、やめてって怒鳴ったらみんな逃げちゃって。すぐ戻ってきたんだけど、その後はどの子もずっと大人しかったんだ。うん……それだけ。大したことじゃなくてごめんね」
「そんなことないよ」
言うことを聞いてくれる。それは大きな要素だ。
これはもしかするかも。
「イーファ。突然だけど、魔法が使えるようになりたくない?」
「えっ! そ、それは……使えたらうれしいけど、でも無理だよ」
イーファは力なく笑う。
「わたしには全然精霊が寄ってこないもん。たぶん魔力がないか、少ないんだと思う」
「いやあ、魔力は要らないんだ」
ぼくは後ろ手に持ったヒトガタを媒介に、扉を開く。
「魔法はこいつらに使わせればいいから」
《召命――――人魂》
位相から引き出した火の玉がいくつも現れ、橙色の炎を揺らしながらぼくの背後に浮かんだ。
……というかあっついなこいつら。ちょっと離れよう。
「え、え、なにこれモンスター!? セイカくんどうしたのこれ!?」
「えっと……拾った」
「拾った!?」
一応嘘じゃない。
前世で墓場に浮かんでたのを回収した。
地味に火事の原因になったりして危険だからな。
不可視の式神で押してやると、人魂はなされるがままイーファの方へ漂っていく。
「霊魂に近いモンスター、かな。人間を襲うようなやつじゃないから安心していいよ」
「うん、なんか熱いけど……」
「じゃあ火を消してみようか」
「え?」
「お願いしてみてよ。風の精霊にしたみたいに」
「うん……わかった。やってみる」
イーファは人魂を眺めた後、何かを念じるようにぎゅっと目をつぶる。
そのまま、半刻(※十五分)ほど過ぎた。
特に何も起きない。
「セイカくん。火、消えた?」
「消えてない」
「えー! こんなに頼んでるのに……」
イーファががっくりと肩を落とす。
「声に出してみたらどうかな。霊にはあんまり関係ないけど、気持ちが入るから」
「わかった……消えてください。お願いします」
「……」
「どうかお消えになってください。本当にお願いします」
「……」
「その、本当に……お願いですから……」
消えない。
「……もうっ! 消えてっ!!」
消えた。
まるで水でもかけたように、すべての炎が見えなくなった。周りの温度がすっと下がる。
「えっ、あ、い、いなくなっちゃった!?」
「いるよ。ほら」
イーファが振り仰ぐと、宙空からぽつぽつと小さな火がちらつき出す。
「……出てこなくていいよ」
イーファが睨んでそう言うと、火はぎゅっと小さくなる。
おお。
「いいね。もう少しやってみようか」
そこから二刻ほど。
何度も火の玉を出したり消したりしているうち、イーファは声に出さずとも人魂を操れるようになっていた。
「こ、こんな感じ?」
「上達が早いな。これならすぐに炎の向きや強さも操れるようになるよ。きっとね」
ぼくは内心満足していた。
前世では、化け狐の類がよく人魂を操っていた。
どんな妖使いでも、意思のほとんど見られない人魂は普通操れない。しかしぼくは、化け狐にできるんだから人間にもできるだろうと、ずっと研究を重ねていたのだ。
結局、自分も弟子もどうやったってうまくいかず、半ばあきらめかけていたのだが……まさか異世界でこんな才能のある子を見つけられるなんて思わなかった。
同業者に変人扱いされながらも、コツコツ人魂を集めていた甲斐があったよ。
「いずれは化け狐の炎術……じゃなかった、火属性の魔法と同じようなことができるはずだよ」
「ほんと!?」
「それだけじゃない。イーファの見えてる精霊にだって、お願いを聞いてもらえるようになるかもね。おとぎ話の王女様みたいに」
前世のドルイドができてたんだ。そっちも不可能じゃない。
「すごい……セイカくんはなんでも知ってるんだね」
「なんでもは知らないけど、けっこう勉強がんばってるからね」
「わたしもこれ、がんばってみる! なんの役にも立たない特技だと思ってたけど、少しは自信、持てそうだから! ありがとう、セイカくん」
うんうん。がんばれがんばれ。
ぼくも運がいい。
転生して早々に、こんな才能を見つけられたんだから。
まあこの子では少し力不足だろうけど……仲間はいた方がいいからね。
「そうだ、イーファはここを出て行きたいって思うことはある?」
「えっ……?」
「いや、脱走とかじゃなくてさ。奴隷は解放されても、その家の使用人として働いたりするだろ? イーファのお父さんもそんな感じだし。奴隷の身分でとはいえ、ずっと住んでいた場所を離れるのはやっぱり大変なんだろうけど、イーファはどう思ってるのかなって」
「わたしは、出て行きたいな」
イーファは、きっぱりとそう言い切った。
「ここが嫌いなわけじゃなくて、いろんなところに行ってみたいの。いろんなことを知りたいし、いろんなものを見てみたい。この国ってすごく広いんでしょ? だから、ずっとここにいるのはもったいない気がするんだ。いつか自由になれたら、きっと……」
「ふうん、そっか」
イーファの目は、どこか遠くを見ているようだった。
やっぱり、この子大人しい割りに活力があるな。
かつてのぼくと似て……ないか。
ぼくの衝動はこんなに前向きなものじゃなかった。
「あ、そうそう。イーファにはもう一つ用事があったんだ」
「なに?」
「これから何度か家を空けるけど、みんなには適当に誤魔化しておいてくれないかな。体調が優れなくて部屋で寝てる、とか言って」
「う、うん。いいけど……」
「あちこち一人で見て回りたいんだよ。でもグライ兄に邪魔されたくないから。お願いね」
そう言うと、イーファは納得したように頷いた。
こっちはこれでよし。
明日から下準備を始めよう。
そろそろ戻らなきゃと、屋敷へ慌てて帰っていくイーファに式神を一枚貼り付ける。
水の相の術を付したヒトガタ。
もちろん、万一のための消火用だ。
人魂で屋敷が燃えたら大変だからね。
※1刻の長さ
平安時代では1日を48分割する四八刻法が主流だったので、セイカは1刻=30分で数えてます。