2026/03/20(金)『妄想「零れ閉づる夢」』更新記録⑭「一三章」を掲載。今回は散文がございません。(作品について+余談:グローバリズムと○○の決定的な違いについて:約6000字)
※作品の文体とは一部異なります。
初めまして、あるいは改めまして、オトオリと申します。
何年も前に書き終えていた作品なので東京都女性活躍推進条例について調べた先達ての更新記録を引き摺っているのではございませんが、作中でも、世界観に関わる厄介な法律について触れる「一三章」を掲載致しました。
拙いながらも記しております政治や世界情勢についての散文ですが、今回はお休みです。そちらをご希望でしたら申し訳ございません。当該作品連載の折返し地点を通過しましたので、本頁は予定通り作品について書いてゆきます。
何年も前に書いた作品をいまさらアップしていることに、その都度、「もっと早く掲載すればいいのに」と、思う読者もいたかも知れません。家族にはそう言われたことが何度もございます。これにはいくつか理由がございまして、最たるものは、そもそも私の作品のほとんどは小学生時代から(ほぼ不登校だったので特に思い出のない)中学生時代に骨子ができていて、それ自体が既に何十年も前のことであるため「完成数年後の掲載」という数年のずれは(前作のような予定になかったずれを除いて)私の中で特に問題にならない、と、いう点がございます。また、「更新記録⑫」に書きました「正解」が判らなくなった出来事に起因して、自信もなければ勇気も出なかったという理由がございます。これは、学びの土台である初等教育において正しく順序立てて評価された経験がないためではないか、と、自己分析しています。戦後日本の被虐史観に合致したがゆえか正される機会も全くないまま、今もそのきらいは強く残っていますが、その背中を押してくれたのが家族であることも以前書きましたね。繰返しになるので省きますが、同人には極大の感謝の念を持っており、日日、そうとは口にしませんが恩を感じています。何かの形でお返しできれば幸いですが、全くもって不甲斐なく満足にできておりません。
ここからはより作品の中身について書きたく存じます。先述通り、私の作品は子時代に骨子ができていました。それなのに子持ち夫婦の物語になっているのには、そのものずばり、子時代にはそういった夫婦観に憧れを持っていたというのがございます。自分の両親や近親者の夫婦に対して、と、いうよりは、それらを反面教師にしたというのが正しく、他方では、戦後日本に襲いかかった3S政策なるものの影響を感ぜずにはいられない要素も盛り込んでいたことを特に未成年時代に執筆したものに感じます。
現代を俯瞰すれば、多くの世代で超過死亡率を記録しており、それ以前から少子化が叫ばれています。作品骨子構築当時の私はこのような時代が訪れようとは思いもしておりませんでしたが、超過死亡率の引金となった遺伝子製剤の研究はまさしく私が子の頃に始まっていたそうなので、(治療技術としてmRNA研究に携わっていた研究者は悪用されるとは夢にも思っていなかったでしょうけれども)人口削減の材料、あるいはその素材がその昔から作られ始めていたといえるでしょう。あまり世界的な作品に触れておりませんので一般的なSF作品がどのようなものかは存じませんが、まるでSF作品のマッドサイエンティストが現れて、非倫理的かつ不条理かつ常人の理解できないナラティブを展開しているかのようです。実際は、科学者ですらないグローバルエリートの一角であるビル・ゲイツ氏がそれを推進しており、なぜか医療の専門家集団が賛同し、2025/12/25現在、日本政府も諸手を挙げて歓迎している次第で、しかしそれに対して疑問を持つひとは少なく、人口減少に拍車を掛け続ける遺伝子製剤についても国民の意識はいささか度が過ぎて寛容であり、無関心とさえいえるでしょう。私が憧れた夫婦観が未来の日本では消え去っているのではないか。飽くまで私の観念についてですが危ぶんでいます。勿論、子時代に「正解が判らなくなった私」の考えが正しいなどと保証もしませんが、近い意見のひとを、あらゆる年層に観るようにはなってきました。そうでなくても、判らないことは判らないと言い、疑問を素直に口にし、捉えた危険性に口を挟むことを躊躇いたくはございません。現代日本は、世界は、明らかにおかしいのです。ひとびとは何を恐れているのでしょうか。法でしょうか。法を支配している誰かでしょうか。それとも、それら支配に気づくことでしょうか。気づいた先で、自立することでしょうか。何かに依存できないことでしょうか。人間である以上、自然や世界に依存していることは否定できず、ひとと支え合っていることを否定できないので、不安も恐怖もじつは刷り込まれているだけかも知れません。それに、摂理ほどに人間を支配できるものは存在しないために人間への恐怖は半ば思い込みだとは存じますが、ひとびとはむしろ自然を支配した気になって、人間こそを恐れているように感ずるのは私だけでしょうか。それは本来あるべき畏敬を傲慢にも掏り替えた支配構造ではないでしょうか。──しかしそれも仕方がないことなのかも知れません。何せ、常軌を逸した支配欲によって、それも恐らくは、無自覚か、傲慢によって、突き進んでいる人間が、世の中を支配的に回しているのが実状であり、これに皆さんが確信を持ったか、薄薄感じ取ってきたのですから、人間を恐ろしく感ずるのも無理からぬことです。本当に恐ろしい人間とは、一般の80%か90%もしくはそれ以上を占める大多数のひとの言葉を理解しようとしない人間であり、自身の考えや危機感を自覚の有無を問わず意図的にねじ曲げて共有する人間でしょう。(先達て話題に挙げた「無意識の思い込みの解消」にも関係する話ですが、だからといって思い込みを行政がどうにかしようとするのは人間性の欠落であると考えます。そういった発想が湧いてくる方方は他者の人間性を信頼していないように感ずるのですが、これは私の思い過しと考えたいところです。賢い方方が挙ってネガティブな投影をやっているとしたら、それを基に思想統制的条例まで可決しているのだとしたら、それはいっそ見せかけであって、支配の法整備を行っているとしか考えられず、だとすれば世も末です。まるで偽ムスリムとそれを擁護する法によって原住民であるイギリス人を虐げているロンドンを標榜しているかのようです。突飛な発想でしょうか。ええ、突飛でしょう。そうであるべきです。が、それを除いても、東京都政は腐敗しきっているとは、既に虐げられている東京都民であれば誰もがよく聞くようになった昨今ではないでしょうか。まだ一部でしょうか。腐敗についてはまた別の機会に書くかも知れません。)
言行不一致なので、改めて宣言しますが、ここからは作品のことを書きます。時代の流れとともに作品の内容もわずかながら変化した部分がございます。勿論、骨子は大事にしており、変更したくない点は全く譲っておりませんが、いつ頃からか普及されていたSDGsの先駆け的な性自認や同性婚の問題、夫婦別姓──、それから、日本の夫婦観に水を注す不倫、不義などなどについて、これまでの作品でわずかずつ触れてきました。まさしくいつの間にか意識に刷り込まれていたために振り返ってみると随分とグローバリズムな作品群に仕上がっていることに驚きを禁じ得ません。再生可能エネルギについても前向きに捉えて(飽くまで広大な土地があることが前提で)落とし込んできました。言うまでもなく、反グローバリズム思想に逆行しています。
と、国会中継でもお馴染となって知らぬ者なしというほど浸透したグローバリズムという言葉ですが、短く説明するのは難しいですね。冗長な私ですが、ここはあえて要約してみることにして、グローバリズムが何か、改めて調べてみました。かなりざっくり要約すると、こうです。
===========================
共産主義やナチズムとしてひとびとの自由を脅かして統制を行う政治体制として「全体主義」がございます。それとは異なる形で、現代において「新たな全体主義」と称せられているのが地球主義です。
===========================
字面は素晴らしい地球主義。この言葉の考案者の手腕は、良し悪しはともかく本物でしょう。それはさておき、グローバリズムを語る一部の主張には、異なる意味が混同されているように感じます。混同されているのは、インターナショナリズム、国際化社会です。なぜそう思うのかといえば、「グローバル・グローバル化」といった言葉を、私自身が異義を混同して使っていたからです。投影も多少あるかも知れませんが、ニュアンスを拾えるようになると感ずる不自然さがございます。私が使う言葉にはそういった言葉が無数にございますので、日日精進です。さて、
「グローバリズム(世界との交流)の何が悪いんだ」
と、考えている日本人の多くも、日本人の元来の価値観からすれば、恐らくはインナーナショナリズムを是としていると考えられます。それはなぜか──。まず、
グローバリズムと、
インターナショナリズム、
これらの違いは何か。手っ取り早くいえば「物理的な国境の有無」です。
前者はこれを取っ払って全世界を一つに統合して(まさしく全体主義的に)管理する社会を標榜します。後者は国境をしっかり維持しつつ国と国の協力を標榜します。
この違いが何を示すか、さらに書き添えてみましょう。前者は「国」を亡くして(統制のための政府かそれに類する上位機関は恐らくは維持して)「一部権力者とその管理」を尊重します。後者は「国と個」を尊重します。
おどろおどろしい譬え話をしましょう。前者の庶民は無自覚に支配されてほどほどの欲望を満たされつつさまざまな前衛的実験の対象とされて搾取されて死にます。後者は支配を脱却して実力・能力が問われて自立による苦悩を抱えながらも死ぬまで自由に主張できます。一つ訂正です。譬え話とは言いましたが、前者については現実であると私は認識しています。
私個人のことをいえば能力がない人間なので実力主義の後者で生き残る自信は皆無です。しかしながら、(既に知ってしまったために完全なる無自覚に戻ることはできませんが)何者かに無自覚に支配されて搾取されて死ぬのは嫌ですし、生き残るべきはきちんと能力を活かして社会を回している皆さんですので、一部権力者が尊重される歪みきった世界であれば正されるべきだと考えています。
その上で、以前の私もグローバリズムではなくインターナショナリズムを是としていたこと、今の私もそうであることを、確認した次第であり、国際相互依存関係、すなわち新たな全体主義ともいわれる地球主義推進派ではなく、インターナショナルな動きを否定する考えは全くございません。それは正常な外交や他国民との交流を否定していないためでもございます。グローバル化をなんとなく支持しているひとの多くは、恐らくは私と同じような意味合で支持しているのではないでしょうか。少なくとも、グローバル化の局地に「日本」という概念の喪失があることを深く考えて賛成しているひとは少ないのではないでしょうか。桜を枝にぶら下がって折ったり、咲き誇った花畑を鑑賞することなく踏み荒らしたり、神社仏閣を破壊したり、ひとの良心につけ込んで汚金儲けしたり──、今は一部で済んでいるそれらが当り前になったあとでもグローバル化に賛同するひとがいたら、そのひとが支配者層です。尊重される側は足蹴にされる側を顧みません。無慈悲なようですが、無関係ですので、それが自然です。そしてこれに賛同しているのが、グローバリズム推進派です、無自覚でも。しかしこれを法律や条例で強制的に変えようとするのはやはり行きすぎています。ですから、反グローバリズムのひとびとは陰謀論者といわれても言論によって平和的かつ冷静に反論しているのです。そして、これを強制的に黙らせるのが言論の自由への攻撃であり、思想統一、ひいては全体主義です。
話が大いにずれました。これぞ私の日記カテゴリです。……ええ、話を戻しましょう。
作品は書きたいことを書いているという自負がございます。子時代に構築した理念や思想や理想が各作品にございますので、それに反していない限り、現代で修正することもしません。プロフィール頁などに書いた記憶がございますが、そういった意味で、私は書きたいものしか書きませんし、書きたいものしか書けません。書きたくないもののための噓や虚偽を維持できるほど私は記憶力がございませんし、およそ作家向きの理論や考察や洞察に長じた思考力を持っていません。それでも、書きたいことがあるので書いてゆくのみです。
その書きたいことを、本副題ではふんだんに盛り込んでいます。これまで数作品において伏せてきたことであったり、伏線の回収であったりが、その一部です。また、当シリーズの要素である「子持ち夫婦」のみではなく、およそ全作品のテーマ、つまり、大きな枠に偏っているのが本副題であるといえます。そして、散文を半ば蹴ってまで作品について、私のアイデンティティから恥ずかしげもなく書いているのは、本副題の折返しを通過したのと同時に、本副題自体が物語上の大きな転機になる予定だからです。これは、私としては希しく、極めて強く自己作品をアピールしています。が、無論、読むか否かは読者次第です。手に取って読み進めるか否かも読者次第です。面白いかつまらないか決めるのも読者です。ちなみに、私は自分の作品について面白いと思っていますが、面白くないとも思っています。なぜなら、ひとの作品について称賛することはあっても扱き下ろすことは全く趣味ではなく、扱き下ろせるほどの知性もございませんが、私自身の全ての知性を詰め込んだ自著については心から賛同できるところがあり、全く容赦なく否定できてしまうところもあるからです。前者は非常に面白く感じます。後者は極めて恥ずかしく思います。なお、私が憶えているのは決まって後者です。どうせならいいことだけを憶えていたいのですが……人間は恥から学ぶと言いますので、そういうことなのかも知れません。そこそこ長く創作活動をしてきて、作品について家族に全否定されることもなく、ネット上の読者にも特に意見をもらうことがないために、自己批判で叩き上げるほかなかったというのが侘しい実態ですが、それでもやはり、書きたいことのために書き続ける所存です。
冒頭では法律と絡めて書きましたが、こちらが主眼となりましょう。譲れないもののために足搔く「一三章」を、よろしければご覧ください。
そして、数ある作品・頁の中からこちらの更新記録をご覧いただき、ありがとうございます。
皆さんの平穏と幸せを変らず祈って参ります。
──2025/12/25(木) 09:00〜
2025/12/26(金) 〜02:58執筆
2026/03/21(土) 掲載──
──────────
──当頁書き収め──
──────────




