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2026/03/13(金)『妄想「零れ閉づる夢」』更新記録⑬「一二章」を掲載。 ちょっと小難しい法律関連……東京都女性活躍推進条例、それから、くだんの騒動との類似点。(400字+散文:約5800字)

 

 

 ※作品の文体とは一部異なります。

 

 初めまして、あるいは改めまして、オトオリと申します。

 前回の更新記録では忘れかけていま──、いいえ、なんでもございませんが、

「やれることはやれるうちにやっておく」

 これはいろいろな物事に通ずる鉄則のように感じてやみません。と、いうのも、原口一博代議士と行徳(ぎょうとく)哲男(てつお)氏、それから、杉原(すぎはら)(かい)氏らとの対談の、原口氏本人による解説ライブを約一日遅れで視聴したところ、原口氏の生き方を表す上でよく耳にする葉隠と通ずる、恐れながら存じなかった行徳氏の死生観の、説明の面白みと、その行徳氏が原口氏に紹介したという杉原氏らの洗練された思考に開いた口が塞がらず、──要するに、彼らができることをしっかりやってきた素晴らしい人物達だと感じた、と、いうお話です。幾度となく書いてきたように私はあらゆる知識を持ちませんし、このあいだ書いたように勉強が大嫌いなのですが、彼らを観ていて学習の愉しさやその意義については再認しました。三〇代末期である私と同世代かその前後の多くの日本人に取って、「やりなさい」と言われてやることが多かったであろう勉強ですが、自らがやりたいことのために進んで行った学習はきっと身についてきたはずです。そこから得たものは、細部を忘れていても、人生を豊かにしたでしょう。

 少し逸れたようですが、今回は忘れていません。人生を豊かにしている学習──、その意欲を支える数多の記憶を繫ぎ合わせて目の前に横たわる問題の答に迫る「一二章」を掲載致しました。

 

 しかし素晴らしい対談でした。冒頭に書きました、原口さんと行徳さん、それから私の一回りも二回りも年下の若者の対談は、まさに次元上昇を示すものでした。ここのところ現代人に欠かせないAIですが、使い込んでいると観えてくる得意分野がございます。AIごとに、ほかのAIと比べて劣る部分や苦手な分野もあるようです。そこで、杉原海氏らの企業では音楽のオーケストラのように複数のAIを組み合わせて使うことができる仕組を開発したと言います。これは、世に出回っているAIのそれぞれの得意分野を最大限活用でき、プロンプト(指示した内容)に対する結果をより素晴らしい形で得られるのです。杉原氏らの素晴らしさはこれのみでは全く伝わらないと存じますので、ぜひ彼らの動画配信などを直接ご確認いただきたいです。彼らの力は、若さのみではなく、確かな論理に裏打ちされた結論を創出し形にする力、それから、チームワークとネットワークです。そしてそれらを繫ぎ合わせようとする意欲そのものは、大人が持ち得るものでありながら、彼らのようにワールドワイドに発展させられるケースは稀でしょう。素晴らしい。その一言では表現し尽くせない素晴らしさです。

 

 一方、原口さん達の対談当日かその前でしょうか、東京都都議会で「東京都女性活躍推進条例」が賛成115票(都民ファーストの会、自由民主党、公明党、日本共産党、立憲民主党など)で可決された模様です。反対6票は参政党や無所属都議などによるもので、条例の看板にある「女性」も反対票を投じています。勿論、一般的に下に見られがちな職種や専業主婦であっても社会の一部を立派に支える「活躍」だと私は認識していますが──、ここで注目したいのは、

「この条例が擁護しているであろう女性都議が反対する理由が本来ならないはずではないか」

 と、いう点。そう、つまり、一部とはいえ女性都議が反対を示している時点で「この条例が女性活躍を擁護するものではない」か、「女性都議が何かがおかしいと捉えて反対した条例なのではないか」と、目に留めるべきものだということです。東京都議会都議であるさとうさおり(佐藤沙織)氏や吉川りな(吉川里奈)氏のXポストで私は初めてこの話題を知りましたが、知るのが遅すぎて反対を促す隙すらございませんでした。しかし、某YouTube番組によれば、この条例自体は以前から何度も検討されてきた、と、いうのですから──なおさら心配ですね。

 前置きが長かったですが、ここから本題です。この条例の何がまずいのかを端的に書きますと、「性自認が女性の男性」などが含まれるかどうかについて議論が深まっていないまま通ってしまっている(生煮えである)ことや、特定の理念を条例で定めて都民に押しつける形になっている点です。それを、直感的に捉えられるのが副知事の放った例「男性管理職に対する生理痛体験会」なるものの実施です。

 これはAI纏めですが、「生理痛を擬似体験するための機器(電気ショックを与えるもの)の導入を推奨し、企業に対して補助金を支給する」ということのようです。この時点で既に電気ショック機器利権でしょうけれども、ここにはさらに男性管理職に対する拷問ともいえる電気ショック体験が推奨される、と、いう条例の問題点がございますね。勿論、推奨は強制とは異なります。実際、参加を申し込んだひとのみ体験できるようですが、そもそも条例で推奨して補助金まで出すのですから、とりわけ女性活躍を推進したい企業は挙って参加するのではないでしょうか。ちなみに、この推奨に反しても罰則はないようで、それが「柔らかい条例」などと言われる由縁であり、賛成派が強制ではないとする論拠にもなっているようです。

 しかし、全く学ばない方方のように感じました。コロナ騒動の際、「公衆衛生のため」と言って医療行為である注射を受けるように国が率先して促し、社会的圧力によって医療機関や企業がそれぞれの関係者に接種を促したことと構造が全く同じです。本条例によって推奨される電気ショックによる生理痛体験会なる催しは、実質強制されかねない、と、いうことであり、これに反対する男性管理職は「女性の活躍に反対するひと」「遅れた人間」「管理職に不適格」などと烙印を捺されるのではないでしょうか。そして、そういう空気を作り出すための「条例」ではないでしょうか。さらに、それを強制していないという逃げ口上のための罰則なしであり、全ての責任を社会に全体になすりつけるための「罰則なし」ではないでしょうか。そうして、男性管理職は半ば強制的に電気ショックという拷問に曝されるおそれがあるのではないでしょうか。

 考えすぎでしょうか。

 ですが、実際に強制が発生したとき、責任を負うのは東京都ではないでしょう。これは、目下、巨大な責任であるはずのコロナ騒動についてなんの贖罪の方針も示していない国の態度で明白です。東京都議会は「我我に強制しておりません。責任はございません」と、言うでしょう。責任は個個人に負わされます。いいえ、個個人が負っています。刑法においては、そういう原則になっているのです。これを「個人責任の原則」というそうで、「強制したひとの直属の上司」でも、監督責任のみで部下の犯罪に対して自動的に懲役や罰金を科せられることがない、と、いう仕組だそうです。これについては少しあとにも触れましょう。

 個人の責任を念頭に考えたとき、私なら社会的圧力による強制に責任を負えません。ので、私のような無能がなれるものではないでしょうけれども、私が東京都議ならこの条例には反対しました。

 本条例の問題点はまだございますね。議論の中で「無意識の思い込み」なる概念が出てきました。英語では「Unconsciousアンコンシャス・ Bias(バイアス)」と言い、学術的・専門的文脈では「Implicit(インプリシット・) Bias(バイアス))」、すなわち「潜在的偏見」というそう。一聞には理解しがたいものですね。小池都政が大好きなどこかこじゃれた印象の横文字で、いかにも洗練されているかのように聞こえる言葉です。これは、「解消」とセットで使われた言葉であり内心の自由を脅かし得る思想統制的な考え方だと私は捉えました。

 この考え方による強制は、もっと大規模での成功体験がございます。(勿論、被害者である国民側からすれば「失敗体験」なのですが、)コロナ騒動によって皆さんが体験していることです。そうです。政府によるワクチン接種推進キャンペーンです。これについて、良い喩えかどうかは読み手に委ねますが(大人気作品なのでファンの方、不愉快でしたら申し訳ございません⦅そしてタイトルのみで判断していただきますが少少ネタバレを含みますので「はっ」としたら読み飛ばしていただければと存じます⦆が)、『鬼滅の刃──無限列車編──」において(以下にネタバレを含みます)鬼が、言葉巧みに従わせた人間を主人公達の心に忍び込ませて「無意識の領域」にある「核」を攻撃するよう指示します。核を失うと廃人になってしまうというとんでもない展開でしたね──。これに喩えると、

 

 下弦の一:グローバリストやその傀儡。

 従わされた人間:国による接種推進キャンペーンや都の条例。

 無意識の領域の核への攻撃:醸造された社会的圧力。

 

 と、いう(ちょっと解りづらい喩えでしょうけれども)構造がまるで同じです。まず注目すべき点は、キャンペーンや条例に罰則がないこと。これによって下弦の一に当たるグローバリストや傀儡の手が汚れない(法的には責任を問えない)という点を確保されているようなものです。つまり、「キャンペーンや条例が悪かったので直す・撤回する(最悪そのまま残る)」などでやり逃げされかねません。一方、手を下した側は実働・実感を伴いますね。主人公の内面に触れて己の罪に向き合った作中の青年のようなケースは稀でしょうし、現実世界で社会的圧力を生み出すのは人間そのものですので──、事実コロナ対応におけるワクチン論争が勃発して未だ(厚生労働省など専門家が正しい科学を認めないために)治められていないように、分断工作の一端と考えるほうが自然ではないでしょうか。

 勿論、そこまでは言わないまでも反対側の意見は拡大解釈や誇張であるとの意見もあるでしょうが、この件について私は過敏なほどに反対しておいて損はないと考えます。時代は移ろいますので、仮に「男性活躍」を推進するような時代が訪れたとき、性差によって生ずる肉体的強弱を無視して、「24時間働けますか?」のような強制労働的環境が社会的圧力によって醸造された際に、今度は女性管理職に対して「胎児に悪影響があってもストレスの中で走り回って仕事しろ」というようなむちゃを言い出す首長が出てくるでしょう。現代でも下請けの運送業などはブラックですので、女性であろうと男性であろうと罵倒や罵声を浴びせられるのが日常茶飯事だそうですが──、そんな中で24時間、私なら働けません。無論、1分でもお断りです。

 と、話を電気ショックもとい生理痛体験に戻して、刑法を用いた罰則が上層部には生じない可能性が高い。具体的には、本条例が「努力義務」で法的強制力がないためです。しかし、都政やそれに属する団体などが過剰に介入(命令・強制など)した場合には、それを執行した公務員に対して暴行罪や強要罪が適用される可能性があるとのことです。

 ただ、これもまたコロナ騒動と同様に、執行した公務員の直属の上司やそのさらに上に位置する行政の首長(本条例の場合は都知事など)は責任を問われるケースが極めて稀で、ほぼ責任を問われない構造のようです。コロナ騒動で「ワクチンは100%安全」と謳っていた担当大臣が責任に問われないのも一つの先例と言えるでしょう。遺伝子製剤の接種を勧めるだけでなく、実際に強要したひとでなければ、また、強要を指示したり打合せしたりしたことを実証できない限りは、強要罪・共同正犯(共謀)・教唆などの罪に問えず、無罪放免ということです。

 無論、これには、部下の暴走が全て首長の責任にされないよう(謂わば道連れ的な、巻添え的な刑法抵触を狙った犯罪に対して)抑止的に働く仕組になっているとは捉えますが……この法律の枠組を悪用して責任逃れが横行しているようにも捉えられます。これまで定期接種などが行われてきた「複数種のワクチン」によるもの死亡認定件数が1977年2月から約48年間で171件である一方、「新型コロナワクチン」による死亡認定件数が約4年間で1058件に及んでいます(出典:藤江成光氏の纏め画像)。が、誰一人として責任を取っていませんので、電気ショックで男性がなんらかの障害を負ったり死亡したりしても、上層部は誰も責任を負わないでしょう。蜥蜴の尻尾はこうした構造的な問題によっても生まれているのでしょうね──。

 

 法律関連の話題を調べつつ長長書きましたが、私自身はこれらを覚えきれた自信がございません。役立てられるひとが各各の生活や問題意識の中で役立てていただければと存じます。少なくとも、グローバリストの手法が「妙に洗練された一つのもの=ワンパターン」であることだけはよく判る構造である、と、いうお話でした。憲法こそ大きく変えるべきではないと考えますが、こういったおかしな構造が罷り通っている現状を鑑みて、何かしらの法の調整や再整備や撤廃を年月を掛けて進める必要があるのかも知れません。

 

 私の結論としては、「無意識の思い込みの解消」というものをわざわざ行政が条例でもって行うのは過干渉であるようにしか感じません。それを支持するということは、「行政に委ねて自分で考えることをやめてもいい」と言っているように聞こえるので、まるで納得できません。それに、思い込み、偏見、意見の相違、こういったものの違いを擦り合わせてゆくのが人間の面倒くささであると同時に人間らしさであり、よさです。この違いをなくすことは、極端なようですが、「個性を失うこと」だと私は危惧します。構造がコロナ騒動と同様であることは前述の通り大きな懸念であり大いに引っかかるのですが、それ以前にDEI(DiverCity(多様性)Equity(公平性)Inclusion(包括性))を謳いながらその実態は人間性の欠落(それこそ多様性の欠落すなわち国境の喪失、境界線の喪失、全体主義)を堂堂と推し進めている。それが現代の都政であり日本政府であるということを、本条例こと東京都女性活躍推進条例に感じてやみません。

 

 グローバリストが犇めき合う、全体主義的主張が蔓延る、それは、それは、大変な世の中ですが、冒頭で触れました通り日本には若い力、それも想像を超えるような優れた力が次次育っております。それに乗っかるわけではございませんが、明るい将来も期待できるように感じます。

 この更新記録が掲載されているのは年明け数箇月後でしょうけれども、そのとき日本はどのような状況になっているでしょうか──。世界を観ても稀有な、諸外国との連携も行う政治団体『ゆうこく連合』が広がって悲観せずに済むような転機を迎えていることを願って、今回の結びと致します。

 最後までご覧いただきありがとうございます。

 皆さんの幸せと平穏を祈っています。

 

 

 

──2025/12/20(土) 02:10〜

  2025/12/21(日) 19:23執筆

  2026/03/14(土) 掲載──

 

 

 

──────────

──当頁書き収め──

──────────

 

 

 

 

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