2025/08/15(金)『妄想「共に歩む者」』更新記録⑬ 「一二章」掲載。
※作品の文体とは一部異なります。
初めまして、あるいは改めまして、オトオリと申します。
まずは作品更新のご紹介です。異なる形でトラブルを起こした娘が着座して迎える重要な家族会議の模様を描く「一二章」を掲載致しました。深刻な場面を織り交ぜつつも、ぎくしゃくしていた関係がようやく一つの落ちつきを得ます。今後の展開にも大きく影響する物語です。
と、まじめに書くのも何か恥ずかしいものがございますが、重要な場面であることは揺るぎません。当副題における大きな布石でもあり、後続作品にも波及する一場面です。
ふと思いましたが、家族のそのごに大きな影響を与えるような重大な家族会議というのは、各家庭でどの程度の頻度で行われるものなのでしょう。子の立場からは進学・就職など進路についてが真先に浮かびます。親の立場からは進退や移住の相談でしょうか。親類からだと重苦しい相続問題……と、これはやめておきましょう、重すぎます。
ともあれ、折に触れて行う家族会議は一家庭が一枚岩であるか確認する機能を有すると同時に、場合によっては崩壊のきっかけになる場合もございます。それだけ身構えてしまうことも多く、その昔の私などは緊張しきって両肩をいからせていた記憶しかなく、肝心の内容は全く憶えておらず、「お前アホやろ」と家族になじられたものでした。ただ、幼かったからこそそれが許され、また、あの頃は察せられない年長者の緊張や会議中の苦悩を少し和らげることに貢献できていたのかも知れない、と、前向きに捉えたく存じます。
重苦しいタイプの会議が多かった我が家でしたが、一方、たまたま同席した友人宅の会議は和やかでした。他人の私がいたからかも知れませんが、そのような会議が普通のご家庭もあるのか、と、当時は衝撃を受けました。集まりの題目や性質、地域性などにも影響されるかとは存じますが、小さな頃は愉しい雰囲気の会議に(友人宅のそれは半ばお祭でしたが)憧れたものです。
さて、その昔の私のように重苦しい家族会議を乗りきった皆さんにも、お祭のような家族会議を愉しんだ皆さんにも、それ以外の家族会議を経験した皆さんにも、よりよい未来が訪れますよう祈っています。
今回はこの辺りで失礼します。ご覧いただき、ありがとうございます。
──2025/06/26(木) 05:26〜06:02執筆
2025/08/16(土) 02:27〜02:30修正
2025/08/16(土) 05:10掲載──
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──当頁書き収め──
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