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日記 2019/04/01 新元号「令和」について。(現最終加筆2019/04/09:詐欺について)


 新元号「令和(れいわ)

 政府発表2019/04/01(月)11:41


 出典:『万葉集「梅花(うめのはな)(うた)」』

〔──。(とき)初春(しょしゅん)令月(れいげつ)にして()()(かぜ)(やわら)(うめ)鏡前(きょうぜん)()(ひら)(らん)珮後(はいご)(こう)(かおら)す。──〕。

 ※一部抜粋。一部漢字・ふりがな現代化。間違っていたら申し訳ないので、原文が気になる方は独自に「梅花の歌」を調べてもらえると助かります。


 私と異なり頭のいいひと達がいろんな視点で考えて選定したのだから間違いはないだろう。出典元の意味を解すると悪い気がしない国民も多いだろうか。

 が、令和。出典元の意味合を捉えることは大切なこととは思うし、漢字の本来の意味も大事だが、この新元号を一見して一瞬ゾッとしてしまったのが本音だ。「エイプリルフールに乗った冗談か」と、思った国民もいたのではないか。漢字一つずつで読むべきではないと考えつつも辞書を引いた。

 「令」というのは現在、〔①命令。いいつけ。②掟。法律。③国の基本法。──〕などと続くため、多くの国民が「命令」とか「指令」とかを一瞬は連想したのではないだろうか。手許の漢字辞典『漢字源』によれば、原意──本来の意味──なら〔神神しい神のお告げ〕である。これが転じて現在のような意味合に変化したものと考えられる。一目で原意を思い浮かべた国民はいたのだろうか。

 「和」は〔①対立・疎外がなく集団が纏った状態。②仲直り。③調和が取れていること。──〕などの意味であるから悪い印象は少ない。

 最早これは私の性分であるが、他人の決めたことの悪い点を探すので、「和」にすら〔和①〕と〔令①〕の意味をくっつけて悪いように考えてしまう。それというのも、現政権でなければそのような思考にもならなかった可能性があると考えてもいるからである。殊に現政権は重要法案をことごとく強行採決で押し通して、少数意見に耳を傾けない・歩み寄らない、と、対話姿勢に欠けている。直近では、総理大臣が沖縄県知事との対話を約束しながらそれをせず、基地負担を減らすために基地移設する、県民には理解を求める、の一辺倒で辺野古沖埋め立てを強行しているのが象徴的だ。「纏まりのない集団も【国の決めた法】で黙らせる」的な強圧的な意味も含めているのでは、と。無論、【国の決めた法】は強行採決も可能な、ときに権力者を縛る憲法すら解釈変更してしまうような、あり得ない政権によって決められることもあるだろう。だから先の安保法案強行採決の際には穏やかな日本人には希しく国会前にデモ隊が集まったりしたのだ。

 重ねていうが、学のない私如きの意見なので少数とも自覚があるが、一方で、「令和」が五月から使われ始め、馴染むことになると、「令」という字に「梅花の歌」の意味が乗り移り、「命令」されたとき・「指令」がくだったときに反感が湧きにくくなりそうな予感が直感的・感情的に湧いている。実際、強行採決の件も何度も(ウィキペディアによれば第一次安倍政権から現安倍政権までに11件)行われた結果、あり得ないことなのに慣れてしまって──すなわち視聴率が減ったのだろう──ニュースに取り上げること・振り返ることすら減った日本である。故事や出典元を取り上げ・振り返るというのに現実からは目を背けがちなのが人間の皮肉な部分である。「長い物には巻かれろ」なんて言葉もある。私は「長い物」に前向きさという才能の芽を潰された人間であるから、他人の決めたことをそのまま受け入れたくはないし、感情的私見でもって可能な限りこれからも疑っていこうと考えている。

 安保法案強行採決の直後の話だ。視聴したドキュメンタリにて戦争体験のある古老が、嘆いていた。

「現代は第二次世界大戦直前の日本に戻りつつある」

 と。彼は、「何がどう」とは言い表さなかったが、漠然と「雰囲気が」と。それは体験に裏打ちされた直感ではないだろうか。それも「従うことが当り前だった側」としての。

 「戻りつつある」を一概に「後退」といえないだろうが、「過ちの繰返し」がないことを願いたく、個人的には、『先人の過ちから学んで戦争を起こさない、支援もしない国』の意味合で「令和」を捉えたい。そもそも、内閣総理大臣の選んだ元号選定者ではあるものの政府が直接元号を選定しているのではないので、危うい現政権を見つめ直してもらおうという選定者の意図が潜んでいるのかも知れない、と、好意的な憶測もしたいところ。

 報道機関による「令」の原意の刷り込みは既に開始されているので、世間一般的な社会で暮らしている国民の多くは遠からず「令和」にも馴染むだろう。名前に令・和の字を当てられている国民も事実存在するので殊更非難するのも問題かも知れないが、これは個人への非難では同然ない。反面こうも言っておきたい。「現政権が発表しているから嫌な印象」というのが個人的感想だ。なぜ一度も使われてこなかった「令」の字をわざわざ入れたのか、梅花の歌は後づけでは、もしくはよくない意味の忖度で万葉集から拾ってきただけでは、と、根拠もなくやはりマイナス方向で憶測してしまうのが悪い癖だが、これが私であるし、もし私と同じように考えたひとびとがいるならある種の受皿となれば幸いである。根拠がなくとも疑う気持が湧くことはあるのだ。

 擦り寄るような・忍び寄るような強行、某国への圧力、武器開発・輸出の潮流──、一方で武器開発に絡む企業への融資停止などの動きもある。令和は「和」を引き継いでもいるのだろうから、自他国に悲惨を撒き散らすような動きが一つでも減る、戦火に煽られない、そんな時代になりますよう。

──2019/04/01 12:01〜13:00

  17:55掲載──



──以下2019/04/02加筆①

  11:58〜12:05──

 当初、令和以外にどんな案があったか示す方針にないと言っていた政府が、ほかの案を開示した。

 英弘(えいこう)久化(きゅうか)広至(こうし)万和(ばんな)万保(ばんぽう)の五つ。

 隠す必要があったのか、と、素直に疑問だが、先日書いた嫌な憶測や疑問はともかく、四つ目の案のバンナ……、アニメ版フシギバナの鳴声みたいですごく気になってしまった。ちょっと好き。だが、単純な音読みというわけでもないような感じで馴染みやすいかはひとそれぞれかも知れない。

──2019/04/02加筆①11:58〜12:05──



──以下2019/04/02加筆②22:00〜22:55──

 英弘:日本書紀。

 久化:漢文。

 広至:日本書紀。詩経。

 万和:中国古典。

 万保:中国古典。

 令和:万葉集。

 出典が日本古典であるものに関しては、一文字目(英・広・令)が初めて使われたものであったようだ。政府のいう「新たな時代」というものを表す上でもそこは拘ったのだろうが、だとすると中国古典の三乃至四案は最初から選ぶ予定がなかったかのように感じてしまう。少なくとも政府はその気があったのだろうし、内閣総理大臣に至っては「令和」を推していたと一部で報道されていた。ちなみに、7人/9人で令和が決定したそうであるが、その多数派はどんな理由で選んだのだろう。残りの2人/9人はどのような理由で令和を選ばず、別の案を選んだのだろう。と、憶測が膨らんでしまうから、考案者も投票内容も明らかにしないほうが正しい。個人の思想や知性に寄っていた可能性もあれば、最悪は各人を叩くような者も現れるかも知れないのだから。匿名の恐ろしさが時折顔を出す情報化社会に吞まれないように気をつけたい。


 シナイ半島への自衛官二名派遣という話も進んでいる。用意された文章だからか棒読みだったが、「穏やかな場所だから大丈夫」と、防衛相の文言に、そこはかとなくではなく聞き覚えがあるのだが。勿論、聞き覚えのあるケースとは異なり、現地の状況は至って平和とのことだが戦地派遣の布石かと勘繰ってしまう。停戦監視団とは言え、争い事に関わる事象には違いなく、そこに派遣することを「自衛官育成」といっているのはどういう意味だろう。停戦状態を維持するための監視能力強化を狙って、と、いうことか。経験値は多いに限るが、【経験しないほうがいいこともある】とは小さいうちに大人の暴力に曝された経験から確たるものと考えている私である。殊、暴力というものほど碌でもないものはなく、戦争は極致であろう。どのような活動がしたくて自衛官になったか。派遣される自衛官の動機によっては自衛官の心によくない作用が働きそうで心配だ。

 と、話がずれた。天皇・皇后がご健在での改元を歓迎したかったがモヤモヤしてしまっているので、どうしてもマイナスに思考が働いている。今日も今日とて私は生かされている。醜い感情であっても、気持を込めて書いていく。

──2019/04/02加筆②22:00〜22:55──



──以下2019/04/06加筆①10:00〜──

 「令和」が万葉集を典拠としていることがこの週でよく報道されていた。同時に、その万葉集の典拠である「梅花の歌」が、中国古典『文選(もんぜん)』を典拠としているとの報道があった。()()とすると、広い意味ではパクったとも捉えられかねない。が、そもそも漢字が中国伝来であることを考えると、中国古典を学んで日本人的感性に置き換えられた文章が存在すること自体はなんら不思議ではない。日本の国木である桜も中国伝来という説があるがそれは余談。日本より古くから漢字を用いてきた中国で、おまけに日本の一〇倍以上の人口──識字率も現在は九五%超──であるから、現代の創作物と同じようにあらゆる創作物にどこかしらの類似点が出たとしてもおかしくはない。日本語だけでも、「おはよう」などの共通の挨拶を使わない作品はまずないだろう。だからパクっていないとは当然ならないしパクったという確証もないが、日本の漢字が中国伝来の伝統であることは確実で誰もが知っていることであるからわざわざ言及するまでもないことだ。すなわち、文選から学んだ歌人の歌が日本古典『万葉集』に載ったことは十二分にあり得る。実際、万葉集編纂時期の歌人が文選を始めとする中国古典を広く学んでいた可能性は高い、と、いう識者の意見が、文選のことに合わせて報道されている。

 そこで気になるのは、令和の典拠が「日本古典『万葉集』」であることに拘っている政府の姿勢ということになる。先にも触れた通り漢字が中国伝来とは言うまでもない中で、だ。日本のものに拘る姿勢は職人気質の──内向的な気質ともいえる──日本人には受けがよく、それを顕すように新元号発表前後で現政権への評価が上がり、批判が減ったというデータがある。一方で、日本人には愛国心が薄いという傾向もあるので、国の動きを左右する政治への関心が薄い傾向も強い。それゆえに、新元号発表を政治利用している感の強い現政権の動きにも無頓着で、「響きがいい」なんて理由で新元号を評価している者さえ存在している。忙しい方方も多いのでそうした意見を持った方方を一概に非難はできないが、しかし、あえて言えば「もうちょっと調べてから評価してほしい」とは思うのである。

 少なくとも私は新元号「令和」を前向きには受け入れていない。内心を言えば、全く納得していない。私の少ない知識で理由を端的に述べるなら、

「『令』と『和』を合わせるのが気持悪い」

 一つ一つ説明する。

 「令」は先日も書いた通り、〔①命令。いいつけ。②掟。法律。③国の基本法。──〕などの意味であるが、この多様性の時代に「命令に従うのが当然」とでもいうような漢字がそぐわないと考えた。

 「和」は〔①対立・疎外がなく集団が纏った状態。②仲直り。③調和が取れていること。──〕などの意味であるからやはり悪い印象は少ないが、一方で、少数の対立意見は聞かないという現政権の姿勢そのものを示してもいる。また、「令」と組み合わせることで極めて狭義の性質を持つと感じている。すなわち、「命令で纏まる集団」ということだ。これは、かつての日本帝国を彷彿とする、右を向けと言われれば右を向く、と、いうような極端な命令系統が当り前の社会を受け入れろとさえ言われている気分になって吐き気がした。これが、私が当初「令和」を観てゾッとした本当の理由だ。

 反社会的な行動を推奨したりしないし、社会への鬱憤を晴らすために薬物などに趨るような者は論外だが──、既述したような意味合で捉えている私は、「令和」が個性を殺されて集団に溶け込むことを強要される時代にならないか、暗澹たる気持になるのだ。沖縄では基地負担や海の埋め立てが強いられているが、東九州自動車道建設に伴う蜜柑畑の強制収用もあった。直近では、同じような──こちらは総理・副総理の地元……──の道路整備事業に関連して「忖度しました」との発言が某副大臣から飛び出し、同副大臣が辞任する始末で──、国の事業は大を取り小を切り捨て、小の意思を殺し得るとは現政権や国会を観ていても判る。逆らえばなんでもかんでも奪われるので逆らえないわけだ。そうして今も戦時中と形を変えた「帝国」が厳然と存在している気がしてならない。無論、私の日記は飽くまで私見であり一部は憶測であるからその部分については確証がない。【それはそうだ。政府与党は白を切り続けて証拠を隠滅しているのだろう。】とは、これもまた憶測であるから撤回しよう、なんて私は言わない。私は飽くまで私見を私見として述べていると堂堂と言う。失言あらば「撤回する」と言って逃げ遂せるのが現政権の繰り広げる国会であるから何をしても好感が湧かない。一挙手一投足でもって「評価する・評価しない」なんてころころ逆転しない。加点・減点方式で常に採点して総合点を貼り出しておくべきだろう。一時的な動向指数で「現政権は安定感がある」などと報道する番組にはがっかりする。無論、「アナウンサ達もうんざりしている」感は伝わっているから、報道局も致し方なく報道しているとも想像できる。報道の自由度が低いとはまた余談であるが関係していないでもないだろう。

 元号に話を戻す。あえて、軽薄な考えで新元号の「文字」を選んでみる。「響き」だけで選べば、「令」を「礼」に置き換えられないか。画数も少なく覚えやすく、母音は同じくR、「礼和」としても広く使われている言葉にはならない。典拠は古典とは異なるかも知れないが孔子とその弟子由来の『論語』で、〔──。(れい)(よう)()(たっと)しと()す。──〕。前例に倣えば「和礼」とするのが正しいか。意味は、端的にいえば「礼を失して和をなすことはできない」ということで、愛国心はなくとも一種の節度と厳格さを伴い、一般的に礼儀正しいとされる日本人にはしっくりくる。「和礼」とすると頭文字はWであり、常用もされていないので問題なさそうなもの。中国の古文献を典拠としていながら日本的だとも感ずる。

 そうした言葉があるにも拘らず日本古典にいっそ固執している節のある現政権、おまけに「礼」は感じないが「令」をいやに感ぜさせる現政権、対立を煽り、少数を切り捨て、実質無力な核の傘に縋り続けて原発も否定しない現政権が「令和」に一枚噛んでいると一部にでも感ぜさせてしまう時点で「令和」は失敗だろう。──これも結局は憶測だ。が、私は間違いとも思わないので書いている。勿論、対立を煽るための文章ではなく、飽くまで「こういった意見もある」と自分で残しておくための謂わば随筆であるが、こうしたことが書けなくなる時代も来てしまうかも知れない。して、そうした時代から遡ってこれを取り立てて逮捕などされることもあるのだろう。法律というのは飽くまで「時代の正義」のためにしか存在しない。

 元号の話題に再び戻すが、古典に拘る必要も最早ないのではないか。「新時代」というならいっそ「ひらがな」でもよかった。が、平仮名さえ漢字由来。とどのつまり、日本の文字文化は外から入ってきたものなのだ。外からの文化を融け合わせ、ときに寛容に受け入れ、取り込んできたのが日本という島国だ。国際語の色が濃い英語も入り込んでいてなお、日本ほど数多くの言語が入り込んでいる国はほとんどないのではないか。訛りも含めたら、日本にいったいどれほどの言語・言葉・文法が現存しているか。それは、尊重・理解し合おうという多くの意志のもとに成り立っているのではないか。それが日本元来の姿であり、それでこそ日本だ、と、私は思う。

 遅筆なのでこれを書くのに二時間を要したが、小さなことにも大きなことにも自分なりの憶測でもって理解を深めていけたら無学な私としては上出来だ。

──2019/04/06加筆①12:00〜14:00──



──2019/04/06加筆②22:30〜23:00──

 改元に乗っかった詐欺が既に始まっているようだ、とも、今週よく報道されている。これまでも多かった「還付金詐欺」を絡めたものや、一方的に改元グッズなどを送りつけて金銭を要求する「送りつけ詐欺」などに加えて、改元に伴いキャッシュカードのICチップを取り替えるなどと言って暗証番号を聞き出してキャッシュカードを預かってお金を引き出す、と、いうようなものまでいろいろらしい。ICチップなんて機械音痴の私にはさっぱりだから、騙されそうで恐い。他者からお金を引き出すためにあらゆる手段を用いてくるのがこの手の犯罪者。騙す相手など必要最低限の相手になら顔を曝すことも辞さない手合なので、「顔を見せてくれるなら安心だ」なんて思い込みは絶対に駄目だ。また、警察を騙ってお金やキャッシュカードを預かる、なんて荒業も詐欺師は覚えているので、警察官を名乗る者からの電話や接触も安心してはならない。「騙されたふり作戦」というものも実際にあるとのことだが、その際も()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ので、

「現金を持ってきてください」

 や、

「現金を用意してきてください」

 は、確実に詐欺だ。

「お金をお振込みしますのでATMまで来てください」

 も、ない。行政はそんなにお金をくれない。とは、ひねくれた見方だろうが事実くれない。どの地方自治体もふるさと納税で熾烈な争いを繰り広げるほど余裕がないのだから(!)

 これは行政全体にいえることだが、前のめりでATMの操作方法を教えてくれることもない。それほど行政は暇ではないし、基本「受身」でしか業務をしない。よって、市役所や警察から電話が来ること自体が怪しいと思ってもいい。

「○○さんが逮捕されました。示談金の○○万を持ってきてください」

 と、いう類の詐欺もあった。「○○さんが逮捕されました」まではあり得る話だが、「お金を持ってこい」の類は疑うべし。どこの警察署か、担当はなんという刑事か、しっかりメモして、能動的にその警察署の電話番号を調べて、担当刑事が存在するかなど下調べしてから、「○○さんの逮捕」が事実かどうか、知ることが大事である。そこが詐欺の始まりであり架空のストーリであるから、しっかり調べれば見破れないことはない。

 ATM操作中に、

「それは詐欺です」

 と、教えてくれるひとがいれば、その言葉だけは信用してもいいが、そのあと、

「危険なのでお金はお預かりします」

 とか、

「キャッシュカードをお預かりします」

 とか、言うならやはりグルであるから預けてはならない。


 ひとを疑うのは労力が要る。はっきりいっていい気持にもならない。だが、疑うことで守れるものも確実にある。

 騙されているひとが詐欺だと気づけなくても、周りが食い止めることはできる。知っているひとがこの手の詐欺に掛かっているようなら、どうか周囲のひとが気づいて止めてほしい。「本物の警察」に通報することも忘れずに。向こう──詐欺師──から教えられた電話番号に掛けても「偽物の警察」にしか掛からないので要注意。

──2019/04/06加筆②22:30〜23:00──



──2019/04/09詐欺について加筆12:56〜13:30──

 先日、詐欺に関する報道を追加視聴した。

 その中で、

 ①怪しい電話はまず疑う。

 ②怪しい電話があったら警察に連絡。

 と、いう意見があった。高齢者を狙って多くの詐欺師が固定電話に掛けるため、固定電話に出ただけで在宅の有無や住所が割れてしまうという問題もあるので①②は大事な対策だろう。

 また、怪しい相手──詐欺疑惑の電話番号──から掛かってくると自動的に音声録音する旨を相手(詐欺師側)に伝えるメッセージが流れる機能をつける「自動音声録音機」がある。これを無料で貸出ししてくれる自治体もあるようなので、住んでいる自治体でそういったサポートがないか確認してみるのがいい。これがあるだけで詐欺被害の危険性をかなり低下させることができる。

 自動音声録音機は各メーカから価格一万円前後で販売も行われている。年金暮しで節制が必要な中でその出費はそれなりに痛いが、詐欺被害額の一件当り平均二〇〇万超、それが嵩んで一〇〇〇万単位に及んでしまうこともあるので、しっかり対策していきたいものである。

 最後は自分や周囲の人間の判断が大事だが、活用できるものはしっかり活用して被害を食い止めよう。

 必要な情報でもないが、詐欺師は規範的に無慈悲である。被害者を嘲ることはあっても、同情したり容赦したりしない。事実、先日報道された詐欺師の収集する被害者データには被害者を完全な馬鹿にした内容がつらつらと書かれていた。それを観た番組出演者が、「自分の親の世代が詐欺に掛かることもあるって考えないんですかね?」と、いうようなことを言っていたが、バイト感覚で詐欺に及ぶ者も存在している以上、深い意味で親を大切にしている人間はまずいないと考えたほうが無難だ。「ちゃんと稼ぎがあると示して親を心配させないため」に詐欺をしているのなら本末転倒というほかない。そもそも親を大切にする精神が育っているなら他者に対しても同じような精神がまず働くはずである。それが働かないのは、「稼ぎがあることで責められない」という自己防衛しか働いていないためだろう。

 ひとを心配する気持が少しでもあるなら、今すぐ詐欺から足を洗うことをお奨めする。その罪は間違いなく重く伸しかかってくる。

──2019/04/09詐欺について加筆12:56〜13:30──




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