第三十八話『絶望との対峙』
「……動かないで下さいね」
「う……あ……」
全身から血を垂れ流し、今にも命を落とかねない魔導士に寄り添う一人の少女。
少女――二アは額にビッシリと汗を浮かべ、焦燥感に満ちた眼差しで魔導士の体に手を当てていた。
このまま放っておけば、この魔導士は数分で息絶える。
誰もがそれを理解し、口を閉ざしていた。
喰われた腕、爪で吹き飛ばされた下半身――その魔導士が命を繋ぎ止めているのは偶々、高い魔力を保有していたからだ。
魔力の量は生命力で決まる――
『帝国魔導士団』へ入団する為に高難易度にクエストに挑戦していた学生魔導士がそう簡単に命を落とすはずも無く、これだけの重傷を負いながらもまだ命を繋ぎ止めているのだ。
もっとも、すでに医療用魔導器では手の施しもようもないほどに手遅れの状態ではあるが……
その不可能を可能にする力が二アの手にはあった。
「お願いッ!」
二アは血が滲む程固く握りしめた《イフクロック》を発動させる。
無数の平行世界にアクセスし、目の前の魔導士が助かる世界を必死に探す――
検索――失敗
検索――失敗
検索――失敗…………
何回も、何十回も試行錯誤を繰り返し、その度に失敗する。
その影響は二アの体に刻々とダメージを与える。
すでに何度も《イフクロック》を発動した影響で、体力など無いに等しく、気力だけで意識を保っている状態。
そして、何度も危険を顧みず、黒竜の眼前に飛び出した影響で、二アの体には数え切れない程の怪我が目立っていた。
ブレスによる奇襲を回避する為に声を張り上げる――
戦いに移行した後は、竜の顎に喰われた魔導士を助ける為にその魔導士を無理矢理下がらせる世界を選択――
今の治療もそうだ。
腕を食いちぎられるなら、そうならない世界を探す――そして得た結論が――
「つぅ……」
二アの額から血しぶきが舞う世界を選択させた。
咄嗟に魔導士の腕を引っ張り、その顎から彼の腕を救った。
その際、飛んできた礫が二アの額に直撃し、額を割ったのだ。
それだけじゃない――その世界に辿り着くために失敗してきた世界で、二アは脱臼、裂傷、骨折など、様々な傷を負い、その全てが現実世界に上塗りされたのだ。
悲鳴の一つも上げず、意思の力だけで体中を蝕む激痛に耐えきる二アの精神力は異常の極み。
だが、その精神力をもってしてもすでに心が悲鳴を上げ、折れかけているのだ。
(けど、まだ……)
腕は治っても、下半身は欠損したままだ。
その怪我を治す為に再び《イフクロック》を発動させ――
「うああああああああああ!」
二アの右腕が指先から肩にかけて綺麗に裂けた。
たまらず悲鳴を上げる。
右腕が吹き飛んだかのような感覚。涙でにじむ瞳で見てみれば、幸いにも腕は繋がったままだ。
骨が見えそうな程深々と抉られている事には違いないが。
体力の限界から飛べる平行世界に限界を感じた二アはアクセスした世界でなりふり構わず、魔導士の背中を突き飛ばしたのだ。
その結果、入れ替わるように差し出された二アの右腕が鋭利な爪によって吹き飛ばされた世界が二アの腕に上書きされた。
幸運にも、切断こそは免れたが、その痛みは折れかけていた心を完全に砕くには十分すぎるものだった。
蹲る二アに治療を終え、完治した魔導士は虚ろな瞳でゆっくりと二アを――その身に刻まれた代償を見て、表情を歪める。
「す、済まない……」
「……ううん、わ、私は大丈夫……けど、ゴメン、もう治療は……」
「わかっているさ……その迷惑かけたな」
魔導士はゆっくりと起き上がると体の具合を確かめる。
食い千切られ、吹き飛ばされた体に違和感はなく、二アの治療の凄さを物語っていた。
だが、その代償に二アはこのパーティーの中で一番の重傷者だ。
もう治療出来る体力も精神力も残されてはいない。
回復という手段が絶たれたパーティーに残されたのは『撤退』の二文字――
だが、撤退が出来るなら――最初からそうしていた。
出来ない。撤退する事も――善戦することも、この黒竜の前では学生魔導士の持つ力など無に等しいのだ。
出来るは今行っている防衛戦のみ。
助けが来るまで必死に黒竜の攻撃を耐えることだけだ。
治癒の絶たれたパーティーにとってその現実はまさに絶望そのもの。
いつ助けが来るかわからない状況で、刻一刻と迫る死の恐怖に耐えなければならないプレッシャー。
誰もがその絶望に折れかけたその時だ――
「やべえ! 逃げろッ!」
必死に黒竜を足止めしていた魔導士の一人が金切り声を上げる。
二アが見上げれば剣呑に細められた爬虫類の瞳が二アと回復したばかりの魔導士を見下ろしていたのだ。
最終防衛線すら突破し、背後で治療に専念していた二アに標的を絞ったのだろう。
縦に割れた赤黒い瞳は二アだけを捕らえ、ギラギラと光る牙が獲物を求めるようにその顎を開ける。
(ああ、死ぬのかな、私……)
直後、全身を吹き飛ばすような突風が二アを襲う。
黒竜が翼を勢いよくはためかせ、周囲にいた魔導士を一人残らず吹き飛ばしたのだ。
当然、二アを守ってくれる魔導士は一人もおらず、満身創痍の二アに逃げる手段は思い浮かばない。
体を蝕む激痛も忘れ、ただジッと黒竜を見つめる二アはその胸中に何を抱いたのか……
後悔――いいや、これは未練だ。
大切な親友を置き去りにしてしまうこと――両親に、友に何も残せないこと――
やり残した全てが走馬燈のように彼女の思考を埋め尽くし、それが涙となって彼女の瞳からこぼれ落ちる。
(嫌だよ……)
学院に入学を決めたその時から死ぬ覚悟はとうに決めていた。
いや、学院に入学するよりも以前から、二アは死というものを漠然と受け止めてきた。
いつ死んでもおかしくない世界。命の価値が軽い世界で、自分の命を大切にする必要があるのか? とずっと二アはずっと疑問に思ってきたのだ。
訪れるかどうかもわからない明日に脅え、恐怖するなんておかしい。
なら、いつ死んでもいいように心構えだけはしっかり持ち、一日、一日を大切に過ごす方がどれだけいいか――
過去に思いを馳せるのではない。未来に夢を描くのではない。
ただ今日という一日を幸せに生き抜く覚悟――
それが二アを支える根底だったはず。
それなのに、死の間際になって本当に垣間見た本心、未練はその覚悟を容易くひっくり返すものだった。
過去も今も未来も全て欲しい――そう願って、思ってしまったのだ。
これから理不尽に死にゆく事が信じられない。これからも当たり前のように続くこれからを求めて、二アは震える唇を動かした。
「た、助け……て」
そしてその願いは直後、一人の青年によって叶えられる事になる――
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