第三十六話『最悪の最悪』
「本当に大丈夫ですか?」
イノリがカズキの顔を覗き込む。とうの昔に片付けを終え、《グレイビル》で備品を浮遊させていたイノリは何時までたっても動こうとしないカズキにただならぬ気配を感じていた。
そして、同時にカズキと一緒になって遠巻きに先ほどの喧騒を聞いていたのだ。
「・・・・・・何が、俺達はまだ死ぬわけにはいかない、ですか。自分を特別視して何様のつもりなんですかね?」
「ヴァレンタインさん?」
「そうでしょ? 彼らはただ戦う覚悟がないだけ。そしてそれを隠す為に自分を特別扱いしているだけなんですよ。どいつもこいつも……『戦闘科』っていうのは負け犬の集まりなんですかね?」
余りの辛辣ぶりに平常心を乱していたカズキの心が落ち着きを取り戻す。
本当に、こんな時でもイノリはイノリだなあ……と疲れた表情を見せ、少しばかり顔色が復調したカズキ。それを見たイノリもまた小さく鼻を鳴らす。
「最も、その負け犬代表はアスカ、あなたですけどね」
「……わかってるさ」
戦いに恐怖を感じ、『テスト魔導士』に逃げたカズキを未だイノリは許していない。
カズキにしろ、先ほどの『戦闘科』の連中にしろ、本気の覚悟がないから迷うのだ。だから今になっても《黒銀》はカズキの力に応えようとしない。
それでもカズキに《黒銀》のテスターを任せたのはカズキにその片鱗を見たからなのだが……それがいつ芽生えるのか、イノリには想像も出来なかった。
「……本当にしっかりして下さいよ」
「……」
イノリの呟きにカズキの反応はなかった。どうやら先ほどから泣き崩れた生徒から視線を離すことが出来ない用だ。
まるで、かつての自分と重ね合わせたかのようなそんな表情。
イノリは心の中にため込んだモヤモヤを深いため息と共に吐き出すとカズキの手を強引に掴む。
「行きますよ。ここにいても時間の無駄です」
踵を返すイノリに連れられて放心状態だったカズキの手が引かれる。
カズキと絶望に泣き崩れた彼の視線が交わったのはそれとほぼ同時だった。
「お、お前……アスカか?」
「……は?」
悲観していた『戦闘科』の瞳がカズキを射貫く。
お互いに面識はない。向こうが一方的にカズキの事を知っていたのだろう。
誰が見てもハッキリとわかるほど、彼は瞳に憤怒の色を宿し、鬼気迫る勢いで訓練場から出て行こうとしていたカズキに近づき、その胸ぐらを掴み上げた。
「お前エエエエエエエエエ!」
訓練場に響く絶叫にカズキとイノリの目が見開く。
助けを求めるならまだしも、怒りをぶつけられる理由にイノリは思い当たる節がなかったのだが、カズキは違った。
彼の激情に狼狽するばかりか、その視線から目を離し、バツが悪そうな表情を浮かべる。
「お前が、お前がああああああああ!」
もはや言葉にならない悲鳴にカズキの心が崩れかける。軽く投げ飛ばされ、崩れ堕ちたカズキの間に入ったのは、これ見よがしに怒りを滲ませたイノリだった。
「一体、なんの真似ですか? 非常識にもほどがありますよ」
「ひ、非常識だと?」
「ええ、そうです。『戦闘科』のくせに自分で戦おうともしないで誰かに助けを求め、見捨てられた挙げ句、その鬱憤を晴らす為にアスカに飛びつくのは非常識な上、迷惑この上ないと言っているんですよ」
「ふ、ふざけんな! コイツが半年前に黒竜を殺していれば、こんな事には……!」
「それこそ、ふざけんな! ですよ。アスカが黒竜を殺していれば? そんなもしもの話に縋り付く暇があるくらいなら他にするべき事があるでしょうに。それにアスカが責められる言われは何もありません。誰が戦っても学生では黒竜に勝てない。それは半年前――四番隊隊長シノ=アスカが命を落とす結果で証明されているでしょう? それなのに、全てをアスカに押しつけ、肉親を失った悲しみも後悔も絶望も全て無視して彼に暴力を振うなら、私はあなたを許しませんよ?」
「ヴァ、ヴァレンタインさん、どうして、それを……」
チラリをイノリはカズキを盗み見ると眉をハの字にした。
「知っていたも何も、有名な話じゃないですか。半年前の黒竜討伐で学生の護衛をしていた四番隊シア=アスカがその戦闘の最中、命を落としたのはこの学院の誰もが知っていることですよ? 彼女に弟がいたという話までは知りませんでしたが、同じ姓を名乗っているんです。関係者だと思って当然ですよ。加えてアスカの実績とその後を見れば、あなたが何故『テスト魔導士』にいるのかも想像がつきましたよ」
それでもその理由は納得出来ませんが。と珍しく口を濁すイノリにカズキは乾いた失笑を浮かべた。
「そうか。知っていたんだな。俺が何に脅えているのか、何から逃げたのか……」
知っていたにも関わらす、イノリはカズキを側の置くことを許した。戦う覚悟がないと批難しつつも、その心の傷を理解し、突き放す事が出来ずにいたために。
恐らく、それはクラスメイトにも言える事だろう。カズキの名前を知れば、シノの弟だと誰もが気付いたはずだ。
それでも腫れ物に触るでもなく、邪険にするでもなく、普通に接してくれたのは・・・・・・カズキが逃げ出した事にも理解を示しながら、カズキを構ったのは・・・・・・純粋に彼らが優しかったからだ。
『戦闘科』にいた頃よりも温かい温もりにカズキの固まった心がほぐされる。
「……すみません。私もあなたの事情に深く関わるべきではないと躊躇っていた事は認めます。けど、『テスト魔導士』を逃げ口にしたあなたを許せないのは本音ですよ。他の皆はどうか知りませんが……」
「いや、いいんだ。むしろ、助かったよ。発破をかけてくれて」
「アスカ……?」
「聞きたいことがある」
カズキは『戦闘科』の少年に向き直り、先ほどから脳裏を掠める嫌な予感を口にした。
「あんた、さっき『最悪の事態はまだ避けられている』って言っていたよな? 黒竜のブレスの直撃を受けて本当にその程度で済んだのか?」
「そ、それは……」
見る見る内に青ざめていく顔色を見て、カズキは内心どうしたものか? と迷っていた。
聞いた内容が内容だけに目の前の『戦闘科』はブレス直後の仲間の姿を思い出している様子だった。
黒竜のブレスはただの人間が耐えられる威力じゃない。直撃を受ければ跡形もなく吹き飛ぶだろう。その光景を目に焼き付けていたなら相当のトラウマだ。
現に顔色を悪くした『戦闘科』は胃の中身をぶちまけそうになり、必死に口元を押さえている。
口元を涎で汚しながら、息も絶え絶えに言った。
「し、死んでいなかったんだ。誰も……」
「――それは、本当か?」
「ああ、本当だ。ブレスの直撃を受けて半身を吹き飛ばされたヤツもいたし、消し炭にされたヤツもいた。俺もその一人だ。右半身を吹き飛ばされて、死にかけたよ」
「はぁ? 何を言っているんですか? あなた、無傷じゃないですか」
カズキ達のやりとりを聞いていたイノリが盛大に眉を歪めて彼の話を否定する。
イノリの言葉は至極まっとうだ。
現に目の前にいる『戦闘科』はほとんど無傷といっていい。半身を吹き飛ばされたなどと聞かされても信じられないだろう。
だが、カズキは違った。
むしろ、嫌な予感が的中してしまい、苦虫を噛んだ表情を浮かべていたのだ。
見た事がある。
まるで時間を巻き戻したかのような魔術を――
命を削ってまで誰かを助けようとする少女を――
イノリをよろしく頼むとカズキに笑顔で約束した、カズキにとって初めての友達――
「……二ア、お前なのか?」
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