第三十四話『足りないもの』
「まったく、アスカは何を考えているんですか!」
二の腕をさすりながら頬を真っ赤に染めたイノリが非難と侮蔑が混じり合った視線を容赦なくカズキに向ける。
カズキは正座させられた上に、その膝の上に《タイプゼロ》を乗せられるといったある種の拷問まがいな仕置きを受けながら、頬に出来た紅葉型の痣を気にして大きく肩を落としていた。
「だって、信じられるわけがないだろ?」
カズキは先ほどから何度も口にした言い分けをもう一度口にする。
膝の上に乗せられた《タイプゼロ》の重さに足の感覚を奪われながら、《タイプゼロ》を片手で軽々と振ったイノリがいかに規格外だったのかをカズキは今、身をもって思い知られている最中だ。
イノリは蔑む視線を向けたまま、呆れたように眉をハの字にさせた。
「それはもう何度も聞きましたよ。それでも勝手に女の子の二の腕を揉むとか変態ですか? ああ、変態でしたね、そう言えば。私に付きまとってきた変態さんでしたね。どうですか、そのお仕置き? ご褒美になっていますか?」
まるで真性のド変態でも見るような蔑んだ視線を向け、口角をニヤリと吊り上げるイノリはさながら真性のドエスといったところだ。
カズキをいじめることに快感を覚えたのでは? と言ってもいいような頬の染まり具合。
二人の変態が織りなす桃色世界に周りがどん引きする。
当然、カズキは周りの視線に気付き、その誤解を解こうと獅子奮迅の活躍を見せようとした――が、膝に乗せた《タイプゼロ》がそれを許さない。
たまらずうめき声を上げるカズキに対し、「新たな世界へようこそ」と見つめる視線が幾分か含まれていたことにさらなる悲涙を流すのだった。『戦闘科』はどこへ向かっているのだろうか?
ようやく束縛から解放されたカズキが足を崩してへたり込んでいると、軽々と《タイプゼロ》を手にしたイノリがため息交じりにカズキを見下す。
「さて、どうして私がこの子を持てるのか? でしたよね」
イノリは定位置に置かれたインゴットに《タイプゼロ》の切っ先を向ける。
イノリが何をしようとしているのか予想出来たカズキは「止めとけ」と心の中で愚痴る。
カズキの呆れた視線を受けながらイノリは軽い動作で《タイプゼロ》を振った。
どう見てもその動きは素人同然で、例え名刀であろうと満足な切れ味は再現出来ない。そんな一振りだった。
だというのに……
「な……ッ!」
カズキから漏れたのは驚きに満ちたものだった。
それも当然といえば当然と言える。
なにせカズキの目には真っ二つに両断されたインゴットと、訓練場の床に刻まれた斬撃の痕が焼き付いていたのだから。
当然、訓練場の床にも外壁と同じく防壁が張られている。並大抵の事で訓練場に傷がつくことはあり得ない。
その事実も踏まえ、目の前で残心しているイノリの手に握られた《タイプゼロ》の姿に目を奪われた。
カズキの手元にあった時はただの鉄の塊だったそれは、イノリが手にして初めて『剣』へと変貌を遂げたのだ。
「……どういう事だ?」
カズキがその疑問を口にすると、イノリは《タイプゼロ》を脇に置いて「ふふん」と自慢げに鼻をならす。
「これが《黒銀》を使うということですよ」
「は? どういう意味だよ?」
「アスカが《黒銀》を使えないのにはちゃんとした意味があるって言っているんですよ。《黒銀》を使いこなせればこの程度は造作もないんですよ。まあ、私の技量ではこの程度が限界なんですけど」
そう言ってイノリは額に浮かんだ汗を拭う。恐らく言葉通り、一振りが限界なのだろう。
疲労感を滲ませたイノリが「ふう」と息を吐き出し、その場にへたり込む。
「限界?」
「ええ、私はアスカほど魔力が高くありませんから。《黒銀》を発動させてもその真価はおろか、一振りするだけでもやっとなんです。だから、アスカには早く《黒銀》の力を引き出して欲しいんですが……」
ジト目でカズキを見る視線には非難の色が浮かんでいた。「早く発動させて」と瞳を通してカズキにそう訴えかけてくる。
だが、カズキは苦虫をかみ殺したように表情を歪め、その視線から逃れる。
「だったら、教えてくれよ。どうしたら《黒銀》が使えるのか」
この一週間、ずっと《黒銀》を使い続けてきた。膨大な魔力――それこそ《魔導器》一つ破壊出来るくらい膨大な魔力を流し込んでもウンともスンとも言わないのだ。
あらゆる手段を試して失敗に終わり、解決策のない袋小路に入ったカズキの悩みにイノリは仕方ないとばかりに肩を竦める。
「アスカは一度《グレイビル》を使いましたよね?」
「え? あ、ああ……」
そう言えば一度発動させたなあ。と遠い目をして過去の思い出を呼び起こす。
同時にあの時、カズキのせいで引き起こしてしまった悲しくも嬉しい事件が純白の逆三角形と共に――
「……余計な事まで思い出さないで下さい」
「……」
余計な釘と鋭い視線が刺さり、浮上しかかっていた桃色の記憶が霧散する。
残った感情はやり場のない憤りだけ。
「本当に勘弁して下さい。いい加減潰しますよ?」
イノリの手の平がカズキの股間に向けられる。本能的に危機を察知したカズキは余計な事は言うまいと一文字に口を塞ぎ、烈火のごとく土下座した。なんともシュールな光景だ。
「私が思い出して欲しいと言ったのは《グレイビル》を発動させようとした時に私があなたに向けて言った言葉ですよ」
イノリが諦めたように手の平を降ろすとカズキにそう囁いた。
土下座の姿勢を解き、カズキは言われた内容を思い返す。
(あの時の言葉……?)
それが、なんだというのか?
あの時、イノリは辛辣な言葉をカズキに並べ立てた。
あまりに正論で、そして真実であるが故にカズキの心を穿った言葉。
それが、なんであったか思い出そうとした矢先――
「た、大変だッ――――!!」
訓練場を響かせる悲鳴にも似た絶叫が思い出しかけたカズキの思考を霧散させたのだった。
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